瀬崎祐の本棚

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詩集「キャベツと爆弾」 八木忠栄 (2023/06) 思潮社

2023-08-04 20:37:48 | 詩集
第14詩集。125頁に38編を収める。

作者の作品の魅力は、なんといっても自己抑制の外れた奔放な世界の在りようだ。自らを閉じこめることなく、どこまでも走り去っていこうとする。そんな自分を傍から自虐的に捉えなおしたりもする(落語に共通する精神か)。

本詩集でも冒頭の「山上のうたげ」からして楽しくなってくる。森の切りひらかれた草地では集う人々は「どこかしら淋しげ」で「影法師になっ」てしまうのである。酒を酌みかわし馬鹿騒ぎをしていると、

   あやしげな雲どもが
   集まってきては駆けずりまわる
   満月がぼんやりと見おろす
   けものたちは夢の森のはずれで
   幼い獲物を追いまわす
   気をつけろ! 赤ちゃんたち
   恋人を盗まれるな! 兄ちゃんたち

この宴はすでに失われているもので、行い得なかったことがらが集まってきているもののようにも感じられてくる。騒ぐほどに虚ろになっていくようだ。

「笑うふるさと」。”ふるさと”は遠く離れた地点にいてこそ偲ぶ場所であったりするわけだが、それは今の自分の座標を確かめるためのアンカーポイントでもあるからだろう。しかし、この作品の”ふるさと”はにぎやかであり、猥雑である。電柱の伸びきったかげには「濁った眼がいくつも重なりあ」っているし、「となりの嫁は髪ふり乱し/スリップ姿で庭へとびだ」してくるのだ。

   ここらあたり
   ばばあどもの寝言がうるさい
   夢見心地で おれは
   身を横たえたふりをして
   世迷事をさすりながら どこまで
   風に流されて行くべえか?

自分にはこんなふるさとがあるのだと思えれば、もう何だってできる気になれるではないか。杖が流されてしまおうが(「私の杖」)、発熱して吃ろうが(「ど、吃る。」)、どこまででも走りつづけていただきたいものだ。

「キャベツと爆弾」、「雪雲」、「私の杖」については詩誌に発表されたときに簡単な紹介記事を書いている。
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