○2年生の頃⑥
2年生の後期に入ると、同級生達の間から、グループ展をやろうという話が持ち上がった。
大学の中には大学会館という大きなホールがあり、展示施設も2箇所ある。そのうち1つを使って、書コースの同学年のメンバーによる書展を開くことになったのであった。このような展覧会は、私達より4つ上の先輩達が開いて以来とのことだった。私達はグループの名前を「筑志会」と名付けた。名付けたのは梅ちゃんという女の子で、筑波を志して集まってきた、ツクシのようにすくすく伸びる学生達の集まり、という意味で名付けたとのことだった。
皆12月頃から制作を始めた。全体として小品が多かったが、私を含めた男子は2尺×8尺の大きな用紙を使って制作した。私はそれまでずっと練習してきた張瑞図の書風で行草作品を書いた。また、かねてから書いてみたかった漢字仮名交じり書も制作することにした。
途中先生方にも見ていただいた。岡本先生は器用にも張瑞図風のお手本を書いて下さった。先生が張瑞図風の作品を書かれたのは後にも先にもこの時くらいだろう。漢字仮名交じり書は村上先生に見ていただいた。先生は書風や形式については何も言われなかったが、下地に淡墨で書いた3つの円を、書くならもっとしっかり書くようにと言われた。
また、私が先生に本文を墨液で書いたと話したら、先生は「私は生まれてこの方墨液というものは使ったことはありまへんなぁ。」と笑いながらおっしゃった。私はその言葉を聞いて凍り付く思いがした。それ以降私は、展覧会に発表する漢字仮名交じり書は、必ず磨墨した墨で書くことにしている。
同級生のS君は、北魏造像記風の楷書で作品をものしたが、岡本先生に皆が見ている前で酷評されたのをよく覚えている。その後先生は、北魏の造像記風の見事な楷書作品のお手本を書かれた。彼は在学中ずっとこの時書いてもらったお手本の書風で楷書を書き続けた。
同級生のN君は、呉昌碩風の行草書の作品を書いた。これまた見事な仕上がりで好評を博し、彼はこれ以降在学中はずっと呉昌碩風の作品を書き続けた。
他にも皆今までに取り組んだことのないような作品に取り組んだ。中でも女子のHさんは、大字仮名に取り組んだ。針切の書風をもとに半切作品を書いて村上先生に見せたところ、先生は「これでは畳針切れですなぁ。」と笑い声を上げ、彼女が書いたのとは全く異なる、何とも優しい書風の、そして針切の特徴をしっかり捉えた、見事な手本をものされた。あれだけ立派なお手本をもらいながら、彼女はその後書にはあまり熱心に取り組まないまま卒業していった。H君は前衛書に取り組んで見せた。Iさんはろうけつ染めに取り組み、出来上がった生地を使ってクッションを作って展示した。(続く)