瀬崎祐の本棚

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something  21号 (その2)  (2015/06)  東京

2015-07-12 16:53:16 | ローマ字で始まる詩誌
 野木京子が5編の詩を載せている。その中の「手」では、わたしは「わたしの上方で、ゆっくり揺れている細い片手が見えたように思」うのである。その手は何かを示すのではなく、何かを意味するのでもなく、ただそこに手が在ると教えているだけのようなのだ。

   誰のものでもなく、それはおそらく、空という、どこから何が
   飛んできても、何がどこへ飛んでいっても不思議ではない空間
   の、その一部であるだろう手。

 ただ揺れている手が在るということだけで、わたしは存在し続けることができるようだ。その手は次の作品にも繋がっていく。
 「わたしのとなりに」という作品では、いつのまにか「わたしを外側から見」ている”小さなあぶく”に気づく。

   人は 初めからいないものに戻ってゆくわけのだが
   あなたもわたしと一緒にいなくなってしまうの?
   それでかまわないの? と訊くと
   ”そのためにとなりにいるのだ”と
   それは答えた

 野木は以前にも”ぷくぷく”が訪れてくる作品を書いていた。これらの自分に寄り添ってくれる魅力的な小さな生きものは何なのだろうと思っていた。エッセイ「傍らの小動物」で、野木は「なぜ私には、生きていくうえで詩が必要なのだろう。」と長いあいだ考えてきたという。そして、

    詩を書くことで、自分の心を自分の外
   側に移すことができるから、と、そんな
   ふうに今は考えている。外側へ逃がした
   私の心が、つっかえ棒のように外から私
   を支えてくれる。私の傍らに、私であっ
   て私ではない存在を創り出すことができ
   るから、ということかもしれない。

 これには、ああ、そうか、なるほどなあ、と思わされた。その存在を、野木は「小さな幻の小動物が私の傍らにうずくまっている感覚」として捉えている。それは、ある時は空に浮かぶ手であり、小さなあぶくであり、ぷくぷくに通じるものであるのだろう。
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