第3詩集。164頁に41編を収める。
巻頭に置かれた「圧倒的に弱く多数の、そして無価値な」からその言葉のやわらかいうねりに惹き込まれる。最初の2行は次のようだ(少し長いが美しいので書き写しておく)。「ゆび先を傷つけることしかできない言葉のかわりに/腕のやわらかいところへ互いの名まえを書き合う」書きとめられた言葉はわたしたちの身体をなぞりながら、川のように休むこともなく流れていくようなのだ。作品は次のように終わっていく。
いつだって嘘をつく
いつだって間違える
それだけがわたしたちの正しさ
あやまちをなぞるあたたかなゆび
紙背に眠る言葉を口ずさむ
いくつものあたらしい唇
圧倒的に弱く多数の、そして無価値な
「最後の砂丘で」「いまはもうない海のことを話した」という作品「さよなら海」は13行の短い作品。「埠頭を出たまま戻らない」舟があり、「行き場をなくした水平線」と「凍りついた波頭」があるのだ。一つの情景、一つの思いだけが簡潔に書き留められている。しかしそこにはかぎりないほどの情感があった。
このように言葉は詩集タイトルの”ハルシネーション(幻覚)”のようにあらわれてくるのだが、「ⅳ Phygital Hallucination」の作品になると、生成AIが事実と異なる内容や文脈と無関係な内容を生成する意を重ね合わせてもいるようだった。表れてくる言葉そのものの存在を信じ切れない不安もまたそこには在るのだろう。
「サマータイム」。木の葉をひろいそれを「ぼくの舟」にしてきみは流れに浮かばせる。「流されるのではなく/流れそのものになるということ」抗うこともできずに落ち続ける砂時計の砂を見つめるのではなく、その砂になってしまおうという意思がここには在る。
生涯ひとつの歌しか歌えないことは
かなしいことではない
ひぐらしの声を浴びながら
汚れた靴を持ちあげる
暗い靴音が渓声にけむる
堆積をくり返しなぞることでしか
立ち現れない像があるなら
何度でもなぞってみせよう
そしてはかない秋が来てまばゆい冬となる。わたしは歯を食いしばるのだ。
前詩集ではどの作品ででも根底もうるおすように水が流れていたのだが、この詩集の作品でも言葉は川となって流れ、海となってひろがっていた。
巻頭に置かれた「圧倒的に弱く多数の、そして無価値な」からその言葉のやわらかいうねりに惹き込まれる。最初の2行は次のようだ(少し長いが美しいので書き写しておく)。「ゆび先を傷つけることしかできない言葉のかわりに/腕のやわらかいところへ互いの名まえを書き合う」書きとめられた言葉はわたしたちの身体をなぞりながら、川のように休むこともなく流れていくようなのだ。作品は次のように終わっていく。
いつだって嘘をつく
いつだって間違える
それだけがわたしたちの正しさ
あやまちをなぞるあたたかなゆび
紙背に眠る言葉を口ずさむ
いくつものあたらしい唇
圧倒的に弱く多数の、そして無価値な
「最後の砂丘で」「いまはもうない海のことを話した」という作品「さよなら海」は13行の短い作品。「埠頭を出たまま戻らない」舟があり、「行き場をなくした水平線」と「凍りついた波頭」があるのだ。一つの情景、一つの思いだけが簡潔に書き留められている。しかしそこにはかぎりないほどの情感があった。
このように言葉は詩集タイトルの”ハルシネーション(幻覚)”のようにあらわれてくるのだが、「ⅳ Phygital Hallucination」の作品になると、生成AIが事実と異なる内容や文脈と無関係な内容を生成する意を重ね合わせてもいるようだった。表れてくる言葉そのものの存在を信じ切れない不安もまたそこには在るのだろう。
「サマータイム」。木の葉をひろいそれを「ぼくの舟」にしてきみは流れに浮かばせる。「流されるのではなく/流れそのものになるということ」抗うこともできずに落ち続ける砂時計の砂を見つめるのではなく、その砂になってしまおうという意思がここには在る。
生涯ひとつの歌しか歌えないことは
かなしいことではない
ひぐらしの声を浴びながら
汚れた靴を持ちあげる
暗い靴音が渓声にけむる
堆積をくり返しなぞることでしか
立ち現れない像があるなら
何度でもなぞってみせよう
そしてはかない秋が来てまばゆい冬となる。わたしは歯を食いしばるのだ。
前詩集ではどの作品ででも根底もうるおすように水が流れていたのだが、この詩集の作品でも言葉は川となって流れ、海となってひろがっていた。