桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について54

2008-11-09 22:29:40 | 日記・エッセイ・コラム

○4年生の頃④

大学院入試は、一般コースが5人受験だった。まず1日目は小論文。現代中国語で書かれた短い文章を、辞書持ち込み可で翻訳する。出題されたのは、筆に関する文章。普段使っている辞書は日本語で引ける分、語彙数が少ない。そこで友人から中日大辞典を借り、2冊の辞書で臨んだ。文章は平易でわかりやすく、翻訳そのものは問題なく進む。書き上がった後見直しをするゆとりもあったくらいだ。

お昼には友人が弁当を買ってきてくれた。金魚鉢で友人達と一緒にほおばる。こういう心遣いが嬉しかった。彫刻分野を目指す別の友人もまずまずの出来だったようだった。

午後は小論文。過去問対策をしてはあったが、今年は例年と異なり、中国書法史と日本書法史の授業担当の先生が異なる。例年授業で扱った内容が出るとのことだったので、中国書法史は書体の変遷を準備しておいたら、何とどんぴしゃ!授業で扱った事柄を思い出しつつ、簡潔にまとめてゆく。日本書法史は、担当教官が定年で交代した後だったので、どうなることかと不安に思っていたら、授業でも触れていた世尊寺家について。これも想定の範囲内であった。

一通り書き上げてみたが、どうもこなれていない。時間にはゆとりがあったので、書いたものを整理しながら用紙の裏面に改めて書き直す。最初に書いたものには大きく×をつけた。(ところが、これが後で物議を醸そうとは予想だにしなかった)これまたゆとりを持って書き上げ、1日目の小論文は終わった。

2日目は実技。社会人コースは実技のみである。こちらは6人受験だった。まぁ、人数的にはこんなものだろうと思った。

午前中の実技の内容は①漢字半紙制作:5字句を草書で書く。②漢字半紙臨書:「乙瑛碑」6字臨書。③仮名臨書:「高野切第一種」原寸臨書。①は皆確認済みの文字で草書で書けた。②は自分でも好きで何度も臨書してきた作品なので問題なく書けた。③は全く予想していなかったもの。「関戸本古今集」「元永本古今集」ばかり出題されていて、その対策しかしていなかったので、正直言って焦った。しかも実技中に面接の順番が回ってくることとなっており、そのこともあって緊張して手が震え、3枚書いたものの皆大きなミスがあり、結局最初の1枚を出す羽目になった。(これがまた後で物議を醸した)

作品制作中の室内はしーんと静まりかえっている。紙を換える時の音、筆を置く時の音が聞こえるくらいである。

面接が始まって名前を呼ばれた。持ち込み作品を室内に運び入れ、まずその説明をした。しかし先生方は特に何もコメントしない。続いて先生方の前にある机の上に広げられた作品の複製について説明するよう求められた。3点あったのだが、一つが王羲之の「行穣帖」、もう一つが「曼殊院本古今集」で、あと一つは覚えていない。どれも対策済みだったので、一通り説明を終わると、後は先生方からお説教だった。前日の小論文について。内容は良かったが、原稿用紙の使い方はいただけないとのこと。普段あまり先生方からいろいろと言われたことのない私にとっては、結構ショックだった。

お昼はまた友人達からの差し入れ。かなりくたびれた後だったので嬉しかった。

午後の実技の内容は①仮名制作(色紙・和歌1首:橘曙覧の歌)、②漢字制作(全紙を半切以上の好きな大きさに切って書く・七言絶句)、③漢字仮名交じり書制作(全紙を半切以上の好きな大きさに切って書く・星野富弘の詩)。①はかなり書きにくかった。でも身につけてきた方法に従って何とかまとめる。②も字面が悪くとてもまとめにくかった。行草書で書いたが、似たような字形が何としても横に並んでしまって困った。③は紙面の割に字数が多く、これまたまとめにくかった。②③は紙は後から何枚でももらえる。私は欲張って結局50枚ほどの紙を使い、技官の先生から失笑を買ってしまったほどだった。

作品を何とか仕上げ、大学院入試は終わった。私自身、作品の出来は納得行くものではなかったが、他の受験生の作品の出来具合からして、まず合格は間違いないだろうという確信があった。10日ほどして合格発表があり、秋雨の降る寒い中発表板を見に行くと、やはり合格していた。

もう2年遊べる、ということよりも、何だかようやく重荷から解放されたという思い、そして、友人達の多くと別れてしまうことになるんだな、という寂しさを、曇り空の下でしみじみと感じていたのだった。

コメント
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