桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について70

2011-01-30 18:08:13 | 日記・エッセイ・コラム

○大学院2年の頃④

*西安ツアー・その4

昭陵碑林の後はひたすらバスに乗り続けて永泰公主墓に向かう。周囲は一面の麦畑と菜の花畑。時折現れる集落には桐の木の花が満開である。

永泰公主墓の隣にある飯店で遅い昼食にする。今回の旅では西安の町から最も離れた場所であるせいか、料理の味付けや香りも一番田舎風で口に合わなかった。

永泰公主墓は高宗と則天武后が合葬された乾陵の陪塚である。永泰公主は則天武后の孫娘でありながら則天武后によって殺された哀れな女性である。その墓からは見事な壁画が発見されたことで知られている。壁画そのものははぎ取られて陝西省博物館に所蔵されており、ここで見られるのはレプリカであった。

墓に入ることができるのも面白かった。傾斜のある長く暗い墓道を下った先に墓室があり、永泰公主の棺や副葬品が収められていた槨室がある。槨室の外壁には美しい女性達の群像が線刻されている。収められた当初は彩色も施され、さぞかし美しかったことだろう。しかし墓は古代に盗掘にあって、副葬品も奪われ、盗掘を免れた壁画だけが当時を物語っているのであった。

永泰公主簿から少し西に行ったところに乾陵がある。時間の関係もあって、地下に乾陵のある山の山頂まで行くことはせず、登り口の所までしか行かなかった。あの小山の地下に壮大な地下宮殿が設営され、高宗と則天武后が合葬されているのである。しかもその入り口部分は発見されており、入り口部分には鉄が流し込まれて厳重に固められており、盗掘されていないことは明らかである。しかし、これを発掘するには莫大な費用がかかり、しかも膨大な量の副葬品や墓の保存に、これまた莫大な費用がかかるため、発掘は行う予定がないとガイドは話していた。

墓へ続く道の登り口にあった巨大な無字碑と、「唐高宗乾陵」と清朝中期の文人畢沅が端正な隷書で揮毫した石碑、各国使節団の石像が全部首が欠かれていたことなどが印象に残っている。そしてここも桐の花が満開であった。

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