登ってきたルートは戻らず、そのまま北の方へ進んでいく。頂上小屋の横を過ぎると一気に下りとなる。これまで同様火山特有の溶岩の固まった堅い斜面をひたすら下るもので、歩きにくいわけではないのだが、とにかく急な斜面を一気に下るルートで、しかも登ってくる人も結構いて、かなり歩きにくい。登ってくる人は皆息が上がって玉の汗をかいており、このルートをを登りに使わなくて正解だと思った。分岐点まで下りると、さっき赤岳にかかり始めていたガスもすっかり消え、赤岳と阿弥陀岳が尾根を挟んで対峙する見事な光景が眺められた。
分岐点にはお地蔵様が祀られており、このことから、これから下る尾根は地蔵尾根と呼ばれているようだ。ここからの下りが急でまたびっくりしてしまった。登りに通った文三朗尾根が、斜度こそ急でありながら、実際はほぼ一定の斜度でひたすら高度を稼いでいくのに対し、この地蔵尾根は樹林のなだらかな道が突然斜度を増し、あとは文三朗尾根以上の急坂を一気に登って高度を稼ぐものであった。俺の持っているガイドブックはこのルートを登りルートとして紹介しているが、これはちょっと無理があるのではないかと思われた。実際何人もの登山者とすれ違ったが、皆息も絶え絶えという感じであった。
岩場を慎重に下ると道は樹林帯に入るが、目指す行者小屋はなかなか見えてこない。樹林帯に入ったものの斜度は結構あり、このルートを登りに使わなくて良かったと思うことしきりであった。樹林帯が切れると目の前に行者小屋がひょっこり現れた。
行者小屋に出て振り仰ぐと、昼の日差しを浴びて、赤岳のごつごつした斜面がいっそう際立って見えた。これだけの荒々しい斜面に付いた、地蔵と文三朗という二つの痩せ尾根に、先人達は良くも登山道を付けようと思い立ったものだと思ったことであった。小屋の横にまだ残っていたナナカマドの紅葉とともに、山の姿を写真に収めた。
行者小屋から先は、登ってきた沢沿いの道を気持ちよく下るばかりであった。登りよりもわずかに短いコースタイムで駐車場に着き、再び悪路を車で下ったのだが、もう登ってくる車はいないであろうと思ったのが甘かった。途中で2,3台の車と、すれ違いの難しいところで遭遇し、お互いにバックしたりしてもらったりしてすれ違った。また、林道を歩いて下る人も結構いて、よけながら狭い道を走るのも大変だった。途中のある場所では、急坂の途中に大きな水たまりがあり、そのまま走ると車の下をこする可能性があったので慎重に乗り越えようとしたところ、車に勢いがなかったためにスリップして越えられない。仕方なくそのまま惰性で坂を下り、ブレーキを踏み、ローギヤで勢いをつけてそこを越えたのだが、何とその時の衝撃で、ルームミラーの下に付けていたサッカー部キーホルダー(二枚の透明プラスチックケースに、サッカー部の横断幕のデザインの神を挟み込む形のもの)が激しく揺れて、その一方の蓋が取れて外に飛び出てしまったのである。あとで車内を探したものの見つからないので、その時開いていた助手席側の窓から外に出てしまったと思われる。記念の品だけに残念である。
あとは日帰り温泉に浸かり、白樺湖から行きの時以上に美しい蓼科山をカメラに収め、上信越道で大渋滞にはまり、へろへろにくたびれて帰宅した。天気に恵まれ、素晴らしい光景を眺めることができた素晴らしい登山であった。