桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

槍穂縦走・その7

2010-09-03 20:29:13 | 旅行記
2人が写真撮影を了解してくれたので、気分が落ち込むことなく登山を続けることができたのはありがたかった。

奥穂高岳から前穂高岳を目指す。この二つの山をつなぐ尾根は吊尾根と呼ばれている。ここは浮き石も多く、奥穂高岳登頂直後ということもあって滑落などの事故が多いとガイドブックにはある。

確かに浮き石も多く、なかなか斜度もきつい。尾根とあるのでもう少し眺望が利くのかと思いきや、登山道は稜線上でなく、稜線から少し下がったところに付けられているので、北側の涸沢方面は見えない。しかし、南側には、西穂高岳、焼岳、乗鞍岳、御嶽山、そして目の前には前穂高岳が高く鋭く聳えているのが見える。それにしても素晴らしい天気だが、遠く乗鞍岳や御嶽山には少しずつ雲がかかり始めている。

吊尾根は意外と距離があり、前穂高岳への分岐点がある紀美子平にはなかなか着かなかった。奥穂高岳から見る前穂高岳はものすごく急峻で、いったいどこから登るのかと思われたが、登山道は前穂高岳の南西斜面に付けられていたのだった。

途中で写真を何枚か撮してもらい、俺もカメラを借りて写真を撮した。振り返ると、さっきまで山頂にいた奥穂高岳がもう随分後ろになっている。山頂のロバの耳は小さくてもまだちゃんと見える。その西側にはジャンダルムが聳えている。西穂高岳の三つのピークが並んでいるのも見えるが、奥穂高岳よりも意外と標高が低いのに気付かされる。

危険と言われる吊尾根だが、けっこうあっけなく通過してしまった。紀美子平に着いた。「平」と名は付いているが、他の場所に比べればかろうじて平らと思えるスペースがあるだけである。30年前、叔父と一緒に登山した時、叔父が山小屋で一緒になった人と話していた(きっと俺が今回山小屋で話したのと同じような話をしていたのだろう)時、その話の中に出てきた地名で、今に至るまで記憶していたのである。ちなみに紀美子平という地名は、この後下る重太郎新道を開いた今田重太郎氏が、自分の夭折した娘の名前を付けたものだそうだ。

荷物を置き、合羽と飲み物だけ持って前穂高岳の頂上を目指す。荷物がないので、軽快に登っていける。前穂高岳への登りもけっこう危険だとガイドブックに書かれていたが、槍ヶ岳、前穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳などに比べればずっと登りやすかった。

山頂に着くと目の前に素晴らしい光景が広がった。皆が思わず「すごい!」と歓声を上げ、そのまま言葉を失っていた。北アルプスの山々が一望できる。北アルプスの有名な山々がすべて勢揃いしていると言っていい(剱岳だけは立山の陰に入ってしまって見えない)。特に目の前に聳える奥穂高岳から槍ヶ岳までの峰峰を見ると、我ながらよくこれだけの山々に登れてきたなあと思わずにはいられなかった。

この後は大写真撮影会となった。記念撮影の後、皆が思い思いに写真を撮して回る。俺もカメラを借りて撮す。自分のカメラがあればもっとたくさん撮せるのにと思うが、幸いなことに2人のカメラは俺のものよりも性能が良い上、とにかく素晴らしい光景なので、そんなこともあまり気にならないほどである。30分ほどを過ごし、心を残しながら下山した。なぜなら、この後大人数の団体(紀美子平までの間で追い抜いた)が登ってくることがわかっていたからである。静かな山頂を楽しめるのも今のうちである。

紀美子平まで下り、この後ひょっとするとバラバラになってしまうかも知れないからと、アドレス交換をした。俺の隣だった人は名古屋のKさんという人だった。その隣で、北穂高岳でミネウスユキソウの写真を撮した時に声をかけてくれた人は埼玉のIさんという人だった。ジャンダルムさんは神奈川のSさんという人だった。

あとはひたすら岳沢まで下った。重太郎新道は尾根筋に付けられており、しばらくは稜線を下るのだが、とにかく急峻で、途中で多くの人とすれ違った(中に、どう考えても本格的な登山が初めてとおぼしき若い女性がいたが、彼女は無事に登り切ることができただろうか?)が、皆一様に疲れ果て、滝のような汗を流していた。俺はこのルートを登るのは嫌だなと思った。

下っている内に、山にはどんどんガスがかかってきた。ちょうど良い時間に登頂できてよかった。岳沢ヒュッテの赤い屋根が、下山し始めた頃は随分小さかったのが、だんだん近づいてくる。そして登山道が樹林帯に入ると、しばらく感じなかった暑さが襲ってくる。そしてそのことが、下界に近づいたこと、さらには今回の山行が終わりに近づきつつあることを感じさせる。

岳沢を渡る時、見上げると雪渓の向こうに奥穂高岳が鋭く聳えていた。この後山々はガスに覆われてしまった。俺が穂高岳を目にしたのは、この時が最後だった。

岳沢ヒュッテでお昼にした。ここは沢沿いということで水が豊かで、水を無料でもらえるのはありがたい。穂高岳山荘で買った弁当を広げるとびっくりした。月並みなおにぎり弁当かと思いきや、何と朴葉寿司が2個とイワナの甘露煮が入っていた。どちらも郷土の名物料理である。山小屋の弁当なんてと高をくくっていたら見事にすかされた。食べてみるとこれが美味しいのである。朴葉寿司も酢飯と具の具合がちょうど良いし、甘露煮も味がちょうど良く生臭さもない。それに岳沢ヒュッテでもらった冷たい水が、かわいたのどと空腹にしみ入った。

ここで約1時間ほど大休止をして上高地まで下った。途中風穴があり、ここで小休止をした。上高地に下ると全く別世界であった。2日も風呂に入っていないヒゲも伸びた俺など、綺麗な身なりをした観光客いっぱいの上高地には全く似つかわしくない感じがしたほどだ。

それにしても下りであまり疲れを感じなかったのは不思議であった。大体において俺は下りが苦手で、よくへばってしまうことが多かった(鹿島槍ヶ岳からの下りでは何とコースタイムオーバーをしてしまったほどである!)のだが、思うにこの下りは皆で大体一緒に、いろんな話をしながら下ったから、さほど疲れを感じることがなかったのではないかと思う。

河童橋で最後に4人で写真を撮した。バスターミナルで平湯に向かうKさんを見送り、沢渡方面の3人は一緒のバスで帰ってきた。Iさんと俺は松本の温泉に浸かって帰ったが、Sさんはどうなったろうか?

帰宅した翌日、SさんとIさんから写真が送られてきた。それを保存し、アルバムに無事UPできた。

今回の槍穂山行、かなり行き当たりばったりで登ってしまったし、いろいろなアクシデントにも遭遇したが、とにかく天候と、そして今回は山での仲間に恵まれ、何より無事に帰ってこられて、良い登山であった。

最後に、写真を送ってくれたKさん、Iさんには心より感謝します。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槍穂縦走・その6

2010-09-02 23:01:26 | 旅行記

外に出てみると雲一つ無い天気。いや、昨日と同じく雲海の上であった。常念岳のはるか遠くの空が赤く染まり始めている。遠くには浅間山、蓼科山、八ヶ岳が見える。昨日と違うのはやや風が吹いていること。これ以上強くならないことを祈るばかりだ。

夕べ”同衾”した学生風の人と、その隣に寝ていた人とは、夕べはほとんど話はできなかったが、朝になってからは一緒に朝食の順番待ちの列に並んだりもしていろいろ話もできた。ここでその2人と仲良くなれていたことが、後で大きな意味を持ってくることになるとは、この時は思いもしなかった。

朝食を待っている間にどんどん日の出の時間が近づいてきた。幸い1回目の朝食を食べることになったので、席が決まった後すぐに外へ出て日の出の写真を撮した。常念岳の向こう、そして浅間山の向こう、雲海の上に昇ってくる太陽を見ながら、富士山と剱岳と槍ヶ岳で見た日の出を思い出していた。

朝食を慌ただしく済ませ、5:45頃に出発した。隣の男性が声をかけてくれ、せっかく一緒になったのだからと、3人一緒に出発することになった。

奥穂高岳の山頂へは、いきなり小屋の隣の急な岩場をよじ登っていく。登りながら、西に聳える笠ヶ岳や、北に聳える槍ヶ岳に連なる峰峰がいつも視野に入っていた。前日と異なり、雲海の上は雲一つない好天である。息を整えるために足を止めるたびに、これらの山に見入っていた。

その岩場を登り切ると斜度は緩やかになる。後は山頂までのんびりと歩くばかりである。途中南側に視野が開けるところがあり、ここから前穂高岳の姿がきれいに見えた。そのはるか遠くには、富士山と甲斐駒ヶ岳、北岳、間ノ岳も見えた。南アルプスの山々はみな未踏であるが、いずれああした山々にも登るのだろうと思った。そして、いつ登ることになるのだろうとも思った。

山頂には6:10頃に到着した。山頂の手前で初めて、穂高岳でも難所中の難所であるジャンダルムが見えてきた。何とジャンダルムの”山頂”には何人かの人の姿も見える。天気も良いのでこのままジャンダルムまで行けてしまいそうな気がしてきた(しかし実際は奥穂高岳の山頂とジャンダルムの間はかなり危険で時間もかかると後で聞いたので、勢いだけで行かなくてよかったと思った。)。また、穂高岳の南に連なる焼岳、乗鞍岳、さらに南にある御嶽山の3つの火山も見えてきた。槍穂連峰と異なり、火山であるこれらの山々は、その姿からして全く違い、また、こうした全く山容の異なる山々がこうして並んで存在しているのは何とも面白いものだなとも思った。

山頂はもっと混雑しているかと思いきや、意外と空いていた。10人くらいの人しかいない。奥穂高岳の山頂は”ロバの耳”と呼ばれ、二つの小さなピーク(どうやら後から人工的に積まれたもののようである。)が並んで立っている。そのいずれかの上に立って記念撮影をするようであった。しかし一方のピークには社が祀られており、とてもその上に上がれる様子ではない。よって方角盤の設置されたもう一方の山頂で一緒に記念撮影をした。

山頂には1人の元気のいい山ガールがおり、その人が記念撮影をかって出ていた。皆の写真を撮した後は、その人が写真を撮すよう依頼してきたのでシャッターを押したのだが、とにかくポーズが大胆で(空中で開脚とか)、撮る方もいささか恥ずかしくなってしまうほどだった。その後、お社のある方の山頂で「奥穂高岳」のプレートを手に持って記念撮影をしてもらおうと思い、その女性に依頼したのだが、何とその女性は撮影後俺のカメラを落としてしまったのである!1.5メートルくらいの高さから落ちたカメラはシャッターが閉じなくなり、全く写せなくなってしまった!女性は済まなそうに恐縮していたが、きっと山頂であんな大胆な格好をするほど浮かれており、手元がおぼつかなくなっていたのだろう。こればかりはやむを得ない。どうしようか考えた末、一緒に登ってきた2人に恐る恐る「俺のカメラ、さっきの女の人が落として全く撮れなくなっちゃったんで、もし良かったらこの後2人のカメラで撮した写真送ってもらえないですか?」と申し出てみたところ、OKしてもらえた。その後は下山するまで写真を撮してほしいところでは撮してもらい、時には俺がカメラを借りて写真を撮した。

もし前の晩から翌朝にかけて2人と話をしていなかったら、このアクシデントに全く対応できず、奥穂高岳山頂以降の写真はなかったわけである。全く天の助けで、2人は救世主である。下山後2人から写真が送られてきたが、そのおかげでこの山行は良い思い出となった。そうでなければ悔いの残る登山となってしまったに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槍穂縦走・その5

2010-09-01 19:27:40 | 旅行記

穂高岳山荘はそういうわけで満員であり、自分の寝床で夜までを過ごすことができない。外のテラスもツアー客や自炊する人達に占領されており座ることもできない。仕方なく、玄関横のテレビ前のスペースか、本棚のある読書スペースにある椅子に腰掛けて時間を過ごす他はない。

もちろん有料のインスタントコーヒーなどをすすりながら、夕食までの長い時間を過ごした。椅子に座って寝ようとも思ったのだが、ここは玄関横、人が入れ替わり立ち替わりするのと、おばさま方が声高におしゃべりしているのとで、とても寝られる雰囲気ではない。読書室の本をあれこれ読みながら2時間ほども過ごしただろうか。途中空腹のあまり800円也のラーメンをすすったが、インスタントではなさそうであった。

さて、その夜に同じ布団に”同衾”することになった学生風の男性とは、ちょっと言葉を交わしただけであった。布団も俺がいない間に敷いてくれていた。たまに寝床に戻ると、さらに隣に寝ることになった別の男性と話をしている。何だか俺が長い時間寝床に来ないので、ちょっと困っているようである。

長い間待ってようやく夕食である。満員であるため3回交代制で、部屋ごとに呼ばれて食べに行く。1回目では俺の部屋は呼ばれなかった。ところが、スタッフが5人分席が空いているという。すぐに4人は埋まったが、1人は最後まで埋まらない。スタッフが2度目に声をかけて回っているのに応じて食卓に着いた。夕食のメニューはこれまで泊まったキレット小屋・剱山荘・槍ヶ岳山荘とあまり変わりはないが、一番豪華な感じがした。同じ食卓の人達は半分くらい食べ終わっていたわけだが、早食いな俺は他の人達に先んじて食べ終え、さっさと読書室の椅子に戻った。

その後もひたすら読書を続けた。特に深田久弥の著作集と「山と渓谷」があったのはありがたかった。気温が下がってきたので紅茶(インスタント・1杯250円也)を2杯飲んだが、これがいけなかった。8時前になったので持ってきたサプリを飲み、狭い寝床に入って寝ようとしたのだが、少しも眠くならない。隣の夫婦と話していると、上の階からグループが声を合わせて歌を歌っているのが聞こえてくる。9時を回ったので耳栓をして寝ようとするが、まったくダメである。周囲からは寝息やいびきも聞こえてきたが、とにかく眠れない。隣にいる男性もそのようである。消灯時間になって一斉に部屋の電気が消えたが、状況に変わりはない。

いつしか眠りに落ちたのだろうか?眩しさで目が覚める。見ると、暑さのためにだれたが入り口の戸を開けたままにしたらしいのだが、そこから廊下の電灯の明かりが入ってきて、何と俺の顔にだけ差し込んでいたのだった。両隣の男性の顔には当たっていない。これにはまいった。目を閉じても気になって仕方がない。その上外はかなりの風が吹いているらしく、ひゅーひゅーという音も聞こえてくる。しかも満員の部屋はかなり蒸し暑い。多くの人が毛布から手や足を出して寝ている。疲れている体なのに、このまま行くと眠れないまま夜が明けてしまう恐れがある。

そこで思い切って廊下を挟んだ向かいの部屋に行くことにした。ここは誰も使っておらず、それはツアー客を引率するガイドを泊めるために確保した部屋だからだという噂が流れていた。それがなければ、俺はさっさとこの部屋に移動して寝るところだったのだが、山小屋では時に夜でも宿泊客がやってくることがある。それで皆が遠慮して、この部屋に行くことはなかったのである。でも、俺の部屋に最後に入った人は、隣にたまたま誰も来なかったために、2人分の寝床を1人で使っている。携帯の充電が切れたので時間はわからないが、真夜中にやってくる登山客はいないだろうし、俺がいなくなれば隣の男性も少しはゆっくり寝られるだろうと勝手に決め込み、思い切ってその時間になっても無人のその部屋に移動し、布団を敷いて寝ることにしてしまった。

その後はそれまでに比べるとやや眠れたように思う。でも、部屋はちょうど外のキャンプ場で寝ている人が、小屋の外にあるトイレを利用するために、ヘッドランプを付けて歩いていくルートに面していたので、そうした人が来るたびに足音とライトの明かりで目が覚めてしまうのは困ったものであった。

結局翌朝までの間にトータルで2,3時間しか眠れなかったように思う。隣に寝ていた男性も大して眠れなかったようだ。部屋の明かりが一斉に点くと、部屋の半分ほどの人は既に出発していた。彼らは奥穂高岳の山頂で日の出を見るために、暗い中出発していったのである。窓の外を見ると、雲海の彼方が赤く染まり始めている。夕べは一面のガスの中であったが、朝になるとやはり晴れた。山の天気とは不思議なものである。きっと今日も午前中は良い天気で、昼になるにつれて雲が出てきて、午後は曇って雷雨になるのだろうと予想された。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする