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詩集「戦禍の際で、パンを焼く」 若尾儀武 (2023/07) 書肆子午線

2023-08-08 22:43:47 | 詩集
第3詩集。90頁に番号をふった49の断章を載せる。その一部は詩誌「タンブルウィード」に発表されていた。
「覚書」には「今、ウクライナでは不条理極まりない力によって「場」が蹂躙され、「生」と「場」が引き裂かれようとしています」とあるように、この詩集全体がウクライナ戦禍を言葉で捉えようとしている。

「2」で、話者は蛇口からの水漏れの水を飲んでいる。

   君が伏す大地に
   ひたひたと雪解け水が滲みはじめた

   君はまだ生きているだろうか
   わたしは今朝も君を思って
   大きめのマグカップ一杯の水を飲む

その水漏れの水は遠く離れた戦禍の地で滲みこみ、そして毎朝わたしのところへ伝わってくるものなのだろう。

ここから続く断章では、地下壕で生まれた命をさりげなく助けようとする人を描き、ときにドネツクの少年に照準を当てる若い兵士を描く。

   兵士は天使の後ろ髪に触れられただろうか
   眼窩に残るヒマワリ畑の空
   追いかけて追いかけて

   わたしは方位を喪失した空に
   兵士のいのちの軌跡を探している
                    (「29」より)

そして、侵略された戦争の地で今日のためのパンを焼く老婆が、象徴的に何度もあらわれる。それは昨日から明日へ続く生の謂いでもあるのだろう。

ともすれば義憤に駆られての作品に陥りがちな題材を扱いながら、この詩集が浮ついたものになっていないのは、これらの作品を書いている作者を捉えているもうひとつの視点があるからだろう。最後の「49」では、

   みつきほど前
   ぽとんとひと雫
   わたしの器にした手のひらに水が落ちてきました
   以来
   わたしは次の雫が落ちてくるのを
   ひたすら待っています

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