花歩る木

山と旅がすきです

南仏プロバンスとリビエラの旅 3

2012-11-01 19:20:39 | 

10月18日(金)

   まず、ドーデの風車小屋を見学。今は博物館になっています。
    ドーデは「風車小屋だより」や短編小説「アルルの女」をかきました。
   
         

  その後、エクス・アン・プロヴァンスへ



   エクス・アン・プロバンスでの セザンヌ

   セザンヌの父は銀行家で、経済的に困ることはなかったらしい。
   エクスの町のなかにあるセザンヌゆかりの場所へは、歩道に埋め込んである
   エンブレムプレートをたどっていけます。
   
  
    
     アトリエ  彼が死ぬまで使っていた所。彼自身で設計し、グレイの壁は彼が塗ったもの。
     床はひかりの反射を防ぐため板敷き。セザンヌがよく題材にしたリンゴや骸骨が
     置かれていましたが、室内は撮影禁止でした。(写真は、あるTVより拝借)

   
   レ・ローブ  セザンヌがビクトワール山を写生した高台。
     目の前にセザンヌの絵そのままのサント・ビクトワール山が遠望出来て、感激!!
     
      「絵を描きながら死にたい」との言葉通り、製作中雨に会い、肺炎を患い
      67歳で亡くなったが 最後まで画家として生き続けた人でした。

      セザンヌは、ポスト印象派から抽象画のようにモザイク模様になり、キュービズムに
      影響を与えて、「近代絵画の父」と崇められました。

   
   エクスの町は、泉や噴水が多く、有名な大学もあり若者が沢山歩く明るい町でした。


                                                                                            つづく


南仏プロバンスとリビエラの旅 2

2012-11-01 06:35:01 | 


10月18日(木)
   ローマ時代の水道橋 「ポン・ヂュ・ガール」見学。
   退役軍人が多く住むニームという町へ毎日2万リットルの水を
   供給するために建設。高さ49m、長さ275m。
   その保存のよさに驚き。ユネスコ世界遺産。 
  
   そのあと、アルルへ。



   アルルでのゴッホ
    フィンセント・ヴァン・ゴッホは、激しい感受性と情熱で、約10年間に
   2000枚以上の絵を描きながら、生きている間に売れた絵はたった1枚だけ。
   今、ゴッホは、美術史上世界で最も高評な画家とされていますが、
   理解してくれたのは、弟のテオだけ。父も、母も、妹さえも彼を芸術家だとは
   思わなかったのです。
   アルルと、サン・レミ時代の2年間に一番実り多い作品を残しているのですが、
   周りの人からは、「気違い、危険な人物」と憎悪されて、極貧のうちに37歳で
   パリ北西部のオーヴェール村でピストル自殺しています。    
       1日1作という驚異的なペースで描いていた時期だけに
       本当に自殺・・・なのか? 未だに異論を唱える人がいます。
       
       何とかならなかったの??  120年前の彼を想像して
       気の毒で私は胸が痛くなりました。


                                           つづく