瀬崎祐の本棚

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生き事  10号  (2015/夏)  東京

2015-07-19 10:25:44 | 「あ行」で始まる詩誌
 同人は8人。B6版、85頁で、表紙などに岩佐なをのエッチングなどが使われている。

 「なまえ」坂田瑩子。
 夜の台所にいた魚の名前がわからない。あしたのおかずになる魚が「(名なしで喰われるのは困るな」という。名前がないという状態は存在そのものが危ぶまれることなのだろう。ちいさな家で育ったころのあたしも「なんという名前で呼ばれていたのか/おもいだせない。すると、魚が「(おまえ どうせ魚に喰われちゃうんだよ」というのだ。

   あたしの手がゆらゆらしている
   でもあたしにも名前があった
   海の底で
   つっつかれ喰われ骨だけになって
   名前をおもいだそうとしていた

 こうして、名前を失った途端に主客も転倒してしまうのだ。

 「来るもの」唐作桂子。
 「骨骨と常夜ならぬ/おとたてて来るもの」があるようなのだ。それは雁信のようでもあるのだが、「正体の知れないおとに憑依」している。話者は「息をひそめ」「なにか兆しを」待っている。「日に日に方位はずれてゆき」、しかもそのおとは「死者の耳を聾さんばかり」なのだ。作品のイメージは砂漠の位置までずらしていくようである。最終連は果てしなく拡がっていく。

   あすのおおよその南中時刻
   確率的に空は明るい

 世界はこんな風にどこからか”来るもの”でなり立っているのかもしれない。

 「泳ぐ人」佐々木安美。
 女のアパートを出て妻の待つ家に帰っていく男の中には「流れる川」があるのだ。おそらく、いろいろな速さの流れの川が、誰の中にもあるのだろう。「洪水のような電車が」やってくると、話者は反対側のホームに見かけた男の川の中を泳いでいたのだ。

   さまよっているうちに
   結界を踏んでしまったのか
   迷った道をたどっても
   もう元には戻れない気がした

 最終連で視点は上空の鳥に移る。そして鳥は泳いでいく人をあっさりと視野から捨てるのである。見知らぬ他人との接触がいきなりおこなわれ、その接触は”あっさりと”見捨てられていく。皮肉な捉え方が面白い。
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