桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

槍穂縦走・その4

2010-08-31 21:28:21 | 旅行記
南岳小屋から少し登ると獅子岩の横を通り、いよいよ今回の山行の山場である大キレットへの下りが始まる。

まずは獅子岩の脇の崖をひたすら下る。途中にはしごや鎖場もあったが、ルートも明瞭で、足下がややざれている他は問題なく歩けた。後は最大の難所である長谷川ピークまで、痩せ尾根を登ったり下ったりする。一ヶ所稜線上に岩がゴロゴロ積み重なっているところがあって、底を通過する際はかなり怖い思いをしたが、あとはさほど怖い思いもせずに通過することができた。

目の前には北穂高岳がごつごつした山容を見せている。北穂高岳の北側は垂直の崖となっており、ガスがかかり始めたものの、ものすごい迫力で俺に迫ってくる。そこは滝谷と呼ばれてロッククライミングのメッカである。さすがにこの日は登っている人はいなかったが、こんな恐ろしい崖に果敢にチャレンジする人もいるのだ(北穂高小屋ではロッククライミングをする人のための案内板もあった)と思うと驚いてしまう。

長谷川ピークに向かうまでの間に、次第に東側からガスがかかってきた。この様子だと、北穂高岳から大キレット、槍ヶ岳を一望する有名な光景は望めなくなる公算が大である。でも、ガスがかかれば大キレットや飛騨泣きの難所を通過する際、左右の切り立った崖を目にすることなく通過でき、怖さも半減するだろうと思った。

南岳小屋からちょうど1時間で長谷川ピークに到着した。ここで3人の単独行の男性と一緒になったのだが、1人の人はひょひょいと岩の上を渡って、あっと言う間に通過していってしまった。後で聞いたところによれば、この人は年に1,2回は大キレットに来ている人だそうで、これほどの難所をあれほど軽快に歩けてしまうのももっともなことだと思った。

ここまでは稜線の上を歩いてきたわけであるが、稜線のピークがそのまま高みを持ったようなところが長谷川ピークである。長谷川ピークに登るまでも、頂上付近も、下り始めるところも、どこもすべて平らなところがなく、左右は鋭く切れ落ちた崖になっている。そうした斜面の緩やかなところに鎖が付けられ、頂上までの登りは比較的容易に切り抜けることができたが、下りはそうもいかず、鎖に頼りながらそろそろと下りていかなければならない。高所恐怖症の俺は、鎖に頼るだけでは心許なく、周囲にほとんど人がいないのを幸いに、場所によっては地面に座り、3点支持ならぬ4点支持でそろそろと下りていった。特に馬の背と呼ばれる一番狭い稜線では体の向きを変えながら、本当に少しずつ少しずつ下っていった。そんなことをしていたので、他の3人からは大きく後れを取ってしまった。

長谷川ピークを下りきるとA沢のコルという平地に出る。ここで息を整え、俺自身には長谷川ピーク以上の難所に感じられた北穂高岳への登りにかかる。ここにも飛騨泣きという難所が待ちかまえている。まずはかなりの斜度のある斜面を鎖を手がかりに登っていく。しかし、危険な場所でも大体つかむ岩、足をかける岩がきちんと整備されているので問題ない。

俺は去年の剱岳の時以上に重い荷物を背負っているのだが、岩を登るのに夢中で、不思議と重さが気にならない。初日の槍ヶ岳への登りは、荷物の重さと肩の痛みが気になって仕方なかったけれど、この日はほとんど気にならなかった。

周囲が一面のガスに覆われ、わずかに下の雪渓や長谷川ピークの周辺が見える程度で、本来なら北には槍ヶ岳が鋭く聳えているはずなのであるが、残念ながら目にすることはできない。

そんな中で黙々と登っているうちに、いつの間にか飛騨泣きという難所を通過してしまったらしい。後で聞くと、鉄板で作った足場が鎖とともに設置されていた、長谷川ピーク同様両側がすっぱりと切れ落ちた狭い稜線部分がそうであったらしい。これまた登るのに夢中で気付かなかったのであろう。その上長谷川ピークと異なり、飛騨泣きではここが飛騨泣きであるという表示もなかったのでなおさら気付けなかったのであろう。

北穂高岳小屋までは恐らく今回の山行で一番ハードだったであろう、ひたすら鎖場やはしご、岩登りの連続であった。俺は今回は登りで使ったが、絶対にここを下りで通りたくはないと思った。長谷川ピークを下る時以上の恐怖感を、1時間以上にわたって続けるのはたまったものではない。

一面のガスの中を北穂高小屋に着いた。南岳から1時間半。意外と時間がかからなかったので驚いてしまった。いや、夢中で登ったり下ったりしていたので、時間もあっと言う間に過ぎ去ってしまったのだろう。

北穂高小屋で先に行った2人と再会していろいろ話をした。それにしても北穂高小屋はよくこんな所に小屋が建てられたものだと感心してしまう。ちなみにこの小屋で出すランチ(パスタやカレーなど)は大変美味しいので評判だと、下山してから知った。俺がいた時間帯はまだ営業前だったので残念である。

昼飯を食べていると、軽装の男性が山頂方面から現れた。トレイルランニングをやっている人である。この人は、この日は上高地を出て前穂高岳、奥穂高岳に登頂し、北穂高岳から涸沢に下り、そのまま今日のうちに上高地へ戻るそうだ。今回槍穂縦走にあたってネットで調べた時に、上高地から奥穂高岳、大キレット、槍ヶ岳と縦走し、また上高地に帰ってくるという、俺が2泊3日で歩いたルートの逆のルートを何と1日で回ってしまったという人の記録を読んだことがある。このことをその人に話したら、その人もびっくりしていた。俺が槍ヶ岳に登る時もトレイルランニングをやっているとおぼしき人とすれ違ったが、こういう山の楽しみ方もあるんだなと思った。

北穂高岳小屋を出発し、ガスの中を穂高岳山荘に向かった。途中でライチョウの親子を見たり、ミネウスユキソウが咲いているのを見たりした後、いよいよ今日最後の難所である涸沢岳への登りにかかる。ここも北穂高岳への登りほどでないにしても、斜度の急な、岩がごつごつした斜面である。そこを何とか登り切ると、涸沢岳の山頂付近の稜線に出る。その後は穂高岳山荘の赤い屋根を見ながら、山荘までひたすら下った。

北穂高岳小屋から2時間ほどで穂高岳山荘に到着した。山荘は大変な混雑で、この日は1畳に2人が寝るのだという。疲れているのにとんでもないことだと思ったが、よく考えたらこの日は金曜日。まぁ、仕方があるまい。それに、前日の槍ヶ岳山荘のように、空いているスペースが間違いなくあるだろうから、何とかなるだろうと思った。でも、1畳にこれだけ押し込まれるのは、山では初めて登った時の富士山の小屋、それ以外では小笠原に行った時のフェリーの時以来である。

部屋に入ると、俺の横の布団で寝る夫妻が既に到着していた。二人と話しているうちに、俺と”同衾”する学生風の男性がやってきた。どうやら、夫婦以外は同性同士を同じ布団に割り当てることに決まっているようで、俺の布団があるスペースは、単独行の男性ばかりが集められ、反対のスペースは同様に女性ばかりが集められていた。ちなみに山小屋では男女関係なく相部屋である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槍穂縦走・その3

2010-08-30 19:07:12 | 旅行記

翌朝(8/19)は4時に一斉に電灯がともった。広々とした寝床だったので、ゆっくりと寝ることができた。着換えを済ませたが、パンツを忘れてしまい、パンツだけは3日間同じ物をはく羽目になる。他の着替えは問題ない上、前日着ていた服は大雨で汗も流され、しかも乾燥室で乾かしたので、3日目に着ることも可能だ。

ちなみにこの小屋では水が不足しているので洗顔は禁止である。歯磨きでは歯磨き粉を使えない。しかし、給水用の流しでは、そうしたルールを守らずに洗顔や歯磨き粉を使った歯磨きをしている人がいて興ざめだった。

ところで、夜の間に困った事態になってしまった。携帯の充電が切れてしまったのである。充電はしっかりしてきたつもりだったのだが、夜の間に電話が3件も入り、それで充電が減ってしまったらしい。幸いパソコンの横には携帯の有料充電器が設置されているので、短い時間ではあったが充電をする。

外へ出てみると、前日とは打って変わって雲一つ無い空である。いや、雲はあるのだが、上空ではなく山の下の方に広がっている。そう、山は雲海の上にあったのである。

東の空の彼方は明るくなり始めている。日の出まではあと1時間ほどある。小屋の玄関は既に多くの人でにぎわっている。彼らは皆槍ヶ岳の山頂でご来光を見ようとする人達である。山の方を見ると、既にヘッドランプの明かりが点々と見える。

俺はさすがにそこまでしようとは思わないし、何よりヘッドランプがない。それでも前日登った時は一面ガスの中で、周囲の景色を眺めることはできなかったので、朝食を早めに食べ、他の人が朝食を食べている間の人の少ない時間に改めて登頂しようと考えた。

さすがに寒いので、小屋の中に入ったり出たりしているうちに、東の空はどんどん明るくなってきた。朝食は先着順なので早めに並び、食べ始める頃にちょうど日の出となり、慌てて朝食をかき込んで、外へ出て写真を撮した。

それにしても素晴らしい日の出である。一面の雲海の彼方から日が登る。左手には槍ヶ岳の山頂部分が大きく聳えている。右手には、高さは随分低いが、常念岳が美しい山容ですっくと聳えている。小屋のある場所とおぼしきところでは、カメラのフラッシュがたかれるのが見える。遠く北穂高小屋でフラッシュが光るのが見えたほどである。

荷造りをした後に荷物を持って小屋を出、ベンチに荷物をデポしておき、カメラだけ持って改めて山頂へと向かった。山頂方面からは、日の出を見た人達が次々と下山してくる。山頂への登山道のうち、始めの部分と山頂下のところだけは同じルートを通るが、それ以外の所は別のルートを通っているので、登っている分にはあまり混雑を気にしなくてもよさそうだ。登山道そのものは昨日一度登っているので容易に登れる。途中で高校生とおぼしき20人ほどの一行とすれ違った。きっとこの近辺でテント泊をした、どこかの高校の山岳部の面々だろう。

朝が早いだけに素手には岩が冷たい。ちなみに今回の登山では俺は手袋を使わなかった。手袋そのものが嫌いということもあるが、それ以上に手袋をはめると手のひらの感覚が鈍るような気がするのである。ただでさえ今回のルートでは岩やはしご、鎖に手をかけて上り下りしなくてはならない。そんな中で手の感覚が鈍るのは危険にもつながる。確かに手をすりむいたりするリスクは伴うが、俺はそれ以上に感覚が鈍ることから生じるリスクの方を避けたいと思ったのである。これは去年の剱岳でも同じであった。

山頂へ着くまでは登るのに夢中で、周囲の光景など気にならなかった。最後のはしごを登って山頂に着くと、四方に素晴らしい光景が広がった。西に笠ヶ岳(槍ヶ岳の鋭い影が映っている)、北西に黒部五郎岳・薬師岳・鷲羽岳・黒岳、北に立山、北東に白馬岳・鹿島槍ヶ岳、東に常念岳、南に穂高連峰とこれから通るルートが一望される。遠く南西の空には積乱雲が見え、今後の天気が心配されたが、大キレットはむしろガスがかかるくらいの方が怖さも半減していいのではないかと思った。

下りの方が時間がかかったのは前日と同じである。6時過ぎに小屋まで下山し、いよいよ穂高岳山荘までの3,000メートルを超える稜線歩きが始まる。途中には大キレットという北アルプスの一般コースで1,2を争う難所を通過することになっている。しかし大キレットの始まりである南岳までは、アップダウンもさほどない気持ちの良い稜線歩きである。大喰岳、中岳と眺めの良いピークを通過する。特に南岳の手前のツバメ岩からの槍ヶ岳の眺めは素晴らしかった。前日槍ヶ岳の姿をまともに見られなかっただけに、その感動も大きかった。

南岳の直前でライチョウの親子に遭遇した。昨年の剱岳では遭遇しなかったので、特にヒナはとてもかわいかった。

南岳には8時前に着いたのだが、実は中岳の山頂で槍ヶ岳の写真を撮したところで携帯の電源が切れてしまい、この後の写真撮影はデジカメのみとなった。携帯は時計の役割もあって、この後は時間がわからずに困ってしまったので、大休止をするたびに、そばにいた人に時間を聞いた。山に時計は必需品なので、聞かれた人はさぞかし変に思ったことだろう。

南岳からはいよいよ大キレット越えが始まる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槍穂縦走・その2

2010-08-29 21:19:53 | 旅行記

予想はしていたものの、大曲からの登りは実に大変だった。これで空が晴れていれば、真正面に槍ヶ岳が鋭く聳えているはずなのだが、槍沢ヒュッテを出た後からどんどん雲が出てきて、槍ヶ岳は全く見えなくなってしまっている。こうなると、ただ長い道のりを黙々と歩く他はない。登山道は沢の右側に付けられているが、あちこちに結構高山植物も咲いており、7月末頃に訪れれば、きっと一面のお花畑の中を歩くのだろうと想像された。

流れるガスの間に、たまに槍ヶ岳の姿が見えた。いつの間にか随分近くまで来ていたのだった。周囲は一面のガレ場で浮き石も多く、とにかく歩きにくい。その上雨までぱらついてきた。ガスの間からは、今夜の宿である槍ヶ岳山荘の赤い屋根も時折見える。できれば雨には降られたくないので速く登りたいのであるが、何しろますます斜度はきつく、その上高度も上がって酸素も薄くなってきているのですぐ息切れしてしまう。

槍ヶ岳に初めて登頂したという播隆上人が登山の際にこもったという播隆窟を過ぎ、小屋まであと300メートルという表示が出た辺りで、いよいよ本格的な降りになってしまった。しかし合羽を出すのが面倒くさく、えぇいままよ、と思ってそのまま濡れていくことに決めた。小屋へ行けばすぐに着替えられるし、きっと濡れた服を乾燥させることもできるだろうと思ったからである。その上着ている服はここまでかいてきた汗で汚れているので、このスコールを浴びるのはシャワー代わり、あるいは洗濯代わりにもなるだろうから。さすがに3,000メートルの高地だけあって、雨に濡れると肌寒く感じたが、小屋まではもうすぐと高をくくって、そのままずぶ濡れになって槍ヶ岳山荘への最後の登りの足を速めた。

14時に槍ヶ岳山荘に着き(コースタイムはちょうど7時間だった)、手続きを済ませた頃には雨は小やみになっていた。雨が降っていたのはわずか15分ほど。そう、来る途中のSAでの仮眠時間を半分にしていれば、この雨に遭わずに済んだのである。でも、この雨のおかげでこの時着ていた服は洗濯したも同然で、乾燥室(この日は雨が降ったので、乾燥室ではボイラーが焚かれていた)で充分に乾かせたので、3日目に再度着ることができたのはありがたかった。雨でずぶ濡れになったザックも乾かすことができた。

槍ヶ岳山荘は大変大きな小屋で、この日も恐らく200人近い登山者が泊まっていたのではなかろうか?俺の割り当てられたスペースは2段ベッドの上段の畳一畳ほどのところであったが、結局夜になっても隣もそのまた隣も誰も現れず、俺は3人分のスペースをゆっくり使ってのびのびと寝ることができたのだった。

夕飯まではしばらく時間があり、また雨で体が冷えていたので、菜の花うどん1,000円也を食べた。まずまずの味だった。それを食べて外へ出てみると、雨はすっかり上がって空も見えている。そして槍ヶ岳も姿を現した。あまりにも近くにそれは聳えていたので、俺はびっくりしてしまった。山頂へ登ろうとする人、下山してくる人がはっきりと見て取れるほどである。本当にその気になればちょっと登ってこられそうなほどの距離である。しかしいくつものはしごが見え、岩をよじ登ってようやく登頂できるような急峻さであることは間違いない。

ところで、小屋の前では一人の男性を中心に話が盛り上がっている。中には写真を一緒にとってもらっている人もいる。その人は60代と見え、たばこをふかしながら大きな声で話している。時に周囲の人達を笑わせたりしている。話の様子に耳を傾けると、なんと俺が去年感動して、その勢いで実際に剱岳に登ることになってしまった「剱岳・点の記」の木村大作監督その人であった。監督は自分のプライベートで、秘書とともに穂高岳方面から槍ヶ岳まで縦走してきたとのことであった。こんなところでそんなすごい人に遭遇してしまうとは、本当に驚きであった。

小屋には何と無料でインターネットが使えるパソコンがあった。ほとんどの人は天気予報を見ていたようだが、俺からすると、mixiで日記を更新しない手はない。夕食後に手早く日記を書き上げたわけだが、そう言うわけで、8/19の日記は3,000メートルを超える高地で更新したものである。

夕食はまぁまぁであった。キレット小屋や剱山荘よりは良かったと思うが、メニューは似たようなものであった。夕食後、何となく手持ちぶさたになり、また空も見えてきたので、思い切って山頂に登ることにした。もちろん手ぶらである。登り始めてすぐに急な岩場となり、剱岳の時と同様、三点支持で登っていく。斜度は剱岳並みだが、それほど難しさは感じられない。鎖場やはしごをいくつか越えると、山頂へ通じる最後のはしごが目の前に聳えていた。はしごは垂直に付けられている。これを登り終えると山頂であった。山頂は意外と広く、畳12畳くらいはありそうな感じであった。しかし浮き石ばかりで、しかも周囲は鋭く切れ落ちた崖である。山頂を歩く時はついついへっぴり腰になってしまうのであった。

登る前は晴れていたのに、登っている間にすっかりガスに包まれてしまい、山頂では辺りは何も見えなかった。それでも30分ほど粘っている間に、少しずつガスが切れ周囲の光景が見えるようになった。北鎌尾根や穂高岳方面などが雲の切れ間から見えた。穂高岳方面には大きな積乱雲も見える。向こうの方では雷雨なのだろう。俺の今回の山行の間では、もう二度と雷雨はごめんだと思った。

山頂にいる間にすっかり体が冷えてしまったので、下山して小屋に戻った。登る時は15分ほどしかかからなかったのに、下山では20分以上かかってしまった。小屋に戻り、読書をしたりネットサーフをしたり、談話室のテレビを見たりしているうちに消灯時間が近づいたので寝床に入った。明日の天気はどうなるだろう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槍穂縦走・その1

2010-08-28 22:48:49 | 旅行記

2時に起床し、慌ただしく準備をして(おかげでパンツと歯ブラシ、ボールペンを忘れる)出発する。車を飛ばして松本まで向かう。途中眠気に負けてSAで仮眠を取るが、これが後で裏目に出ることになる。

インターを降りると、アルプス方面は雲がかかっている。一応の約束として、上高地で山が全く見えなかったらそのまま帰ることに決めている。でも、雲の切れ間も見えたので、セブンイレブンで二日分の昼食を購入して沢渡に向かう。

沢渡までの道のりもとにかく眠かった。国道は狭く、眠気をこらえながらの運転は大変だった。6時過ぎに沢渡に着き、車を預け、タクシーに分乗して上高地に向かった。

途中大正池まで来ると一面の朝霧である。朝霧の向こう、左手には焼岳が聳えている。そして前方には穂高岳が聳えている。朝霧と見たのは、実は大正池の湖面から立ち上った朝靄なのであった。上高地は雲一つ無い空。それを知った瞬間、登ることに決めたのだった。

7時に上高地に到着し、登山を開始する。今日の目的地の槍ヶ岳山荘までは、コースタイムは9時間ほどとなっているが、恐らく7時間程度で歩けるだろうと踏んでいる。

登山道はまずは梓川沿いの林間に付けられ、ごく緩やかな登りである。梓川の流れを目にしながら、と言いたいところだが、梓川の中州には、横尾まで向かう作業車が通るための道路が造られており、いささか興ざめである。そのため自ずと足も速まり(途中槍見河原で初めて槍ヶ岳の山頂部分を目にすることができ、感激した)、横尾で休憩した他は淡々と歩き、槍沢ヒュッテまで3時間で到着した。

ここで昼食にした。小屋の前に貼られた掲示物を見ると、小屋のヘリポートから槍ヶ岳の山頂が見えるという。早速行ってみると、上空に雲はかかっているものの、槍ヶ岳の山頂部分がはっきりと見て取れた。しかし空にはどんどん雲が出てきており、この先恐らく槍ヶ岳は雲の中に隠れてしまうであろうと予想されたが、ともかく実際に槍ヶ岳を目にしたことで気がはやり、ともかくできるだけ早く槍ヶ岳山荘に到着しようと、勢い込んで歩き続けた。

しかし、そこから先の辛さと言ったらなかった。大曲までは何とかコースタイム通り1時間ほどで歩けたのだが、そこから先がきついこときついこと!コースタイムは3時間20分と書いてあるが、そのことが身にしみて実感される、それはそれは長く辛い登りであった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

槍穂縦走・その0

2010-08-27 22:14:49 | 旅行記

槍ヶ岳を初めて眺めたのは今から約30年も前の話である。

以前にも書いたとおり、俺の最初の本格的な登山というのは小学校六年生の時で、高山植物に憧れ、山の写真集を飽かず眺めていた俺を、その本の持ち主で登山を趣味としていた叔父に母親が頼んで、北アルプスの、燕岳から常念岳、蝶ヶ岳を通って上高地まで三泊四日で縦走するコースに連れて行ってくれることになったのだった。

その頃は全く運動音痴で、体力も気力も全く不足していたので、初日と二日目の午前中までは、初めて目にする高山植物に目を奪われつつ歩いたのだが、二日目の午後の一番疲れがたまってきたところで、常念岳のきつい登りに音を上げ、何とか登頂は果たしたものの、その状況を見かねた叔父が計画を変更し、そのまま上高地方面には向かわず、日程を切り上げて穂高町方面へ下山することになったのであった。

常念岳から下山して泊まったのが常念小屋であった。ここからは槍ヶ岳を望むことができる。記憶を掘り起こしてみると、食堂からは常念岳を眺めることができたように思うのだが、とにかくその時は気分が悪く、夕食にもほとんど手が付かず、そのまま部屋に戻って寝てしまったように思う。

翌朝は素晴らしい天気であった。下山が決まり、もうあの辛い思いをしなくて済むかと思うと、前日は記憶にも残らなかった見事な朝焼けの槍ヶ岳を食堂から眺めつつ、朝食を食べたように思う。ちなみに叔父は早起きをして、朝焼けに染まる槍ヶ岳をカメラに収め、後日パネルにしてプレゼントしてくれたが、俺はその写真を見るたびに途中で下山することとなった苦い記憶がよみがえり、間もなく飾るのをやめてしまった。

そんなわけで、槍ヶ岳は間接的に俺にとってあまり良い感情を持たない山として存在してきたわけであるが、一方で三年前の鹿島槍ヶ岳や八年前の蓼科山でも、深田久弥が「どこから見てもその鋭い三角錐は変わることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている。」と「日本百名山」で記している槍ヶ岳のその鋭い山容に、すぐにそれと気づけたものであった。

さらには、同僚の先生が昨年の夏に山岳部の合宿の際に蝶ヶ岳から撮した大キレットの写真を自分のパソコンの壁紙にしており、それをたまたま目にすることがあって、その先生に「大キレットいいですねぇ。この写真、登山意欲をそそりますよねぇ。」などと話したこともあり、大キレットという、北アルプスの一般的な登山道の中でも難所に数えられるところにも興味が募っていた。

大キレットは槍ヶ岳と穂高岳の中間に位置している。槍ヶ岳に登頂し、大キレットを通過したら、穂高岳(奥穂高岳)に登頂しないという法はない。というわけで、今回は槍ヶ岳に登頂し、大キレットを通過し、ついでに奥穂高岳にも登頂し、二つの3,000メートル級の山を制覇するとともに、大キレットという難所を通り、その上二つの山をつなぐ3,000メートル級の尾根歩きもしてしまおうという欲張りな計画を立てた。幸い8/19,20と夏期休暇を取ってある(実はこの辺りで山に行こうと思い、事前に休みを入れてあったのである。去年の剱岳もそうであった。)。それに21日の土曜日も追加して、二泊三日の山行にすることに決めた。山で二泊するのは実に約30年ぶりである。

危険なところを通過することもあって、実は直前に少し悩んだのだが、一方で北海道関係の友人達が槍ヶ岳や奥穂高岳に登り、その山行の様子をmixiの日記などに書いたのを読んでおり、また天候もまずまずのようなので、思い切って出かけることに決めた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする