ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

感傷

2008-03-12 16:18:12 | 時事(海外)
NHKのBSドキュメンタリーは、海外を題材とした非常に
興味深い番組が多い。先日は中国の少数民族の女性を主人公
とした「アンニの結婚~中国雲南省・イ族の娘~」であった。

主人公のアンニは雲南省と四川省の境界の山岳地帯に生きるイ族の女性で、
今年21歳になる。チベット系のイ族は四川、雲南を中心に650万人ほど
が住んでおり、中国では少数民族とはいえ、ヨーロッパの小国なみの人口を
持つ民族で、独自の文字を持ち、とりわけ四川省、涼山のイ族は奴隷制を
敷いてきたことでも知られているそうである。
漢族とも渡り合い、現在の中国が成立してもしばらくは、半独立状態だった
ともいわれている。

そんなイ族の社会では、娘が17歳になると父親が結婚相手を決めてしまう。
またアンニを含め娘ばかり4人を生んだ彼女の母親は、跡継ぎの男児を残すため、
離婚して自分の妹を夫に嫁がせた。昔であれば一夫多妻だったところ、法律に
従って離婚したのだ。このためアンニの家には実の母とその妹の「2人の母」
が同居して暮らしている。

現在の中国は、欲望を解放したかのような都市がある一方で、このような
封建的な社会が今も残っている。しかし、そこにも近代化の波は容赦なく押し
寄せている。アンニは何度も父親が薦める見合いを断ってきた。外国人も多い
麗江の町でダンスを学び、その関係で北京で仕事をしたこともある彼女は、
すでに外の世界を見てしまったのだ。

同級生の中で結婚していないのは自分だけ。でも親が決めた結婚に従うなんて
嫌だし、一生農村で過ごす生活も考えたくない。しかし一方で苦労して自分を
育ててきた母を悲しませたくはない。そのような葛藤の末に彼女が選んだのは、
見合いに応じつつも、自分の生き方は自分で決めたいという考えをはっきり
させることだった。

減少傾向にあるが、現在も中国南西部や東南アジアには、まだまだ民族衣装を
身にまとい日常生活を送っている人々がいる。そんな人々は時に、我々旅行者
から見ると大変美しく、また気高いものとして写るのである。

しかし、そのような伝統的な衣装が維持されてきたのも、恐らく封建的な
村社会であったからだろう。そしてアンニの母親や同級生のように、その陰で
自分を犠牲にしてきた女性もたくさんいるような気がしている。民族衣装が
美しいなどとという見方は、所詮、身勝手な旅行者の感傷に過ぎないのかも
しれない。

イ族の社会も、やがて大きく変化していくはずである。雲南省の山奥にも
市場経済と、それに基づく価値観は、容赦なく入り込んでくる。アンニは
これからもこのような葛藤に悩まされ、また彼女のような娘も増えるに違いない。

しかし伝統社会に生きてきた両親を気遣う優しさを持ち、また民族への誇りを
持つ彼女であれば、そのような葛藤も乗り越えられるのではないか。
全ての少数民族にも、見ている側の我々にとっても、そんな希望を感じさせる
番組であった。

この頃は、すっかり旅をする時間が失くなってしまったが、たまに仕事で
タイに行った時などに、空いた時間を利用して近くの少数民族の村を
訪ねることがある。そこはすでにすっかり観光地化されてしまった村なの
だが、このところさびれてしまったせいか、観光客などを全く見かけない
時が多々あって、そんな時は村の高台から段々畑を見下ろしながら
ボーっとするのである。そして、もし自分がこの村で生まれていたら
どうしているだろうということを、ふと考えたりするのである。

「村を捨てて町へ働きに出ているのだろうか」それとも「この村で
幼なじみと結婚でもして、今頃は昼寝でもしてるのだろうか」とか、
思いを巡らせるのだ。それは今の自分にとって至福の時間でもある。

しかし彼ら少数民族の人々には、日本に来て同じように自分らの
生活と見比べて、「もし、自分が日本人だったら…」などと思いを
巡らすチャンスなどほとんどないのである。

そう考える時、いつも日本人に生まれたことへの幸運さを思わずには
いられないのだが、それでも、もし来世があり好きな土地に生まれる
ことを選択できるとしたら、私は間違いなく先進国の人ではなく、どこか
暖かい国で、たとえ貧しくても大家族に囲まれて、のんびり暮らすことを
選択するだろうと思っている。

もしかすると、これも所詮、旅行者の身勝手な感傷かもしれないが…?




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