桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について53

2008-09-20 22:25:19 | 日記・エッセイ・コラム

○4年生の頃③

学外演習は篆刻実習だった。3年次から篆刻を専門とする技官の小西斗虹先生が赴任されていたので、先生のご指導の元に実習に取り組んだ。私は1年次の篆刻実習でお世話になった岡本先生にも見ていただき、今はなき横浜国大書道科に進学した後輩のための印と自分用の印を刻した。

篆刻は3年頃から模刻などに自分でも取り組んでいたので、印はあっと言う間にできてしまったので、後輩達の面倒を見たりもした。

この実習で驚いたのは、筑波大学書コースの前身、東京教育大学書道科の第1期生でありながら、今では全く筆を持たない角井博先生が筆を持って下級生の布字の指導をしていたことであった。先生は展覧会の芳名帳での記名もすべてペンである。学生の誰一人として、先生が筆を持っているのを見たことがあるものはいない。それが、学生達の目の前で初めて先生が筆を持っているのを見て、私達はびっくりしてしまったのだった。そう言えば、先生が下さる年賀状に押された「博」の印はどうやら先生の自刻によるもののようである。そうなると、生来の篆刻好きがこんなところに現れて、思わず筆を手にしてしまったに違いない。ちなみに先生が筆を持っているのを見たのは、後にも先にもこの時だけである。

学外演習から戻ってくると、いよいよ大学院入試の勉強が本格化した。友人と異なり、私は自分一人で黙々と準備を進めていた。一方で面接への持ち込み作品の制作も始めた。漢字作品は、その頃心惹かれていた何紹基の隷書を元に、横物の隷書作品を制作し、学園祭に出品し、それを転用することにした。仮名作品は、はじめ短冊状の料紙に好きな和歌を一首ずつ、計数十首分書いたものを画帖に貼り付けようと思ったのだが、森岡隆先生の駄目出しに遭ってしまったので、仕方なく選んでおいた和歌を料紙に書き、それを綴葉装の冊子本に仕立てて済ませた。漢字仮名交じり書は前述の通り、萩原朔太郎の詩を全紙横に書いた。

10月となり、いよいよ大学院入試の日がやってきた。入試に関係ない先輩や後輩達は、これを機会にあちこちに出かけるようだ。まるで去年までの私を見るかのようである。試験を何人の人が受けるのか、当日まで分からない。でも、私は一緒に受験する友人とともに合格するだろうという変な自信があり、不思議なほど不安を感じてはいなかったのだった。

コメント
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