桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

礼文島・花の島①

2005-03-14 21:21:35 | 旅行記
翌年5月。6月の礼文に行くべく画策をし始めた。日程は6月上旬。授業をさぼって行く計画である。GWはバイトに励み、資金も目安がついた。6月は混むだろうし、皇太子の結婚の日は休み、土日を絡めて出かける人も多いに違いないと思われたので、5月のうちに予約の電話を入れた。ところが、7泊するつもりが、5泊しかできないという。あとの2泊は一杯なのかと聞くと、団体が入っているのでダメなのだそうだ。な~んだ、星観荘も団体を宿泊させているのか、とちょっと興ざめだった。でも、背に腹は代えられない。5泊予約を入れた。その後、去年一緒だったNさんに、礼文行きを知らせる絵はがきを書いて送った。すると、Nさんから同時期の礼文行きをほのめかす返事が来た。ひょっとするとNさんも来るかも知れない、と思いつつ、旅程を詰めた。

日程は6/4~6/14の、車中泊も含め10泊11日と決まった。周遊券を使い、函館までは余計な金を使わずに済むよう、ともに今は無き、急行八甲田と快速海峡を使うことにした。そうすると、その日のうちに稚内に着くことはできないので、時間が余ってしまう。そこで、まだ訪れたことのない青函トンネル見学を日程に加えた。稚内には、出発した翌々日の朝に到着することになった。

大学内で行われたグループ展の片づけもそこそこに、高速バスに乗って東京へ向かう。上野には、八甲田号の出発にゆとりを持たせて到着したので、席もゆっくり確保できる。出発するとすぐに寝入ってしまい、青森に入る頃まで熟睡できた。青森に到着して海峡号に乗り換える。トンネル見学者は前方の指定席に座るが、勘違いした酔客のグループが何度も出入りしてきて、空席に座ろうとする。車掌の注意でいなくなる。吉岡海底駅に到着する。トンネル見学は約100分で、長すぎず短すぎずちょうど良い。人数も15人ほど。駅員が丁寧に説明してくれる。記念グッズ販売コーナーにも案内されるが、いかんせん見学者の年齢層が高いので、誰も関心を持たず、空しい空気が流れる。のんびりと見て回っているうちに、出発時間が近付き、ホームへ行く。轟音が遠くから近づいてきて、ブレーキ音がかかり、そうするうちに目の前に乗るべき列車が到着した。函館まではトンネルで一緒だった人がいろいろと差し入れをしてくれ、お昼時だったのでとてもありがたかった。

そうこうしているうちに函館に到着した。本来なら町を見て回りたいところであるが、特急北斗は自由席なので、遠くに出かけるわけにもいかないので、駅周辺をぶらぶらして時間を過ごす。曇り空の6月の北海道は、まだ肌寒さを感じる。礼文では、無理して持ってきたスタジャンが役立ちそうである。

北斗号は函館を出発した。曇り空の下、駒ヶ岳は見えない。前の晩、八甲田号の車内でかなりよく寝たつもりなのだが、駅弁を食べ終わると眠気を催し、結局すっかり寝入ってしまった。目が覚めたのは苫小牧を過ぎた辺りではなかったろうか。そんなこんなしているうちに札幌に到着した。札幌では急行利尻の出発までに3時間ほどある。残念ながら何をして過ごしたのか覚えていない。昨年寄ったサウナに寄ったのだろうか?さすがに3日間風呂に入らないのはマズイので、多分サウナに寄ったのだろうと思われる。学生にしてはかなりの大枚をはたいて。

明日の朝食のパンなどを買い、利尻号の入線するかなり前に改札を通った。自由席に乗るための列の一番前に立ち、薄ら寒さを感じるホームでしばらく待つ。入線した利尻号に悠々と乗り込み、席を確保する。利尻号の出発は22:00なので、出発するとすぐに眠気を催す、はずだった。しかし、土曜の夜で、旭川方面の最終列車ということもあり、発車時刻には通路に立つ人も出始めた。そこで、多分こうした人達のほとんどは旭川までに下車するだろうと考え、隣の席を立っている人に譲った。列車が出発すると私は眠り込んでしまったが、旭川に到着して目が覚めた時、隣の席も、前の2席も、皆空いていた。旭川を出ると、他の人達がやっているのと同じように、席を向き合わせにしてゆっくりと横になり、明日から始まる花の島の旅に思いをはせつつ、目を閉じた。




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