桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について68

2010-05-01 17:15:11 | 日記・エッセイ・コラム

○大学院2年の頃②

*西安ツアー・その2

いよいよ西安碑林に到着した。碑林へ続く道を進んでいくと、目の前に唐の玄宗の石台孝経があった。ただし碑面には拓本が貼られており、文字は見やすかったが、碑面が見えないのは残念だった。

入っていくと、石碑は古い順に並んでいるらしく、唐代の石碑の名品が勢揃いしていた。顔真卿の多宝塔碑、顔氏家廟碑がまず目に入った。しかし、いずれも石台孝経同様に碑面には拓本が貼られており、いささか興ざめだった。でも、先生方が、こうすると碑面の保護になるし、何しろ文字が見やすいのでよいということなので、そういう考え方もあるのかなと思ったが、やはり不満だった。ただし顔氏家廟碑の碑側だけは拓本が貼られておらず、またガラスもはめ込まれていないため、碑面にじかに手を触れ、顔真卿の文字をこの指でじかになぞってみた。石碑はいずれも亀の形をした台座にはめ込まれた巨碑ばかりであるが、何しろ千年以上前のものばかりなので、いずれも金属製の枠で補強されていた。

次に目に入ったのは、王羲之の文字を集めた興福寺断碑である。石碑の下半分だけが残っている。これは私も高校時代から好きでよく臨書していたものなので、親しみをもって見たが、これまた碑面に拓本が貼られており、いささか残念だった。

次の部屋へ移動する回廊の壁には、南北朝時代の墓誌がはめ込まれていた。特に元楨墓誌は名品で、この後岡本先生の紹介もあって、碑林のスタッフから特別に原拓を譲っていただいた。

次の部屋には張旭の草書千字文、顔真卿の顔勤礼碑があった。これにはどちらも拓本が貼られておらず、碑面の文字をじかに見ることができた。特に顔勤礼碑は出土して百ねんほどしか経っていないため碑面がきれいで、文字もとても千年前に刻されたとは思えないほどのきれいさであった。

次に曹全碑があった。これも碑面には拓本が貼られている。しかし碑陰には拓本は貼られていたいため、より日常的な書法が現れていると言われる碑陰の文字を、ガラス越しではあったが目を凝らして鑑賞した。

その次は南北朝時代の広武将軍碑。中村不折が愛したことで知られるこの碑は、他の石碑に比べ知名度が劣るのか、扱いがとても粗末だった。碑面にはもちろん拓本は貼られておらず、石碑そのものも奥まったところに置かれていた。

他には歐陽詢の皇甫誕碑も見た記憶があるのだが、残念ながら写真がない。この石碑も、有名な割には引っ込んだところに展示されていたように思う。

一番奥の部屋では、拓本採りの職人が大きなたんぽに墨をつけ、碑面をたたく音が部屋中になり響いていた。ここで採拓しているのは明清時代の法帖の重刻本であろうが、ここで採拓した拓本が、土産物として売られているのだろうと思った。

最後に岡本先生の紹介で、碑林のスタッフから特別に墓誌の拓本を譲っていただいた。他のツアー参加者はバスに戻ってしまっていたので、我々だけ特別に、ということだった。先生方は二枚購入していたが、私と友人は財布の具合のこともあり、一枚だけで我慢した。これが私が拓本を購入した最初であった。

ちなみにこの二年後に、シルクロード行きのツアーの途中で西安碑林を再訪したのだが、この時は碑面に貼られていた拓本は全て剥がされ、他のツアー客は素通りしてしまった後に一人残り、時間が許す限り、碑面の文字を堪能したのを覚えている。

コメント
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