奥穂高岳から前穂高岳を目指す。この二つの山をつなぐ尾根は吊尾根と呼ばれている。ここは浮き石も多く、奥穂高岳登頂直後ということもあって滑落などの事故が多いとガイドブックにはある。
確かに浮き石も多く、なかなか斜度もきつい。尾根とあるのでもう少し眺望が利くのかと思いきや、登山道は稜線上でなく、稜線から少し下がったところに付けられているので、北側の涸沢方面は見えない。しかし、南側には、西穂高岳、焼岳、乗鞍岳、御嶽山、そして目の前には前穂高岳が高く鋭く聳えているのが見える。それにしても素晴らしい天気だが、遠く乗鞍岳や御嶽山には少しずつ雲がかかり始めている。
吊尾根は意外と距離があり、前穂高岳への分岐点がある紀美子平にはなかなか着かなかった。奥穂高岳から見る前穂高岳はものすごく急峻で、いったいどこから登るのかと思われたが、登山道は前穂高岳の南西斜面に付けられていたのだった。
途中で写真を何枚か撮してもらい、俺もカメラを借りて写真を撮した。振り返ると、さっきまで山頂にいた奥穂高岳がもう随分後ろになっている。山頂のロバの耳は小さくてもまだちゃんと見える。その西側にはジャンダルムが聳えている。西穂高岳の三つのピークが並んでいるのも見えるが、奥穂高岳よりも意外と標高が低いのに気付かされる。
危険と言われる吊尾根だが、けっこうあっけなく通過してしまった。紀美子平に着いた。「平」と名は付いているが、他の場所に比べればかろうじて平らと思えるスペースがあるだけである。30年前、叔父と一緒に登山した時、叔父が山小屋で一緒になった人と話していた(きっと俺が今回山小屋で話したのと同じような話をしていたのだろう)時、その話の中に出てきた地名で、今に至るまで記憶していたのである。ちなみに紀美子平という地名は、この後下る重太郎新道を開いた今田重太郎氏が、自分の夭折した娘の名前を付けたものだそうだ。
荷物を置き、合羽と飲み物だけ持って前穂高岳の頂上を目指す。荷物がないので、軽快に登っていける。前穂高岳への登りもけっこう危険だとガイドブックに書かれていたが、槍ヶ岳、前穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳などに比べればずっと登りやすかった。
山頂に着くと目の前に素晴らしい光景が広がった。皆が思わず「すごい!」と歓声を上げ、そのまま言葉を失っていた。北アルプスの山々が一望できる。北アルプスの有名な山々がすべて勢揃いしていると言っていい(剱岳だけは立山の陰に入ってしまって見えない)。特に目の前に聳える奥穂高岳から槍ヶ岳までの峰峰を見ると、我ながらよくこれだけの山々に登れてきたなあと思わずにはいられなかった。
この後は大写真撮影会となった。記念撮影の後、皆が思い思いに写真を撮して回る。俺もカメラを借りて撮す。自分のカメラがあればもっとたくさん撮せるのにと思うが、幸いなことに2人のカメラは俺のものよりも性能が良い上、とにかく素晴らしい光景なので、そんなこともあまり気にならないほどである。30分ほどを過ごし、心を残しながら下山した。なぜなら、この後大人数の団体(紀美子平までの間で追い抜いた)が登ってくることがわかっていたからである。静かな山頂を楽しめるのも今のうちである。
紀美子平まで下り、この後ひょっとするとバラバラになってしまうかも知れないからと、アドレス交換をした。俺の隣だった人は名古屋のKさんという人だった。その隣で、北穂高岳でミネウスユキソウの写真を撮した時に声をかけてくれた人は埼玉のIさんという人だった。ジャンダルムさんは神奈川のSさんという人だった。
あとはひたすら岳沢まで下った。重太郎新道は尾根筋に付けられており、しばらくは稜線を下るのだが、とにかく急峻で、途中で多くの人とすれ違った(中に、どう考えても本格的な登山が初めてとおぼしき若い女性がいたが、彼女は無事に登り切ることができただろうか?)が、皆一様に疲れ果て、滝のような汗を流していた。俺はこのルートを登るのは嫌だなと思った。
下っている内に、山にはどんどんガスがかかってきた。ちょうど良い時間に登頂できてよかった。岳沢ヒュッテの赤い屋根が、下山し始めた頃は随分小さかったのが、だんだん近づいてくる。そして登山道が樹林帯に入ると、しばらく感じなかった暑さが襲ってくる。そしてそのことが、下界に近づいたこと、さらには今回の山行が終わりに近づきつつあることを感じさせる。
岳沢を渡る時、見上げると雪渓の向こうに奥穂高岳が鋭く聳えていた。この後山々はガスに覆われてしまった。俺が穂高岳を目にしたのは、この時が最後だった。
岳沢ヒュッテでお昼にした。ここは沢沿いということで水が豊かで、水を無料でもらえるのはありがたい。穂高岳山荘で買った弁当を広げるとびっくりした。月並みなおにぎり弁当かと思いきや、何と朴葉寿司が2個とイワナの甘露煮が入っていた。どちらも郷土の名物料理である。山小屋の弁当なんてと高をくくっていたら見事にすかされた。食べてみるとこれが美味しいのである。朴葉寿司も酢飯と具の具合がちょうど良いし、甘露煮も味がちょうど良く生臭さもない。それに岳沢ヒュッテでもらった冷たい水が、かわいたのどと空腹にしみ入った。
ここで約1時間ほど大休止をして上高地まで下った。途中風穴があり、ここで小休止をした。上高地に下ると全く別世界であった。2日も風呂に入っていないヒゲも伸びた俺など、綺麗な身なりをした観光客いっぱいの上高地には全く似つかわしくない感じがしたほどだ。
それにしても下りであまり疲れを感じなかったのは不思議であった。大体において俺は下りが苦手で、よくへばってしまうことが多かった(鹿島槍ヶ岳からの下りでは何とコースタイムオーバーをしてしまったほどである!)のだが、思うにこの下りは皆で大体一緒に、いろんな話をしながら下ったから、さほど疲れを感じることがなかったのではないかと思う。
河童橋で最後に4人で写真を撮した。バスターミナルで平湯に向かうKさんを見送り、沢渡方面の3人は一緒のバスで帰ってきた。Iさんと俺は松本の温泉に浸かって帰ったが、Sさんはどうなったろうか?
帰宅した翌日、SさんとIさんから写真が送られてきた。それを保存し、アルバムに無事UPできた。
今回の槍穂山行、かなり行き当たりばったりで登ってしまったし、いろいろなアクシデントにも遭遇したが、とにかく天候と、そして今回は山での仲間に恵まれ、何より無事に帰ってこられて、良い登山であった。
最後に、写真を送ってくれたKさん、Iさんには心より感謝します。