桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について76

2013-10-28 22:15:21 | 日記・エッセイ・コラム

*お稽古について

お稽古の時は、始まる10時頃まではお稽古場のあるマンションのロビーで待っていた。お稽古の順番は先着順で、昼前に終わるために私はいつも始発電車と新幹線を使って上京していた。ロビーではお弟子さん達といろいろな話をしたが、中でも先生にまつわる昔話などをいろいろ聞くことができたのは楽しかった。寒い時期にはロビーでは寒いので、近くのドトールコーヒーで朝食を食べながら過ごしたこともあった。しかし、年が経つにつれてロビーで待つ人の数も減り、家を出る時間も徐々に遅くなっていった。最後の方ではロビーに1,2人の人しかいないことも珍しくなくなった。

さて、お稽古で私は、「銀雀山竹簡」「鮮于璜碑」「大盂鼎」「祭姪文稿」「懐素千字文」を臨書した。お稽古のたびに先生が折帖に臨書してくださり、折帖が終わると新しい古典に移る、というのを繰り返した。いずれも先生が得意とされるものを選んだ。私が用意した安物の折帖への臨書を先生はあまり良く思われなかったようだが、中にはバッタ物で購入して臨書をお願いした折帖の書き味の良さに、毎回お褒めの言葉を頂くこともあった。

お稽古は毎回30分ほどで、持参した私の半紙の臨書作品を2,3分で軽く見てくださり、後は折帖への臨書であった。毎回3,4折書いてくださる。先生は、口頭での批評の際は老人性の傾向も出ておられたが、批評はいつも私が一番突かれたくないところをずばりと指摘されるのには、毎回恐れ入るばかりであった。筆を持って書かれるときは全く普段通りで、私はいつもその筆使いに見とれるばかりであった。時には筆をねじる筆法などを実演してくださったが、私には結局できずじまいで、いつしか先生も教えてくださらなくなってしまったのは、きっと不肖の弟子と諦めてしまわれたからに違いない。

日展と読売書法展の前には2尺×8尺の作品を見ていただくこともあった。この時の批評もやはり、私が一番指摘されたくないところをずばり指摘される。珍しく褒められることもあったが、全体としては欠点の指摘の方が多かったように思う。けれども、他のお弟子さんの中には、いつもこっぴどく批評される方もおり、見ていて気の毒に感じたこともあり、その中で私はまだ良い評価をしてもらっていた方ではないかと思われる。いずれにしても、口頭での批評の際は、切り上げどころを見極めて「ありがとうございました」を言わないと、同じことの繰り返しが始まるので、いつも区切りを見つけようと身構えていなくてはならなくて大変であった。

平成19年5月をもって先生の東京のお稽古が終わることとなり、最後に選んだのは「蜀素帖」であった。欲張って両面書写が可能な折帖を用意したのだが、表面を全部書き終わったところで終了となってしまったのは残念であった。

先生はお稽古の際は昼時には外食をされる。私は14年間で2回だけご一緒させていただいたことがある。奥様と、幸運にもご一緒できた弟子とが賑やかにおしゃべりするだけで、先生はその横で静かにお昼を召し上がっているだけであった。

最後のお稽古の時は、田町からクウェート大使館前のマンションまでの道のりを、周囲の景色を記憶に刻むようにしながら歩いた。横断歩道から見える東京タワー、慶應大学や普連土学園やA宗の寺院へ向かう人の波、聖坂の下から眺め上げた景色。もうあの景色を見なくなって6年にもなる。

もちろんできるはずもないが、あのお稽古の時の話しぶりを録音しておけば良かったと、今でも残念に思っている。先日入手した、先生が出演されたNHK教育テレビ「書道の親しむ」のビデオを見て、先生の書きぶりと話しぶりを思い出している。

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焼岳

2013-10-02 21:59:30 | 旅行記

9/30(月)

私に山の素晴らしさを教えてくれた叔父の書棚にある、北アルプスの写真集に掲載されていた、焼岳噴火の写真が、私が焼岳の存在を知った初めての機会でした。アルプスにも火山があるんだと、新鮮な驚きで見たのを覚えています。

3年前の夏、槍穂縦走をした際、穂高岳の山頂から見下ろしたのがはじめで焼岳を目にした最初の機会でした(上高地にはそれ以前に2回訪れていますが、いずれも雲に隠れて見えなかったのです)。9/28に北アルプスに登った友人がUPしてくれた写真が素晴らしく、29日も好天が続くとのことで、1日で容易に登って帰ってこられる焼岳に登ろうと決めました。

2時に起き、いろいろあって2:45に出発。一路上高地の手前にある中ノ湯温泉の登山口(焼岳山頂まで最短コース)を目指します。登山口近くの道路の路肩の広くなったところに車を置くのですが、ここが休みの日はすぐにいっぱいになってしまうとのこと、遅くとも6時には着いた方がいいとのことで、この時間の出発となりました。眠気と戦いながら運転すること約3時間、登山口周辺の路肩は既に満車、登山口から200mほど上った路肩に車を置き、30分ほど仮眠をして出発しました。

最初は樹林帯の緩やかな道が続き、次第に傾斜がきつくなっていきましたが、それほど辛い登りではありません。団体で登っている人もおらず、登る前は団体をいくつも追い越すことになるのかと思うとうんざりしましたが、幸い出会うことはありませんでした(恐らく団体はバスの便が良い上高地から登ってくるのでしょう)。小さなピークを一つ越えたあたりで樹林帯を抜け、目の前の木々の間に焼岳の山頂が見えはじめました。ナナカマドが赤く紅葉し始めています。空は青く、双耳峰の間にある噴気口からは真っ白に噴気が立ち上っているのが見えます。

針葉樹林帯が落葉樹林帯になり、木の高さが低くなり、間もなく灌木帯(低木帯)になると、いよいよ山頂に向けての最後の登りになります。登山道は、北峰と南峰の間から下る谷筋に付けられており、真正面に見える噴気口からは真っ白な噴気が盛んに上がっています。登山道の両脇にあるナナカマドは紅葉が進んで、空の青とのコントラストがきれいです。後ろを振り返ると、左後方には乗鞍岳が聳えています。右手には霞沢岳が聳えています。真後ろを振り返ると、はるか遠くには先月登った中央アルプス、さらに遠くには、甲斐駒ヶ岳・北岳・間ノ岳が並び、甲斐駒ヶ岳の向こうには富士山もちょっぴり頭をのぞかせています。

それにしても素晴らしい天気、そして青空です。焼岳は火山で、大正時代には大噴火も起こしているので、山頂付近には木が生えていません。ナナカマドがなくなると、あとは岩だらけの道になりました。岩の周囲にはイタドリが生えており、既に霜で茶色く枯れていました。

北峰と南峰の間の鞍部までがけっこうかかりました。鞍部に着くと火口湖である正賀池が緑色に水をたたえているのが見えました。池の南側には登頂できない南峰、正面遠くには笠ヶ岳が聳えています。噴気口は鞍部の少し上にあります。ごーごーと音を立てて噴気が立ち上っています。今まで大雪山の旭岳や、那須岳の茶臼岳などで噴気口を見ましたが、ここまでの迫力ではありませんでした(十勝岳は別。あそこは危険なので近寄れません。)。噴気の硫黄分に反応したのか、途端にくしゃみと鼻水が出始めたのには困りました。

噴気口の下を通り、ぐるっと回り込むと、目の前に穂高連峰がばーんと聳えているのが突然目に飛び込んできました。左奥には槍ヶ岳も見え、右手下方には大正池が見えます。雲一つ無い快晴の空の元に聳える山々。それはそれは素晴らしい眺めでした。

北峰への登山道への途中に上高地からのルートが合流し、あちこちから噴気が上がっている岩場を少し登ると、北峰の山頂に着きました。時間にして2時間半。途中カメラのトラブルがあったりして、ちょっと時間がかかってしまいました。

山頂は意外と広く、既に20人ほどの人が座っていました。山頂からの眺めは素晴らしいの一言に尽きます。右手に霞沢岳、その奥に平坦な蝶ヶ岳、正面に奥穂高岳、そのすぐ右に吊尾根を挟んで前穂高岳、左にはジャンダルムと西穂高岳の独標、奥に並んで槍ヶ岳、さらにその奥に三俣蓮華岳、鷲羽岳、黒岳と並んでいます。左手には笠ヶ岳、左後方には遠く御嶽山、さらに後方には乗鞍岳が見えます。焼岳の標高は2,455mと、北アルプスの中ではさほど高くはありません。しかし、火山ということで、他の山から離れたところにぽつんと聳えているので、標高はさほど高くなくても、眺望はこのように素晴らしいのでしょう。槍ヶ岳~奥穂高岳、前穂高岳、木曽駒ヶ岳~空木岳、北岳~間ノ岳はいずれも登頂したことがあり、例によってあの山頂に一度は立ったことがあるのだと思うと、感慨深いものがありました。

山頂は風もなく、見事な景色を眺めながら食べる昼飯はいつもより美味しく感じました。ロッククライミング用とおぼしき赤いお揃いのヘルメットをかぶり、「SWAT」と書かれたベストを着た老夫妻、目の前に聳える山が何という山か知らず、地図に載っていた大正池を「おおまさいけ」と読んでいた、赤髪と金髪の若者2人組、山頂標のすぐ後ろの岩に腰掛け、記念撮影の邪魔になっていることもものともせずに、金麦の大缶を悠然と飲み干した中年の女性(単独行)、ビニール袋からざく切りキャベツと味付けホルモンを取り出して、大きな鍋に空けてもつ鍋を作り始めた男性2人組など、ユニークな人が山頂にたくさんいたのが印象的でした。
山頂で1時間以上過ごして下山しました。

下りは同じルートを戻ります。登りの時は日陰になっていた霞沢岳にも日が当たるようになりました。行きは後方に聳えていた乗鞍岳ですが、帰りは目の前に聳えます。もう少し早い時間に登っていれば、午後に乗鞍岳にも登頂できたのでしょうが、次の機会に取っておくことにしました。下りも登りとほとんど同じくらいの時間がかかってしまいました。

帰りに温泉に入るわけですが、帰りは中ノ湯までのジグザグの山道を運転するのが嫌なので、そのまま山を登って安房峠を越え、平湯温泉に行きました。バスセンターと一緒になっている日帰り温泉に入りましたが、露天風呂からは正面に笠ヶ岳が聳え、あの山にもいずれは登らなければならないな、という思いを強くしました。帰りは安房峠は越えず、安房トンネルをくぐって(ETCが使えたのは驚きでした)帰りました。

次に登るべき山がいくつも見えてしまいました。来年は黒岳、鷲羽岳、笠ヶ岳あたりを登ることになるでしょうか?

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