武産通信

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合気の剣と月之抄

2018年09月16日 | Weblog
 合気の剣と月之抄

 『武道練習』 昭和七年版   植芝守高(盛平)
 古は狭き畳の上で道によって天地の意気を以って戦闘する呼吸を対照的に錬磨したのである。此の場合適当の距離をとる。これは丁度剣道で言へば「水月の理」即ち敵との距離を水の位とし(あたらぬ場合)それを彼我の体的霊的の距離を中に於いて相対す。敵火をもって攻め来たらば水を以って防ぐ。敵を打込ますべく誘った時は水が始終自分の肉身を囲んで水と共に動く。(中略) 天地の呼吸に合し声と心と拍子が一致して言魂となり一つの武器となって飛び出すことが肝要で、之を更に肉体と統一する。声と肉体と心の統一が出来て始めて技が成り立つのである。霊体の統一が出来て偉大な力を猶更に練り固め磨き上げて行くのが武術の稽古である。斯くして行くと剣で切るべく仕向けることが分り、又世の中の武術の大気魂がその稽古場所及び心身に及んで練れば練るほど武の気魂が集まりて大きな武術の太柱が出来る。柳生十兵衛も塚原卜伝もあらゆる古の達人名人の魂が全部集まり来たり、又武術の気も神のめぐみによって全部集まり来るの理を知り稽古に精魂を尽くすべし。

【道歌】

   無明とは誰やの人か夕月の いつるも入るも知る人そなし 

   ありがたやいづとみづとの合氣十 雄々敷進め瑞の御聲に

【意訳】

   無明とは煩悩である。夕方出た月は夜にはもう沈んでしまうので薄暗く、その夕月がいつ出ていつ沈むのか誰も知らない。

   何と有難いことだろう。厳の御魂と瑞の御魂の水火の結びに、合気の道を勇ましく進めと神産巣日神の声を聴く。

 植芝盛平翁は柳生厳周の高弟、下條小三郎から柳生新陰流を学ばれたと聞く。が、それに先立つ大正11年に、武田惣角師から兵法家伝書の「進履橋」一巻を伝授されたともいう。武田惣角といえば小野派一刀流の免許皆伝のはずだが、柳生新陰流は定かではない。ともあれ植芝盛平翁の記述にある間合いの「水月」という美しい言葉と、道歌にある火水の結びの「十」の文字は新陰流の手字種利剣か。そして柳生十兵衛の名に感じるところあり、ここに柳生十兵衛の「月之抄」を紐解く。

 柳生十兵衛三厳(1607〜1650)は柳生但馬守宗矩の嫡男。十兵衛は10歳で初登城、13歳で将軍家光の近習となっているが、20歳の時に突然、家光の勘気を受けて職を解かれる。その後の空白期間を経て、柳生庄に籠もり兵法書の執筆に専心したという。その後、鷹狩りの途中に44歳で突然死する。また十兵衛は隻眼であったともいわれるが、当時の古文書などの史料に十兵衛が隻眼であったという記述は無く、肖像画も両眼が描かれている。十兵衛の代表作である「月之抄」は、祖父石舟斎と父宗矩の教えを比較検討し、独自の見解と工夫を著している。

 『月之抄』  柳生十兵衛三厳

【原文】

   尋行道のあるしやよるの杖 つくこそいらね月のいつれば

 よって此書を月の抄と名付ル也。ここに至テみれは、老父のいはれし一言、今許尊感心不レ浅也。如レ此云ハ、我自由自在を得身に似り。サニハあらす。月としらは、やみにそ月はおもふへし。一首

   月よゝしよゝしと人のつけくれと またいてやらぬ山影のいほ

【抄訳】

   尋ね行く道のあるしや夜の杖 つくこそいらね月の出れば

よって、この書を月之抄と名付ける。ここに至ってみると、父宗矩の言った一言、今こそ感心浅からずなり。しかし、こんな風に言うのは、自分が自由自在を得たと思っているようだからだ。そうではない。月と知ったなら、闇の中にこそ月を思うものだ。一首

   月よゝしよゝしと人のつけくれど まだ出でやらぬ山影の庵

【原文】

 十字手利見之事
 十字也、古語ニ曰く、心は万鏡に隋て転ず、転ずる処実に能く幽なり (中略) 手裏見は手の内也

【抄訳】

 十字手利見の事
 十字である。古語に曰く「心随万境転 転処実能幽」。心は万境に随って転変し、転ずるところは実によく幽玄である。 (中略) 手裏見は手の内の事である。

 更に十兵衛は「種字は、敵の太刀打処を十字になるをゆふ也」と記し、手字種利剣「シュジシュリケン」を「手字手利剣」「手字手利見」「手裏剣」「手裏見」と書いている。十字は、敵の太刀が斬って来るところを十字になるのをいうのである。文字に注意すること。十字という教えの心持ちは、九字の大事「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」といって、真言宗の秘法にある。この九字に一つ足して十字なのである。横五つに、縦五つで十字である。十「とう」は十の字で、十である。それ故、十字なのである。十文字にさえ有れば、敵の攻撃は自分に当たらない。手裏見は手の内の事である。字の裏にその心が隠されている。

 柳生新陰流に十文字勝がある。これは肋「あばら」一寸、転勝「まろばしがち」と称され、自分の中心線である人中路を斬るように真直に斬る技法である。この転勝の論理を、伝書に「左右ノ横二打、或ハ左右ハスニ打、或左右下ヨリ弾ルトモ、吾レハ只中筋ヲ打テバ皆米如ク此十文字二成テ敵ノ拳二勝テル也」と記す。敵が左右横から払うように斬ってくる。或いは左右斜に袈裟に斬ってくる。または左右下から弾ねてきても、われは斬り出す敵の拳をしっかり観て、敵の太刀の拍子に合わせて、敵と正対してわが人中路を一拍子に斬り下せば、必ず彼我の太刀が十文字に交わり、わが太刀が上太刀となり敵の拳を斬り落として勝つことができる。敵が横や斜めから斬れば、「米」の記号のようにその中心である点に帰結し、技法としてその中心の点にあたる拳に勝てるというものである。
 もし敵が真直ぐに人中路を斬り込んできた場合は、われも人中路をはずさずに僅かの時間差をとり敵の太刀の上に乗って合撃打ちに勝つ。またはわれは少し左、右に身を替わり、順、逆勢の斜斬りに敵の柄中へ勝てば、十文字勝となる。即ち、合撃打ちは、敵が真直に斬るのに対して、同様に人中路を斬って真直に斬り降ろす技であるが、この論理の根底に、真直斬りがさらに角度を持ち斜斬りになっても、同様に人中路を斬れば敵の拳に勝てるという理がある。転「まろばし」である。
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