桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

八ヶ岳・その4

2010-10-17 21:37:07 | 旅行記
1時間半も滞在してしまった山頂を後にして、下山を開始した。下山ルートは、登りに使った文三朗尾根を下るのは、この後も登ってくる人がいてすれ違いに手間取ることが予想された上、赤岳を別の方向からの眺めてみたかったこともあり、地蔵尾根を下ることに決めた。

登ってきたルートは戻らず、そのまま北の方へ進んでいく。頂上小屋の横を過ぎると一気に下りとなる。これまで同様火山特有の溶岩の固まった堅い斜面をひたすら下るもので、歩きにくいわけではないのだが、とにかく急な斜面を一気に下るルートで、しかも登ってくる人も結構いて、かなり歩きにくい。登ってくる人は皆息が上がって玉の汗をかいており、このルートをを登りに使わなくて正解だと思った。分岐点まで下りると、さっき赤岳にかかり始めていたガスもすっかり消え、赤岳と阿弥陀岳が尾根を挟んで対峙する見事な光景が眺められた。

分岐点にはお地蔵様が祀られており、このことから、これから下る尾根は地蔵尾根と呼ばれているようだ。ここからの下りが急でまたびっくりしてしまった。登りに通った文三朗尾根が、斜度こそ急でありながら、実際はほぼ一定の斜度でひたすら高度を稼いでいくのに対し、この地蔵尾根は樹林のなだらかな道が突然斜度を増し、あとは文三朗尾根以上の急坂を一気に登って高度を稼ぐものであった。俺の持っているガイドブックはこのルートを登りルートとして紹介しているが、これはちょっと無理があるのではないかと思われた。実際何人もの登山者とすれ違ったが、皆息も絶え絶えという感じであった。

岩場を慎重に下ると道は樹林帯に入るが、目指す行者小屋はなかなか見えてこない。樹林帯に入ったものの斜度は結構あり、このルートを登りに使わなくて良かったと思うことしきりであった。樹林帯が切れると目の前に行者小屋がひょっこり現れた。

行者小屋に出て振り仰ぐと、昼の日差しを浴びて、赤岳のごつごつした斜面がいっそう際立って見えた。これだけの荒々しい斜面に付いた、地蔵と文三朗という二つの痩せ尾根に、先人達は良くも登山道を付けようと思い立ったものだと思ったことであった。小屋の横にまだ残っていたナナカマドの紅葉とともに、山の姿を写真に収めた。

行者小屋から先は、登ってきた沢沿いの道を気持ちよく下るばかりであった。登りよりもわずかに短いコースタイムで駐車場に着き、再び悪路を車で下ったのだが、もう登ってくる車はいないであろうと思ったのが甘かった。途中で2,3台の車と、すれ違いの難しいところで遭遇し、お互いにバックしたりしてもらったりしてすれ違った。また、林道を歩いて下る人も結構いて、よけながら狭い道を走るのも大変だった。途中のある場所では、急坂の途中に大きな水たまりがあり、そのまま走ると車の下をこする可能性があったので慎重に乗り越えようとしたところ、車に勢いがなかったためにスリップして越えられない。仕方なくそのまま惰性で坂を下り、ブレーキを踏み、ローギヤで勢いをつけてそこを越えたのだが、何とその時の衝撃で、ルームミラーの下に付けていたサッカー部キーホルダー(二枚の透明プラスチックケースに、サッカー部の横断幕のデザインの神を挟み込む形のもの)が激しく揺れて、その一方の蓋が取れて外に飛び出てしまったのである。あとで車内を探したものの見つからないので、その時開いていた助手席側の窓から外に出てしまったと思われる。記念の品だけに残念である。

あとは日帰り温泉に浸かり、白樺湖から行きの時以上に美しい蓼科山をカメラに収め、上信越道で大渋滞にはまり、へろへろにくたびれて帰宅した。天気に恵まれ、素晴らしい光景を眺めることができた素晴らしい登山であった。
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八ヶ岳・その3

2010-10-16 20:42:51 | 旅行記
分岐点から真正面に見えたのは、南アルプスの山々だった。南アルプスの山々は、かつて富士山や、八ヶ岳の東向かいにある御座山に登った時に眺め、また北アルプスの山々からははるか遠くに小さく眺められたのを覚えている。しかし、ここまで間近にはっきりと眺めたのは初めてである。

写真はその時見えた光景で、左の低い連なりが鳳凰三山、その右に間ノ岳と北岳が重なって見え、その右に甲斐駒ヶ岳、さらにその右に仙丈ヶ岳が並んでいる。いずれも日本百名山に数えられる名山である。北海道つながりの知人達がこれらの山に登った時の記録をネットで読み、登ってみたいと思っていたのだが、どの山も間近に眺めた経験がないので、今ひとつ感情移入できなかった。しかし、今回それらの山々を実際に目にしてみて、これから登るべき目標ができたような気がした。深田久弥の言葉を借りれば「あれに登らねばならぬ。私はそう決心した。」(『日本百名山』「トムラウシ」)ということになろう。

分岐点から先はひたすら岩登りであった。鎖場もあり、槍ヶ岳の山頂までの登りとよく似ていたが、火山だけあって溶岩が固まった足下はしっかりしており、槍ヶ岳のような浮き石はなく、また槍ヶ岳よりも斜度は緩くて登りやすかった。

岩をよじ登り、乗り越えてを繰り返すと、山頂に続く登山道に出、さらに右手に富士山の見事な姿が見えた。北アルプスから眺めた富士山は、雲海の上に頭をちょこんと出しているだけであったが、ここから見る富士山は、甲府盆地の向こうに、東西に裾野をのびのびと引いた、まさに日本一の名山の名にふさわしい、神々しいまでの姿であった。

山頂まではすぐだった。岩がゴロゴロと積み重なる山頂は結構な広さではあるが、たくさんの登山者でにぎわっていた。山頂の「赤岳」の標識の前で交代で写真撮影をしていた。俺も撮してもらったのだが、最初に取ってくれた人が写してくれた写真が今ひとつだったので、その後も2人の人に別々の機会に撮してもらった。他にも、富士山をバックに撮してもらったり、阿弥陀岳とそのはるか遠くに連なる御嶽山、乗鞍岳、槍穂連峰をバックに撮してもらったりもした。でも、この赤岳山頂で撮してもらった写真はどれもこれも今ひとつの出来で、皆人物や山が俺の思ったところに位置していないものばかりであった。

それにしても山頂からの眺めは素晴らしいの一言に尽きた。南に富士山と南アルプスの山々、東に瑞牆山と金峰山、秩父連峰、北東に両神山と御座山、浅間山、北西に北アルプスの山々、そして手前に蓼科山、西に乗鞍岳、御嶽山、中央アルプスの山々。どちらを向いても山山山という感じである。特に北アルプスの山や端は、五龍岳、鹿島槍ヶ岳、剱岳、立山、槍ヶ岳、穂高岳と、俺がこれまで登ったことのある山が勢揃いしており、あれらの山々にいずれも登頂したことがあるかと思うと、実に感慨深いものがあった。

登頂した時にはやや風があって肌寒かったが、次第にそれも収まってきた。西向きに座れる場所を探し、岩に座って湯を沸かしてカップヌードル塩味を食べる。かつて足跡を記した槍穂連峰を遠くに眺めながらの昼食は胃袋にしみるものがあった。

風が弱まるのと同時に、東側からガスが上がってきた。さっきまで見えた甲府盆地もっすっかり雲に隠れ、富士山は雲海の上に聳えている。この日は気温も高いので、ガスが山頂まで上がってくるのも時間の問題であろう。しかし、山頂からの眺めはあまりに素晴らしく、このまま立ち去るのはあまりにも心残りである。結局1時間半も山頂に滞在してしまい、ガスが上がってくるのをしおに下山することに決めた。
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八ヶ岳・その2

2010-10-15 19:37:21 | 旅行記

登山口から南沢に沿って登っていきます。このルートで行者小屋まで沢沿いに進んでいくのですが、斜度はなだらかで快適なハイキング気分で歩けます。歩き始めはまだ日が射さず、樹林帯の間を歩いている間は肌寒さすら感じたほどです。

登山道は沢につかず離れずという感じで付いているのですが、沢の水がなくなって涸れ沢になると、沢がそのまま登山道となり、それが行き着いた先に行者小屋はありました。ここまで1時間半(コースタイムは2時間)。ここから山頂まではコースタイムでは1時間半となっています。

行者小屋の目の前には荒々しい岸壁が立ちはだかります。これが八ヶ岳の最高峰の赤岳です。右後方には阿弥陀岳が聳えています。その荒々しさが、8月に登った槍穂連峰とはまた違った感じがするのは、八ヶ岳が火山で、その荒々しい地形は火山の噴火が関わっているからなのでしょう。

小屋周辺の紅葉は終わりかけだが、ナナカマドは少し残っています。目の前に聳える山々では紅葉も終わっています。まだ日が射してこないので、休んでいるうちにどんどん体が冷えてきます。休みもそこそこにして、山頂へ向けて出発しました。

行者小屋から山頂へ向かう一般的なルートは二つあります。一つは地蔵尾根を登るルート、もう一つは文三朗尾根を登るルートです。ガイドブックでは地蔵尾根を登るルートが紹介されていましたが、文三朗尾根は地図によれば山頂への最短ルート。今日は天気も良く、恐らくこの後もたくさんの人が登って来るであろうし、それに気温も高くなる予報で、時間が遅くなるとガスが上がってきてしまうことも考えられます。山頂がガスに覆われる前に登りたいので、最短ルートの文三朗尾根を登ることに決めました。

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八ヶ岳・その1

2010-10-13 19:22:34 | 旅行記

子供の頃、西の方に聳える山々の名前を祖父母や両親に教えてもらい、北から順に榛名山、浅間山、妙義山、荒船山という名前を覚えた。しかし、荒船山の南側には、冬になると真っ白に雪をかぶる峰峰が連なり、その峰峰の名前を知りたいと思っていたのだが、家族は知らなかった。

地図帳に興味を持って眺めるようになって、その峰峰がどうやらNHKの山の天気予報(かつては7,8月に放送されていた)で紹介されていた八ヶ岳であるらしいということを知った。

そんなわけで、八ヶ岳の存在は知っていたものの、何度かそれを眺める機会はあっても、登ろうという気持ちにはならないまま現在に至った。

この3連休(10/9~11)にどこかの山に登って、今シーズンの山の締めくくりにしようと思って日本百名山ガイドをめくっていると、その八ヶ岳が、その気になれば日帰りも十分可能であること、登山口まで車で入れることを知り、登ることに決めた。本当は仕事が代休となった8日に登ろうと思ったのだが、天気予報が今ひとつなため、代わりに谷川岳に登り、案の定山頂はガスの中で、八ヶ岳まではるばる出かけずに済んで良かったと思った。

9,10日と予報は雨で、11日は秋晴れになるとのことで、11日に八ヶ岳の中の最高峰である赤岳に日帰りで登ろうと決めた。

3時に起きると空は晴れている。30分ほどで準備を済ませて出発する。高速は時間が時間だけあってとても空いている。長野県内に入ると一面の霧に包まれる。こうした霧の出る日は晴れることが多いので、この日の晴は約束されたようなものだ。

東御インターで下り、ひたすら南下する。道路は空いている。白樺湖近くでふと左手に目をやると、何とそこにはかつて登頂した蓼科山が聳えていた。その時は、行きはその姿を目にすることができず、帰りは見えたものの、車の中から振り返るばかりであまりよく見ることができなかった。

この日は、白樺湖に出ると、湖の向こうに蓼科山が聳えているのが目に入った。その堂々とした山容は「高井富士」という別名に相応しく、均整の取れた姿でもある。いつものことながら、あの山頂にかつて立ったことがあると思いながら眺めるのは、何とも感慨深いものである。

白樺湖を過ぎて道は下っていくのだが、大門峠というところを過ぎると、眼下に雲海が広がった。どうやら長野県内に入って霧に包まれたのと同じような状況のようである。左手には目指す八ヶ岳連峰が聳えている。まだ明け方なので、山々は黒く聳えているだけであるが、下山した後は午後の日差しに照らされた山並みを見ることができるに違いない。

さらに下っていくと、あっと言う間にガスに包まれてしまったのだが、ガスの上は晴れていることがわかっているので、落胆することもない。八ヶ岳の登山口である美濃戸口へ向かうために左折し、どんどん登っていくと、たちまちガスから抜け出て、今度は真正面にこれから登る赤岳と、その手前に聳える阿弥陀岳が目に入った。

車は八ヶ岳山麓の別荘地を横切る道路を登っていき、美濃戸口に着いた。一般的に赤岳を往復する時は、ここ美濃戸口に車を置き、林道を1時間ほど歩いて登山口に着き、そこから本格的な登山が始まるのであるが、実は登山口手前までは車で行け、しかも登山口手前の山荘の駐車場には、お金を払えば車が停められるのである。しかしこの日は休日。しかも悪天候の続いた後の3連休最終日ときているので、駐車場は大変な混雑が予想され、車が置けないことも考えられた。だから3時起きをして出てきたのである。

幸い山荘の駐車場の一番奥に車を置くことができたのだが、あと10分遅かったら置けなかったかも知れない。それくらい、2ヶ所の山荘の駐車場は満車寸前であった。

ちなみに山荘までの林道(もちろん未舗装)は大変な悪路であった。途中2ヶ所で軽く車の下部をこすってしまった。ここまでの悪路は、かつて皇海山に登る時に通った栗原川林道以来である。栗原川林道の場合は、悪路な上に林道に大小の岩がゴロゴロ転がっており、ひどい場合は事前にそれをどかしてから通過したこともあったほどであった。

今回のこの林道はそれほどでもなかったが、びっくりしたのは、俺の隣に停まっていたのは今はなきトヨタのMR-2であった。よくこの車でこんな悪路を走ってきたものだと感心してしまった。普通のMR-2のオーナーならば、まず間違いなくこの林道を走ることはしないだろう。きっとこのMR-2のオーナーは、車よりも登山なのだろうと思われた。

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