大学院2年の頃6
*西安ツアー・その6
翌日は西安滞在最終日ということで、西安の東郊外にある秦始皇帝の兵馬俑坑に出かけた。大きな駐車場にバスを置き、一大観光地となっている広場を進んでいくと、目の前に大きな建物がある。この中に兵馬俑坑があるのである。
入場すると、天井の下に柱のない巨大な空間が広がり、半地下に兵馬俑坑が広がっている。奥半分は土に埋もれたままで、ここにはまだ大量の兵馬俑が埋まっているのだという。手前半分のさらに手前半分あたりが発掘され、発掘された兵馬俑が復元されずらりと並んでいる。中は写真撮影禁止なので写真がなく、記憶に頼るのであるが、兵馬俑坑の真ん中ほどに通路があって、そこを歩きながら、立ち並ぶ兵馬俑を背後から見ることができる。よくもこれだけのものをこしらえたものだと思ったが、この後見た秦始皇帝陵も含め、これだけの巨大土木建築を興し、それを実行したことに対して、ある種のばかばかしさすら感じた。
隣には2号館が建てられており、ここはまだ発掘が始まったばかりだという。数年先には見学できるようになるとのことだった(実際に私はその2年後にここを採訪したのだが、2号館を見学することができた。破壊された兵馬俑がまだ半ば土に埋まっている状態をそのまま展示していた)。この後博物館を見学し、かつて群馬でも展示されたことがある銅製馬車や、発掘された様々な出土物を見学した。銅製馬車は分間の森で見た時よりも古色蒼然とした感じがあり、ひょっとすると群馬に来たのはレプリカだったのではないかと思い返された。
その後フリータイムとなり、私と友人、そして高木先生と岡本先生ともう1人の5人で、文物商店に出かけた。私と友人は貧乏学生だから手が出ないが、2人の先生はあれこれ物色して購入していた。
その後秦始皇帝陵に立ち寄った。現在ではきれいに整備されて、これまた一大観光地になっているそうだが、その時は駐車場の前に数店の露店があり、そこからあまり作りの立派でない石段が陵の上まで続き、陵の斜面には一面にザクロが植えられていた。陵の上からは一面の麦畑が広がっているのが見え、麦畑の間に点在する集落は一面に薄紫色の桐の花で覆われていた。周囲は春霞ですっかりかすんでいたが、これでかすんでいなければ、青空をバックにさぞかし見事な眺めではないかと思われた。
駐車場のところの露天で、先生方は瓦当を買った。2人とも10個以上買ったのではないかと思う。先生が乗客だとわかると、店員は次々に瓦当を出してきた。1つ2,000円くらいではなかっただろうか。私は元の持ち合わせがなかったこともあって買えなかったのだが、今思うと先生にお金を借りてまでも購入すれば良かったと思っている。なぜなら目利きの先生方が金を惜しまずいくつも買っていることからして、ここで売られているのは周辺の農民が実際に宮殿跡などで掘り出した本物であるのは間違いないと思われるからである。しかも農民が売っているということは、骨董店が付けたプレミア付きの価格ではなく、骨董店で買うのに比べて相当安いと考えられる。その後私は秦始皇帝陵に行くこともなく、瓦当はおそらく現在ではとんでもなく高くなり、しかも偽物も大量に出回っていることであろうから、本当にあの時買っておけばよかったと後悔しているのである。
始皇帝陵から西安市内に戻り、鼓楼に立ち寄った。ここは文物を展示する場所となっており、古い拓本などを見た。その後は餃子専門店で最後の晩餐ということで大宴会となった。様々な種類の餃子が出され、おばさま方にもたくさん勧められ、食も進み酒も進んだ。
翌日は帰国の途についたのだが、空港のX線検査で岡本先生は、スーツケースの中の瓦当が見つかって、そのいくつかを取り上げられてしまった。中国からは古代の文物は基本的に持ち出せないことになっているからである。先生は荷物のパッキングの際、スーツケースの広い面に対して平行に瓦当を並べたために、すぐにばれてしまったのであった。高木先生はX線検査のことをわかっていたので、スーツケースの狭い面に対して平行に並べたために、検査では細長い長方形が並んでいるようにしか見えず、怪しまれず買ったものをすべて持ち出すことができたのであった。岡本先生によれば、珍しいものばかりが取り上げられ、ありふれたものだけが残されたとのことで残念がっていた。
帰った後は名古屋の友人や後輩とともに岡本先生の自宅を訪問し、早速瓦当の拓本をとって楽しんだ。瓦当を1つもらうことができたが、私がもらったものは破損が多く、あまり気に入らなかったので、ずっと後に後輩にプレゼントしてしまった。
初めての中国旅行は、実に楽しい、得るものの大きい旅であった。秦始皇帝陵で瓦当を買わなかったこと、西安碑林でもっと多くの拓本を買わなかったことは、今でも後悔している。