桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

よしなしごと18・坂本直行の絵

2005-09-29 21:34:24 | アート・文化
坂本直行の絵を初めて見たのは、大雪山は黒岳ロープウェーの黒岳7合目駅だった。でも、名前を知らない人だったので適当に見ただけだった。

その後、六花亭の包装紙の絵の原画を描いたのが坂本直行だと知った。単なる素人画のように見えながら、単純な描写の中に深い観察力を見て取ったのを覚えている。

しばらくして、深田久弥の「日本百名山」を読んで感動し、彼の他の著作も集めて読んだ。その中で、深田がニペソツ山に登った時、十勝原野に暮らして絵を描いていた坂本直行と会う場面が出てきて、深田と彼が交友関係にあったことを知った。

その後、初めて中札内美術村の坂本直行記念館に行き、その作品群を目にし、感動を新たにした。花の絵ばかり描いているのかと思いきや、そこに陳列されていたのは山の絵ばかりであった。しかも、いつかは登りたいと思っていた日高の山々の。さらに、ニペソツ山や利尻山、羅臼岳など、かつて私が登頂した山の絵もあった。私は一目ですっかり気に入ってしまった。付設のレストラン、ポロシリの料理も、十勝産の食材を使った素朴な味で、坂本直行に実にふさわしいものだと思った。

坂本直行のことを知ってから、黒岳ロープウェー駅の4枚の絵を改めて見直した。しかし、画面が大きいせいか、ちょっと間延びして、強さや迫力、充実感はやや薄いように思えた。やはりある程度小さな画面に雄大な光景を切り取って当てはめ、作為を加えず描いたものに私は感動を覚える。

坂本直行の山の絵を、いつかは私も入手し、日々眺めながら暮らしたい。でも、それは夢のまた夢だろう。入手できない代わりに、私は毎年坂本直行記念館に足を運び続けるだろう。

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香港行⑦

2005-09-26 22:15:18 | 旅行記
午後はまず中環に向かう。集古齋を捜すためである。今日はまず書店に寄り、書道関係の本を見ていた女性に、「ここを捜しているんですが。」と書いた紙を示し、電話で場所を聞いてもらった。場所はすぐにわかった。どうやら移転していたらしい。丁重にお礼を言って店に向かった。

店はすぐに見つかった。書画が所狭しと並べられている。有名な書家の作品もあるが、悲しいかな、私には真贋が解らない。でも、姚元之の隷書の軸はかなり良さそうに見えた。結構なお値段であった。書籍も見てみる。しかし、難しくてよくわからない。適当に手に取ってみるが、やはりよくわからない。結局、陳鴻寿の印譜(もちろん印刷)を1冊購入したきりだった(その後東京は神田で同じ本を見つけた時はちょっとショックだった)。でも、行きたいと思っていた店に寄れて良かった。

夕食の時間まではまだ時間があったので、尖沙咀に戻った。ペニンシュラホテルの名店街を見た後、佐敦まで地下鉄に乗って行き、廟街の屋台や露店を見て回った。たくさんの店がずらりと並んでおり、たくさんの人がひしめいていた。その中を歩いているだけで、私はすっかり疲れてしまった。

ネイザンロードの裕華國貨というデパートに寄った。ここは香港の庶民のデパートという感じで、衣服や日常品、食品までいろいろそろっていた。私は友人のお土産にお茶などを買った。特に女の子達には「減肥茶」なるものを買っていくことにした(ところが当の女の子達は皆このお茶でお腹をこわしてしまい、後で平謝りだった)。

そんなことをしているうちに夕食の時間になり、レストランに向かった。ガイドの人が待っていた。私は立派な店のほぼ真ん中に一人で座らされ、次から次へ出てくる料理を一人でぱくついた。どれもこれもすごく美味しく、また、貧乏性の私は全部食べてしまった。最後の最後で、何と生まれて初めて食べる北京ダックが出てきた。これが出るとわかっていたら、もう少しセーブしながら食べたのに、と思ったが、仕方がない。これも全部食べた。本当に、下を向いたら食べたものが戻ってきそうだった。

ちょうどその頃、ガイドの人がほろ酔い気分で現れた。そう、ガイドは職場の同僚の人達とそのレストランの別室で宴会をしていたのである。たった一人の客である私はそれに付き合わされたわけであったのである。でも、おかげで現地の人が行くようなレストランで、たった一人だったけれど、美味しい食事ができて満足だった。

ガイドの人と別れ、腹ごなしにネイザンロードまで歩いた。すると、ライトアップされた2階建てバスがやってきた。あれに乗ろうと思った。「地球の歩き方」でバスの乗り方を調べ、早速乗り込んだ。すぐに二回に登る。素晴らしい眺めだ。松任谷由実の「Hong Kong Night Sight」において主人公が感動したのが飛行機から眺めた夜景だとすれば、私は2階建てバスから見た、ライトアップされたネイザンロードの眺めだと言えよう。今思うと、写真に収めなかったのが返す返すも残念である。

地下鉄と列車を乗り継いでホテルに戻った。蒋さんが時計を持ってくることになっていたからである。部屋に入ると間もなく蒋さんがやって来た。注文したうちの1個が入手できず、同じ時計を2個持ってきた。約束が違うが、明日ではもう間に合わないし、お土産用なので、値引きさせて購入した。

翌朝、蒋さんが迎えに来て、啓徳空港に向かった。手続きを済ませると、蒋さんはあっさりと別れを告げて去っていった。免税品を受け取り、日本円に両替し、飛行機に乗り込んだ。帰りの記憶は全くない。

バスを乗り継いで、大学の駐車場まで戻った。日陰には雪が残っていた。香港に行っている間に雪が降ったらしい。友人の家に行き、お土産を渡し、鍵を受け取って家に帰った。

何だか夢中でいる間にあっという間に過ぎ去った5日間だった。でも、1日半の自由行動の時間は、今思い出してもとても充実していたと思う。

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香港行⑥

2005-09-26 22:01:27 | 旅行記
4日目、今日は午前中が市内観光である。蒋さんが車でホテルに迎えに来て、日航ホテルまで送ってくれる。日本から来た女性3人組、新婚カップル、金持ちそうなおばさん姉妹の7人と一緒になる、この後は男性ガイドの案内で、市内を回る。

初めにレパルスベイに行った。俗悪な派手派手しい飾りが付けられた海岸で、何も見るところはなかった。ビーチなんて、泳がなければ何の意味もない。次にピークトラムに乗りに行った。これは面白かった。何しろ座席と座席の間の通路までもが階段になっているのだから。到着してから展望台に登った。この日は曇っていたが、まずまずの眺めであった。

この後は予想通り買い物ツアー。宝石、革製品、お茶の店に寄った。もちろん私は何も買わない。おばさん姉妹は年に何度も香港を訪れているそうで、二人ともすごいアクセサリーを身につけていた。一人のおばさんのバッグの中に100万円の札束が二つ入っているのを偶然見てしまった。

その後は免税品店に寄った。品物は帰りに空港で引き取るため、午後の自由行動には影響しない。だから、タバコや洋酒類などを少し買った。

昼食は潮州料理のレストランに寄ったが、ここはとても美味しかった。ツアー客用の店なのかと思いきや、現地の人も沢山来ていた。人数が少ないと、こういうところも利用するようである。

日航ホテルに戻り解散した。私はこの日は夕食も付いているので、ガイドの人に場所を教わった。北京料理を出す店で、有名なシャングリラホテルの向かいのビルにあるという。結構有名な店らしい。楽しみである。



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香港行⑤

2005-09-25 21:09:34 | 旅行記
3日目は1日フリータイムである。しかし、何ぶんにも記憶が古いので、忘れたところも多い。そして、翌日の午後のフリータイムの時のことも入り交じっていると思うが、思い出したところを書き並べてみようと思う。

朝食はホテルで。お粥に乗せて食べる牛肉の田麩のようなものがとても美味しい。買って帰りたいと思った。

沙田駅から九廣鉄路で九龍塘まで行く。そこで地下鉄に乗り換えた。尖沙咀で降り、市街散策をする。ペニンシュラホテルのショップで買い物をする。ここには何度も寄ったが、最終的に、友人(♀)から頼まれたシャネルの口紅、友人(♂)のためにラルフローレンのポロシャツ、自分用にラルフローレンの長袖シャツ、ダンヒルのポーチ、あと、ブランド物のキーホルダー類も買った。ブランド物を買うのは初めてなので、高いのか安いのかよくわからなかった。ルイヴィトンの店には日本人の長蛇の列ができていた。

地下鉄で香港島に向かう。中環で降り、書画や書籍を扱う集古齋を捜す。しかし、これが見つからない。住所はメモしてきたのだが、どうやら移転したらしい。それとおぼしきビルの受付に訪ねてまわるが、結局見つからず、この日は諦めることにした。

昼食は「地球の歩き方」に出ていた灣仔の店・灣仔新光酒楼に行った。一人だったのでちょっと不安だったが、行ってみると現地の人で一杯で、空いている席に座るとすぐにお茶と伝票を持ってきてくれ、他の席にはすぐ現地の人が相席になり、安心して食べることができた。そして、ここの飲茶はとても美味しかった。この時の香港の旅の食事で一番美味しかったと言ってもいだろう。若さに任せてはち切れんばかりに食べて店を出た。腹ごなしに、隣にある中国文物博物館などを見たりした。

この後は何をしたことだろう。ペニンシュラホテルのロビーで蒋さんに会ったのは覚えている。偽物のロレックスを買う手配をお願いするためだった。午後のティータイム、ヴァイオリンの演奏が流れる中、ちょっと怪しげな打ち合わせをしているのは何とも変な感じだった。

午後は多分、中華書店や商務院書館、ブランド品のショップなどを見て回ったのだと思う。夕方には銅鑼湾にいた。確か、松坂屋と今はなきそごうの二つの日本のデパートがあるので、ここに立ち寄ったと思う。そして夕食は、近くにあった、現地の人が結構入っている麺類の店で食べた。メニューを適当に指さして出てきたのは、棒々鶏を載せた、ピリ辛のたれをかけた冷たい麺だった。ちょっと少なかったが、昼食を食べ過ぎていたのでちょうどよかった。杏仁豆腐をデザートにした。今思うとあまり美味しくなかったようなのだが、それは食べ慣れていなかったからなのだろう。

地下鉄でホテルに戻る。駅に付設のショッピングセンターで買い物をする。マンゴスチンが美味しそうだったので購入する。当時は日本では冷凍物しか入手できなかったので、生の物は初めてだった。これは美味しかった。

その後、蒋さんの訪問を受けた。蒋さんが写真を手に部屋までやって来たのである。わたしは男性物の腕時計を二個注文した。明日の夜には持ってきてくれるそうだ。(値段はここには書かない。)

明日は蒋さんが迎えに来て、日本から来たツアーの人達と、午前中市内観光をするとのことだったので、午後のフリータイムの計画を立てた。明日は何としても集古齋を見つけ出そうと思った。

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香港行④

2005-09-24 20:58:54 | 旅行記
朝食はバイキングだが、ホテルの朝食にしてはかなり美味しかった。お粥が最高で、何杯もお代わりした。日本人のビジネスマンや、スポーツ選手っぽい人が多く、日本語が飛び交っていたので、安心して食べることが出来た。

今日はマカオに向かう。蒋さんが迎えに来て、香港島の港までバスで送ってもらう。蒋さんが、たった一人の私のためにいろいろガイドをしてくれる。港でバスを降り、マカオまでのチケットと、出国、入国の手続きについて教えてくれる。そう、香港とマカオは当時は別の国だったのだ。

船は硝子張りのフェリーで、天気が良い時はかなりいい眺めだと思われたが、今日は曇っていて、眺めは今ひとつである。デッキに出て風に当たったりしているうちにマカオの港に着いた。

マカオでのガイドも若い女性だったが、こちらは蒋さんと異なり、真面目そうな人だった。客が私一人とわかると、バスをやめて車で島の観光をした。初めに水族館のようなところへ連れて行かれた。次にかつての名士の屋敷を公園にしたようなところを訪ねた。巨木と、伊秉綬の書を額にしたものがあったのを覚えている。そしてモンテの砦へ行った。大砲などが展示されていた。ぜひ見てみたかった聖ポール主堂跡は工事中で見られなかった。

昼はツアー客用のレストランで、ガイドと二人で食べた。まずかった。その後、金製品の店へ連れて行かれたが、もちろん興味はなく、すぐに出た。そしてカジノへ連れて行かれた。場所は覚えていないが、地図で確認すると、多分葡京酒店だったと思う。ここでスロットなどをしたが、3,000円スっただけでやめた。でも、人々の様子を眺めているだけでも面白かった。

時間になって港へ送ってもらった。私が何も買わなかったので困ったのだろう、記念品セットのような物を買えと言われた。運転手はちょっと怖そうな感じ、買わないとこのままどこかへ連行されかねず、フェリーのチケットももらっていないので、幾ばくかの金を出して買った。そしてチケットをもらい、フェリーに乗り込んだ。売店の売り場のおばさん達が、ものすごい声で客引きをしていたのを覚えている。はっきり言ってマカオは面白くなかった。

香港島に港に着き、しばらく待つと蒋さんが迎えに来た。夕食はアバディーンの水上レストランで食べたが、はっきり言ってまずかった。蒋さんも、申し訳程度に箸を付けていたが、ほとんど食べていなかった。

旅の初日からつまらない旅となってしまった。あと二日間がどうなるのか、心配になってきた。しかも蒋さんから、明日は予定を変更して、自由行動にしてほしいとのことだった。私としては、市内観光をした後自由行動したかったので、不満だったが、やむなくそれに従った。その後夜景を見に行ったが、これは結構きれいだった。ホテルに戻り、すぐに寝た。

この日、私は生まれて初めて携帯電話というものを目にした。

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香港行③

2005-09-23 22:00:31 | 旅行記
飛行機は夜遅く啓徳空港に着いた。成田と違って薄暗いターミナル。入国手続きを済ませて外に出ると、隣に座っていたおばさんが、ものすごく大きな荷物をカートに積んで歩いていくのに会った。おばさんは「両替するよ。」というようなことを言ったが、もう両替所で小額を両替済みだったので、挨拶をして別れた。

たくさんの人達が待つ出口を出た。薄暗がりに、薄汚れたような感じの人が沢山たむろしている。ちょっと異様な感じだった。しかし、すぐに若く美しい女性(しかもスタイルも良く、タイトなスーツで決めている)が現れた。ひょっとしてこの人が現地ガイドなのだろうか?私一人のためのこんなきれいな女性がガイドしてくれるのだろうか?嬉しくもあり、不安でもあった。(当時の私は今思うとあまりにウブなコドモであった)

マイクロバスに私とガイド(蒋さんといった)二人が乗り、ホテルに向かった。ホテルは香港の町の北、沙田というところにあるロイヤルパークホテルだった。ホテルは新興住宅地にあり、九龍鉄道の沙田駅に隣接している。そう、このツアーは料金を安くするために、ホテルをこのような郊外にあるホテルに設定していたのだった。

しかしホテルはきれいで、日本人も沢山泊まっていた。駅が隣接していて、ショッピングセンターもある。香港市街地には列車から地下鉄に乗り換え30分近くかかるようだが、汽車や地下鉄に乗るのも旅のおもしろみの一つである。

翌日はマカオに行くことになっている。蒋さんから翌日のレクチャーを受け、眠りに就いた。寝入ってから、真夜中にルームサービスの訪問を受けたのには閉口した。

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香港行②

2005-09-22 21:02:21 | 旅行記
その後いろいろな手続きを踏んで晴れて当日を迎えた。平日発なので催行されないかと思ったが、催行されるとのことなので、どんな人が一緒になるかと思い、胸をわくわくさせながら成田に向かった。車は友人のA葉に頼んで、大学から成田まで往復してもらった。今思うと随分なお願いをしたものである。帰国してお土産をあげたと思うのだが、何をあげたのか覚えていない。

さて、成田に到着し、前もって知らされていたツアーデスクに行く。エスプリツアーの文字もある。申し出てみると、何と参加者は私一人。つまり、香港までたった一人で行かなくてはならないのである。これは困った。しかし、空港に現地ガイドが来ているとのことだったので、それを信じて飛行機に乗り込んだ。免税品も、その時は緊張のあまり買う気さえ起こらなかった。

飛行機はユナイテッド航空で、ロサンゼルスから香港へ、成田を経由して向かう便で、私が座ったのは、成田で降りた人の後の席で、香港人の間に挟まれていた。右隣に座ったおばさんは英語を話すことができ、私に英語で話しかけてきた。しかし、そのレベルは私より少し上くらいで、お互いに片言の英語でいろいろ話した。と言うか、長時間のフライトでよほど退屈していたのか、おばさんから話しかけられ通しだった。でも、英語のレベルはさほど変わらないので、身振り手振りを加えたりして話したので、苦労しなくて済んだ。そして何より助かったのは、おばさんと話すことで、初めての一人での海外旅行に対して感じていた不安が、いつの間にか消え失せていたことである。そして、私程度の英語でも、現地の人には充分通じるんだ、という自信がついたのである。

その後、日本人のおばさま方と中国に旅する機会が3回ほどあったが、3回ともとても疲れたのを覚えている。

おばさんと話しているうちに4時間はあっという間に過ぎ、眼下に香港の町の灯りがかすかに見えてきた。飛行機は今はなき啓徳空港に静かに着陸した。



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香港行①

2005-09-21 21:31:11 | 旅行記
今日から初めての海外旅行・香港旅行のことを書こうと思う。何しろ古いことなので、断片的な記憶をたどりながら書いてみよう。

香港に行こうと思ったきっかけは、松任谷由実「Hong Kong Night Sight」を聴いたことにある。この曲の冒頭には、夕刻の香港・啓徳空港に飛行機が着陸する様が描かれ、旅が始まる前の胸がわくわく思いが巧みに表現されている。

そして、書道をやっている者として、できたら中国に行ってみたかったのだが、当時は個人で入国ビザを取ることも出来ず、かといって自由旅行をする勇気もなく、ツアーで簡単に行け、中国書籍なども購入できるだろうと思い、香港へ行ってみようと思い立ったのである。

パスポートは、今はなきアメリカ横断ウルトラクイズに参加するために取ってあったので、問題なかった。日程は、まだ学生だったので、平日発平日帰りとし、香港が旧正月前でバーゲンが行われる時期、そして、お年玉で懐が暖かい、1月中旬に決めた。

後は、どのツアーを選ぶか、ということであった。ABRoadを買い、比較検討を始めた。バブル絶頂の頃だから、どのツアーも結構高い。しかも私は、初めての海外旅行なので、出来れば食事が多く付いている方がいい。それでいて、出来ればマカオにも行きたいし、日数も長い方がいい。そんなこんなで捜してみると、大手はどれも高くてダメだった。

ようやく見つけたのが、エスプリツアーという零細企業のツアーだった。4泊5日でマカオに1日、フリータイムが1日半、市内観光が半日で、朝食4回、昼食2回、夕食2回付きの、約70,000円のツアーだった。

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’05・8月の北海道・その7

2005-09-02 20:20:40 | 旅行記
8/19

いよいよ出発である。先にM原さんの出発を見送る。何でも30年前のバイクだそうで、今でもライダーの人達に注目されるという。私はバイクのことは解らないが、M原さんにふさわしいバイクのように思えた。

私も少ししてから出発する。ターミナルは結構混んでいて、乗船も到着後すぐに始まった。今日はS寝台である。ゆっくりできるだろう。

フェリーは今日も満員だった。食事はレストランでとったが、夕食にはスープカレーもなく、ちょっと寂しかった。

S寝台は部屋の一番奥だったが、入り口の所に寝ている人のイビキがものすごく、耳栓をしなければならなかった。何のためにS寝台にしたのか。高い金を払った意味が半減してしまった。今回のフェリーでは、行きも帰りもイビキに悩まされ、残念だった。

8/20

5:30に新潟に到着する。下船まで30分近くかかった。満員とは言え、年々下船までにかかる時間が長くなっているのはなぜだろうか?

帰りは高速道路を利用する距離を短くした。行きと異なり天気もまずまずで、越後三山を眺めることができた。群馬に出ると日差しがきつく、急に暑くなった。帰ってきたんだな、ということを実感した。

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’05・8月の北海道・その6

2005-09-01 22:37:44 | 旅行記
8/18

ゆわんと村で、一人だけであるが、いつものように美味しい食事を済ませ、ゆわんと村HPの歳時記に掲載する文章をパソコンで打つ。そして、それが済んでから出発した。今日は小樽に向かう。そして、途中に今日の目的地、モエレ沼公園がある。

モエレ沼公園は、石狩川の三日月湖、モエレ沼にかつてあった廃棄物処理場の跡地を利用し、国際的にも有名な彫刻家の故・イサム・ノグチの構想に基づいて作られた公園である。公園全体を一つの彫刻として構想しており、一面の芝生の中に高さ64メートルのモエレ山とプレイマウンテンという二つの山が聳え、海の噴水、モエレビーチ、アクアプラザ・カサールという三つの水辺、さくらの森という桜を中心とした森林、そしてそれらの間にガラスのピラミッドやイサム・ノグチの彫刻作品が設置されている。NHK教育テレビの新日曜美術館で紹介されたので、ぜひとも見に行きたいと思っていた。また、海の噴水は一日3回だけ水が噴出し、これまでにない形式のものであると聞いていたので、その時間に合わせてゆわんと村を出発した。

この旅行中、短いながらも意外とお金を使ってしまったので、モエレ沼公園までは一般道を利用することにした。比較的空いていると思われる石狩川西岸の国道を通っていった。

札幌の町が近づくと、向かって左手に小山が見えてきた。あれがモエレ山だろう。まるで以前中国は西安で見た古代の皇帝達の陵墓のような感じである。

到着してみて驚いた。一面の芝生の広場に、巨大なモエレ山とプレイマウンテン、ガラスのピラミッド、そして野外ステージの一角がずらりと聳えているのである。中国の始皇帝陵と、エジプトのピラミッド、メキシコのティオティワカンのピラミッド、パリはルーブル美術館のガラスのピラミッドが一堂に会しているようである。そして無料の公園内には、たくさんの人々が楽しそうに過ごしている。

噴水の時間が近づいているので海の噴水に向かった。噴水は円形のすり鉢状のくぼみの中央に、もう一つお椀を上向きに置いたような作りである。底面は小石と珊瑚を放射状の模様に敷き並べている。

噴水はまず中央のお椀のまわりから霧状に水が噴き上げた。それが終わると真ん中の穴から勢いよく吹き出し、高さ20メートルくらいまで一気に吹き上がった。これが南風に吹かれ、噴水の北側の人にもろに降りかかってきた。大人は皆逃げ出したが、子供はキャーキャー言いながらしぶきを浴びていた。(もちろん、イサム・ノグチもそうなることを意図していたであろう)その噴水が終わると、お椀の中に水がたまり初め、水が渦を巻き始める。お椀からあふれた水は、外側のすり鉢にたまり始める。そして、すり鉢もだんだん一杯になり、お椀から水があふれるたびに起こる波が、砂と珊瑚で出来た底面に打ち寄せている。ここまできて、ようやく気付いた。そう、この噴水は、海の諸相を噴水で再現しようとしているのである。渦潮、波、満ち潮、波しぶき。そうなると、後は引き潮だろう、と思われた。

すり鉢が一杯になると、静かに水が引き始めた。これはまさに引き潮を表しているのである。水がすっかりなくなると、お椀の上の何カ所かの穴から水が激しく噴き出した。噴き出した水は空中で一つにぶつかり、激しく水しぶきを上げる。しぶきは風に流されて、またも観客達をぬらす。子供達を再び騒がせ、噴水のショーは終わった。時間にして約40分。ちょっと間延びするところもあったが、初めて見る噴水のショーには、大いに感動した。

その後ガラスのピラミッドに登り、モエレ山にも登った。札幌の町が一望だった。山を下りてさくらの森に行き、子供達の遊具となっているイサム・ノグチの彫刻作品を見て回った。森を出て、モエレビーチに行った。ちょうど週一回の清掃日で、水は抜かれていた。プレイマウンテンと野外ステージにも登った。登ったり下りたりが大変だが、それぞれに様相や景色が異なり、見るだけでなく登っても面白い。

2時間近く滞在して出発した。今日の宿は小樽のいちえである。到着してオーナーのけいこさんに聞くと、今日は私一人だという。去年もそうだったし、けいこさんとは去年も書道の話で盛り上がったので、別に問題はない。夕食も去年と同じくすし耕にする。かなり混んでいたが、何とかカウンターに腰掛けられた。相変わらず美味しい。最後の夜なので、ビールも進む。

いちえに戻ると、一人の女性が来ていた。何でもけいこさんのお知り合いで、北海道各地の美術館などのパンフレットを持ってきてくれるのだそうだ。そうこうしていると電話が入り、一人のお客さんがやって来ることになった。やって来たのはM原さんというライダーの方だった。明日、私と同じフェリーに乗るのだそうだ。M原さんはその後夜の小樽を見にバイクで出かけてしまい、私はけいこさんと書道の話などで盛り上がった。11時過ぎにM原さんが戻ってきて、3人で酒を飲んだりした。M原さんも独特のキャラクターの方のようで、話もなかなか盛り上がって、面白かった。




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