桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

北岳・間ノ岳・農鳥岳

2012-08-24 22:57:15 | 旅行記

日本で第二の高さを誇る北岳の姿を初めて目にしたのは、十年以上前に登った、長野県にある御座山の山頂からでした。その次に目にしたのは、やはり十年前に登った、長野県にある蓼科山の山頂からでした。しかし、その時に見た北岳は、はるか遠くに小さく聳える、遠い遠い山に過ぎませんでした。

一昨年の秋、八ヶ岳の赤岳に登りました。八ヶ岳と、甲斐駒ヶ岳から始まる南アルプス連山は、甲府盆地を挟んで対峙しています。赤岳山頂から見た北岳は、遠く遠く眺めるだけの山でなく、いつか自分もその山頂に足跡を記す山として、自分の前に立ちはだかっているように感じられました。私はこの時、これらの山々に必ず登ろうと決意しました。

昨年は予定していた時期が天気に恵まれず、結局登れずじまいでした。しかも南アルプスの山々は、北アルプスと比べて登山口までの足がとても不便で、マイカーで最寄りの登山口まで行くことができず、本数の少ない定期バスに頼らざるを得ず、しかもそもそもバスの走る林道は、6月末から10月いっぱいしか通れないのです。その上バスは日中しか運行されず、日帰りでの山行はほぼ不可能ときています。よって、最低でも2日間ないと行けない、さらにそうなると登山者は早朝にバスが運行される土日に集中するので、北アルプスに比べて数も少ない山小屋は大混雑となる、ということで、結局昨年は秋の山行は断念してしまいました。

それで今年こそは登ろうと考え、おあつらえ向きに夏休み最後の土日の前の1日が補習もなく休暇が取れたので、その3連休で登ろうと計画しました。この時期は山はもう秋で、空気もからっと澄んでいます。朝晩は冷えますが、寒さで登れないほどではないことは、3年前の同じ時期に登った剱岳で経験済みです。ところが、なんと中日の25日にどうしても外せない用事が入ってしまい、1泊2日で北岳だけでも登ろうということも不可能になってしまいました。

そこで、一昨年の槍穂縦走の時のことを思い出しました。あの時はお盆直後の木金土の2泊3日で登ったのですが、確かお盆直後で確かに山も小屋も混んではいたものの、お盆近辺の多客期ということでツアー客がいないということを、穂高岳山荘で一緒になった人達と話したのを思い出し、幸い夏休みをその時期にとっていたので、ここで登ることに決めました。

週間天気予報を確かめると、あまりよくありません。これはだめかなぁ、と諦めはじめた時、改めて北岳のある南アルプス市や早川町の予報を見ると山の天気だけあって予報が変わり、16日はどちらも晴れと出ています。これは行くしかないと考え、思い切って出かけることに決めました。

8/16(木)

1時に起きて出かけようと思い、前日は早く床に就こうと思ったのですが、終戦の日特集番組を見てしまったりして、結局30分ほどうとうとしただけでした。結局ほとんど寝られないまま1時に出発しました。

関越道を南下して外環道に入ったところで眠気に襲われ、狭山PAできっちり1時間仮眠を取りました。甲府駅から出る始発バスに乗ろうとも考えたのですが、駐車場料金がかかるのと、バスの時間が4時発なので、こちらはすぐに諦め、予定通り芦安から乗ることに決め、中央道の甲府昭和インターで下り、南アルプス市にある芦安市営駐車場に4時半頃に着きました。バスは5時半発なので、それまで地図でルートを確認したりして時間を過ごしました。

車から降りて移動する人が見えたので、5時になったこともあるので、バスの発着場へ移動しました。出発30分前にもかかわらず、発着所のベンチには大きなザックを持った人が5,6人すでに並んでいます。隣の駐車場からは、ジャンボタクシーに相乗りした人が早くも出発していきます。こちらは恐らくバスよりも運賃が高いのでしょう。一刻も早く移動したいと思い、タクシーに乗ろうかなとも考えましたが、高い金を払って山小屋に泊まることを考え、少しでも節約しようと、利用を思いとどまりました。

5:10にはバスに乗車し始めました。幸い早く並んでいたので、1人掛けの席に座ることができたのですが、駐車場からの始発バスはたった2台しか出ず、出発時刻には寿司詰め状態。乗り切れない人も10人くらい出て、気の毒でした。

林道を1時間近く走り、登山口の広河原に着きました。かつてはこの広河原までマイカーで入れたのですが、2005年から入れなくなったのです(絶滅危惧種のキタダケソウの乱掘を防ぐ目的もあったと聞きます)。あの頃にマイカーで登りに来ていれば、もう少しゆとりある日程が組めたのにと、悔やまれてなりません。途中車窓から北岳と間ノ岳がきれいに見え、期待に胸がふくらんで、当初は車中で仮眠を取って、睡眠不足を補おうと考えていたのですが、全く眠れませんでした。

広河原の吊り橋を渡って登山道にとりつくのですが、橋を渡る前にすでに北岳が眼前に鋭く聳え、ますます胸がはやります。夏のアルプスの山々は、昼を過ぎるとすぐに雲に覆われてしまいます。一刻も早く山頂に着かなければ、日本第二の高峰の山頂からの眺望は期待できません。

6:40にスタートしました。まず吊り橋を渡り、始めは樹林帯の中を登っていきます。沢の音が大きくなってくると、樹林帯と沢沿いを交互に歩きます。この辺りは登山道は斜度も緩やかですが、眺望はききません。沢から水が見えなくなると、登山道は沢沿いに付けられ、次第に斜度を増していきます。そして、右手にバットレスという鋭い斜面を見せる北岳が高く聳えているのが見えてきます。

この辺りまで、結構な人数を追い抜きましたが、やはり平日ということもあって、あまり数が多いとは思いませんでした。また、事前に思ったとおり、ツアー客や中高年の団体には一つも遭遇しませんでした。登りは得意なこともあり、かなり快調にとばしました。

遠くに見えていた雪渓が近づいてくると、斜度はますますきつくなります。右手の斜面にはミヤマハナシノブやハクサンフウロなどの高山植物が目に付くようになります。中でもミヤマハナシノブは、私が礼文で最も好きな花の一つであるカラフトハナシノブの仲間ということで、特にお気に入りの花になりました。

私はポロシャツ1枚で登っていましたが、すでに汗びっしょりでした。しかし、雪渓の上を吹いてくる風は、涼しさを通り越して冷たくすらありました。一部雪渓歩きもしましたが、どうにも歩きにくく、巻き道を通ったところもありました。

やはりややオーバーペースだったからでしょうか、二股というところまで来て、すっかりばててしまいました。そこで、出発直後にセブンイレブンで何気なく買ったまんじゅうを半分食べました。何の気なしに買ったものにこうして助けられたのは、虫の知らせだったのかも知れません。

二股からの登りは、これまで以上の斜度で、とにかくきついものでした。バットレスが間近に迫って聳え(落石事故もたびたび起こっています)、雪渓がなくなり、岩場も終わり、登山道は再び樹林帯に入るのですが、登るのが無理と思える45度くらいの斜面に、何本ものはしごが架けられており、それをそろそろと登っていくのです。はしごは強度の関係で皆丸い木材で作られており、ちょっと油断すると足も手も滑らせてしまいそうです。幸い登る人も下りる人も少なく、自分のペースで登れたのはありがたかったです。しかし、すっかりばててしまった足には実にきつい登りでした。ただ、後ろを振り向くと、遠く鳳凰三山と甲斐駒ヶ岳、そして八ヶ岳が聳えているのが見え、その光景に救われながら、最後の難所を乗り切りました。

八本歯のコルにようやく立つと、目の前にばーんと間ノ岳と農鳥岳の雄姿が現れます。後ろを振り返ると、今まで登ってきた大樺沢がずっと遠くの広河原まで続いているのが見え、その奥に鳳凰三山が並び立っています。これまでの3時間近くの急な登りの疲労を一気に吹き飛ばすほどの胸のすく光景です。八本歯ノ頭の肩のところには、富士山も頭をのぞかせています。

ここから北岳山頂までも急坂と難所の連続です。しかし、左手には間ノ岳と農鳥岳、そして富士山、右手には鳳凰三山と、難所であることを忘れさせる素晴らしい光景が広がります。そして足下には初めて見る高山植物の白い花。後で調べると、これが南アルプス特産のタカネビランジでした。鳳凰三山では地質の関係で花の色が濃いピンク色をしたものが多いとのことでしたが、北岳~農鳥岳では白いものばかりで、わずかに西農鳥岳でややピンク色をしたものを見たくらいでした。私は山に登るたびに、高山植物の花を近景に、山を遠景にした写真を撮っていますが、今回は間ノ岳とタカネビランジの大株を写真に収めてみました。

途中で左手に北岳山荘へとトラバースする道が分かれていますが、私はそれを見送って山頂に向かいます。このトラバース道沿いは、北岳でも有数のお花畑と聞きます。まだ登山客が入れない6月中旬には、この辺りにあの北岳特産のキタダケソウも咲くのでしょう。

登山道が岩と砂礫ばかりになると、北岳山荘から上ってくる道と合流し、いよいよ山頂への最後の登りにかかります。ここで眼前に、今まで全く見えなかった仙丈ヶ岳が現れます。仙丈ヶ岳もかろうじて3,000m峰で、私はいつか登ってみたいと考えています。北岳や甲斐駒ヶ岳のような鋭い姿ではなく、優しくたおやかな姿が印象的でした。

合流地点から少し登ると山頂に到着しました。山頂は南北に長く、20畳敷きほどの広さがあります。平日でしたが、すでに20人ほどの登山客がいます。これが休日ともなると、登山客でごった返し、記念撮影の順番待ちの行列ができていることでしょう。さすがにこの日はそんなことはなく、皆のんびりと食事をしたり、記念撮影をしたり、景色を眺めたりしていました。

山頂の北側には甲斐駒ヶ岳が真っ白な山頂を聳えさせ、すでにガスに覆われつつありました。西側には仙丈ヶ岳、南側には、この後縦走する間ノ岳、農鳥岳が続き、少し右にずれたところに塩見岳が独特の姿で立っています。南側遠くには雲海の上に富士山が聳え、東側には大樺沢を挟んで鳳凰三山が聳え、その左側、甲斐駒ヶ岳との間には八ヶ岳が遠く眺められます。一昨年あの山頂に立って、北岳に登ろうと決意した、それをついに実現したのです。何とも感慨深いものがありました。

山頂にある山頂標の前で写真を写してもらいました。ところが、ちゃんと指示しなかったこともあって、写真に別の人が写り込んでいたり、私自身が写真の真ん中に入っていなかったり、バックの山々が全く写り込んでいなかったりと、どれも不満足なものばかりとなり、仕方なく、写してくれた人が皆山頂を後にした頃を見計らい、また別の人にお願いして、改めて今度はこう写してほしいと丁寧にお願いして写してもらいました。

それにしても、日本第二の高峰の山頂に立つことができて、本当に感激しました。ガイドブックの地図にも、山頂部分に「最高」と書いてあるのももっともなことだと思いました。そうこうしているうちにガスが上がってきて、周囲の山々が隠れてしまったので、今日の宿である北岳山荘に向けて、登山道を南に向かって下っていきました。

結局登山口から北岳山頂までは4時間半で到着し、コースタイムより1時間短かったです。

北岳からは南の山々に向かって稜線に登山道がずっと続いています。これをずっとたどっていくと、南の果ての光岳まで行けるのだそうです。10日間くらいで縦走もできるそうですが、物理的に無理というものです。

1時間もしないで13時前には北岳山荘に到着しました。やはり下りは苦手で、コースタイムとほとんど変わりませんでした。北岳山荘は、見た目は倉庫のような感じですが、中は意外とこぎれいです。受付を済ませ(1泊3食で9,000円也!)2階に上がると、案内されたスペースは、何と一番広い部屋の一番隅。この日は平日ということで空いており、1人1畳・布団も1人1枚使えて、しかも一方の隣の人を気にしなくて済む窓際で、その上晴れていれば窓からは富士山が見える最高の場所でした。

北岳山荘は、新築ということでもないでしょうが、山小屋にありがちなかび臭さがなく、また、食堂もフリースペースとして自由に使えました。蔵書も豊富で、時間つぶしに役立ちます。トイレや洗面場も清潔です。布団も変に湿っていたりかび臭かったりすることはありません。管理が行き届いているなぁ、と感心しました。

一寝入りした後に外を見ると、何と北岳と間ノ岳周辺を除いて、すっかり雲に覆われてしまいました。このまま寝てしまうと夜中に眠れなくなるので外に出てみると、北岳にちょうど雲がかかって良い感じです。写真を撮りに、山荘の裏の高台に登ってみました。空と雲と山と雲の影の具合が良い感じです。

雲の具合がちょうど良くなるのを待っていると、何やら背後から声が聞こえます。アナウンサーの発言からすると、どうやら山梨にある日本一、二の高峰である富士山と北岳を取り上げたテレビ番組の撮影のようです。私はTシャツとハーフパンツという、登山者らしくない格好をしているので、インタビューなどされることもないだろうと安心してシャッターチャンスをねらっていました。

小屋に戻り、17時からの夕食となりました。なかなか美味しかったです。ここでテレビ局の中継が入りました。何と生中継でした。山梨県内だけで放映されるローカル番組で、山梨県内に住んでいる知り合いはどれくらいいたかな、と考えましたが、それもほんのわずかしかいないし、しかも私はカメラに背を向ける席に座っていたので、顔が写ることもあるまいと思われました。ちなみに中継している映像がそのまま食堂にあるテレビで放映されていたのですが、こうした場面を目にするのは初めてでした。

夕食後、夕日がきれいだとのことで、涼しくなってきたのを我慢して、カメラを手に外へ出ました。先ほどの高台で、夕日の中継をやっています。そこから眺める夕日は素晴らしかった!中央アルプスに夕日が沈んでいきます。右手に聳える北岳は夕日に染まっています。日が沈んだ後も、中央アルプスの真上の空と雲は美しく染まっています。私のデジカメには夕焼けモードがあるので、それを試しに使ってみたら、見た目以上に赤みが入ってきれいな写真が写せました。私はこれまでにもいろいろな夕焼けの光景を目にしましたが、北岳山荘からのこの夕日は、その中でも特に印象深いものでした。

消灯時間までは食堂で過ごしました。小屋のスタッフが夕食を食べている横で、太宰治の文庫本などを読んで過ごしましたが、今まで泊まった山小屋は、夕食後は食堂を使わせてもらえないところが多かったのですが、こうしてパブリックスペースとして使わせてもらえるのはありがたいことでした。

小屋の消灯時間は20時。前の晩ほとんど寝ていないので、すぐに寝入りましたが、23時過ぎに一度目を覚まし、寝たり起きたりを繰り返しながら明け方を迎えました。

8/17(金)

夜中に目を覚まして外を見ると、暗がりの中にぼんやりと富士山が見え、その下に甲府盆地の薄明かりが見えました。

朝4時に明かりが付き、目を覚まして外を見ると、辺り一面ガスに覆われています。これは予報通り、今日は今ひとつの天気と思われます。朝食時にスタッフから天気予報が改めて伝えられましたが、やはり「曇りまたは霧、午後雨か雷雨」と、スタッフ曰く「しょっぱい天気」になりそうな予報に変わりはありませんでした。

翌18日も予報が今ひとつということと、予報が当たって、午後雨が降る中歩き続けるのは嫌だったので、この日は大門沢小屋に泊まり、翌日奈良田に下りて広河原までバスで戻るという予定を急遽変更して、この日は農鳥岳まで往復し、北岳山荘まで戻って連泊、18日はそのまま広河原へ下山することに決めました。その上、予定していた大門沢小屋はキャパが50人と小さく、また翌18日は土曜日で、小屋も混雑することが予想され、それこそどんな小屋かもわからない小屋にぎゅうぎゅう詰めにされるのは嫌で、同じなら居心地の良い北岳山荘に連泊した方がよいと考え、連泊することにしたのです。

日の出は5時前。東の空には積乱雲が見え、怪しげな朝焼け。やはり予報は当たりそうです。不安を感じながら5時半に出発しました。周囲は雲に覆われていますが、不思議なことに北岳と間ノ岳だけは雲がかかっていません。小屋から南に向かって登山道を進んでいくと、案の定ガスがかかり始めました。雲の間からは日が射しており、これはご来迎(ブロッケン現象)が現れるかな、と思っていたらやはり現れました。

間ノ岳までの稜線は、斜度はそれほどではありませんでしたが、とにかく長く、もううんざりというところまで来てようやく山頂に着いたという感じでした。山頂は広々としていましたが、鋭く聳えた山の山頂というのではなく、どこかしまりがない感じの山頂でした。もうここまで来ると、四方はガスに覆われ、眺望はききません。写真を何枚か撮ってガスが晴れるのを少し待ちましたが、その気配はありません。また、昨晩小屋で一緒だった、無線マニアの方が、ひたすら無線でやりとりをしている声が聞こえてくるのが興ざめでもあったので、そのまま間ノ岳を後にしました。

間ノ岳から農鳥小屋までの下りは、眺めただけでうんざりするほどの長さでした。行き先が雲に隠れていればまだしも、小屋の赤い屋根ははるかはるか下に赤く見えます。それは小屋が雲がかからないほど低いところにあるということであり、下る分にはまだいいのですが、帰りにこの長い長い下りを、今度は登らなくてはならないのかと思うと、はっきり言ってうんざりしてしまい、予定を変更したことを後悔したほどでした。

1時間ほどかけてその長い長い下り坂を下ると、農鳥小屋に着きました。農鳥小屋のぼろさ加減に驚いたのですが、私の北海道関係の知人で、ここが大好きという人がおり、また小屋の前で会った小屋の主人(大きな石を手に一つずつ持ってウェイトトレーニングをしていた)は、一見チベット人の老人のような風貌の、一癖も二癖もありそうな人で、きっとこの方は人間的魅力に溢れた人なのだろうと思われました。でも、農鳥小屋に泊まろうと一時は考えていた私としては、泊まらなくて良かったとも思いました。

ここから西農鳥岳への登りは実にハードでした。恐らく大樺沢から八本歯のコルへの登り以上のきつさではなかったかと思います。西農鳥岳の山頂は雲に覆われており、その分歩いても歩いても着かないような気がして、辛さも増したのだろうと思われました。

西農鳥岳は、間ノ岳同様に山頂を登山道が通っているのですが、おもしろいことに山頂標がないのです。日本アルプスにある標高3,000mを越える山々で、山頂標がない山は、恐らくここだけだろうと思いました。

西農鳥岳から農鳥岳までは近いようで意外と遠く、また、結構なアップダウンがありました。農鳥岳は一見はっきりしない山容で、山頂部分は南北に長い稜線の一番高いところが山頂でした。農鳥岳へ登る途中から振り返ると、西農鳥岳が目に入るのですが、西農鳥岳の方が独立したどっしりした山容を持っているのに驚きました。農鳥岳は日本200名山に入っていますが、農鳥岳だけよりも、西農鳥岳と農鳥岳とセットで200名山に入っているのだろうなと思いました。

農鳥岳までは3時間半で着きました。コースタイムよりも50分ほど短かったのですが、かなりへばりました。農鳥岳の山頂では、辺りはすっかりガスの中。写真だけ撮って引き返すことにしました。西農鳥岳の山頂を過ぎて農鳥小屋への下りにかかりました。下りきると、いよいよ間ノ岳へのうんざりする登りが始まりました。しかし、登っても登っても着かないということもなく、1時間ほどジグザグ登りを繰り返すうちに、いつの間にか間ノ岳山頂に着いていました。

そう言えば、今回の登山で、岩につかまりながら岩を乗り越えていくようなところが一カ所もなかったのを改めて思い出しました。北アルプスではそうしたところが何カ所もあったのに、今回の南アルプス登山では一度もないのが不思議でした。

間ノ岳山頂で昼食にするつもりでいたのですが、着くやいなや左手の雲の中から、ゴロゴロと雷鳴が聞こえてきました。これはいけません。予報通り雷雨になりそうです。一刻も早く小屋に戻らなければなりません。この後北岳山荘まではひたすら下りが続きますが、下りの苦手な私には、途中からぽつぽつ落ちてきた雨粒にせき立てられても、なかなか歩みを早めることはできませんでした。それでもコースタイム90分の所、55分で小屋に着くことができました。着くとすぐに雨は本降りになり、ぎりぎりセーフという感じでした。

小屋に着くと、外で雨が本降りになったことを知ったスタッフが、急いで玄関の上がり端に麻袋を敷き、ザックを拭くためのタオルをたくさん用意してきました。こういう心遣いも、この小屋の素晴らしいところです。この日は金曜日ということで、1枚の布団に2人寝ることになるかも知れないとのことでしたが、私は連泊だからでしょうか、受付の時には何も言われませんでした。しかし、午後からの雨の予報と、実際に降ってきた雨のために、結局15時過ぎはほとんど新たな客は来ず、1人1枚の布団でゆっくり寝ることができることになりました。その決定を、スタッフが部屋ごとに連絡しに来たのにも好感が持てました。

歩いているときにずっと首にかけていたのは、サッカー部で作った細長いタオルです。首にかけておけば日焼け予防にもなるし、汗を拭くのにも使えます。これを部屋の物干しロープに何気なくかけておいたら、向かいの初老の方から「それは前高の校章ですよね。」と声をかけられました。「私も前高卒なんです。」と言われたので、「私も卒業生で、今は勤めています。」と答えました。現在の山岳部のことなど話しましたが、まさかこんな場所で前高OBに会うとは思いもかけませんでした。

さて、小屋に着いてからようやく昼食となりました。この小屋の弁当はちらし寿司に煮物や焼き物が詰められた、豪勢なものでした。穂高岳山荘の弁当もちらし寿司でしたが、やはり酢飯は持ちがいいので弁当に採用されることが多いようです。夕飯は連泊ということで、他の客と違い、メインはアジフライでした。同じテーブルになった人達に物珍しそうに見られましたが、そのことがきっかけで会話が弾んだのはありがたかったです。

夕方になると本格的な雷雨となりました。にもかかわらず、不思議なことに北岳も間ノ岳も見えます。積乱雲がよほど高いところにあって雨を降らせているのだろうと思われました。その雨に負けたのでしょう、テント泊の人が何人も小屋の中に避難してきて、寝袋使用で素泊まりで泊まる手続きをしていました。彼らが泊まってもまだ余裕があるほどだったのは幸いでした。テント泊の人が逃げ込んでくるくらいですから、雨の激しさは推して知るべしでしょう。

その日は20時の消灯前まで起きていたのですが、やはりかなり疲れたのでしょう、夜中に1度目を覚ましたきり、翌日の4時まで熟睡できました。

8/18(土)

この日は下山するだけです。当初は、大門沢小屋から奈良田へ下り、奈良田温泉で汗を流してから広河原へバスで移動し、広河原から芦安までバスで戻り、そこから車で帰宅する予定でしたが、昨日の日記に書いたように、それを取りやめて広河原へ直接下山することにしたのです。

夜中に雨は上がったものの、起床後外を見ると、どんより曇って嫌な感じの天気です。高曇りの空の下、北岳と間ノ岳は雲に隠れてはいませんでしたが、これでは改めて北岳に登っても眺望は望めそうもありません。そのままトラバース道を通って下山することにしました。

4時半の1回目の朝食の後も空が晴れるのを待ちましたが、晴れそうもなく、5時半に小屋を出発しました。トラバース道は南側が急斜面になっていますが、ここは北岳一のお花畑ということもあって、高山植物はすでに秋の花ばかりになっていましたが、たくさんの種類のいろいろな花が咲いていました。7月であれば、もっと華やかないろいろな花が咲いているだろうと思われました。

トラバース道の途中から、高校の山岳部のパーティーとおぼしき5人組と一緒になりました。生徒が3人と教師が2人で、どうやら昨晩は北岳山荘のテン場で、テント泊をする予定が、あの雨で小屋に避難した模様です。下りの苦手な私にはちょうどいいスピードなので、八本歯のコルまでずっと後を付いて歩いていきました。

八本歯のコルでは、大樺沢の向こうに鳳凰三山、その左に八ヶ岳連峰、さらにその左に北岳に隠れて甲斐駒ヶ岳が見えます。これらの中では八ヶ岳にしか登っていないので、鳳凰三山と甲斐駒ヶ岳は今後の宿題となりました。

後はひたすら大樺沢を下っていきました。二股までは順調に下っていけましたが、そこから下は途中ですれ違う人の多いこと!せっかく調子よく下っているのに、その調子を崩されてしまうほどで、これはこの日の北岳山荘は間違いなく布団1枚に2人が寝るのだろうなと思わせるほどでした。

広河原には9:20到着。コースタイムより30分ほど短縮できました。10:10のバスに余裕で間に合いました。この時間のバスに乗る人は少なく、ゆっくり座ることができました。

芦安駐車場から芦安温泉の登り口にある日帰り温泉に移動して汗を流し、後は高速に乗って(土曜の午後でしたが、時間が早かったせいか渋滞には巻き込まれずに済みました。北岳山荘の弁当は談合坂SAで食べました。)快調にとばして帰ってきました。

北岳と間ノ岳に登ったので、日本の高峰ベスト5に全部登ったことになります。今回の登山では初めての南アルプスということもあって、たくさんの未踏の山を目にしてしまいました。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鳳凰三山、塩見岳、木曽駒ヶ岳、空木岳等々。

『日本百名山』で知られる深田久弥は「山の茜を顧みて、一つの山を終わりけり。何の俘の我が心、早も急かるる次の山。」と書きました。私にとっての「次の山」は、恐らくこれらの山のうちのどれかになることでしょう。
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苗場山

2012-08-11 11:43:51 | 旅行記

8/9登頂

苗場と言えばスキー。2回ほど行ったことがあります。苗場山にも、以前知人と登る機会があったのですが、たまたま企画された日に休みが取れず断念。結局その時は雨が降って、企画そのものがだめになったのですが。 先月も登ろうと思ったら、ザックがだめになってしまっていて、急には入手できず断念。 それで今日ようやく登ってきました。

苗場山の代表的なルートは、湯沢側から上る祓川ルートと、秋山郷側から登る小赤沢ルートがあります。 前者は群馬から近いものの、コースタイムが4時間。 後者は群馬から遠いものの、コースタイムは3時間。 暑いのが少しでも短い方がいいので後者にしました。これが結果的にはスムーズに登れることにつながろうとは、この時は思いもしませんでした。

5:30に家を出て、高速を塩沢石打で下り、峠越えの細道を過ぎ、秘境・秋山郷への細い国道を南下していきます。今回は高速に乗っている時間が短く、SAで仮眠をとれなかったので、とにかく眠く、眠気との戦いでした。 秋山郷は山奥深くにある隠れ里といった雰囲気を想像していましたが、あまりそんな風情もなく、普通の山間部のひなびた温泉場という感じでした。 谷一つ隔てて聳える鳥甲山の偉容が印象的です。 知人のO先生が、あまり山慣れない女性達を引き連れてこの山に登ったと聞きましたが、かなり無謀なことではなかったかと思わせるほど、それは鋭く聳えていました。

3合目の小赤沢口までは舗装された林道が続いています。 その行き着いたところが登山口ですが、さすがに平日だけあって、10台ほどしか停まっていません。これが秋の紅葉の時期や土日などは、この広い駐車場がいっぱいになるのでしょう。

準備をして登ろうと登山口まで来ると、何やら看板が。 読んでびっくりしました。苗場山は今北信越5県で開催されているインターハイの山岳部門の開催地の1つ(他は三国峠と平標山)になっていたのでした。 しかも今日は苗場山に選手が登る日ではありませんか! 野営場は苗場プリンスホテルとありますから、選手は東側の祓川から登ってくることは間違いありません。山岳部門では、選手4人と顧問1名、その他スタッフ多数が登りますから、恐らく数百人の選手役員が登ることと思われます。 いつも単独行で、自分のペースで登っている私からすると、数百人の中に混じって登るのはこの上ないストレスです。登山口までの時間がかかっても、登る時間の短縮を選んで小赤沢から登ることにしたのは大正解でした。

登り始めは樹林帯を淡々と登っていきます。斜度は比較的なだらかです。 半分ほど行ったところで登山道は南へと方向を変え、山頂へ向けての斜面をトラバースして付けられており、斜度も俄然急になります。 木々がまばらになり、視界が開けてくると、山頂の湿原への最後の登りであることを予想させます。空は晴れていますが、山頂付近には雲がかかり始め、山頂からの眺望は期待できません。

木々がほとんどなくなり、笹原の中の急登を登り切ると、突然目の前に広々とした湿原が広がりました。 山頂の湿原の突端部分に入ったわけです。 湿原には木道が通っており、あちこちに池塘が点在しています。 池塘は青空を写して真っ青に見えます。 草原はキンコウカが見頃で、草の緑との対照が鮮やかです。

振り返ると、谷を挟んで鳥甲山が聳え、山頂に雲がかかり始めています。 その左には遠く、山肌にゲレンデが幾筋もある横手山が見えます。 名前を知らない一つの山を挟んで、鳥甲山とともに200名山に数えられる佐武流山が聳えています。山頂付近は雲がかかり見えません。

最初の湿原を過ぎると、登山道は再び木々の間に入り、それを過ぎるとさらに広々とした湿原に入ります。あちこちにワタスゲが咲いており、しかも花が大きく、場所によっては一帯が真っ白になっているところも見られます。 ただしそれは登山道から遠く離れたところにあり、近づいて見ることはできません。 登山道の修理が計画されているのか、木道の上で測量している人がいました。 私が近づくとよけてくれたのですが、なんと一人の人が木道脇の草原に転げ落ちてしまいました。

木道脇のワタスゲを眺めているうちに山頂に着きました。 山頂まで2時間。コースタイムよりも1時間以上短縮できましたが、これはガイドブックの間違いでしょう。山頂地点は休業中の山小屋の裏側にあり、眺望のきかないところは興ざめでした。 休業中とのことでしたが、屋根ははがれ、この後営業再開はとても望めないほどに荒れていました。

写真を写して、山頂下のベンチで昼飯を食べようとしていると、遠くにいくつもの隊列が見えます。 そう、高校総体に参加している高校生のグループが登ってきたのでした。 役員が私や他の登山者に「これからここで高校生約100人が昼食と休憩を取りますがご了解下さい。」とのこと。 私は商売柄何の抵抗もないので、隅に寄って昼飯を食べていました。 すると全部で60人ほどの選手が座って昼飯を食べ始めました。 みんなお揃いの登山服を着、ザックを背負い、帽子をかぶっています。 学校名を見ると、土佐高校・熊本高校・旭丘高校など、やはり進学校が多い(群馬からは新島学園が出場)。登山競技はただ体力だけの勝負ではなく、テント設営の技術や地図の読み取りや植物の知識、天気図の読み取りなど、知力勝負の側面もあるので、こうした学校が出場しているのも宜なるかな、と思いました。 食べているのはパンが多く、事前に準備した物のようで、どうやら競技登山の際はコンロで湯を沸かしたりすることはできないことになっているようでした。

私がランチパックをぱくついているのを見て、隣に座った役員の人が「ランチパックってこういう時便利ですよね。」と話しかけてきたので話をしました。 私が「昨年うちの学校もこの大会に参加したんですよね。」と話すと、「では今日は偵察で来たんですか?」と聞くので、「いやいや、今日は私は個人で登っていて、この大会がここで行われていることすら知らなかったんですよ。」と答えました。 何でもこの後は登って来たルートを下山し、途中から特別に運行してもらったあの”ドラゴンドラ”で田代スキー場まで移動し、翌日の会場である平標山・三国峠に移動するのだそうです。

山頂ではガスが晴れるのを1時間ほど待ちましたが、その気配がないので下山しました。 下山は淡々と。 でも、登りと同じ時間がかかっていまいました。 帰りに秋山郷の赤湯に入って帰ってきました。 苗場山はもっとおもしろいかなとも思ったのですが、個人的にはいまいちでした。 秋の草紅葉の時期に登ればまたきれいなのかも知れませんが。 また、西側のルートから登ると、山容全体を見られません。 よって今回は苗場山の写真を撮れませんでした。 東側からは見えるそうなので、秋の紅葉シーズンに、途中まで登って写真を写そうかと思っています。

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