○運命の出会い①
小学校では結局必修クラブを習字クラブで通した。先生はいつも通り優しく的確に指導してくれた。
中学校では1年の時に週1時間書道の授業があった。これはありがたかった。担当の先生は理科の先生だったが、心得はあるものの、専門家というわけでもなく、毎回適当に課題を指示し、作品を書かせ提出させるだけだった。
でも、この先生に感謝しているのは、墨は必ず磨るようにさせ、墨液の使用を禁止したことだ。これはこれまでの書道人生の中で画期的なことだった。固形墨は持っていたが、今までは固まった筆をおろすための道具としてしか使ってこなかったのである。
しかし、この授業では、開始から墨が磨れるまでの時間が、先生の解説を聞く時間となった。また、残り時間を考えて墨の量を調節できるようになり、無駄も少なくなった。また、固形墨を磨った墨液だと、筆を使い終わった後洗わなくても次の時間にすぐ使えた。
先生は前の時間の課題で特に優れた作品を2,3点、クラスの後ろの壁に掲示してくれた。私は幸いにも毎回のように掲示してもらえたが、クラスのJ君というスポーツ万能学業優秀という典型的な優等生が、これまた書道も巧みで、しかも私と違って大人びた字を書き、私よりも回数は少なかったが、よく掲示されていた。私はJ君とは、勉強では互角だったが、スポーツでは雲泥の差があったため、せめて書道では彼に勝とうとライバル心を燃やしたものだった。
1月には書き初め大会もあった。(昨今、中学校での書写の授業の履修不足が問題になっているが、私の中学校でも、本来は2,3年生でもそれ相応の時間を書写の授業に充てなくてはならなかったのを、この書き初め大会を実施することで済ませてしまっていた。そう、履修不足の問題は、もう大昔から平然と行われていたのである。)ここでも私は3年間、クラスで6人しか選ばれない優秀作品に選ばれ続けた。
競書雑誌での取り組みは相変わらずだった。3年間で少年準師範までしかいけなかった。しかし、ここまで述べてきたこととは全く次元の違う、書にまつわる出来事が私に降ってかかってきたのも中学生の時であった。そしてそのことは、現在に至るまで私に大きく影響を及ぼしていることなのである。いや、今後も私を左右し続けていくことであろう。