久しぶりの「趣味の原点を振り返る」今回は思い出と言うよりも考察に近い中身です。
割と七面倒くさい内容なのはご勘弁下さい。
テツドウモケイの趣味を再開してそろそろ15年目くらいになりますか、中断前は10年続かなかったですから趣味歴としては再開後の方が長くなったわけです。その間にレイアウトやモジュールも作れば、Nでは困難と思っていた車両工作にも手をだし、16番やZを巻き込む形で現在も進行中です。
中断前の体たらくを思うと今回はよく続いていると我ながら驚きます。
してみると「継続は力なり」と言うある意味わかりきった事が、最近単なる言葉でなく体験としての意味と言う形で実感されます。
何事もそうですが趣味を始めた頃と言うのは先ず「対象が好きである」と言う事が大事な要素であり資格ではないかと思えます。
ですから趣味とか道楽について言えば最大の敵は「飽き」ではないかと思います。
実際、私が鉄道模型を再開した当初一番恐れたのがこの「飽きることへの不安」でした。
私自身、何事も飽きっぽい人間ですしその危険は大いにあった訳です。
しかし、趣味を継続させる要因とは何でしょうか。
ひとつには「興味が途切れない事」が言えると思います。
或いは常に手を使う事で技量の向上や変質を積み重ねてゆくプロセスと言うのもあると思います。
(敢えて「変質」と書いたのは私の技量が全く上がっていないからなのですが)
ですがそれだけとはどうも思えない。
ひとつには「ゴールを目指すけれど、一方でそれに拘らない姿勢」というのもあるのではないでしょうか。
何事にもゴールと言う物はあります。
ですがそれは同時に「ゴールと同時に弛緩が来る」事もまた多い。
ここでそのまま飽きてしまうか(こういうのを別名「足を洗う」とも言います)
なにしろ、趣味と言うのは仕事とか実生活と違って「飽きたらいつでもやめられる」ものです。
少なくともそのハードルは低いはずです。
「好きなだけでは続けられない」これは真理です。
ですがその一方で「まず、好きでなければ始められない」というのも真理ではないでしょうか。
「好きでい続ける」と言う事、これが全ての趣味、道楽の原点(スポーツなんかはそうでないと肉体的苦痛だけな筈です)と思います。
人生の中でそうまでして「好きでい続けられる」対象を見つけられる事は案外難しい事かもしれない。
不思議と物的に恵まれれば恵まれるほどこれは難しくなる様な気がします。
どこかで好きなものに対する欠乏経験があると案外好きでい続ける物かもしれません。
そういえば私のもう一方の趣味だったAV(オーディオビジュアルの略)等はまさにその典型でした。
あの趣味の動機の最大のものは「故郷のテレビのチャンネルの少なさ」とそれから来る「コンテンツの欠乏」が大きな要因でした。
ですからβやVHSからはじまりDVDやBDまで随分と入れ込む事ができたと思います。
ですが、現実にテレビが多チャンネルになり、ネットやパッケージソフトが充実して大概のもの(よほどイリーガルな物を別とすれば)が観られるようになるにつれてかつての勢いが失われてきているのも否めません。
鉄道模型の再開は正にそうしたタイミングに重なっていましたが、思えば初めて鉄道模型を始めた時にもこれと同種の欠乏感がありました。
40年前のNゲージの開始時は特急列車が20系しか組めなかったですし、当時人気の蒸気機関車はたった3機種。それどころかディーゼル機関車すら全くありませんでした。
ですから腕に覚えのあるモデラーは製品化されない車両の自作や改造による増備に血道を上げましたし、それほどの腕のないファンは適当な加工と実物との相違に目をつぶる「見たての心」で種類を増やしたものです。
この状況が変わったのは80年代初頭に新規参入のメーカーが増え、また既存のKATOやTOMIXも急速にラインナップを充実させていきました。特にTOMIXに対抗してKATOがユニトラックをリリースしてからは線路システムも急速な充実を見ていますし、お座敷運転に徹する限り不自由は殆ど無くなりました。
ですが今思い出してみると私がNゲージを中断した30年前はラインアップが充実し、大概の編成が手に入る様になったこの時期と重なるのです。
あの当時余程マニアックな事を考えなければ、レイアウトで走らせる編成には不自由しなくなった筈なのですが、折角それを享受できる状況が揃ったのに、それと同時にNゲージや鉄道模型に対する興味が急速に失せてしまった事も否定できません
(まあ、一番肝心な「金がない」と言う要因もあるのですが)
してみると人間とはずいぶんと贅沢なものです。
欠乏している時はそれが満たされるまで努力したり待ってみたりもするのに、いざそれが満たされると弛緩してしまう事が多い。
むしろ満たされた事をきっかけに次のステップに上がろうとするか否かが趣味を継続する上で一つの分かれ道である気がします。
まあ、こういうのを世間では「泥沼にはまる」とも言いますがw
(写真は本題とは関係ありません)
割と七面倒くさい内容なのはご勘弁下さい。
テツドウモケイの趣味を再開してそろそろ15年目くらいになりますか、中断前は10年続かなかったですから趣味歴としては再開後の方が長くなったわけです。その間にレイアウトやモジュールも作れば、Nでは困難と思っていた車両工作にも手をだし、16番やZを巻き込む形で現在も進行中です。
中断前の体たらくを思うと今回はよく続いていると我ながら驚きます。
してみると「継続は力なり」と言うある意味わかりきった事が、最近単なる言葉でなく体験としての意味と言う形で実感されます。
何事もそうですが趣味を始めた頃と言うのは先ず「対象が好きである」と言う事が大事な要素であり資格ではないかと思えます。
ですから趣味とか道楽について言えば最大の敵は「飽き」ではないかと思います。
実際、私が鉄道模型を再開した当初一番恐れたのがこの「飽きることへの不安」でした。
私自身、何事も飽きっぽい人間ですしその危険は大いにあった訳です。
しかし、趣味を継続させる要因とは何でしょうか。
ひとつには「興味が途切れない事」が言えると思います。
或いは常に手を使う事で技量の向上や変質を積み重ねてゆくプロセスと言うのもあると思います。
(敢えて「変質」と書いたのは私の技量が全く上がっていないからなのですが)
ですがそれだけとはどうも思えない。
ひとつには「ゴールを目指すけれど、一方でそれに拘らない姿勢」というのもあるのではないでしょうか。
何事にもゴールと言う物はあります。
ですがそれは同時に「ゴールと同時に弛緩が来る」事もまた多い。
ここでそのまま飽きてしまうか(こういうのを別名「足を洗う」とも言います)
なにしろ、趣味と言うのは仕事とか実生活と違って「飽きたらいつでもやめられる」ものです。
少なくともそのハードルは低いはずです。
「好きなだけでは続けられない」これは真理です。
ですがその一方で「まず、好きでなければ始められない」というのも真理ではないでしょうか。
「好きでい続ける」と言う事、これが全ての趣味、道楽の原点(スポーツなんかはそうでないと肉体的苦痛だけな筈です)と思います。
人生の中でそうまでして「好きでい続けられる」対象を見つけられる事は案外難しい事かもしれない。
不思議と物的に恵まれれば恵まれるほどこれは難しくなる様な気がします。
どこかで好きなものに対する欠乏経験があると案外好きでい続ける物かもしれません。
そういえば私のもう一方の趣味だったAV(オーディオビジュアルの略)等はまさにその典型でした。
あの趣味の動機の最大のものは「故郷のテレビのチャンネルの少なさ」とそれから来る「コンテンツの欠乏」が大きな要因でした。
ですからβやVHSからはじまりDVDやBDまで随分と入れ込む事ができたと思います。
ですが、現実にテレビが多チャンネルになり、ネットやパッケージソフトが充実して大概のもの(よほどイリーガルな物を別とすれば)が観られるようになるにつれてかつての勢いが失われてきているのも否めません。
鉄道模型の再開は正にそうしたタイミングに重なっていましたが、思えば初めて鉄道模型を始めた時にもこれと同種の欠乏感がありました。
40年前のNゲージの開始時は特急列車が20系しか組めなかったですし、当時人気の蒸気機関車はたった3機種。それどころかディーゼル機関車すら全くありませんでした。
ですから腕に覚えのあるモデラーは製品化されない車両の自作や改造による増備に血道を上げましたし、それほどの腕のないファンは適当な加工と実物との相違に目をつぶる「見たての心」で種類を増やしたものです。
この状況が変わったのは80年代初頭に新規参入のメーカーが増え、また既存のKATOやTOMIXも急速にラインナップを充実させていきました。特にTOMIXに対抗してKATOがユニトラックをリリースしてからは線路システムも急速な充実を見ていますし、お座敷運転に徹する限り不自由は殆ど無くなりました。
ですが今思い出してみると私がNゲージを中断した30年前はラインアップが充実し、大概の編成が手に入る様になったこの時期と重なるのです。
あの当時余程マニアックな事を考えなければ、レイアウトで走らせる編成には不自由しなくなった筈なのですが、折角それを享受できる状況が揃ったのに、それと同時にNゲージや鉄道模型に対する興味が急速に失せてしまった事も否定できません
(まあ、一番肝心な「金がない」と言う要因もあるのですが)
してみると人間とはずいぶんと贅沢なものです。
欠乏している時はそれが満たされるまで努力したり待ってみたりもするのに、いざそれが満たされると弛緩してしまう事が多い。
むしろ満たされた事をきっかけに次のステップに上がろうとするか否かが趣味を継続する上で一つの分かれ道である気がします。
まあ、こういうのを世間では「泥沼にはまる」とも言いますがw
(写真は本題とは関係ありません)