桑の海 光る雲

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今夏二回目の礼文

2015-09-02 21:54:02 | 旅行記
8/6〜8に続いて、8/24〜27と礼文島に行ってきました。本当は北アルプスか南アルプスに3泊4日で登るつもりでしたが、天気予報では曇りや雨なのでキャンセル。急遽航空券を手配し、いつもの星観荘に予約を入れました。

この時期に行くのは多分10年ぶり。もう高山植物は見るべきものがないので、晴れた礼文岳に登り、北のカナリアパークに行き、喫茶談と海鮮処かふかに行くことを目的に出かけてきました。幸い天気に恵まれ、景色もきれい、同宿の人も楽しい人ばかり、食べた料理は皆美味しく、満足しました。

そして、わずか16日後に再び礼文を訪れることにしたもう一つの理由。それは、前回の礼文の旅のさなかで、親しい先輩が亡くなるという悲しい知らせを受け取り、このままでは礼文が私にとって悲しい記憶を伴った島になってしまうのが嫌で、何とかできるだけ早く再訪して、礼文をいつまでも楽しい場所にしておきたかったのです。悲しい知らせを受けた8/7から、気持ちが定まらないような気分がしていたのですが、礼文できれいな景色を眺め、美味しいものを食べ、楽しい人達と接して、何とか吹っ切れたように思います。

8/24

前回同様に新幹線で上京。平日なのでビジネスマンで混雑する羽田から飛び立った稚内便は半分しか埋まっていない。

到着した稚内は気温18度ということで、飛行機から降りたときの涼しさに驚く。フェリーターミナル行きのバスに乗ってお天気屋の前を通ると、何と定休日の札が!

仕方なく青い鳥でカレー風味ラーメンを食べる。昔はスープにわずかに黄色い色が付いているだけなのに、ほんのりカレーの辛みが付いている不思議な味付けだったが、今では単にカレー粉を溶かしているだけで興ざめ。もう食べない。

本屋で時間をつぶしてフェリーターミナルへ。最終便は半分くらいしか乗っていない。 迎えの車に乗り込むと、結構若い人がいるので驚く。

宿に着くと、8月に入ってから初めてというくらいに夕日がきれいということで、日没後に夕食ということになり、皆カメラを持って外へ。私はスコトン神社から眺める。新品のカメラで夕日を撮ろうとすると、変な光が写り込んでてんでダメ。どうにもうまくいきませんな。。。何とかその変な光が写り込まないようにして写真を撮った。

日が沈んでから夕食。同宿者では社長だけが知っている人だった。全体として年齢層は高い。何だかまた品数が減った気がするのは気のせいだろうか?刺身は間違いなく1枚ずつ減った。ウニも少ない。この時期はもうムラサキウニになっている。今年はウニが不漁なので、明日からはもうないとのことだった。

この日は満室だったので、食事時もミーティング時もわりあい盛り上がった。たばこ吸いの人が多く、たばこスペースではもっと盛り上がっていたようだった。私は本当に久しぶりにデネブの部屋に泊まった。

8/25

今日はとても天気が良く、予定通り礼文岳に登ることにした。礼文岳に登るのは10年ぶりくらいで、その時は山頂で雨に遭って急いで下山したのを覚えている。晴れた礼文岳の登るのは学生時代以来22年ぶりのはずだ。

登山口の内路に行く途中、浜中のアザラシがたくさん見られるところに立ち寄ると、今までに見たことがないくらいたくさんのアザラシが休んでいるのが見えた。また、今までで一番岸の近くまで来ており、声まで聞こえた。ゴマフアザラシは確かにかわいいのだが、漁業被害もひどいとのことで、何だか複雑な気分だった。

帰りのバスの時間もあるので、内路で下ろしてもらった。メンバーはOさん、Kさん、Uさんと私。ちなみに私が最年少。星観荘の宿泊者も年々平均年齢が上昇しており、私はいまだに当日の宿泊者の中で最年長になったことがない。

登り始めは日光を遮るものがないが、風も吹いているのでさほど暑さは感じない。30分ほどで樹林帯に入り、そのままニセ山頂までずっと日陰を歩くので楽である。また、予想以上に登山道がぬかるんでいるので歩きにくい。

休み休み歩いて1時間ほどするとニセ山頂に到着した。ニセ山頂からは島全体と利尻山が一望できる。これほど良い天気に恵まれたのは、学生最後の年である93年7月に登って以来22年ぶりのことである。このときは一人で登り、雲海の上に浮かぶ利尻山を眺めた記憶がある。

ニセ山頂からは一人で登り、他の3人よりも先に登頂した。少し雲が出始めていたが、やはり好天の下での登頂は気持ちいいものである。やや風があり、上着を着て他の3人の登頂を待った。

山頂から見る利尻山は、香深の港から見たときには見えない、島の向こう側まで見えており、利尻山が海の上に浮かぶ山でなく、島であることがよくわかる。反対側を向くと、ゴロタ岬、スコトン岬、金田ノ岬、船泊湾、久種湖が一望できる。まさに島全体が一望でき、素晴らしい眺めである。

まもなく登頂した3人と写真を撮り合った。時間がかかるからとOさんは間もなく先に下山し、残り3人で15分ほど山頂で休んだ。Uさんの発案で、ジャンプして利尻山を飛び越えているような写真を写そうということになった。私はこういう写真を撮ったことがなかったのでいささか恥ずかしかったが、面白そうなのでやってみた。この旅行の前に買ったデジカメにはスポーツモードというのがあり、その設定で撮ってもらったら、とても面白い写真ができた。Uさんの写真も写したが、私の腕が悪く、6回目くらいでようやく満足するような写真が撮れた。

下山後のバスの時間を見計らって、10:45に下山を始めた。休み休み、そして淡々と下り、12時前には下山できた。バスを待っていると、礼文ハイヤーのジャンボタクシーが通りかかり、香深まで300円で乗せていってくれるという。バスの半額なので、バスを待っていた7人で乗せてもらうことにした。2,100円はおそらく運転士のポケットマネーになってしまうのだろうが、どっちにしても安上がりになるのはありがたかった。

香深に到着し、Uさん一緒に、目的だった海鮮所かふかに行くと何と1時間待ち。ちょうどツアー客の昼食時らしい。仕方なく何度も行っている千鳥に行き、ホッケのちゃんちゃん焼きを食べた。確か6年ぶりくらいだったが、久しぶりで美味しかった。

昼食後、桃岩展望台に行くUさんと別れ、私はレンタカーを3時間借り、時間の許す限り回りたいところを全部見て回ろうと考えた。レンタカー会社の受付の人は群馬に出稼ぎに行っていたことがあるとのことで、書類に書かれた前橋という地名を見て懐かしがっていた。

まずは尺忍にある北のカナリアパークに行ってみた。ここは数年前吉永小百合主演で公開された「北のカナリアたち」という映画のロケ地である。元々笹原だったところに、映画の舞台となった小学校の分校の校舎を実際に建ててあるのだが、とにかく利礼海峡を隔てた利尻山の眺めが素晴らしい。よくこれだけの場所を見つけたものだと感心することしきりである。しかし、校舎のセットはいかにも作り物という感じで見るべきものはない。ここは利尻島の素晴らしい眺めを堪能できれば十分であろう。

何でも定期観光バスも立ち寄る、礼文で一番新しい観光名所だそうだが、私が訪れたときには、平日ということもあって2組の客しかいなかった。休憩所の建物には係員1人と郵便局の販売員が1人、駐車場までの道路の入り口と行き止まりのところに交通整理員がそれぞれ1人ずついたが、みんなとても暇そうにしていた。リピーターは吉永小百合ファンでもなければまず現れないだろうと思った。映画自体もあまり面白いものではなかったから。私ももう二度と行かない。

次に車を走らせて一気に最北端のスコトン岬に向かった。スコトン岬はもう数え切れないくらい訪れているが、わざわざ出かけたのは、スコトン岬から利尻山、星観荘、礼文岳、ゴロタ岬がいっぺんに見渡せることを今回知り、この目で見てみたいと思ったからである。天気の良い日でないと全部を見ることは難しく、この日は絶好の天気であり、全部を見ることができるだろうと思ったのである。

いつもはバスと観光客であふれているスコトン岬もこのときはかなり空いていた。駐車場から星観荘の方角を見ると、晴れた空に利尻山、礼文岳、ゴロタ岬が一望でき、その手前に星観荘が見える。星観荘の手前に見えるスコトンの集落の建物が草で隠れて見えないようなアングルを探して、何枚かの写真を写した。星観荘に展示してある同じアングルの写真は真冬に写したもので、雑草の生えているところやアスファルトの道路も全部雪で覆われているので、今目にしている光景とはずいぶん違うが、それでも期待していたとおりの光景を眺められて良かった。

続いて澄海岬に向かった。ちょうど観光バスが出発する直前で、岬には誰もいないことが予想された。果たして岬に行ってみると他に誰もおらず、私は足早に柵を乗り越え、岬の一番先まで行ってみた。かつて観光客が少なく、柵も簡単なものしか付けられていなかった頃には何度も出かけた岬の先端である。真っ青な空の下、海は澄んで青く、遠くにはゴロタ岬の険しい崖が見える。昔星観荘で一緒になった人と訪れたときに弁当を食べ、昼寝をした気持ちいい草地にも下りてみた。風もほとんどなくとても気持ちいい。久しぶりに昼寝でもしたい気分になったが、じきに観光客がやってくると思われたので、写真だけ写し、思いを残して柵の中に戻った。

鉄府の浜に下りて穴あき貝を拾いたいとも思ったが、澄海岬で思いの外時間がかかってしまったので省略し、一気に島の南に向かった。次に訪れたのは桃岩展望台である。これだけ素晴らしい天気なのだから、桃岩展望台から見る利尻山の眺めも素晴らしいだろうと思ったのである。

桃岩展望台に車で来るのは7年ぶりくらいだろうか。既にツアーバスが来る時間は過ぎており、展望台には誰もいなかった。展望台から見る利尻山はやはり素晴らしかった。元地灯台へ向かう遊歩道を少し歩いたところで写真を何枚か写した。星観荘のオーナーが、50年以上利尻山を眺めているが飽きない、と言ったのがわかるような素晴らしい眺めだった。

桃岩展望台を後にして元地へ向かった。現在香深から元地へ抜ける新しいトンネルが掘られており、これまでの桃岩トンネルは封鎖されると聞いたので、くぐり納めをしておきたかったのである。これまで何度も何度もくぐった桃岩トンネルもこれで最後かと思うと、何だか感慨深いものがあった。新しいトンネルは元地の集落の真ん中に口を開けている。接続する道路はどのように付けるのだろうかと思った。そして、このトンネルが完成すると、今は寂れている元地にも、再び観光客が戻ってくるのではないかと思った。さらに、桃岩荘YHに泊まっている客には、この新しいトンネルの開通はやや不便になるなとも思った。

その後返却時間通りにレンタカーを返却し、うすゆきの湯で汗を流し、迎えの車で星観荘に戻った。この日は51日間連続で8時間コースを歩いた伝説の持ち主・Mさんと一緒になった。星観荘の主とも言われたHさんがまだ生きていた頃以来の再会である。懐かしさ以上に、星観荘の主のような存在だったHさんが亡くなってもうどれくらい経つのかな、と思わずにはおれなかった。

8/26

今回の礼文での目的の大半は達成してしまったのだが、まだ達成できていないことがあった。それは船泊にある喫茶談と香深にある海鮮処かふかに行くことである。談は星観荘宿泊者の中でブームになっており、宿泊者がコーヒーを飲みに行くと、一緒にエビ(刺身)が出てくるとのことだった。海鮮処かふかは、海鮮フライ定食が抜群にうまいとのことだった。海鮮処かふかは前の日に行こうとしたのだが満員で入れず、この日を逃すともう行けないので、何としても行こうと決めていた。

この日も天気がよく、特にこの日は海は波立って灰色に見えるのに、利尻山や遠くの稚内の陸地は青く見え、しかも空気が澄んで利尻島の建物や稚内のアンテナや塔まで見えるという不思議な天気だった。島抜けするダンナを見送った後星観荘に戻り、10時過ぎのバス(これは夏の間だけ運行される臨時便である)でスコトンから船泊に向かった。談はまだ営業時間前なので、タコ公園の裏の浜に出て散歩がてら穴あき貝(特に小さいもの)を拾った。船泊湾には礼文でも鉄府の浜と並んで数少ない砂浜があり、十数年前、礼文でも最高気温が30度近くなるような暑い夏だった年には、海水浴客がたくさん出ていたのを覚えている。しかしこの日は気温が20度ほどで、海水浴客など誰もいなかった。

談のオープンに合わせて店に入った。アイスコーヒーとイチジクのタルトを頼んだが、マスターとは挨拶を交わしただけで話も弾まず、私も新聞と本を読むのに夢中になってしまい、結局エビは出てこなかった(この後談に来たOさんという同宿の女性はちゃんとエビを出してもらえ、マスターの奥さんに車に乗せてもらって金田ノ岬に連れて行ってもらったそうだ)。イチジクのタルトも既製品であまり美味しくなかった。

12時のバスで香深に向かう。金田ノ岬を回ると海の向こうに利尻山が見えるのだが、相変わらず青く美しい。途中で去年の集中豪雨で土砂崩れで家がつぶれた現場を通った。あれからもう一年経ったが、まだ島のあちこちで傷跡を見ることができる。完全な復旧はいつのことになるだろう。

13時前に香深に到着し、海鮮処かふかに行く。今日はツアー客が帰った後で、奥の炭火のあるカウンターに通される。ここでホッケのちゃんちゃん焼きと海鮮フライ定食を注文する。ビールを頼もうかとも思ったが、食べきれなくなると困るので我慢する。

ここのちゃんちゃん焼きはちどりと違って、店員が炭火の上で焼いて皿に取り分けてくれる。ちどりで自分で焼いてほぐしながら食べるのに慣れているので、ちょっと違和感があった。食べているうちに海鮮フライ定食が出てきた。ボリューム満点で、しかも美味しく揚がっている。欲張って2品頼んだのだが、やはりむちゃくちゃお腹いっぱいになってしまった。ビールを頼まなくて良かったと思った。やはり動いていないのに大食するのはダメだと思った。

帰りのバスの時間まで、昨日と同じくうすゆきの湯に浸かった。腹がこなれるまで、いつもより長く湯に浸かったりしていたがあまりこなれず、すっかり温まってしまって、上がった後は汗が滝のようだった。

後は15時過ぎのバスでスコトンに戻った。今夜は桃岩から来たSさんというスキンヘッドの人が一緒だった。ウサギのマークが入った服でコーディネートしており、前に見たことがあるような気がするので、おそらく一度星観荘で一緒になったことがあるのだろう。夕食では久しぶりにウニが上がり、ウニ盛りを注文した。もうこの時期はムラサキウニしかないのがちょっと残念だが、この夏はウニが不漁だったことを思えば、5泊のうちに2回もウニ盛りを食べられたのは幸いと言うべきだったろう。この夜もユニークな人が多く、楽しい夜を過ごすことができた。

8/27

いよいよ島抜けである。社長、浦谷さん、加藤さん、沢井さん、そして私が星観荘を出て、加藤さん以外が島を出る。次はいつになるのかな、と名残惜しく思いつつ朝食を食べ、荷造りを済ませ出発時刻となった。

この日は高曇りで、利尻山も礼文岳もきれいに見えている。結局今回は滞在中ずっと利尻山が見えていた。こんなことはおそらく初めてではないだろうか?いつもは滞在中必ず天気が悪くて利尻山が見えないことがあったはずだ。

ターミナルはやはりツアー客がけっこういて、恐らく120人くらいは並んでいた。それでも昔はこの2,3倍くらいの乗客がいたのだから、やはり島を訪れる人は間違いなく少なくなっているだろう。あの頃、恐らく2000年前後は、星観荘からの乗客は皆最後に船に乗り込むので、星観荘から古新聞を持って行き、通路に敷いて座ったり寝転がったりしたものだ。

さて、この日はうねりが高く、稚内から到着したフェリーは、2階にあるタラップに横付けすることを断念し、昔ながらのタラップを付け、そこから乗船することになった。2階に並んでいた乗客はいったん1階に下り、そこから改めてタラップを上がって乗船するのである。新しいタラップでは乗船口のだいぶ手前で見送りの人と握手しなくてはならず、いささか物足らない感じがしたが、この日は昔ながらのタラップを使用するので、昔と同じくタラップを上がりながら握手することができた。この日は社長が島抜けするので、オーナーの他に昔ヘルパーをやっていたなぎごんも見送りに来てくれた。

船室に入ると既に広い場所は残されておらず、とりあえず荷物を置いてデッキに出た。UさんとSさんは桃岩荘に泊まったことがあるので、桃岩荘に泊まっていた人達と一緒に歌い、踊り、桃岩荘のスタッフに見送られている。泊まったことのない私と社長は星観荘のオーナーとなぎごんに静かに見送ってもらった。何だか今までで一番名残惜しく、寂しい島抜けだった。

稚内までの間は、何と約20年ぶりにずっとデッキの席でUさんと社長と話して過ごした。気温は低いのだが、長袖を着ていれば何とか過ごせる。今まで稚内までは船室や通路で寝て過ごしていた。約20年前はどこにも座るところがなく、稚内までかろうじてデッキの席に座っていた。今回は、2人と話し始めたらとても面白く、そのままいつの間にか稚内に着いてしまったという感じだった。2人はヘビースモーカーなので、外にいた方が何かと便利だったのだろう。

稚内に着いた後、Sさんは桃岩荘のグループと一緒に車に乗って出かけていった。私と社長とUさんはいつものお天気屋に向かった。ここでいつものリシリアンカレーを食べ、コーヒーを飲み、先に出発する社長を見送った。続いて稚内駅から特急サロベツで出発するUさんを見送った。

2人を見送った後、昔とはすっかり変わってしまった稚内駅周辺を少しぶらつき、空港行きのバスに乗って空港に向かい、15時過ぎの便で羽田に戻った。

前回の礼文行きで、姉同然の存在だった、大学の先輩のSさんが亡くなるという知らせを受け、礼文島に悲しい思い出ができてしまった。告別式に参列した後も、何だか心ここにあらずという感じだった。北か南アルプスに行く予定がキャンセルになり、急遽チケットを手配して、十数日ぶりに礼文へやって来た。晴れの礼文岳に登り、車であちこちきれいな景色を見て回り、美味しいものを食べ、楽しい人達と接して、再び礼文島で良い思い出ができた。Sさんが亡くなったショックも、何とか吹っ切ることができたと思う。無理して行って良かった。
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