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本能寺の変の真実(2)

2014年07月12日 | Weblog
 『本能寺の変』直前の書状

 林原美術館(岡山市)と岡山県立博物館は、林原美術館所蔵の古文書の中に、天文4年(1535)~天正15年(1587)までの約50年間にいたる、47点(全3巻)の歴史的意義の高い文書群「石谷家文書(いしがいけもんじょ)」を確認したと発表した。

 この文書は、岡山市にある林原美術館が所蔵する「石谷家文書」と呼ばれる古文書群の中から見つかった。石谷家は明智光秀の重臣の斎藤利三と親戚関係にあり、林原美術館が岡山県立博物館と共同で調査したところ、斎藤利三と長宗我部元親が交わした書状などが含まれていることが分かった。
 本能寺の変の直前に、明智光秀の重臣と四国の戦国大名の長宗我部元親が、織田信長による四国統治などを巡って交わした書状などから、本能寺の変が起きた理由を探るうえで貴重な発見として研究者の注目を集めている。

 明智光秀の動機については「怨恨説」や「野望説」など複数あるが、今回の書状の発見で「四国説」が有力説となるのか。
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