桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

礼文の旅2008・その5

2008-07-31 22:39:44 | 旅行記

目が覚めると素晴らしい天気である。今日は久しぶりにハイジの谷に行き、その後ピーク268を登って港に戻ってこようと考えた。

港に向かう車の中で、既に利尻山の姿を眺めることができた。雲一つ無い青い空をバックに、波も立たない穏やかな海の上に浮かぶ利尻山の姿は感動的ですらあった。

見送りをした後、礼文林道に行くために、元地方面へ向かうアスファルトの道を上っていった。以前なら林道の入口まで車で送ってもらえたのだが、諸事情もあってそれも今はない。汗を拭き拭きつまらない道を上っていく。

林道に入るとすぐに、大人数のツアー客と遭遇した。こういうツアー客も、以前はまず見かけなかったが、最近は多いと聞く。ガイドに花の説明を受けながらのんびり歩き、レブンウスユキソウ群生地まで歩いて戻ってくるのだそうだ。私にとっては邪魔者以外の何物でもないので、申し訳ないが早足で抜き去らせてもらう。

それにしても、礼文林道も年々様子が変化している。初めて来た時はまだ道が開かれたばかりとおぼしく、道の左右には木がほとんど生えていなかった。切り通しとなった斜面には、様々な花が咲いていた。しかし現在では、道の両側に木が育ち、切り通しも笹などで覆われて花の数は少なくなった。木々の根元の薄暗いところを好む花もあるにはあるが、全体として地味で目を引くものではない。

ひたすら上る道がやや平坦になったところに、元地方面の海岸を見下ろせる場所がある。この辺りもちょっとした花畑となっていて、この時期にはエゾスカシユリが咲く。今ではロープが張られて行けなくなってしまったけれど、かつてはエゾスカシユリの咲く岩場に座って、西海岸の海を見下ろしたこともあった。その場所に昔と変わらずエゾスカシユリが咲いているのが見えたが、そこへ近づくことは、足下の一本のロープによって厳しく禁じられてしまっているのが何とも寂しかった。

レブンウスユキソウ群生地の手前の丘に登る道を上がってみる。岩だらけで歩きにくいが、周囲はこれまたちょっとしたお花畑になっている。南側には海の上に利尻山が美しく浮かんでいるのが見える。北側には礼文岳が聳えており、その山頂に登って利尻山を眺めてみたいと思ったが、体が二つあるわけではないのでそれも叶わない。

レブンウスユキソウ群生地のレブンウスユキソウはまだ時期が早く、あまり咲いていなかった。足早に通り過ぎ、ハイジの谷から礼文滝に下る山道の入り口までの道を急いだ。

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礼文の旅2008・その4

2008-07-25 23:17:26 | 旅行記

宇遠内には海の物を安く食べさせてくれる店がある。ここでそんな海の幸をつまみにビールなど飲んだら美味いだろうな、などと思ったのだが、今日の目的はそれではないし、ビールなんぞ飲んでしまったら、この後が大変なので寄らないことに決めた。

海沿いを少し歩くと砂走りの登りにかかる。ここで同宿していた知人から、岩場にイワギキョウがあると聞いていたので探してみると、小さな群落をなして咲いているのが見つかった。礼文でイワギキョウを見るのは、もうかなり前に、礼文岳の山頂の西側の岩場でたった2輪だけ咲いていたのを見て以来である。

この後は特に見るべきものもないので、見晴らしの良い砂地でお昼にした後は、ただひたすら山道を登って降りるのを繰り返した。それにしても暑い。そして、朝星観荘の窓から、スコトン岬方面から歩いて来るたくさんの人を見たので、途中でかなり多くの人とすれ違うと思っていたものの、実際は全部で20人ほどであった。2000年頃は離島&ハイキングブームで、休日にこのコースを歩くと100人ぐらいの人とすれ違ったものであったが、こんなところにも、不況による旅離れや、離島ブームの終焉を感じてしまうのであった。でも、人が少ないに越したことはないのだが。(ちなみに初めて7月の礼文を訪れて桃岩歩道を歩いた時、元地灯台までですれ違ったのはライダー1人だけだった。こんなことはもうあるまい。)

今日このコースを歩いた最大の目的は、召国にあるチシマゲンゲの群落を見るためである。時期的にチシマゲンゲはもう終わっているのではないかと思っていたのだが、前日の桃知コースできれいに咲いている株を見かけたので、ひょっとすると見られるのではないかと期待していたのである。

召国の通称”ゲンゲの丘”は、このチシマゲンゲとヨツバシオガマという、濃いピンク色の花が群生して咲くので知られる場所である。私もかつて1度、ちょうど見頃の時期に訪れたことがあるのだが、斜面一面が濃いピンクで覆われて、それはそれは見事だったのを覚えている。

ゲンゲの丘に到着した。足を踏み入れたすぐの所に、既にきれいに咲いたチシマゲンゲとヨツバシオガマがある。これはかなり期待できると思われた。ただ、この場所は8時間コースのちょうど中間地点あたりに位置しており、ちょっとした休憩場所になりやすいので、誰かに遭遇するのではないかと思ったのだが、幸い誰もいなかった。

私は植物を踏まないように注意して、斜面を見て回った。しかし、前回来た時に比べて明らかに花が少ない。どうしたことだろう?前回の3分の2程度しかない。たまたま今年が外れ年なのかも知れないが(実際エゾカンゾウは外れ年で、砂走りの裏側の斜面は、前回来た時の3分の1も咲いていなかった)、それにしても少ない。前回尋ねた時、今は亡きHさんや、Sさん、Iさん達と歓声を上げて眺めた時とは雲泥の差と言ってもよい。こんな所にも、地球温暖化の影響が現れているのだろうか?

それでも花がまとまって咲いているところを探して何枚もの写真に収めた。30分くらいは滞在していただろうか。前回と異なって海が青い。チシマゲンゲとヨツバシオガマが咲く向こうに、海が青く光る様を一緒に写真に収めたりもした。

後は西上泊まで山道を下るばかりであるが、途中、センダイハギやオオカサモチが群落を作っているところにも遭遇した。いずれも亡きHさんが写真に撮って自作の花のアルバムにも収めていたことで見知っていたのだったが、こんな行きやすい場所にあるとは思いも掛けなかった。どちらもわりと地味めな花であるが、こうして群落を作って咲いているのを見ると、また違った華やかさがあることにも気づいた。

風こそ強いけれど、空も海も青い。遠くゴロタ岬や船泊湾の景色を眺めながら、西上泊への道を急いだ。

西上泊の集落に入ると、猫の鳴き声がした。まるで私に向かって呼びかけてくるような鳴き声である。どこで鳴いているのだろうと思って目を凝らすと、目の前の汚れたガラス窓の向こうに3匹もの猫が固まってこちらを見ているのに気づいた。そっと近づいてみると、室内にいることもあって、逃げることもせずに興味深げにこっちを見ている。そこでまたさっき聞いた鳴き声がしたが、その3匹ではない。よく見ると、3匹の猫の下にもう1匹の猫がおり、その猫が私のことを呼んでいたのだった。窓が開いていればかわいがってあげたものを、さすがにそれはできず、4匹が私の方を見ている様子を写真に収めただけでその場を去った。

西上泊には澄海岬がある。ここは礼文で私が一番好きな(普通に行ける場所の中で)ところである。ちょうどツアーバスがいなくなった時だったので、静かに景色を眺め、写真を撮ることができた。

ツアー客のざわめきがしたので引き返し、アトリエ仁吉に立ち寄った。ここも西上泊、ひいては礼文に来ると必ず立ち寄るところである。仁吉さんも相変わらずお元気だった。以前購入してダメになっていたストラップを新しくし、直してもらったりしているうちにすぐに店はツアー客で一杯になり、あまり話もできないままに店を出た。でも、3年ぶりに話ができたのは良かった。

後は浜中までアスファルトの道を歩き、バスで星観荘に戻った。この日はドイツ人の一家が泊まりに来ていた。ハンス&ペトラ夫妻と、娘のザビーナちゃんである。日本に何度も来ており、息子さんは日本に留学し、ペトラさんは日本語を学んでいて(常に電子辞書の日独辞典を使っていろいろ調べながら会話をしていたのが印象的だった)、簡単な日常会話も出来るほどであった。日本食も積極的に口にし、箸の使い方もちゃんとしていたが、ザビーナちゃんは刺身をつつく両親を差し置いて、14歳ながら自分はベジタリアンであると主張して、特別料理を作ってもらって食べていたのは、やはり西洋の人らしいなぁ、と思って眺めていた。

この日は、星観荘沖縄ツアーで一緒になり、それ以外にも礼文で何回か一緒になったことのあるいもぴーことNさんが来ていた。何とNさんはいつの間にか結婚しており、しかも妊娠7ヶ月の身だった。身重の身でありながらも来てしまいたくなるほど、礼文と星観荘は魅力的な場所であることは間違いない。

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礼文の旅2008・その3

2008-07-22 21:47:40 | 旅行記

目が覚めて外を見ると、かなり風が強い。空も曇っている。今日は天気が良くて利尻山が見えればハイジの谷、そうでなければ宇遠内から6時間コースを歩くつもりである。この空の様子からすると後者になりそうである。

今日は以前8時間コースを一緒に歩いたSさんが島抜けする。もちろん見送りに行く。フェリーターミナルは日曜日ということもあってか、大変な賑わいである。この不況の中、高い金を払って(実際フェリーの中ではツアー代金が10万円以上するような声も聞いた)こんな北の果てまでやって来る人がこれほどまでにいるのはやはり驚きである。でも、年々観光客は少なくなってきているそうだ。

Sさん達を見送り、私は香深井で降ろしてもらった。ここから6時間コースの始まりである。まずは単調な林道歩き。峠を越えると道はひたすら下り坂となる。途中、礼文ではここでしか見られないオオタカネバラの花を見ることができる。林の中にきれいに咲いているものがあるので写真を撮ろうとしたがうまくいかない。仕方なしに林から出て歩き出すと、前から坂を登ってくる人がいる。こんな朝早くから歩いている人がいるとは驚きである。すれ違うときに挨拶を使用としたら、私がずるっと滑ってしまった。スニーカーを履いていたからである。その人は思わず「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれたが、その顔に私は見覚えがあった。でも、思い違いかも知れないのでそのまま通り過ぎようとしたものの、やはり気にかかって思い切って声を掛けた。「確か以前一緒に8時間コース歩いた方ですよね。」するとその人、Nさんは「そう、確か学校の先生している人でしたよね。」と答えてくれた。思い出してくれたのが嬉しかった。Nさんは、その朝島抜けしたSさんとともに、私が3年前に8時間コースを一緒に歩いた人だったのである。なんでもNさんはすっかり礼文が気に入ってしまい、去年から島で山と花のガイドをしているのだそうだ。この偶然の再会には本当に驚いてしまった。もし私がNさんとすれ違う時にコケていなかったら、この再会はなかっただろう。人の縁とは相変わらず不思議なものである。

宇遠内に降りる途中には、島で一番早くレブンウスユキソウが咲く斜面がある。そこに行ってみると、もう花は終わっていて、矮小化したハマナスが咲いているばかりであった。

そこを過ぎると、礼文島特産の花、フタナミソウが咲いている岩場がある。ここは礼文で何度も一緒になったFさんが、フタナミソウの存在を教えてくれた場所である。その花が咲く場所は、この宇遠内への道が大改修された時にもかろうじて残ったのであった。その内緒の場所を見てみると、あった。既に散ってしまった花もあるが、まだ咲いている花もある。他の人に見られないうちに、急いで花を写真に収めた。そこから宇遠内の浜辺は近い。途中、Fさんとここを訪れた時に、ミヤマオダマキの花で紫色になった斜面を見た時のこと、水道関係の仕事をしていたSさんと、宇遠内に水を送る施設を内緒で見てしまった時のことなどを思い出しながら、浜辺へ下っていった。

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礼文の旅2008・その2

2008-07-13 10:21:44 | 旅行記

バスは稚内市内に入って、結構あちこちのバス停に止まってお客を下ろしていく。来慣れた稚内駅前のターミナルを過ぎ、全日空ホテルの前を通過した。そう、かつてはこのホテルの前に利礼航路のフェリーターミナルがあったのだが、今年から別の場所に移転したことは、札幌で会った教え子から聞いていたのだった。バスはぐるりと方向を変え、かつてフェリーが出港していたところより大分南側にある、できたばかりのきれいなフェリーターミナルの前で私たちを下ろした。

ターミナルはすっかりきれいになり、売店やレストラン、カフェなども入って、以前とは比べものにならないほどである。トイレで洗顔等を済ませ、チケットを購入するのだが、これが結構面倒くさい。購入すると一旦二階へ上がる。既にツアー客が並び始めていたので、私も並んだのだが、間もなく改札が始まる。ツアー客は後回しのようで、個人客から改札となったのは嬉しかった。ところが、改札を終えると、せっかく二階に上がったのに、また一階に下りてフェリーに乗り込むのである。実にばかばかしいことであった。もし車いすの方や足の不自由な方がいたらどうするのだろう?エスカレーターやエレベーターは設置されていないように思われたのだが・・・

フェリーはまだ空いていたので、前の方の二等室に荷物を並べ横になったのだが、そこもたちまちツアー客で満員となり、かなり不自然な格好で寝ざるを得なかった。バスの中でかなりよく寝たつもりなのだが、それでもツアー客が騒がしくしている中で、小1時間ほどはうとうとしていた。

さて、フェリーは礼文に到着した。3年ぶりの礼文は3年前と少しも変わりがない。星観荘の彦さんもいつものように迎えに来てくれていた。見覚えのある顔もある。3年前に来た時に一緒に8時間コースを歩いたSさんだった。私はそのことをすっかり忘れていたが、Sさんの方から声を掛けてくれて、ようやく思い出したのだった。

この日は利尻山も見えないので、桃知コースで花を見ようと思った。ここ4週続けて来島している留萌在住のOさんと、この日の午後便で稚内に戻る一人の女性と一緒であった。見送りをした後バスに乗り込んだ。終点の知床ではツアー客50人くらいがウォーミングアップをしている。彼らと一緒になってはたまらないので、早々に出発する。

長袖シャツを着ているとやはり暑くなってくる。一方で風通しの良いところではそれなりに風も吹いてくる。”秘密の花園”に来ると、もう7,8年前に、ここを見学しやすくするために杭を打ち、ロープを張る作業をした時のことがよみがえってきた。ヒオウギアヤメ、レブンソウ、イブキトラノオなどが咲いている。特に西側の斜面のイブキトラノオの群落は見事だった。レブンソウは礼文で私が一番好きな花であるが、ここでもいくつかの花を見ることができた。この”秘密の花園”は、5月下旬はレブンコザクラとエゾノハクサンイチゲのピンクと白のコントラストが見事なのだが、この時期も白い花を中心にエゾカンゾウの黄色やレブンソウの赤も混じって、5月下旬とはまた違った美しさだった。

その後元地灯台を経て、桃岩展望台までの道をゆっくりと花を見ながら歩いていったのだが、この時期にはもうないと思っていたレブンキンバイがまだあちこちに残っていたのは嬉しかった。まだ咲いたばかりのきれいな花のいくつかをカメラに収めた。

それにしてもツアー客とおぼしき人達の花の知識のなさにはちょっと呆れてしまった。レブンキンバイを利尻にしかないボタンキンバイに取り違えていたり、チシマフウロを日本アルプスにあるハクサンフウロと取り違えていたり。ガイドが付いているグループもあり、そうしたグループではちゃんとガイドが花の名前を教えてあげればいいのに、と思った。

桃岩展望台の手前にもレブンソウの群落があるのは、もう17年前から知っている。ここでも何枚もの写真を写した。花に関してはもうこれで充分というくらいである。

ここで午後便で帰る女性と別れ、私とOさんは元地にある佐藤売店へ行くことになった。ここではウニが安くいただけるので、旅人には馴染みの店である。

登山靴を履いた重い足を引きずるようにして佐藤売店に着くとびっくり!何とツアー客がここでお昼を食べているのである。時代も変わったものである。ツアー客が席を立つのを待って、焼きウニを注文し、ビールも買った。

焼きウニは素晴らしかった!独特の磯臭さがなくなり、味も凝縮されて、実によくビールと合っていた。私は事前に注文しておき、港でもらっておいた星観荘の弁当もつまみつつ、結局缶ビールを飲み干してしまった。昼間から酒を飲むなんて何と久々のことだろう。群馬では昼間から酒を飲むと足である車を運転できなくなってしまうので、まず昼間から酒を飲むことはないのだが、礼文ではその必要はないので、安心して昼間から酒を飲むことができるのは嬉しいことであった。まぁ、私はそんなに酒は飲まないのであるが。

佐藤売店でOさんと別れ、私は重い足を引きずって港に戻った。バスで星観荘に戻ることに決めたのであった。やって来たバスに乗るとすぐに眠気に襲われ、星観荘前で下ろしてもらい、3年ぶりの星観荘に足を踏み入れた。

星観荘はこの時期にしてはお客が少ないように思えたが、何のことはない、今年はヘルパーがいないため、基本的に16人、多くて20人ほどしかお客を取っていないとのことだった。外国人も多く、この日も1人の香港の人が泊まっていた。また、沖縄で一緒だった三石さんご夫妻も一緒だった。奥さんは何と妊娠3ヶ月なのに礼文に来て、あちこち歩き回っていたのだった。

懐かしさすら覚える美味しい夕食をいただき、ミーティングも終わり、皆で酒を酌み交わしつついろいろ話した。人数が少ない分、アットホームな感じ。彦さんやエミリさんも加わって、ほのぼのと楽しい時間を過ごしつつ、礼文の夜は更けていったのだった。

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礼文の旅2008・その1

2008-07-06 19:16:03 | 旅行記

6月終わりから7月頭にかけて、ここ3年間大雪山に高山植物を見に行っていました。3年間とも好天に恵まれ、花も景色も堪能したのと、今年は雪解けが早く、花も早いという話を聞いていたので、今年は趣向を変えて、3年ぶりに礼文に行ってみようということになりました。

礼文島へは3年前までの14年間、毎年出かけていました。でも、何だかマンネリズムを感じていて、ここ3年間は足が向きませんでした。でも、ここ3年間にブログを始めたり、mixiを始めたりして、写真をネット上に公開するようになると、あれほどよく出かけていた礼文の写真、特に花の写真がないことに気づいたのです。よって、そうした意味でも礼文の花を久しぶりに見に行きたくなって、出かけることと相成りました。

ところが、この時期にあった超割やバーゲンフェアの航空券がなくなってしまっていたのでした。これまで3年間も、旭川まで超割やエア・ドゥを使って安く渡道していたのですが、稚内へはANAしかなく、バーゲンフェアがない上、エア・ドゥも使えないとなると、かなり高額のチケットしか使えません。そこで考えた結果、新千歳であれば各種の割引チケットがあり、チケット代をかなり安くあげられること、それに札幌-稚内を高速バスにすれば、稚内直行便を使うよりも安く上がり、しかも礼文で島を歩ける日が1日増えることにもなるので、この方法で出かけることにしました。ただ、夜行バスを使うと、初日の風呂が問題になります。以前は羽田の有料ラウンジのシャワーや、札幌の有料サウナなどを使いましたが、今回は北大在学中の親しい教え子のところでシャワーを浴びさせてもらうことになりました。コイツは車も持っているので、バス乗り場まで送迎もしてもらおうという魂胆です。

仕事を昼前に切り上げ、自宅に戻り、タクシーで最寄り駅まで行き、いざ出発です。浜松町で山手線を降りると、スーツ姿のビジネスマンばかり。その中でラフな格好でいるのはさすがに気が引けますが、実はもうすっかり慣れっこになっています。

札幌行きの飛行機は8割の埋まり具合。空弁をつまみ、読書をしているうちに着いてしまいました。札幌に着くと、羽田では暑かった長袖もちょうどいいくらいです。

快速エアポートへの乗り継ぎもよく、札幌に到着し、教え子と待ち合わせ、教え子の部屋へ。お土産を渡しシャワーを浴びさせてもらいました。教え子も私のアドバイスによって礼文へ行き、星観荘に泊まって気に入ってくれ、実は2週間前にも出かけており、その時の写真を見せてくれました。6月上旬ということもあって花もきれいで、意欲をかき立てられました。教え子も、いくつかのポイントを残してあり、また来年も、早ければこの秋にも礼文へ行くとのことでした。教えた側としては嬉しいことです。

教え子の車で札幌駅前のセンチュリーロイヤルホテル前へ送ってもらいました。(後で知ったのですが、稚内行きのバスがここを出発するのは、6月いっぱいまでとのことでした。)バスは3台あり、私が乗るのはその先頭の車両でした。かつて札幌-稚内間を走っていた夜行列車「利尻」は、普通席はがらがらでも、寝台車は満員だったと聞きます。こんなところからもこの夜行バスの需要は多いようです。この1号車も、出発する時はほぼ満車でした。

荷物を預けてバスに乗り込むと、夜行バス特有の3列シート。眠りの浅い私としては、途中トイレ休憩などで乗り降りする人に起こされたくないので、なるべく後ろの方の窓際に席を取り、安眠用のサプリメントを飲み、耳栓をしました。難しい本を読んでいるうちに眠気に襲われ、目が覚めた時は稚内でした。

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