○運命の出会い8
私が小学校に行っていた頃から、ある競書雑誌に作品を送っていた。この雑誌に、中学生のお手本を書く人で、「西林乗宣」という人がいた。この人の書くお手本は、他の人と書風が異なっていた上、いろいろな展覧会で発表される作品の書風も、やはり他の人と全く違うもので、子供心にも変わっているなと思っていた。
中3の年の4月1日、地元紙の教職員の異動の一覧に、この人がM高校に転勤したことが書かれていた。この人は高校の先生だったのだ。ひょっとすると書道の先生なのかも知れない。M高校に行けば、この人に教わることができるかも知れないのである。M高校は県下随一の進学校である。私の力ではあと一歩というところだが、努力次第で何とかなるところにはいた。
11月。私は県書道展を見るため、自転車で1時間ほどの所にある美術館に出かけた。この展覧会を見るのは初めてであったが、書道展とは言いながら、私が競書雑誌で接している書道とは全く別の世界にいるような不思議な感じがした。
入ってすぐのところには、漢字部の審査員の作品が展示されている。そこにこの人の作品が展示されていた。今井凌雪先生の「書道に親しむ」で見た篆書という書体で、大きな文字が三つ書かれている。その作品は、展覧会のグランプリを受賞していた。その作品の前で、学生服を着た人が数人、誰かと話している。そこにいたのは、競書雑誌の写真で見慣れた西林氏だった。様子からすると、西林氏の作品をM高校の教え子が見に来ているようである。
私はその作品の圧倒的な力にすっかり心を奪われてしまった。M高校に行けば、こんなすごい作品を書く先生に教わることができるのだ。今井先生がテレビで書いて見せた篆書や隷書も、その書き方を教えてくれるに違いない。その頃私は成績は伸びつつあったものの、まだ志望校が確定していなかった。しかし、この作品に接したことがきっかけの一つとなって、M高校を受験しようと心に決めた。
3月。本番の入試の出来は今ひとつだったが、何とか拾ってもらって、合格することができた。合格発表は7時から行われたのだが、私は事情があって8時頃見に行った。ちょうど生徒の通学時間にぶつかっており、私が「受かった…」と呟くと、すぐに野球部の人達に囲まれ、胴上げされた。
西林乗宣先生には、今でもご指導を頂いている。恩師の1人である。