武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

禅  修行

2008年09月26日 | Weblog
 いま手にしている文庫本はぶ厚い。文庫本の小さからして広辞苑ほどの厚さに感じるほどである。普通なら上下、二巻にしてもおかしくないボリュームで見ただけでもうんざりする。が、「鉄鼠の檻」と題するその著者が京極夏彦とあるのを見て、その名前だけは知っていたので挑戦することにした。(講談社文庫版)
 まず、参考文献に惹かれる。「鳥山石燕画図百鬼夜行」「正法眼蔵」「臨済録」「碧巌録」「日本禅宗史」「中国禅宗史話」「無門関講話」「禅門の異流」「禅学大辞典」「臨済録提唱」「箱根山の近代交通」「箱根の逆さ杉」と、面白い。

 修行僧達の朝は早い。
 午前三時半。
 まだ辺りは暗い。振鈴の音が境内を駆け巡り僧達の一日は始まる。
 冬山の早朝は身を切るような寒さだ。
 振鈴役の僧はその厳しい寒さの中、法堂から方丈(禅師の起居する場所)旦過寮(新参の僧の寮舎)知客寮(接賓の施設)と境内を疾走して一巡し、一日の始まりを告げなくてはならない。
 山内に緊張感が漲る。続いて様々な音色の鐘や太鼓が響く。これが禅寺の時計となる。
 禅寺の一日はすべてこれらの<鳴らし物>によって管理運行する。
 起床に限らず時報の鐘、集合の合図など、皆音によって報される。鳴らし物の種類は鐘、太鼓、巡照板や魚板なとどと呼ばれる板と色々で、鳴らす回数や順序なども実に細かく決められている。僧達はこれらをすべて完全に知っていなければならない。聞いて判らなければいけないのは勿論だが、自らが鳴らす役になった場合、間違いは許されないからだ。時間厳守は徹底しているのだ。
 午前四時には開門。その時法堂の蝋燭、焼香用の炭などにはすべて火が灯されており、用意万端が整っていなければならない。僧達の動作に一切の無駄は許されない。
 貫首出頭の鐘に合わせ、禅師がおずおずと本堂に入場すると、朝課(朝のお勤め)が始まる。
 全山の僧達が一堂に会し勤行する様はまさに壮観だ。殿行と呼ばれる僧達が教典や見台を擦り足で運び入れる。
 歩幅、運ぶ位置、教典を持つ角度から低頭(お辞儀)の角度までぴったりと揃っている。僧達の呼吸に乱れはない。動作は頭の先から爪先まで、きっちりと決められているのだ。 (つづく)


写真:十牛図「見牛」相国寺蔵。 男は牛を見つけるが、まだすべてを見てはいない。
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