武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

清盛 後白河法皇の梁塵秘抄

2012年04月01日 | Weblog
 今様とは、平安時代に流行した歌謡である。

 『梁塵秘抄』

遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声きけば、わが身さへこそゆるがるれ

舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん


わが子は二十に成りぬらん、博打してこそ歩くなれ、国々の博当に さすがに子なれば憎かなし、負いたまふな、王子の住吉西の宮

仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ


阿弥陀仏の誓願ぞ、かへすがへすもたのもしき、一度御名をとなふれば、仏に成るとぞ説いたまふ

甲斐国より罷り出でて、信濃の御坂をくれぐれと、遥々と、鳥の子にしもあらねども、産毛も変はらで帰れとや


関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮、また比良の明神、安房の洲滝の口や小鷹明神、熱田に八剣、伊勢には多度の宮

 昭和36年に制作された映画『合氣道』の冒頭のナレーション「梁塵秘抄に、関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮。植芝翁は軍神に祈る心のうちに、武道は愛なりという真理を強く深く追求されています」。
 古来、鹿島、香取の両神宮、そして諏訪神は第一級の武神と考えられていた。比良の明神は滋賀県高島郡の白髭神社、安房の洲宮は館山市の神社、また小鷹明神は安房郡白浜町(旧長尾村滝の口)の小鷹神社としている。 関とは逢坂関である。
 合気道がどのようにして誕生したのか。その根底にあるものを探ろうと、開祖植芝盛平の日常生活を中心に、茨城県岩間町の合気道場、合気神社、愛宕山の愛宕神社などでロケーションが行われた。

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