光山鉄道管理局・アーカイブス

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C58の復活で思い出したこと

2012-10-17 00:22:16 | その他

 先日も書きました岩手でのC58復活のはなし、
 今回はそれにまつわる思い出話です。以前サブブログで取り上げた事の再録ですが後から分かった事を加えてあります。

 今回岩手で復活するのは山田線での宮古発盛岡行きのSLさよなら運転の貨物列車にも使われた239号機です。

 ところでこのさよなら運転ですがもう一本釜石に向かったものもあり、その際に使われたのは同じC58でも283号機が使われました。

 今回話題にするのはその283号機のはなしです
 

「大いなる旅路」は昭和35年公開の東映映画で国鉄・盛岡機関区の全面協力のもと三國連太郎扮する機関士の十九歳から五十五歳までのカマタキ人生を綴った作品で劇中には様々なSL、機関区風景が描かれ個人的にも好きな作品です。

 本作の目玉の一つは本編の中盤、三国連太郎扮する機関助手の乗務する蒸気機関車が雪崩にあい転覆するシーンです。
 これは日本映画史上初めて「実物の列車を実際に転落させる」撮影が行われたもので撮影には山田線の浅岸付近(当時はスイッチバックだったのでこうした撮影には好都合だったと思われます)を使い、実物の8620(18633)と貨車が転落するさまはミニチュア特撮とは一線を画すリアリティがあります。

 この転落事故は実際の事故を基にしたストーリーです。


 映画では大正から昭和初期という設定だったので8620が使われていますが、モデルとなった事故は昭和19年。路線も現場が撮影地とは違う(実際の事故現場は平津戸-川内間の小滝鉄橋)ものの同じ山田線でした。
 転覆した機関車はC58の283号機。映画の中で機関士が助手に事故発生時刻で止まった時計を託して絶命するシーンがありますがこれも事実にもとづいた物との事です。

 この283号機は事故後修繕されて昭和45年の山田線SLさよなら運転まで現役でした。最後の運転では当時の機関助士が機関士として乗務したとの由。
 当時の写真を見ると2連のシールドビームが装着されているなど近代化されていたのがわかります。
(ですから映画の撮影時に当のモデルの機関車は現役運用されていた事になります。因みに撮影に使われた18633は撮影後に廃車になっています)


 ところで以前から折りにふれてメインブログで書いてきましたが、私を鉄道模型の趣味に引き込んだ機関士の親類の方が居ました。
 後に機関士としてED75等に乗務されそのときの機関車などを16番で自作されたりしていたものです。

 昭和50年頃、その方が退職された前後に16番のモデルでC58とC54を購入されました。

 当時、地元ではD51、C57、C61や8620などがポピュラーな存在でしたから「なぜ見慣れないC58や54をわざわざ買ったのか」不思議に感じたものです。
 それから30年以上が経ちその親類が亡くなった時、元同僚の弔辞で戦時中宮古の研修区長だった事を初めて知りました。

 その時、その方にとって「C58がどういう意味を持っている機関車だったのか」がおぼろげですが見えた気がしました。
 今となっては直接聞く事もできませんが、きっとD51や8620よりも思い入れがあったに違いありません。C54も当時ファーストナンバーが在籍していましたし。
 (これら2機は先日の帰省の折に遺族の方から譲渡を受け、C54と共にC58もレストア中であることは先日書いたとおりです)

 私がNでC58を入手したのは親類が亡くなったのと同じ時期でしたが、ナンバーは283号に近い数字のものを選びました。事故というアクシデントを乗り越えSL最後の日まで走り続けたC58の逞しさにあやかりたかった気持ちもあります。

 今回のニュースを見て当時のさよなら列車の写真を確認してみたのですが283号機と239号機は写真を見る限りでは仕様がよく似ています。 
(2連のシールドビームの位置、煙突周囲の形状など)ある意味239号機は283号機の兄弟分と言えなくもありません。

 今回復活する239号機は前述の通り主な活躍場所は山田線でした。
 せっかくですからできる事なら一度くらいは山田線を走って欲しい気もします。


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 HPです。

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