桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について⑮

2007-03-30 21:03:07 | 日記・エッセイ・コラム

○運命の出会い8

私が小学校に行っていた頃から、ある競書雑誌に作品を送っていた。この雑誌に、中学生のお手本を書く人で、「西林乗宣」という人がいた。この人の書くお手本は、他の人と書風が異なっていた上、いろいろな展覧会で発表される作品の書風も、やはり他の人と全く違うもので、子供心にも変わっているなと思っていた。

中3の年の4月1日、地元紙の教職員の異動の一覧に、この人がM高校に転勤したことが書かれていた。この人は高校の先生だったのだ。ひょっとすると書道の先生なのかも知れない。M高校に行けば、この人に教わることができるかも知れないのである。M高校は県下随一の進学校である。私の力ではあと一歩というところだが、努力次第で何とかなるところにはいた。

11月。私は県書道展を見るため、自転車で1時間ほどの所にある美術館に出かけた。この展覧会を見るのは初めてであったが、書道展とは言いながら、私が競書雑誌で接している書道とは全く別の世界にいるような不思議な感じがした。

入ってすぐのところには、漢字部の審査員の作品が展示されている。そこにこの人の作品が展示されていた。今井凌雪先生の「書道に親しむ」で見た篆書という書体で、大きな文字が三つ書かれている。その作品は、展覧会のグランプリを受賞していた。その作品の前で、学生服を着た人が数人、誰かと話している。そこにいたのは、競書雑誌の写真で見慣れた西林氏だった。様子からすると、西林氏の作品をM高校の教え子が見に来ているようである。

私はその作品の圧倒的な力にすっかり心を奪われてしまった。M高校に行けば、こんなすごい作品を書く先生に教わることができるのだ。今井先生がテレビで書いて見せた篆書や隷書も、その書き方を教えてくれるに違いない。その頃私は成績は伸びつつあったものの、まだ志望校が確定していなかった。しかし、この作品に接したことがきっかけの一つとなって、M高校を受験しようと心に決めた。

3月。本番の入試の出来は今ひとつだったが、何とか拾ってもらって、合格することができた。合格発表は7時から行われたのだが、私は事情があって8時頃見に行った。ちょうど生徒の通学時間にぶつかっており、私が「受かった…」と呟くと、すぐに野球部の人達に囲まれ、胴上げされた。

西林乗宣先生には、今でもご指導を頂いている。恩師の1人である。

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書道について⑭

2007-03-19 22:28:49 | 日記・エッセイ・コラム

○運命の出会い7

「書道に親しむ・かな」を見始め、私も少ない小遣いを工面して、仮名を書くための筆を購入した。何千円もするものばかりで困ったが、自分の買えるだけの値段で、しかももし買い間違っても後悔しない、700円の「水かき」という名の筆を買ってみた。家に帰って早速仮名のまねごとを書いてみた。もちろんお手本などない。書き方は、テレビで見た先生の書きぶりを思い出しながらやってみた。(この筆は高校の書道の授業での仮名書道の授業でも使い続けた。)

テレビではよく「散らし書き」とか、「三角法構成」とか、「古筆」とか、「高野切」とかいった名前を耳にした。中でも「高野切」という作品は、古今和歌集を書き写した平安時代の作品で、仮名書道の最高峰の作品だという。先生はその書風を「なまめかし」と評していた。

私はその「高野切」がどういうものなのかを知りたくて、市内で一番大きな本屋に行き、その作品が掲載されている本を見てみた。薄茶色の紙に、何だかよくわからない仮名文字がずらずらと書き記されている。下にはその読み方が記されているが、テレビで見覚えのある文字もいくつかある。テレビでの先生の解説では、紙には雲母の細かい粉末が撒かれているとのことだったが、本に掲載されていた写真ではそれはよくわからない。そして、この作品のどこが「なまめかし」なのかもよくわからない。

でも、とにかく古くて素晴らしいものなのだという先生の言葉を信じて、本に掲載された「高野切」をよく見た。よく見ているうちに、変体仮名という、今では使われていない仮名文字も少しずつわかるようになってきた。また、古今和歌集が書かれているということで、百人一首に入っている有名な歌が平安時代にはこのように書かれていたのだということも理解できた。

テレビの講座はどんどん進んでいき、いよいよ最終回となった。番組の最後で先生が、「書道に親しむ・漢字」の初回で、今井凌雪先生が書かれたのと同じくらい大きなボードに向かって、巨大な仮名文字を書き始めた。今までは小筆で繊細な文字を書かれていた先生が、大きな筆に持ち替えて、巨大な紙面に向かっているのは驚きであった。

大きな構えで先生は紙に文字を書き始めた。大きな文字だけれど、何と書いてあるのかはわからない。書き上がって、生徒役の人達が協力してボードを起こした。先生はそこに書かれた文字を読み上げた。

昨日と言ひ今日と暮らして明日香川流れてはやき月日なりけり

一度聞いただけのその時は歌を覚えきれず、正しく理解したのは高校に入学してからであった。この歌が「古今和歌集」に収められた春道列樹の歌であることも。

高校に入学して、書道準備室にあった「墨」という雑誌で特集されていたのは今井凌雪先生であった。高校の書道の授業で使った教科書を編纂したのは村上翠亭先生だった。高校では私は図らずも、村上先生のお手本で勉強できることになったのであった。

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書道について⑬

2007-03-09 21:40:54 | 日記・エッセイ・コラム

○運命の出会い6

村上先生による「書道に親しむ・かな」は思った通り素晴らしい内容であった。今井先生同様、優しくソフトな関西弁の語り口で、時に関西人らしいユーモアも交えて話される。今井先生同様、授業形式の番組だったが、今井先生の時以上に和やかな雰囲気であった。

そして、何よりも印象に残ったのは、先生の筆先から生み出される仮名の書の線の素晴らしさ、そして、先生の筆さばきの見事さであった。また、仮名書道はとてもゆっくり書くことを初めて知るとともに、先生が枕腕(ちんわん)という、紙の上に伏せた左手の上に右手を置いて筆を構える、つまり、右手を空中に浮かせたまま、筆先だけが紙に接するようにして文字を書く様子にもびっくりしてしまった。小筆は手を紙に付けて書くものだと思っていたからである。

仮名書道はまず、仮名書道特有の線を引くことから始まる。それができたら、いろは歌をひらがなで一文字一文字離して書く。その次に、変体仮名という現在では用いない仮名文字を書く。次いで文字を二字、三字、四字と続けて書く。その際、ひらがなと変体仮名を混ぜて書く。それができたらまとまりのある語や俳句を書く。ここで作品の構成を学ぶ。さらに和歌を書く・・・という過程を踏んでいく。番組ではこの過程をゆっくりゆっくりと進んでいった。それはまるで、先生が仮名文字を書く時のゆっくりとした筆運びと同じように。

それから6年後、私は番組で行われたのと全く同じ過程で、仮名書道を勉強することになる。しかも、番組同様、村上先生にご指導いただいて・・・

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