桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

礼文島・花の島②

2005-03-15 21:53:25 | 旅行記
今回の礼文行きでは、星観荘へのプレゼントを携えていた。出発直前にグループ展があったので、そのついでに作品を書いたのである。文字は「観星」。「星観」では漢文にならないので、文字をひっくり返して「観星」にした。あまり大きくては邪魔になると思われたので、半紙より少し大きい紙に、誰にでもわかるよう楷書に近い行書で書き、表装して額に納めた。これを星観荘に贈るべく、礼文まで手で持って出かけたのである。

そして、私はもう一つの、目に見えない大きなものも持ってきていた。それは就職試験である。今回の礼文行きは、就職試験の何と1ヶ月前なのである。さすがに、ひたすら遊んでいるわけにはいかない(と言うか、普通はこんな大事な時期に10日以上も旅行などしたりしない)。ちょうど勉強も軌道に乗り始めたところなので、問題集2冊と要点整理ノートを持ってきていたのである。列車内では、寝ている時間以外は、実は試験勉強をしていたのである。「観星」の作品を入れた箱は、膝の上に載せると、隣の席にはみ出ることもなく、この上に問題集を載せて勉強するには実に好都合であった。

利尻号は稚内に到着した。早朝の稚内はどんよりと曇り、肌寒い。早足で港に向かう。現在であれば、この時期の1便のフェリーはすし詰め状態なのだが、この頃はまだそれほど混んではいない。並んだのは、列の前の方だった。フェリーに乗り込むと、ツアーの人達は一カ所にまとまって座ったので、十分に横になれるスペースがある。香深までは、勉強も少ししたが、寝ている時間の方が長かった。

香深に到着した。今回は、ちゃんと星観荘の出迎えの旗を目指す。彦さんが出迎えに来ていた。「○○です。」と名乗る。「お帰りなさい。」と言ってくれる。すでに女性が3人いた。どうやら一緒のフェリーだったようである。このほかに男性1人の計5人がこのフェリーで到着した。私以外の4人は、何度も星観荘に来たことがあるようで、皆親しそうに彦さんと話している。聞けば、女性3人は、本来は前の日に島に渡るはずが、急に海が荒れ、フェリーが欠航になり、稚内に足止めを食らっていたとのことであった。彼女達はハイジの谷へ行くとのことで、ターミナル前の店でお昼を買った。その後、去年私も皆で下ろしてもらった懐かしい場所まで連れて行き、3人を下ろした。私と男性はそのまま星観荘まで戻ることになった。

車の中で彦さんが「○○さんは、礼文は初めてですか?」と尋ねてきた。やはり、in東京に参加していても、2泊しただけのヤツのことなど覚えてはいないのだろう。ちょっと悲しかったので「いえ、実は去年の7月の終わりに2泊し、in東京にも参加しました。」と答えると、「えっ、そうだったの。それは失礼しました。」すると男性が「僕もin東京参加してたんですよ。」と言った。これも驚いた。でも、100人近い初対面の人がいたのだから覚えているはずもない。この人は、バイクに乗っている時に転んで大けがをし、大手術をしてようやく退院し、”リハビリ”という名目で病院を出て礼文に来たそうである。すごいものだ。そんなある意味”ウソ”をついてまで、この人は礼文に来ているのである。足はまだ完全に治っているわけではないのに。そんなにも礼文島、そして星観荘は魅力的なのか。いや、私もその魅力にはまりつつあるのであるが・・・

星観荘に着くと、2人の女性スタッフがいた。荷物を部屋に置き、食堂へ来て、彦さんを呼んだ。そして、持ってきた額を贈呈した。突然のことで、彦さんはすごくびっくりしていた。しかし、贈呈の申し出を快諾してくれ、すぐに目に付くところに飾ってくれた。飾るのを見ながら、去年よりも内装がきれいになっていることに気付いた。一緒に来た男性が「彦さん、内装きれいにしたの?」と聞くと、そうであるとのことだった。歌詞を書いた紙などははがされて、真っ白な壁紙が張られている。額を木製、マットを青色にしてよかった。白い壁紙に、額の色と墨の黒が映えている。「書道をやってるの?」と聞かれたので、大学で専攻していることを話す。ともかくも、ちょうど内装をきれいにした後でこうした作品を贈ったので、彦さんも喜んでいるようであったのは嬉しかった。ちなみにこの作品は、現在でも旧星観荘の同じ場所に飾られている。

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