桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

登山の記48・富士山(1回目)①

2006-05-31 22:26:13 | 旅行記

いつか富士山に登ってみたいと思っていた。大学3年の時車を買ってもらい、あちこち遠出していたのだが、その年の夏、友人のA葉の家で遊んでいた時、ふと明日富士山に登ろう、ということになった。A葉は私が車を出すなら行くという。私はとにかくあちこち遠出できるのが嬉しかったから、速攻で出かけることになった。A葉は出かける直前にデパートでおよそ登山にはふさわしくないおしゃれなリュックを買ってきた。かく言う私のリュックも同じようなものだった。

高速を快調に飛ばし、インターを下りると、目の前に富士山が聳えている。あれにこれから登るのだ。食料をコンビニで買い込んだ。今と違って小さいペットボトルがまだ無かったので、二人とも2リットル入りのペットボトルの水購入し、リュックにようやくのことで押し込み、他にもパンや飴などを買って入れた。

5合目に着いたのは3時だった。今と違って自由に駐車できたのだが、駐車スペースもあり、平日でもあったので、山小屋もさほど混んではいないだろうと思われた。(が、それは甘かったことを後で思い知らされる。)明日の予報も良いので、ウキウキわくわくしながら登っていく。

六合目までは斜度も大したことはなく、普段と同じ格好の私達でも平気で登っていける。七合目、八合目と登っていくにつれて辺りが薄暗くなっていき、気温も下がってくる。そこで、飛び込みで八合目の山小屋に入ったのだが、よく調べれば良かったと、後で後悔した。

と言うのも、平日ながらその小屋は満員だったのである。私達は一畳のスペースに互い違いに一緒の布団で寝る羽目になったのである。でも、こんなことは普段から友人達の部屋で飲んだくれてはこんな感じで寝ていたので、大したことではない。困ったのは、すぐ近くで寝ていた一家の小学生の子供の寝言である。私は今まで北海道の民宿やYHを中心に、数多くの人と同じ部屋で寝る機会があったが、この小学生ほどひどい寝言を経験したことはない。とにかく、寝言でわんわん泣くのである。痛い痛いと叫ぶのである。両親は寝言とわかっているのか、初めのうちはなだめていたが、途中からそれもしなくなり、小学生は寝言を言い続けた。その頃から寝付きの悪かった私は、明け方近くになって寝言が収まりかけた頃、ようやく少しまどろむことができたくらいだった。

翌朝。多くの人は夜明け前に小屋を出て行ったが、私達は眠い目をこすって小屋からご来光を眺めた。雲の切れ間から登る日を眺め、私はひたすら眠かった。小学生に文句の一つも言ってやろうと思ったが、当人も家族も見当たらなかった。

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登山の記47・二回目の雌阿寒岳

2006-05-29 21:54:07 | 旅行記

清里のYHに泊まっている時、S本さんとSなえちゃんという二人が雌阿寒岳に登るというので、一緒に登ることにした。実は前の日に雄阿寒岳(これについては後日書く。)に登ったので、かなりへばっていたのだが、天気も良く、前回は眺めが今ひとつだったので、登ることに決めた。

前回登った時以降、再び登山禁止の時期が続き、この時は登山できた。野中温泉に車を置き、樹林帯を登っていく。雌阿寒岳は比較的標高が低く、またこの年は北海道も大変な暑さに見舞われており、とにかく暑かった。樹林帯を抜け、オンネトーが見え始めた時休憩をとると、S本さんのTシャツは汗びっしょりだった。空は、雲が多く浮かんではいるものの青空も見え、オンネトーの湖水も、樹海の中に青く輝いている。

山頂には間もなく着いた。この時は風向きの具合で、噴煙は私達の方に流れてくることはなく助かった。山頂での天気もまずまずだったが、雌阿寒岳の山頂からの展望は今ひとつである。西側には火口がぽっかりと口を開けているし、東側にはポンマチネシリの火口の向こうに雄阿寒岳が聳えているだけ。北と南には樹海が広がるばかりである。しかし、前回と異なり、楽しい人達と登頂の喜びを分かち合えたのは良かった。

私はその日の夜の苫小牧発新潟行きフェリーに乗らなくてはならず、しかも途中でゆわんと村に立ち寄りたかったので、山頂で二人と別れ、足早に下山した。下山後の野中温泉の風呂はなかなかだった。

今年、雌阿寒岳は噴火し、また登山禁止になった。しかも、新しいところに割れ目噴火口ができたとのことである。やはり雌阿寒岳は活火山である。深田久弥も火山活動で登れなかった山に二度も登れたのは、むしろ幸運なのかも知れない。

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登山の記46・雌阿寒岳②

2006-05-27 23:16:52 | 旅行記

その日は曇り。清里のYHから阿寒湖方面へ車を飛ばすこと約1時間半。途中、双岳台から雄阿寒岳は見えなかったが、雌阿寒岳は見えた。野中温泉の駐車場に車を置き、登り始めた。

登り初めは原生林の中を歩く。木の根が網目状に張った上を歩くのだが、このような道は初めてで、かなり歩きづらい。樹林帯を過ぎると灌木帯に入り、すぐハイマツ帯に入る。ただ、ハイマツ帯でもハイマツの背丈が高く、あまり展望がきかない。ハイマツが少なくなって、岩がごろごろと目立ち始めると展望が開け、足下も悪くなる。振り返ると一面の原生林が広がり、西の方にはわずかにオンネトーが見える。見上げると山頂の方向が見えるのだが、山頂そのものは見えない。歩きにくい砂礫の道をジグザグに登っていくと、ひょっこり山頂部に出た。少し行くと山頂に着いた。しかし、山頂で私は写真を撮し忘れてしまった。

山頂からは東のマチネシリの火口と噴煙が見える。西にある火口からも噴煙が上がり、硫黄臭い臭いが漂っている。私はそのまま山頂から阿寒富士の方へ向かった。途中、噴煙の中を通過したのだが、これは実に苦しかった。噴煙は硫黄山のような単なる水蒸気ではなく、間違いなく硫化水素を含むものであるように思われた。ともかく息が苦しく、目からは涙が出てくる。ハンカチで鼻と口を押さえて足早に通り過ぎたが、登りの時はちょっと大変だな、と思った。

雌阿寒岳を一気に下り、阿寒富士の登りにかかった。阿寒富士の登りはザレ道で、これまた実に歩きづらかった。ジグザグを繰り返し、汗を拭き拭き登った。噴煙がこちらに流れてこなかったのはせめてもの幸いだった。

阿寒富士の山頂でお昼にした。曇りで、遠くの展望はきかなかったが、オンネトーを見下ろすことができた。曇っていたので、その湖水もあまり美しくは見えなかった。

帰りは同じ道をそのまま戻った。噴煙の中の登りはやはりかなり苦しかった。後は下りだけだからと、力を振り絞って足早に噴煙の中を通り過ぎた。

ひたすら下る中で、樹林帯の中で甲高い鳥の声が響くのを聴いた。クマゲラに違いない。しかし、その姿を見ることはできなかった。クマゲラは目に付く鳥であるが、何度も北海道の山に登りながら、まだ私はその姿を一度も目にしたことがない。この時もその機会を逃した。

雌阿寒岳登山の1回目こうして終わった。YHに戻ると、その日の夕食を頼むのを忘れていた。仕方なくかどや寿司の出前に便乗して、ちらし寿司を食べた。下山祝いで盛り上がる斜里岳登頂組に一人混じって食べたので、美味いもマズイもありゃしなかった。

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登山の記45・雌阿寒岳①

2006-05-25 21:38:29 | 旅行記

日本百名山に挙げられている山の中で唯一、深田久弥が登頂していない山がある。それが雌阿寒岳である。深田久弥が登ろうとした時は火山活動中で、登山禁止だったため、雄阿寒岳に登ったのである。

雌阿寒岳は初めて北海道を旅した時には見えず、オンネトーを初めて訪れた94年に、オンネトーから眺めたのが初めてである。青い湖水に映る雌阿寒岳と阿寒富士の美しさは、今でも忘れない。

その雌阿寒岳に登ることになったのは、96年の8月だった。この年は三週間以上北海道に滞在し、5,000キロ以上走ったのを覚えている。とにかく思いついたらもう次の日にはそこに移動し行動する、という行き当たりばったりの、そして行動的な旅をしていた。

雌阿寒岳に登ったのは清里のYHに泊まっている時だった。天気が今ひとつであり、また、斜里岳にはもう登っているので、気分を変えて、比較的容易に登ってこられる雌阿寒岳に登ろうと決めたのだった。

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登山の記44・雨飾山②

2006-05-23 21:08:37 | 旅行記

長野県にある百名山は、美ヶ原や霧ヶ峰のような高原状の山をのぞけば、いずれも2,500~3,000mクラスの山々ばかりである。しかしこの雨飾山が、2,000mないにもかかわらず百名山に選ばれたのは、やはり深田久弥が称賛するところの、控えめな美しい山容と、名前の美しさによるものであろう。

私は何と言ってもその名前の美しさに惹かれた。「雨飾」という二文字を、書作品として制作したいくらいである。しかし、山の姿はよく眺められなかった。

閑話休題。登山道はまず沢沿いの湿地帯の木道を歩く。間もなく尾根筋の急な登りが始まる。周囲は広葉樹の見事な紅葉が広がっている。登っている人は思ったほどではないが、幸い皆道を譲ってくれる。これならかなり早く山頂に着けると思われた。紅葉は見事だが、眺望があまりきかないのが残念である。

ところが、コースのほぼ中間にある荒菅沢に来てびっくりしてしまった。50人くらいの人が休んでおり、しかも、見上げた先には登山客の列・列・列・・・そう、早出をした人達はもうここまで登ってきており、後から登ってきた私はようやくここでその最後尾に追いついたのである。

しかし、荒菅沢から見上げた雨飾山は美しかった。紅葉はやや盛りを過ぎてしまった感があるが、青空と紅葉、そして針葉樹のコントラストが見事であった。

荒菅沢からはひたすら登山客を追い抜いた。「特急通過で~す!」というおばさま方の声に送られ、100人近い人を追い抜いた。しかし、最後の笹平への登りは、岩につかまりながら登らねばならないところがあり、追い越しもできず、ペースを崩してしまって、かなりストレスと疲労が溜まった。

ここを登り切ると笹平の平坦なコースに出る。ここから先はまだ人が少なく、私は山頂で少しでも静かな時間を過ごしたかったので、ほとんど小走りで山頂に急いだ。

それでも山頂には2,30人の人がくつろいでいた。双耳峰の雨飾山は、わずかな距離を置いて二つの山頂があるが、そのどちらにも同じくらいの人数の人がいた。最高峰は東側のピークなので、そちらで写真を撮し、周囲を眺めた。それにしても見事な眺めだ。北には日本海と糸魚川の町並み、西には朝日岳、雪倉岳、白馬岳と続く山並みが見事である。山頂にはごくうっすらと新雪も積もっているようだ。その南にも山々が続いているが、その時の私は、それらの山々の名前をまだ知らなかった。

山頂からの眺めを楽しんでいるうちに、笹平の方に登山客の団体が見え始めた。私は慌ててお昼を済ませ、彼らに追い立てられるように西側のピークに移動した。こちらには石仏が三体あり、皆苔むしていた。江戸時代のもので、皆糸魚川の方を向いている。古くからこの山は信仰の山であったことがわかる。

東側のピークを見ると、山頂に入りきらないほどの人が見える。下山するなら今と思い、私は急いで山を下りた。幸いもう登る人は少なく、登りに比べてかなり早く下山することができた。

慌てて下山したせいか、かなり疲れた。よく泊まっている白馬風の子に泊まってしまおうと思って電話をすると、満館とのこと。仕方なく温泉に入り、高速を飛ばして家に帰った。

これほど混雑した山に登ったのは初めてであった。まだ日本百名山ブームの真っ最中であったから無理もないことであったが、やはり山頂で100人もの人を追い越す、という状況は異常だと思った。歩行者天国ではないのである。山頂で大人数のグループが場所を占領し、他の登山客が休息も取れずに困っているのも見た。登山ブームもけっこうだけれど、やはり登山におけるマナーも守れてこそ、新の登山ブームなのではないかと、いささか考えさせられた登山であった。

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登山の記43・雨飾山①

2006-05-21 21:09:43 | 旅行記

雨飾山の名前を耳にしたのは、かつて星観荘関係者の長野での拠点となっていた”くらぶはうす”というところに行った時に、そこで一緒になった人が登ってきた話を聞いた時が最初だった。そこは小谷村にあったから、きっとその近くにあるのだろう、そしてきっとアルプス連峰の一角なんだろう、と思っていた。

その年に私は「日本百名山」「日本百名山を登る」を手にし、雨飾山がその一つに数えられていること、標高は2,000mない山であること、群馬からも日帰り可能な山であることを知った。

その年の体育の日の三連休は予報によれば好天に恵まれるとのことだったので、その中日に私は登ることに決めた。ちょうど紅葉が見頃であるが、雨飾山は標高が低く、アクセスも良いので、かなりの混雑が予想された。早めの出発に越したことはないということで、3時に家を出、高速を飛ばして長野に向かった。

日が昇ってくると、雲一つ無い素晴らしい天気であることがわかった。あちこちの山々は見事に紅葉している。きっと雨飾山の紅葉も見事であると期待された。

登山口に着くとまだ5:30であった。ちょっと飛ばしすぎたようだ。しかし駐車場はもう満杯で、だいぶ下ったところの路肩にようやく止めることができた。すると運転の疲れがここで出て、急に眠気に襲われたので、仮眠を取ることにした。

目が覚めると何と7:00だった。私は慌てて用意をして出発した。車は道路のずっと下の方まで並んでいる。下から何人もの人が登ってくるのが見える。どうやら登山道では相当の混雑が予想された。

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登山の記42・日光白根山②

2006-05-19 21:41:08 | 旅行記

登り初めは笹原が続き、その後森林帯に入り、ひたすら高度を稼ぐ。この辺りはほとんど記憶がないが、樹林帯では下草がほとんど無かったような気がする。

登り切ると急に視界が開け、目の前に湖水が現れた。弥陀ヶ池である。この池の畔で私は見慣れない妙な装置を見た。それは、高山植物をシカの食害から守るフェンスであった。そこにあった解説によれば、この辺りはシラネアオイの大群落だったのだが、シカの食害でほぼ全滅してしまい、現在では新たに移植した場所を、電気を通したフェンスで囲うことでかろうじて守っているのだそうだ。

池の向こうにはもう山頂が見える。高曇りではあったが、幸いに山頂には雲はかからず、このまま登頂できそうだ。

そこからまた急な登りが続く。特に山頂直下は明治時代に噴火によって切り立った崖を、岩を手でつかみながらよじ登らねばならない。後ろを振り返らずに慎重に登っていった。

山頂は何度も噴火を繰り返した火口の一角とおぼしき、狭い岩場であった。やはり日本百名山に数えられるらしく、山頂はたくさんの人でにぎわっていた。風は無かったが、気温が低いのはよくわかる。山頂からは、赤城山、武尊山、皇海山、男体山、燧ヶ岳、至仏山、谷川連峰等、360度を一望できた。これで空が晴れていればなおのこと良かったのだが、まぁ、初めての登山でこれだけの光景を眺めることができれば上出来である。

下山は別のルートを取った。怖い思いをした岩場を下るのがいやだったからである。山頂から東側に下った。やはり活火山らしく、木はほとんど生えておらず、草がまばらに生えるガレ場が続くので、とても歩きづらい。しかも人がどんどん登ってくるので、すれ違うのが大変である。石を下に落とさないよう配慮も必要だ。

かなり苦労して平坦な場所に着いた。少し歩くと五色沼に着いた。湖水は何だか神秘的な色をしている。人もほとんどおらず、ちょうどお昼時だったので、ここでお湯を沸かし、カップラーメンを作り、コーヒーを入れた。寒空の下食べるラーメンはなかなかうまかった。

後は弥陀ヶ池まで戻り、登ってきた道を戻った。駐車場には、登ってきた時の半分くらいの車しかなかった。雲が切れ、陽が差してきていた。今山頂にいる人は、きっと青空の下、四方の山々を眺めていることだろうと思われた。

帰りに黒保根の水沼温泉に入って帰った。

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登山の記41・日光白根山①

2006-05-17 21:58:00 | 旅行記

群馬県の最高峰と言えば、平野からも容易に見える浅間山を挙げたいところであるが、実はそうではない。栃木県との境にある日光白根山が最高峰である。兼ねてからこの山に登りたいと思っていたが、情報がないこともあり(まだこの段階で我が家はネット未開通であった)なかなか機会がなかった。

ところが、この年昭文社から、ルートやコースタイムが図付きでコンパクトにまとめられた「日本百名山を登る」という本が発行され、日光白根山が私の家から比較的容易に登って帰ってこられることがわかったのである。

秋のある日。翌日の天気予報は晴れとのことである。ふと日光白根山に登りたくなり、翌朝早く起きて、家からくっきり袈裟丸山が見えたら登ってみようと考えた。

翌朝目が覚めて窓の外を見ると、空高くには雲が薄くたれ込めているものの、いわゆる高曇りというやつで、山々はくっきりと見える。風もないので、登ることに決めた。買い出しは途中のコンビニですることに決めた。

私の家から登山口の菅沼まで行くのに、二通りのコースがある。日光経由と片品経由である。日光経由ではいろは坂を登らなくてはいけない。片品経由では利根村を通る根利道という細く曲がりくねった道を通らなくてはいけない。どちらを通っても同じようなものなので、距離的に短い片品経由にすることに決めた。

根利道の細さとカーブの多さには正直言ってまいった。早朝なのにトラックなどの車の通行が結構ある。しかし、峠を越えると道は一気に太くなり、追い越しも可能で、スムーズに通行できた。

菅沼の登山口に着いた。空は相変わらず高曇りで(日焼けは大したことなく済みそうだ)、山の姿もはっきり見える。駐車場にはけっこう車が停まっている。さすがに日本百名山に入っているだけあって、休日はかなりにぎわうようだ。これは追い越し甲斐があるな、と思い登り始めた。

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登山の記40・ニペソツ山1,2回目④

2006-05-15 21:38:25 | 旅行記

前天狗に着く頃には、空には大分雲が出始めていた。ひょっとするとニペソツが見えないのではないか、という心配を抱きつつ、最後の岩場を登った。登山口からここまで約3時間ほどかかっている。登り始めてそれほどまで主峰の姿を見ることができない山というのも珍しい。私が登った中では、他には幌尻岳くらいである。

岩場を登り詰めた私達の目の前に、ニペソツの鋭い山容が現れた。私は思わず歓声を上げた。ここまで登ってきて良かったと思った。そして、このまま行くと山頂に着く頃までには山頂に雲がかかってしまうのではないかと思われた。念願のニペソツを目の前にしながら、自然と足が速まり、その先に続くきついアップダウンもあまり気にならなかった。

山頂直下のガレ場では、ナキウサギの声は聞こえたが、去年のように沢山その姿を見ることはできなかった。やはり去年が異常だったのだろう。

山頂に着くと、空の高いところには雲が浮かんでいて、青空は見えなくなってしまっていたが、山頂には幸いに雲はかかることなく、周囲の山を眺めることができた。表大雪、トムラウシ(まさかその翌々日に登頂することになろうとは、この時はまだ想像だにしていなかった)、十勝連峰、石狩岳と音更山、ウペペサンケ山、クマネシリ連山。四方の山々すべてを眺めることができた。

早足で登ってきた分、山頂ではゆっくり休んだ。山頂は風もなく、また去年と異なって人も少なく、快適な一時を過ごすことができた。一緒に登ってきたFさんも満足げだった。

毎度のことながら心を残しつつ山頂を後にした。さすがに帰りは行きのようにはいかず、何度も休みを取りながら、きついアップダウンを繰り返した。しかし、休みを取るたびにニペソツを振り返った。ニペソツにはいつまでも雲はかからず、その雄大な山容を見せ続けてくれた。

前天狗で大休止をとり、最後の写真を写した。これがこの時の山行でニペソツを眺めた最後の時だった。

それ以降はひたすら下るのみだった。Fさんが図らずも私と同じような仕事に就いていること、仕事上いろいろと悩みを抱えていることなど、Fさんの身の上話を聞いてあげているうちに、あっという間に登山口に着いてしまった。

三股山荘でお茶でも飲もうということになり、Fさんの車で林道を下っていった。あるカーブを曲がった時、目の前に黒い二つの物体が林道にうずくまっているのが目に入った。そう、ヒグマである。しかも、親子のヒグマだった。どうやら林道で好物のアリを食べていたらしい。私達の車が急ブレーキを掛けて止まった音に驚き、母熊が小熊を置いてさっさと森の中に駆け込んでいき、その後を慌てて付いていく小熊の姿がかわいかった。(でも、そんなこと、車に乗っていたから言えたんだよなぁ・・・)カメラを取り出している暇もないほどのあっという間の出来事だった。ちなみに野生のヒグマを見たのはこれが初めてだった。

三度目の正直で、ようやく晴れたニペソツに登ることができた。Fさんに加え、初めて登山を企画した時のメンバーとも感動を分かち合えればよかったのに、と思われた。

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登山の記39・ニペソツ山1,2回目③

2006-05-13 22:51:38 | 旅行記

2回目のニペソツ行きは、その翌年のことであった。この年は天気に恵まれず、集中豪雨があったりして、私もなかなか山に行けず、ゆわんと村で悶々とした日々を送っていた。

ようやく天候が回復したものの、沼ノ原に行く道の途中にある橋が流されたとのことで、ひとまずトムラウシ行きは置いておき、ニペソツにでも登ろうと考えていたところ、ゆわんとで以前一緒になったことがあるFさんも一緒に登ることになった。集中豪雨の後でもあり、林道の状況が心配なので、車はFさんが出してくれることになった。

早朝に起き、ゆわんとの朝食はパスして出発した。三国トンネルを抜けると、去年は全く見えなかったニペソツの鋭い山容が眺められた。やや霞んではいるが、晴れた青空が広がっている。素晴らしい山行が期待され、わくわくしてきた。

平日ではあったが、杉沢出合の駐車場は一杯で、手前に路駐となった。Fさんも山によく登っているので、初めの林間の尾根は淡々と登っていった。時折眺められる山々の光景が疲れを癒してくれる。稜線に出て振り返ると、遙か遠く阿寒岳も見えた。ニペソツが見えるところまではまだしばらくあるが、ニペソツを含め、表大雪やトムラウシ、十勝連峰の眺めが大いに期待された。

小天狗の岩場、天狗のコルを過ぎ、灌木帯の斜面を登り切ると、去年エゾオコジョを見た場所に出た。今年も聞き覚えのある声が聞こえる。どうやら人間がやってきたので警戒していると思われる。去年と同じく、背中のチョコレート色の体毛と、腹の白い体毛とのコントラストがきれいで、目つきが可愛らしい。この可愛らしい動物が、あのナキウサギを捕まえて食うとは、どうにも信じがたい。

そこからはハイマツと岩場が続く平坦な道である。ここを通り過ぎ、大きな岩がごろごろとしたところを登り切るとニペソツ山が見えるはずである、と、昨年K宮さんが言っていたのを思い出した。さて今回は見ることができるのだろうか?期待に胸を躍らせ、岩場を一歩一歩登っていった。

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