武産通信

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旧武徳殿 武道専門学校碑

2012年04月10日 | Weblog
 旧武徳殿の北側、御車寄の前に『武道専門学校碑』が建っている。そして、武道センター本館の位置に武道専門学校の校舎が建っていた。


               一 桓武の帝いつきます 
                   宮居ハ近き学びやに
                 大和心をいやみがく
                   これぞ武専の誇りなる

               二 名誉廉恥をいのちとし
                   質実剛健むねとして
                 日々いそしむ修養は
                   吾等健児のつとめぞや
                             
               三 たがひに鍛ふ鉄腕に
                   不屈の血潮あつく燃え
                 山をも抜かんその意気ハ
                   広く天下をどよもさん


 大日本武徳会の教育機関として、武術教員養成所(明治38年)、武徳学校(明治43年)、武術専門学校(明治45年)、武道専門学校(大正8年)と校名を変えながら、武道教員養成機関として、その中核に位置し、武道教育の源流を形成した。

 構内には武徳殿、武者溜(大正2年)、第二道場(柔道場・昭和6年)、弓道場(昭和3年改装)、武道専門学校々舎(大正14年)、武器庫、御真影奉安所、武徳会本部事務所(昭和4年改装)、表門、皇族門(昭和4年)、通用門(大正13年)がそれぞれ設置された。

 昭和20年の敗戦を迎え、その後の日本教育制度改革に関する極東委員会指令に基き、学校武道の禁止、社会体育における剣道の制限が行われた。昭和21年、連合軍は文部省から解散命令を発令させ、明治28年以来の大日本武徳会は、かくして解体されたのである。


★武道専門学校碑

【碑文】

 明治二十八年京都遷都千百年記念として平安神宮を建立 延歴尚武の古例に倣って大日本武徳会を設立 同三十二年武徳殿が造された 同会は時代の要請に対応して 同三十八年この地に武術教員養成所を開設 爾来四十年 武徳学校 武術専門学校 武道専門学校と称し 明治 大正 昭和三代に亘るわが国武道指導者育成の拠点となったが 大東亜戦争終結と共に廃絶の止むなきに至った
 昭和五十八年武徳殿大修復 武道センタ-本館建設のため 母校々舎は撤去された
 茲に有志相図り建碑してその跡を顕示するものである

 昭和六十二年三月吉日

   大日本武徳会 武道専門学校卒業生有志
   大日本武徳会 薙刀術教員養成所卒業生有志

【揮毫】

碑表 第26期 剣道 鶴丸寿一書
碑文 第30期 剣道 山根幸恵撰
    第26期 剣道 木戸高保書


 いまは開かずの門となっている、かつて武徳殿の正門とされていた門の傍にひっそりと佇む句碑がある。

               風薫る左文右武の学舎跡   野風呂


                          (大日本武徳会武道専門学校碑建立記念誌「武徳悠久」参照)

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