○4年生の頃⑥
卒業制作は1学期の段階で書類で内容を申請しなくてはいけないので困った。実際は後で変更も可能だったらしいが、結局その申請時点で書いてみたい作品を決め、それをそのまま制作に移した。
書コースの卒業制作は3点の作品を提出することが求められる。しかも1点を創作、2点を臨書にしなくてはいけない。また、3点とも同じ分野にしてはならず、漢字・仮名・篆刻・漢字仮名交じり書から複数の分野を含んでいなくてはいけない。
私は漢字が専門だったから、漢字2点仮名1点にしようと思った。漢字作品のうち1点を創作にし、1点を臨書にした。
創作はその頃たまたま陳舜臣の本で読んだ中国・北宋の林逋のことが気に留まり、「梅妻鶴子」で知られた林逋の漢詩の中から、卒業制作を発表する卒業制作展の時期にふさわしい梅の花を読んだ七言律詩を、全紙を縦に二枚継いだ紙に行草書・三行で書くことにした。普段書いている二尺×八尺の紙よりも大きく、筆もいつもより大きいものを使って書いたが、なかなか迫力が出ず困っていたところへ、見かねた岡本政弘先生が極上の二層紙を一反下さり、そこで何とか制作意欲を取り戻し、何とか書き上げた。しかし、出来上がった作品を見るとやはり弱々しく、二層紙故に筆を取られて線に流れがなく、全体として量感にも乏しいものに終わってしまった。
漢字の臨書は平凡社「中国書道全集」に掲載されていた中国・清代の何紹基の隷書四幅が大変気に入って、是非書いてみたいと前々から思っていた。(4年生になってから何紹基の隷書に心惹かれ、臨書を繰り返し、その年の学園祭に出品した作品も、この何紹基の書風を取り入れた隷書作品であった。)この作品はちょうど小画仙半折とほぼ同じ大きさだったので、岡本先生から頂いた紙を使って仕上げた。線の量感は出せたと思うが、量感や豊かさの奥に秘められた強さや風趣までは表現できず、表面的な模倣に終わってしまった。
仮名の臨書は一種のレジスタンスであった。4年生では前任の村上翠亭先生が例年「元永本古今集」を授業で扱っていたので、私もそれを勉強できるものと思って楽しみにしていたのだが、新任の森岡先生は、私の同学年ではたった1人しか受験しない教員採用試験対策と称した授業や、仮名の成立の講義ばかりで、そうした実習をほとんどさせてくれないのを、私は不満に感じていたのだった。だから、あえて元永本古今集に取り組んでみようと思ったのだった。しかし、卒業制作とするには、元永本古今集はあまりに大部であるとともに、何しろ料紙が高価である。また、当時は元永本古今集全部をカラーで印刷した本はまだ出版されていなかったので、料紙の色がわからない。これではどうしようもないので、資料や料紙がそろえやすい、元永本古今集と同じ人の手になる「筋切古今集」の一節を臨書することにした。ただ、清書用の料紙はやはり高価で、1そろえしか入手できなかったので、事前に練習をしておいて、本番は一発勝負となった。実は3点の中で一番良く書けたような気がする。村上先生に教えていただいたやり方で表紙を作り、粘葉装に仕立てた。
こうして出来上がった作品を、3月に開催された卒業制作展に出品した。