桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について①

2006-09-26 20:24:44 | 日記・エッセイ・コラム

登山のことを記して、ひとまず書きたいことをすべて書き尽くしてしまった。本当は仕事のこともたくさん書きたいことがあるのだが、プライバシーに関わることもあるので、ここでは書けない。

では、そのほかに何か書くことがあるかと考えてみたところ、私にとって大切なことの一つである書道のことについて、まだほとんど書いていないことに気づいた。

よって、今日から毎日というわけにはいかないが、私と書道の関わり、書道への思いについて、気の赴くままに書いていこうと思う。山や旅行の話に比べ、なかなかわかりにくいこともあると思うが、お許しいただきたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記85・終わりに

2006-09-08 23:11:43 | 旅行記

ひとまず我が山行記録はここまでである。他にも、礼文岳とか、仙人ヶ岳とか、小野子山にも登っているのだが、これらの山は、山頂を目指す、というよりも、軽く山を歩く、というような感じでの山行だったので、この「登山の記」に入れるにはふさわしくないと判断した。

私の当面の目標としては、東北地方の山々では、八甲田山・岩木山・岩手山・早池峰山・鳥海山・月山など、日本アルプスの山では、奥穂高岳、鹿島槍ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳、笠ヶ岳、黒部五郎岳など、あとは、宮之浦岳にも登ってみたいと考えている。もちろん、山中で何泊もするようなことはもう無理であるから、せいぜい山小屋で2泊程度の山行になるとは思う。

北海道の山に次々と登っていた頃は、ただもう、良い天気の日を狙って、やみくもに登っている感があったが、これからはなかなかそんなふうにはいくまいと思われる。自分のペースで、のんびり、ゆっくり登っていこうと思っている。

これからはそんなわけで、新しい山に登った時にこの「登山の記」を書いていきたいと考えている。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記84・至仏山⑤

2006-09-04 21:47:52 | 旅行記

いくつかのアップダウンを繰り返し、山頂が次第に近づいてきた。最後に西側がガレ場となって落ちている稜線を上りきると、そこが至仏山の山頂であった。登り始めて2時間もかからなかった。

山頂はその大らかな山容のわりに意外と狭かった。既に多くの登山者(ほぼ全員中高年)が休んでいる。山頂で写真を撮したが、どう撮しても休んでいる人が入ってしまう有様だった。平日でこうなのだから、休日の混雑ぶりが思いやられた。

山頂からの眺めは見事の一言に尽きた。北には平ヶ岳のその名のごとくのなだらかな姿が見え、その左奥には中ノ岳と越後駒ヶ岳の連峰が聳えている。東側には遙か下の尾瀬ヶ原、その向こうに燧ヶ岳が鋭く聳えている。上空には薄く雲がたなびき、爽やかな微風が吹いて、強い日射しに照らされた肌に心地よい。

山頂で30分ほど休んで、山ノ鼻に下山することにした。山頂でお昼にしようかとも思ったが、時間的に早いのと、休める場所がほとんど占領されていたからである。

山ノ鼻に下る道は、かつて荒廃していたために、当分の間閉鎖されていたことがあった。それが再整備されて97年に通行可能になったのであった。

この下りが実にきつかった。日射しがきつく、風こそ吹いてはいるものの、日射しを遮ってくれる木立もなく、かんかん照りとも言ってよい中、ひたすら下り続けるほかなかったのである。

登山道は至る所で整備され、立ち入り禁止のロープなどが目に付いた。看板には、かつてこの地が一面のお花畑で、それが踏み荒らされて現状のようになってしまったと書いてあるのを見るとちょっと寂しかった。

ともかくひたすら木道を下り続け、山ノ鼻にいる人々の声が遠く聞こえ始めると、樹林帯に入る。少しばかり樹林帯を歩くと、ひょっこり目の前が開け、尾瀬ヶ原の西端に出たのであった。

山ノ鼻に着き、ベンチを探した。昼時で、日陰には空いているところがない。かろうじて半日陰のところを見つけてお昼にした。塩味のカップラーメンは、汗をかいた体には嬉しかったが、いささか暑すぎた。

後は鳩待峠までの木道を、数多くのツアー客とおぼしき人を急ぎ足で追い抜いて行くばかりであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記83・至仏山④

2006-09-01 21:23:16 | 旅行記

小至仏山を過ぎると、いよいよ至仏山の山頂が目に入ってくる。あとは山頂まで岩とハイマツの間を縫って歩いていく。

ここで初めて見る高山植物があった。小学生の頃に買ってもらった植物図鑑で、その名前だけ覚えていた、ホソバヒナウスユキソウである。ウスユキソウは日本各所に分布しているが、このホソバヒナウスユキソウは谷川岳とここ至仏山にしかない珍しい花である。しかも、蛇紋岩という特殊な岩で形成されている至仏山は、その土壌の成分のために、その名の通りより小さく繊細な感じであった。

近くにはヨツバシオガマもあったが、礼文島や大雪山で見たものと異なり、草丈は低く、葉や茎の色も全般的に赤っぽい。また、花の色も全般に濃いようだ。これもやはり土壌の成分によるものと思われた。

そして花についてもう一つ気付いたことと言えば、小至仏山下のお花畑ではいろいろな花が咲いていたのに対し、この稜線上では、上述の2種類以外は、ほとんど花を見ることができなかったのである。もちろん時期によって咲く花は異なるのだろうが、小至仏山からわずかしか離れていない場所で、急に植生が変わるのは、やはり土壌の影響なのだろうと思った。

稜線の右手には相変わらず燧ヶ岳が雄大に聳えている。手前には、何度も歩いた尾瀬ヶ原が広がり、川が蛇行し、池塘が点在している様子が見える。左手には上信越の山々。中でも左手奥には、至仏山同様に百名山に数えられている平ヶ岳と、越後駒ヶ岳・中ノ岳の連山が見える。これらの山々は、以前会津駒ヶ岳の山頂からも眺めたことがある。今日こうして、かつて会津駒ヶ岳から眺めた山に登り、その山から見たのと同じ山を、違った方角から眺めているのは、何とも感慨深いことであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする