○4年生の頃①
時はバブル真っ最中。デザイン系の友人達は次々に超メジャー企業に就職を決めていく。そんな中私は将来のことも考えず、暢気に暮らしていた。漠然と、教員にでもなれればいいなと思っているくらいだった。でも、人前で話したりするのは苦手だった。だから、大学院に進学してゆっくり考えるのもいいかな、と思い始めていた。
教員になるためには教育実習をしなくてはいけない。縁あって母校で教育実習できることになった。私の大学は、他の大学と異なり、教育実習を3週間やらなくてはいけない。教育実習のために母校で一緒になった皆は2週間で実習を終える。私は最後の1週間は一人で実習しなくてはならなかった。しかし、これが私の将来を決めることになったのだった。
書道の教育実習ということだったが、書道科教育法の授業はまともにやってもらえず、指導案の書き方や授業の組み立て方など、とにかくわからないことだらけで、4月に地元の高校の先生を招いて具体的な指導はあったものの、全くの付け焼き刃で、実習に対する不安を抱いたまま実習に臨んだのであった。しかも、授業は実技中心ということで、これまで指導教官(私の高校時代の恩師でもある)が行ってきた授業を継続して行うだけであった。自分のオリジナリティを出すことは全くできないわけで、ちょっと不満には思ったものの、これはこれで仕方がなかったのだろうと思って授業を続けた。1年生の授業では毛筆で、それなりに自分の力を示すことができたが、2年生の授業では硬筆をやっており、硬筆の苦手な私にとってははっきり言って苦痛だった。生徒の感想でも、毛筆の授業をしてほしかったとの声があった。
2週間が過ぎ、3週間目に入った。私は1人で職員室の片隅に立って、朝の打ち合わせを聞いていた。すると、その前にいた先生が「1人で立っているのもみっともないだろうから、ここの非常勤の先生の席に座りなよ。」と言って下さった。ありがたくその言葉に甘え、後の5日間は、まるで先生方の一員になったような気分で実習を続けさせてもらった。そして、教員の仕事がこんなにも面白いものなのかということがわかり、将来は高校の教員になろうと決めたのだった。
ただし、残念なことに、私の地元の県では高校の書道の教員の採用が長らくなく、指導教員である私の恩師も、おそらく私が大学院に進学し修了した後でも、書道の教員の採用はないだろうということだった。そうなると次は、国語の教員にならざるをえない。私は念のためその年の高校の国語の教員採用を受験することにしていた。
7月に採用試験を受験したのだが、大学院進学を心に決めていた私はもちろん気合いが入らず、見事不合格になった。