桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

登山の記82・至仏山③

2006-08-29 22:27:21 | 旅行記

登り始めは樹林帯の中をひたすら進んでいった。斜度はそれほどでもなく、息が上がるということもない。途中から木道が始まるが、尾瀬ヶ原などと違ってあまり整備はされておらず、ちょっと歩きにくい。

木道を歩くと間もなく稜線に出、森林限界を超える。出発時はやや曇っているように思えた空は、すっかり晴れ渡り、一面の青空である。この先の山行が期待された。

尾根筋に付けられた登山道からは、東に燧ヶ岳が雄大に聳えている。そのまま南に視線を移動させると、日光白根山と皇海山の高みがはっきりと見て取れる。西はやや雲が目立つが、山の名前はわからないものの、谷川連峰の山々がずらりと並んでいる。

登山道の左右のあちこちには小さな地塘と湿原があり、真っ白なワタスゲが沢山咲いている。更に進んでいくと、小至仏山にさしかかる。登山道は小至仏山の山頂を通らず、その山腹をトラバースしているのだが、そのトラバースしている登山道の周囲が、素晴らしいお花畑となっていた。

お花畑には、チングルマ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、そして尾瀬、中でも至仏山特産のオゼソウが一面に咲いているのである。家を出てまだ3時間ほどしか経っていないのに、こんなにも素晴らしい高山植物のお花畑を見ることができた感動は筆舌に尽くせないほどであった。ただ、至仏山は特殊な岩石から形成されているからか、これだけのお花畑でありながら、花の種類は少なく、また白と黄色の花ばかりであったのが印象的であった。

お花畑に感動し、帰りはこの道を通らないので、少し後ろ髪を引かれつつ、山頂へ向かって進んでいった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記81・至仏山②

2006-08-26 22:11:54 | 旅行記

至仏山は鳩待峠から比較的登りやすいこともあって、かつては大変なにぎわいで、登山道から外れたハイカーによって踏み荒らされ、植生回復のために登山が禁止されたこともあり、現在でも登れる時期は限られている。私が登った7月頭はちょうど登山が許されている時期であった。

また、昨今の日本百名山ブームで、その一つに数えられている至仏山は、土日はかなりの混雑が予想された。タダでさえ、土日の尾瀬は大変な混雑である。しかも7月頭はちょうど花の時期でもあり、さらなる混雑が予想される。そこへ、ちょうど平日に休みが取れたので、至仏山に登ることに決めたのであった。

この日は朝から良い天気であった。車を走らせて山に近づいていくと、相変わらず空は青い。好天のもとでの登山が期待された。戸倉スキー場の駐車場は空いていた。ここはうまくすると無料で停められるのである。この日も無料で停めることができた。

鳩待峠は平日とはいえ、多くの登山客がいた。しかし、ほとんどの人は尾瀬ヶ原へ下る人と思われる。私は尾瀬ヶ原に行く時は靴の紐は緩く結ぶだけであるが、至仏山に登るために、靴の紐をきっちりと結んで、登山道を登っていった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記80・至仏山①

2006-08-23 22:21:57 | 旅行記

初めて尾瀬に行ったのは大学4年の時だった。前の晩にふと思いついて、友達二人と出かけたのだった。もちろん装備もいい加減で、私は簡単なリュック、友達は肩掛け鞄だった。食料も、パンやクラッカーなど。今と違って小ペットボトルはなかったので、携帯用の水筒の安いのを買い込んで、それに水を入れて持っていった。

現在の尾瀬は、オーバーユース対策のために、鳩待峠までの道路のマイカー規制をしたり、山小屋を完全予約制にしたりしている。しかし、その頃(15年ほど前)は、マイカー規制も午後3時までだったし、山小屋もフリで泊まることができた。

私はマイカー規制のことを知っていたので、夕方に着くように出発した。鳩待峠まで車で行き、空いている無料駐車場に車を止めた。ちなみに今ではその駐車場は有料で、貸し切りバスやハイヤーの駐車場になっている。

そこから尾瀬ヶ原に下り、霧の中を歩いて、6時頃竜宮小屋に入った。同室の人からは、「どこの町にお出掛け?」と笑われてしまった。

翌日は尾瀬沼を往復し、三条の滝に行き、尾瀬ヶ原の北側を回って鳩待峠に戻って帰った。この時は帰りの尾瀬ヶ原で天気が回復し、尾瀬ヶ原を挟んで、東に燧ヶ岳、西に至仏山を眺めることができた。

その後も尾瀬には5回ほど行ったが、至仏山には足が向かなかった。環境破壊が著しく、登山禁止になっていたり、登山可能な時期が限られていたりしたからである。

後に深田久弥の「日本百名山」を読むと、深田が私と同様に尾瀬ヶ原を挟んで燧ヶ岳と至仏山が対峙している様子を見て感動したことが記されていた。これを読んで、今度は至仏山にも登ってみようと思った。ガイドブックによれば、比較的容易に登れる山のようである。しかし何しろ日本百名山の一つであるから、大変な混雑が予想される。何とか平日に登ることができないか画策した。

それを実現したのは一昨年の7月であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記79・四阿山

2006-08-20 20:27:54 | 旅行記

夏休み最後の土日を何もせずぼーっと過ごすのも悲しいので、ふと思いついて四阿山に登ってきました。

四阿山は浅間山の北にあり、日本百名山にも入っている山です。夏場はパルコール嬬恋スキー場のゴンドラを利用すれば、1時間半ほどで登頂できるお気軽な山なのです。日曜日なので混雑が予想されましたが、まぁいいだろうと思って出かけました。

前夜は北軽井沢にある宿に泊まり、今日はそこから自力で登ろうと思ったのですが、そこの宿のツアーに参加すると、ゴンドラや温泉が割引になるとのことなので、ツアーに参加する形で出かけることにしました。

メンバーは同年代の男女8人でした。前の晩は、酒を飲みながら彼らと話したのですが、こういう宿での話のわりには堅い話になり、それでもけっこう盛り上がりました。

ゴンドラで10分ほど登ると、あっという間に2,000メートルの尾根に着きます。ここから尾根筋に1時間半程登ると山頂に着くのです。

ゴンドラを降りると、冬場はゲレンデの斜面には、ヤマハハコの白い花が沢山咲いていました。そこから尾根筋に移り、笹の間に続く緩い起伏のある登山道を進んでいきます。適度な上り下りがあり、風も心地よく、日射しも適度に射して、気持ちよい登山が続きます。メンバーの軽妙なおしゃべりで、疲れも感じずに済みました。

山頂直下で急に斜度がきつくなり、岩場が出てきました。これを登り切ると山頂とのことだったのですが、この頃になると空も見えてきて、右手には根子岳も見えてきました。

山頂はかなり狭く、2,30人も座れば一杯になってしまう感じでした。ちょうど団体の登山客が下山した後だったので、ゆっくりと座ることができました。

山頂では根子岳の方面が見えただけで、北軽井沢方面は全く見えませんでしたが、山頂の上の空は晴れ、夏の日射しが射していました。そこでお昼にしました。例によってスープ春雨とパンとコーヒー。温かいものを飲み食いするにはいささか暑い天気でしたが、適度に疲れた体にはちょうど良かったです。

この後も団体が登ってくることが予想されたので、30分ほど休んで下山しました。案の定、15分ほど下山すると、30人近い団体とすれ違いました。さすが百名山です。早く下山して良かったと思いました。

四阿山行きは、天候には今ひとつ恵まれませんでしたが、楽しいメンバーに囲まれ、時間的にも短く、気持ちの良い登山でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記78・蓼科山④

2006-08-18 21:12:27 | 旅行記

山頂からの眺めは、予想通り素晴らしかった。ちょっと雲がかかっていたものの、周囲の山々をほぼ眺めることができた。北には浅間山、西北には霧ヶ峰の向こうに槍ヶ岳から穂高岳へ続く連峰、西には御嶽山、木曽駒ヶ岳、南には甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳、そして北岳、南東の方角には手に取る近さに八ヶ岳連峰と、中部地方を代表する山々がそれこそ勢揃いしている。中でも、槍ヶ岳と北岳のすっくと天を衝く頂は印象的である。これらの山々を眺めるたびに、いずれはその頂に立ちたいと思う。しかし、その機会はなかなか訪れない。

山頂はほとんど風もなかったが、やはり寒い。水たまりには氷が張っている。山頂には何人かの人が登ってきている。私達が登ってきたコースから登ってきた人はほとんどいないようだったが、彼らはおそらくガイドブックで紹介されている、南側の茅野方面から登ってきている人たちと思われた。

山頂で30分ほど過ごした後、下山した。将軍平の小屋の前のベンチでお昼にした。ここで、S先生から借りてきた鍋に材料を入れ、キムチ鍋をこしらえた。先生の言うとおり下ごしらえをしてきたので、煮立ったところでもう出来上がりである。本当にわずかな時間だった。やはり慣れている人の指示はありがたいものである。

日が昇ってきて温かくはなってきたが、やはり寒さの中での温かいものは本当に美味しい。キムチ鍋であるからなおさらである。私はその他にラーメンをすすり、パンを食べてお昼を済ませた。I先生が持ってきてくれたきゅうりの浅漬けも口直しに美味しかった。

後は来た道をそのまま下山した。駐車場に戻ると、朝方立ち込めていた霧はすっかり晴れ、蓼科山の姿を目にすることができた。帰りに寄った温泉からは、浅間山の見事な姿を眺めることができた。

急遽決めた蓼科山であったが、またしても天候に恵まれ、素晴らしい山行であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記77・蓼科山③

2006-08-15 02:44:18 | 旅行記

樹林帯を抜けると、斜度がきつくなる。足下も礫地に変わり、登りづらくなってきた。休み休み登っていく。

その時、W先生のケータイに電話が入った。部活関係のことだったが、年休を取って出かけてきていることを知らなかったので、学校にかけてもつかまらず、ケータイにかけてきたのだった。こんな山の中でもケータイは通じるようになったのだ。(ちなみに電話を掛けてきた先生とは、その翌年から同じ職場になったのは不思議な縁である。この電話のことも覚えていて下さったのは面白かった。)

そこを登り切ると、ひょっこりと平らなところに出た。小屋があり、小屋の前は広場になっていてベンチなども置いてあり、休めるようになっている。ここが将軍平で、目の前にあるのは蓼科山荘であった。ここで大休止する。空はすっかり晴れ、目の前には山頂部分の山体が聳えている。ここを30分ほど登ると山頂である。

しばらく休んだ後、いよいよ山頂への登りにかかった。登山道には大きな岩がごろごろしており、とても登りにくい。ちょうどトムラウシ山のロックガーデンの岩の合間に灌木が生えているような感じである。また、あちこちで岩の表面が凍っているところがあって、これまた登りにくい。山頂はかなり寒いのではないかと思われた。

灌木帯を過ぎると、森林限界を超え、辺りは岩だらけになった。岩は山頂まで続いている。今度は岩を飛び越えたり、よじ登ったりして進んでいく。これを続けているうちに、目の前に蓼科山頂ヒュッテの屋根が見え、その横を通り過ぎると、一面に大きな岩がごろごろと転がっている円形の広場が目の前に広がった。これが蓼科山の山頂であった。

深田久弥の文章である程度想像してはいたが、なるほど大変ユニークな山頂である。火山(蓼科山もかつては火山であった)特有の火口があるわけでも、アルプスの山々のようなごつごつした岩場があるわけでもない。ただ角が取れて丸くなった大きな岩が一面にごろごろと転がっているばかりなのである。自然の造形の妙の一つをまた知ることが出来た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記76・蓼科山②

2006-08-12 21:55:21 | 旅行記

結局高速から一番近く、登山に時間のかからない山として、蓼科山が選ばれた。東部湯の丸のインターから1時間半ほど南下し、蓼科山の裏側の登山口から登れば、2時間もせずに山頂にたどり着けるようだった。蓼科山は百名山に入っているが、平日ということもあり、また、ガイドブックで紹介されていたのとは異なるルートを取るので、さほど混んではいないだろうと思われた。

長野方面は八ヶ岳連峰が雲の間から見える。日が昇れば雲も取れるだろうと期待しつつ、上信越道を西へと車を飛ばした。長野に入るとやや雲行きが怪しくなってきた。蓼科山があるとおぼしき辺りも、空は高曇りであるが、山そのものは雲に隠れて見えない。果たしてこの先どうなるかちょっと心配だった。そして、東部湯の丸インターで高速を降りた。

東部湯の丸インターから蓼科山までの道はなかなか長かった。しかし、幸いなことに日が昇るに連れて空は晴れ始めた。蓼科山の麓ではまた空は曇ってしまったが、きっと山上では晴れるだろうと期待しながら、車は進んでいった。

蓼科山の麓から夢の平林道に入り、少し登ったところに、七合目の登山口がある。ここに車を置いた。駐車場には車は数台しかない。やはり思ったとおりである。静かな登山になりそうだ。すぐに準備をして登り始めた。辺りは一面の霧である。霧の合間に見えるカラマツの紅葉が美しい。

道は始めから樹林帯の中を登っていく。始めはカラマツ林だったが、すぐに針葉樹林帯に入る。登山道の岩は苔むしている。ここをしばらく登っていくと、霧が晴れ始めた。木々の合間からは光も差し込んでくる。さらに、正面の木々の合間に、ガスを隔てて、お椀を伏せたような山体が見え始めた。どうやらあれが蓼科山らしい。このまま登っていけば霧もどんどん晴れてきそうだ。この先が大いに期待された。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

登山の記75・蓼科山①

2006-08-05 21:06:49 | 旅行記

低山友の会のこの年の秋の例会は、参加者が3人になってしまった。メンバーの何人かが転勤したり怪我をしたりしてしまったためである。そして、私もこの時の登山が低山友の会としての最後の登山になった。

さて、この時は新潟にある守門岳へ登ろうと、私が計画を立てた。高速のインターから登山口が比較的近く、コースタイムもそれほどかからない上、帰途には温泉もある。また、100名山でもないのでさほど人もおらず、また時期的に紅葉も美しいと思われるので選んだのであった。

今回はS先生が参加されないので、恒例のキムチ鍋が食べられない。仕方なく私が先生にナベを借用し、作り方を教わって準備した。材料をすべて前もって下ごしらえし、別々の袋に入れ、山ではレトルトのスープを煮立て、そこに材料を入れるようにするのであった。こうすると荷物ががさばらず、調理の手間も省けるとのことだった。でも、聞いたとおりに調理すると、材料の量も随分少なくなり、パッキングの時もがさばらなくて済んだ。

例によって中間テストの中日、予報では台風が変わった低気圧が通過したばかりで、予報では曇り、しかも山沿いでは雨とのことである。集合場所に集まってみると、やはり新潟方面の山々は雲に覆われて見えない。そこで急遽、長野方面に行くことにし、登る山は持参したガイドブックで見ながら決定することにしたのであった。こんな行き当たりばったりの計画も、低山友の会ならでは、という感じである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする