桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

大雪山の話③

2005-05-31 22:22:55 | 旅行記
初めてのゆわんと村は、とてもアットホームな感じで楽しかった。食事も美味しく、泊まっている人達も、何回もここに来ている人が多く、いろいろなことを教えてくれる親切な人ばかりだった。夕食後にはコーヒー勝負というのがあり、トランプの簡単なゲームで負けた人が、参加者全員のコーヒーを入れるのだが、簡単なゲームなのに、とても白熱するので、私は毎晩楽しく参加させてもらった。

ゆわんと村にいる間は、高原温泉沼巡りに2度行った。1回目は雨で途中で引き返し、温泉に入ってきた。2回目はその3日後だったが、その間に初雪が観測されたりして、紅葉がずっと進んでいた。空は曇っていたが、沼の水面に映る紅葉が実に美しかった。また、普段は沼巡りは一周できないのだが、この時は一周できた。(途中でIさんが沢にはまって、大きな悲鳴を上げて突然姿を消した時のことは忘れられない)

一番天気が良かった日は、銀泉台から赤岳に登り、白雲岳、黒岳とまわって、層雲峡に下りてきた。この時は、赤岳の紅葉はやや早めだったのだが、それ以外の所はいずれも見頃で、第三雪渓の紅葉や、普段ならこの時期は見られない、白雲岳から見た残雪のストライプ(この年は米不足にもなった冷夏だった)と紅葉の取り合わせ、黒岳の紅葉が印象に残っている。ちなみにこの時、赤岳の山頂で、今は亡きHさん(星観荘で毎年長期連泊していた人)が記念撮影に混じってきたのである。

朝から雨だった日は、朝から旭川に出た。私の小さな車に5人が乗り、旭川のばんえい競馬に行った。ばんえい競馬は、大きな道産子馬が大きなそりを引きながら直線コースを走っていくレースであるが、途中に坂があり、馬は巨体を揺らしてあえぎながら登っていく。日頃テレビで見るサラブレッドのレースとは全く違っており、とても新鮮だった。

競馬は初めてで、入場料がかかることも初めて知った。馬券の買い方も知らず、受付のおばさんに教えてもらいながら、100円ずつ、1レースに2,3枚ずつ買った。皆そんな感じだったので、誰も当たらなかったのだが、最終レースで私が何気なく買ったものが34倍の当たりとなり、3,400円をゲットした。1,000円ほど投資したので、差し引き2,400円得をした。ビギナーズラックということはよくわかったので、私はそれ以降一度も馬券を購入していない。

そう言えば、滞在中Iさん(女性)とはずっと一緒に行動していたことに気付いた。2回目の高原温泉沼巡りの後、私は道東をまわりながら星観荘へと向かった。

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大雪山の話②

2005-05-30 22:24:01 | 旅行記
翌年は学生生活最後の年。9月に星観荘での48時間コースに参加したかった。でも、それだけでは足らない気がした。折しもその頃は大雪山で日本で一番早い紅葉が見られると聞いた。大雪山の写真集を本屋で見てみると、その鮮やかさに目を奪われた。今まで見たことのない、ナナカマドの鮮やかな赤と、ダケカンバの木、ハイマツをはじめとする常緑樹の緑、それに加えて残雪の白、そして空の青。その見事なコントラストに強烈に惹きつけられた。よし、これを見に行こう!大雪山行きに48時間コースを加えた、3週間ほどの旅程を立てた。

宿をどうしようかと思った。6月の礼文で知り合いになり、たまに電話で話していたHさんに電話で尋ねてみた。すると、層雲峡の手前の上川にあるとほ民宿・ゆわんと村を紹介された。紅葉の時期は人気があるのですぐ一杯になるから、早く予約した方がいいとも教えてくれた。「とほ」を見てみるとなかなか感じの良さそうなところである。ツアー等はないようだが、車で行くので足の心配はない。早速9/15の北海道到着後から礼文へ渡るまでの5泊を予約した。

ゆわんと村は民家を改造したこぢんまりした感じの宿であるが、やはり紅葉の時期だけあって、満館だった。年齢層は幅広い。室内に入るやいなや、私はいきなり声をかけられた。「6月に美馬牛で会った方でしたよね?」「そうですが。あっ、Iさんじゃないですか!」「そうです。あの後日本一周を果たしたんですよー。紹介してくれた星観荘にも行きましたよー!」

初めてのゆわんと村での、Iさんとの運命的(?)な再会だった。

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大雪山の話①

2005-05-28 21:49:20 | 旅行記
大雪山を初めて訪れたのは、今から15年前の夏だった。層雲峡から黒岳ロープウェー・リフトを乗り継ぎ、雨の降る中8合目から少し登ってみた。でも、雨は激しくなるばかりで、高山植物もあまり見られず、その時はそのまま撤退した。

2回目はその2年後だった。朝早く小樽を出、特急で旭川に着き、バスで旭岳ロープウェーまでやって来た。曇りだったので旭岳登頂をやめ、裾合平のお花畑を見ることにした。裾合平はチングルマが終わりかけだったが、なかなかきれいだった。中岳温泉に足だけ浸した後、お鉢平の肩に付いた。風こそないが曇り空で、山々にはガスがかかっている。これでは周囲の景色を楽しむわけにもいかず、ひたすら黙々と歩いた。

お鉢平の南側を廻り、3時前に黒岳石室に着いた。その日はそこで泊まることにしていた。シュラフを持っていなかったので貸してもらった。簡単な夕食を済ませ、翌日裾合平へ抜けるというおばさん達と話し、その日は眠りに就いた。真夏なのにシュラフにくるまっていてもやはり寒かった。

翌日は6時前に目を覚ました。天気はやはり曇り空。山にはガスがかかっている。簡単な朝食を済ませ、そのまま層雲峡に下りた。層雲峡からあさひかわまでバスで出、旭川から特急で小樽に戻った。初めての大雪山行きは、天気に恵まれず、印象に残らないものとなった。

しかし、翌年の大雪の紅葉を訪ねる旅で、大雪に対するイメージは一変し、より強いものになる。

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礼文島断章30(最終回)・懐かしい人への手紙②

2005-05-24 22:21:36 | 旅行記
Nさん

ご無沙汰しております。お元気ですか?
Nさんと初めてお会いしたのは、私が初めて星観荘を訪れた時のことでした。そして、たった一泊のつもりが、すっかり気に入ってしまって連泊した翌日、ハイジの谷へ一緒に出かけたのでした。
あの日は天気にも恵まれ、10人ほどのメンバーも、星観荘歴の短い、あるいは初めての人ばかりで、とても和やかで、楽しいツアーだったのを記憶しています。
その年の冬、サンシャイン水族館で行われた星観荘in東京で再会した時は、星観荘での楽しかった一時が思い出され、他に知っている人のいなかった会で、話し相手になって下さったのがとても嬉しかったです。
翌年の5月、私はふと思い立ってNさんに葉書を送りました。「”礼文病”が発症したようです。6月にはレブンアツモリソウを見に行こうと考えています。」と。するとNさんからも「何だか○○さんの”礼文病”が私にも伝染してしまったようです。」との返事が来ました。
礼文を訪れる時期も教えてあったので、ちょっとわくわくしながら礼文に行ってみると、やはりNさんは来ておられました。とても嬉しかったのを覚えています。
その後のことはすでに書いているのでここでは繰り返しませんが、ご一緒した礼文岳ではミラーマンツアーをはじめとしてこれまた楽しい一時を一緒に過ごさせていただき、24時間コースでは激励して下さった上に、カメラマンを買って出て下さいました。私が就職試験のための勉強をしていた時も、気遣って下さったのを覚えています。
あの後私は無事就職し、すでに10年以上の月日が経過しました。Nさんからは年賀状が何年か届きましたが、ご結婚されて以降、それも途絶えたまま、現在に至っています。
Nさんは、私にとっては礼文、ひいては星観荘での思い出のスタートを印象深いものにして下さった恩人とも言えるでしょう。Nさん、お元気でしょうか?私も、初めて私がNさんに出会った時と同じくらいの年齢になりました。相変わらず私は星観荘に行き続けています。また、星観荘でお会いしたいものです。

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礼文島断章29・懐かしい人への手紙①

2005-05-23 22:05:23 | 旅行記
Sさん
お元気ですか?結婚されて信州在住とのこと、まことに喜ばしく思います。
Sさんと出会ったのはもう何年前になるでしょうか。Sさんは利尻山と満月を一緒に写真に収めたくて礼文に来たと言っていましたね。念願叶って撮した写真、私も一枚送ってもらいましたが、何とも幻想的な光景で、見るたびに感動を新たにします。
SさんやMさん、今は亡きHさんと出かけた召国のチシマゲンゲの畑は今でも印象深いです。いつもは風が強いあの場所も、あの時は風がなく、皆が思い思いにカメラを花に向けていたのを覚えています。そういえばクララの丘もそうでした。様々な花が咲きほこるクララの丘で、1時間近く皆でのんびりと過ごした時のことは、今でも忘れません。
Sさんは早起きで、日の出を撮すため、毎朝2時半に起きていたとのこと。だから、付いたあだ名は”2時半の女”。本当に毎日それを実践していたというのにはもう脱帽でした。
そんなSさんでしたが、私がようやくパソコンに慣れ、メールを始めた頃、メル友として毎日のように、とりとめもないことを送り合っていたのも懐かしい思い出です。
その後は年賀状のやりとりだけでしたが、会社を辞め、写真を生かした仕事を始めた時、あぁ、自分なりに新しい人生を切り開いているんだなと、自分にはできないことをやってのけたSさんがある意味うらやましく思えました。

今年送られてきた年賀状。何だかひょうきんそうなご主人と一緒に写ったSさんはとても幸せそうでした。その写真を見ながら、前に一緒に見に行った相田みつを美術館に展示されていた作品に書かれていた言葉を思い出しました。

「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

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礼文島断章28・私の好きな場所@旧星観荘

2005-05-22 21:24:55 | 旅行記
旧星観荘で私が一番好きだった場所。それは二階へ上がる階段の一番上の段である。

ここに座っていると、トド島に沈む夕陽を眺めることができた。夕食時にぶつかってしまった時はそれがかなわないのだが、そうでない時は、ここでぼーっと座りながら、夕陽を眺めていたこともあった。星観荘の中に流れていたBGMとマッチして、何ともいえないいい雰囲気だった。

ここに座っていると、部屋から出てきた人が必ず横を通る。夕方なら、声をかけ、その日にあったことを尋ねたりする。そんなことが、夕食時やミーティングの時の話のきっかけになったりする。

ここに座っていると、その日島を歩いて楽しい思い出を作ってきた人の笑顔を見ることができる。その日見聞きしてきたことを尋ねているうちに、私自身も、そこを歩いた時のことを懐かしく思い出すことができるのである。

ここに座っていると、その日新しくやって来た人に必ず会うことができる。以前会ったことのある人ならばここで再会を喜び、初めて会う人なら、「こんにちは」「こんばんは」と声をかける。

ここに座っていると、風呂や洗面に向かう人が階段の下を通るのが目に入る。しかも階段の手すりはタオルを干すのにちょうどいい場所なので、そんなところから、楽しい会話が弾んだりもする。

でも、やはりここに座っていていちばん待ち遠しいのは、夕食の準備ができることである。夕食前になると、階段に私以外にも必ず何人かの人が座って、夕食ができるのを待っている。皆、今日の夕食は何かな、とわくわくしながら待っている・・・


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礼文島断章27・「ようこそ北の国へ」

2005-05-21 21:50:54 | 旅行記
今から12年前、24時間コースを歩いた翌日に、彦さんから頼まれて、旧星観荘の玄関に掲示する「ようこそ北の国へ」を書いたことはすでに述べた。

そして、今から7年前の秋、星観荘はスコトン岬の手前に移転した。移転する年の6月に礼文を訪れた時、「○○○○、お願いがあるんだけど、『ようこそ北の国へ』を新しい星観荘の玄関にも掲げたいんで書いてくれないかなあ。」と彦さんから言われた。

私はもちろん快諾した。本当はオープンの日に合わせて手ずから礼文へ持参し、掲示したかったのだが、当日は仕事で私が主として取り組んでいて、どうしても抜けられない行事があったため、それがかなわないことはわかっていた。だから、私の身代わりに、新しく書いた「ようこそ北の国へ」を、今度はちゃんとした画仙紙に書き、額に納めて贈呈しようと思った。

その年の8月にも星観荘を訪れる機会があったので、彦さんの車に乗せてもらって、新築中の新星観荘を訪れた。大まかなところはもうほとんど出来上がって、後は細かな工事を残すばかりであった。今はプライベートスペースになっている二階にも上げてもらったりして、「ここが新ブラックホール、ここが客室』などと、楽しそうに説明してくれる彦さんの話に耳を傾けた。

新「ようこそ北の国へ」は、玄関を入った左側の壁の上方に掲げるという。掲げられる場所もわかったので、作品のイメージをふくらませてみようと思った。

北海道から帰り、中国へ行った。所属する会の展覧会が、北京で行われたからである。北京を訪れた後、杭州にも行ったのだが、そこで著名な筆店の出張販売が行われた。その時、ちょうど「ようこそ北の国へ」の制作にぴったりだと思われる小筆を見つけたので、購入した。帰国して早速試してみると、これが実に書きよい。東京でちょうどいい大きさの額も購入し、制作意欲を持続させつつ、一気に書き上げた。表具も自分で行い、額にはめた。オープン当日に間に合うよう、礼文に送った。彦さんには、できればオープン当日に掲示して欲しい旨を書き送った。

実物を目にできたのは、翌年の7月だった。下見の時に示された場所に、ちゃんと飾ってもらえている。素人表具だったので、紙が額から浮き上がっているところもあるが、まあいいだろう。以前、24時間コースを歩いた翌日に、疲れをおして書いたものに比べ、やはり気合いの入り方が違うのが、一目で見てよくわかる。

彦さんによれば、本当に倉本聰が書いたのだと思う人もいるのだそうで、ちょっと恥ずかしかった。カウンターで彦さんと話している時、別のお客さんが通りかかったりすると、わざわざ私が制作者だということを紹介してくれるのも、ちょっと恥ずかしい。でも、やっぱり星観荘への思いを、ああした形で形にでき、展示してもらえているのは、何とも嬉しいものである。

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礼文島断章26・Sさんの話③

2005-05-20 22:00:18 | 旅行記
しばらくするとSさんが戻ってきた。流木を何本も抱えてきている。「いやぁ、いい形の流木をたくさん見つけちゃってさ、持って帰ろうと思うんだよ。」確かに、うまく利用すれば素敵なインテリアになりそうな流木ばかりである。見る目のある人だと思った。ただでさえ不思議な格好をしたSさんが、拾ってきた流木を杖のようにして持って歩く姿は、何ともいえず、それでいて、この人にしかできない格好だな、と思った。そして、この流木をハーレーにどうくくりつけるのかも興味深かった。そして、くくりつけて走っている姿を見てみたいものだ、とも思った。

迎えの船が来る時間になり、船着き場に戻った。とても楽しかった一時が終わるのは、何とも寂しかった。スコトン岬に着くと、彦さんとやーまださんが迎えに来ていた。2台の車に別れ、すし詰めになって乗った時、彦さんが「焚き火臭いなぁ!」と言ったのが忘れられない。

その夜、Mさんが24時間コースに出発した。私は出発しか見られず、とても残念だったのだが、夜中の陣中見舞いの時、また印象的なことがあった。真っ暗な道をヘッドライトの明かりだけで歩くMさんを激励するために、何とSさんがハーモニカを吹き始めたのである。ハーモニカを持っていることは知っていたけれど、吹いてくれなかったので、まさかここで聞けるとは思ってもいなかった。真っ暗な仲で聞くハーモニカの音。曲名はわからなかったが、激励しに来た私達にもしみ入るものだった。激励される川のMさんは、さぞかし感動的に聞くことができただろう。Sさんは本当に面白い人だと思った。

私は翌日の便で島抜けした。Sさんをはじめとして、昨日のトド島の面々が皆見送りに来てくれた。今回は自分の意志に反して島を出なければならないので、余計に後ろ髪を引かれる思いだった。

Sさんはこの時の経験がきっかけで、その後も毎年星観荘を訪れるようになった。私も2度ほど再会した。その後しばらく来なかったが、昨年久しぶりにやってきたそうだ。私はもう長らく合っていないが、またいろいろと面白い話を聞かせてもらえたら、と思っている。

星観荘で出会った人の中で、印象深い人ベスト3に入るSさんのことを書いてみた。

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礼文島断章25・Sさんの話②

2005-05-19 22:23:32 | 旅行記
翌日は連泊者のほとんどがトド島に行くことになった。私はこのシーズン、すでに2回トド島に行っていたが、何しろ夕べのブラックホールの楽しかったことを思い出し、きっと楽しいツアーになると思われ、参加することにした。もちろんSさんも参加する。

この時は珍しくスコトン岬の西側から船が出た。この日は好天で、風もなかったが、海上にはうねりがあり、船首に座っていた私を含めた何人かをのぞいて、皆びしょぬれになった。

島に到着し、台地の上に登り、皆で写真を写した。ちなみにSさんは、昨日もしていた黒いサングラスに、だぶだぶのコートを身にまとい、大きなタオルをターバンのように頭に巻き、年季の入った大きなカメラ(大きなレンズも持ってきていた)を首にかけている。これまた星観荘では今までに目にしたことのないような格好で、驚いてしまった。でも、革工芸作家だというSさんなら、そんな奇抜(今写真で見るとそんな風にも思えない)な格好もふさわしいように思えた。

皆で西海岸に下りた。流木を集めて火を燃やし、男性の何人かは海に入って、海生生物の生態観察を行った。海に入らない人達も後から観察に参加し、解剖したり、見学したり、火であぶったり、写真などに収めたりした。もちろん観察後は、それらの生物は海に帰した。

生態観察の後は皆でお昼にした。その後はフリータイムとなり、めいめいで島のあちこちを歩き回った。私も、西海岸の奥には行ったことがなかったので、行ってみた。しかし、これと言って面白いこともなく、焚き火の所へ戻って昼寝をしていた。



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礼文島断章24・Sさんの話①

2005-05-17 21:21:15 | 旅行記
大きなバイクが音を立てて星観荘(旧)前の駐車場に止まった。ハーレー(詳しい車種は知らない)である。耳に発信器のようなものの付いた変わった形のヘルメット(後で聞くと、米軍払い下げのものだそうだ)をかぶり、サングラスをかけ、革ジャンを着ている。星観荘ではこれまで何人ものライダーに会ったが、今まで会ったことのないタイプの人で、ちょっとびっくりしてしまった。

それがSさんだった。

Sさんは、本来はキャンプをしながらツーリングをしている人だった。礼文にも、そのつもりでやって来た。ところが、桃岩展望台でその時星観荘に泊まっていたMさんと出会い、言葉を交わしたことがきっかけで星観荘に興味を持ち、すぐに電話をし、ほとんど飛び込み同然で星観荘にやって来たのである。(この頃はブラックホールがあった関係で、こういう融通も利いたのである。)

Sさんはその日の宿泊者の中で最年長であったが、持ち前の気さくな性格で、すぐに皆の人気者になった。ブラックホールでも会話の中心となり、それはそれは盛り上がった。あの時の楽しさは、今でも忘れられない。



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