桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

劔岳

2009-08-30 22:19:37 | 旅行記

私が日本アルプスの山の名前で一番初めに知ったのは劔岳です。叔父が山好きで、叔父が持っていた山の写真集を、叔父の家に行くたびに見せてもらい、そうする中で覚えてしまったものとみえます。私が劔岳の名前を口にしているのを聞いて叔父は「劔岳はものすごく急な山で、そう簡単には登れない山なんだよ。」と言ったのを今でも覚えています。それがもう30年以上前の話。

その後知人のSさんが登って、その山行記を読んだり、「日本百名山」の本を読んだり、実際に富山から眺めたりといった機会はありましたが、さすがに登ろうという気にはなりませんでした。

ところが一昨年鹿島槍ヶ岳に登り、その山頂から劔岳を眺め、どうしても登りたいという気持ちがわき上がってきました。またこの夏になって、「劔岳・点の記」の映画を見てその気持ちについに火がつき、その上知人のYさんがこの9月の上旬に登るという話を聞いて、これはもう登るしかないと腹を固めたのです。VAAMを飲んで山に登ると疲れ知らずだということを知ったこと、別の知人のYさんが登った時のことを教えてくれたのも、その気持ちを後押ししました。

8/24,25は夏休み最後の休暇を取ってありました。当初は近場の山に登るかとも考えていたのですが、念のため劔岳のある立山町の天気予報を調べると、両日とも晴れ。しかも25日は午前中は晴れて午後は曇りとあります。これはおそらく、朝のうちは快晴で、昼に近づくにつれてガスが出てくるという天気だろうと予想されました。劔岳は登山口にある山小屋に泊まって登るのが一般的です。そうなると、ガスが上がってくる前の快晴の空のもと登頂できるのではないかと思われました。

そこで、24日は自宅を出て、高速をとばして扇沢まで行き、立山黒部アルペンルートで室堂に行き、そこから登山口の劔山荘で泊まり、25日は早朝に登り始め、朝のうちに登頂し、下山して、時間にゆとりがあれば立山にも登頂して、室堂から扇沢に戻り、そのまま高速をとばして帰宅するというプランを立てました。

24日は5時に起床しましたが、空は一面の雲で、しかも思った以上に肌寒く、びっくりしました。慌てて荷物の中にフリースを詰め込みました。

高速は平日ということで空いています。今回は平日の利用なので料金1,000円は適用されませんが、それでもETCの割引は適用されるでしょう。でも、少しでも料金を安く上げるために、扇沢の最寄りのインターである豊科まで行かず、ずっと手前の長野で降り、オリンピック道路を通って扇沢まで行きました。

アルペンルートは平日ということもあってか割と空いていました。黒部ダムに着くと空はだいたい晴れ、黒部湖の向こうに、北アルプスでも最も山深いところにある黒岳と赤牛岳が聳えています。これらの山に登れるのはいつの日になることでしょうか。

その後の乗り継ぎもスムーズに、室堂に着きました。そば屋で腹ごしらえをし、VAAMを飲みました。室堂では空の高いところにガスが立ちこめており、立山の山頂はガスの中です。これから登る別山乗越は見えますが、そこまで登る長い長い登山道が斜面についているのが見えます。これからあれを延々登っていくのかと思うと、登る前からうんざりします。

登山道は地獄谷経由です。地獄谷とは硫黄やガス、温泉(熱湯)が激しく吹き出しているところです。そう、立山は実は火山なのです。この地獄谷の向こうに遠く劔岳が聳え、かつて立山信仰が盛んだった頃は、立山を浄土、地獄谷と劔岳を地獄にたとえていたそうです。確かにそうした信仰のためには、室堂は道具立てがそろいすぎています。硫黄のにおいの立ちこめる地獄谷を通過するのはかなり苦しかったです。

そしていよいよ、別山乗越への登りにかかりました。幸いなのはハイマツの間に登山道が付けられているので、適度に風が吹き、樹林帯の中を歩くのと異なって、涼しく歩けるのです。約1時間半ほどの長い登りでしたが、心地よい風と、時にガスの間から姿を現す立山を眺めながら登っていきました。

別山乗越では劔岳の姿が一望できるのですが、残念ながらガスの中でした。ここで昨日の日記を書き、これから劔岳に登る予定のYさんにメールを送りました。するとすぐに折り返し、Yさんから電話があったのはおもしろかったです。

別山乗越から劔山荘までは一面のガスの中をひたすら下っていきます。帰りにここを登るのかと思うとちょっとうんざりしました。雪田やハイマツ帯、お花畑(既に花はほとんどない)の間を通って劔山荘に到着しました。

劔山荘はとても新しく、何でも新築して3年目だそうです。しかも館内はスリッパを履きます。部屋の中もとてもきれいで、畳も青々とし、布団もとても清潔です。スタッフも皆若くしかも数も多く、こうした人達の力でこのようなきれいな小屋が維持されているのだと納得がいきました。

さらにこの小屋がすごいのは、何と温水シャワーがあることです。小屋のある劔沢は水が豊富で、谷を挟んで反対側にある劔沢小屋もシャワーがあります。しかも使用制限時間もなく、全身にかいた汗を存分に流せるのです。以前尾瀬沼の長蔵小屋に泊まった時、風呂に入ったことがありますが、この時は浴槽につかり、かぶり湯は1人で洗面器2杯だけで、汗を充分に流せなかったのを覚えています。しかしここのシャワーは、石鹸類の使用は不可であるものの、全身をこすって汗を洗い流せるのが本当に素晴らしい!シャワーから出るととてもさっぱりしました。外に出ると、夕風が肌に本当に心地よかった!

外へ出てみると、さっきまで山にかかっていたガスが晴れています。劔山荘からは一部しか見えない劔岳も、向かいの劔沢小屋まで行けば見えそうです。夕食まで時間があるので出かけてみました。

日が沈み始めているためか、気温がだいぶ下がっているのがわかりました。フリースをはおって劔沢小屋に向かいました。劔山荘から離れるにつれ、次第に劔岳の本峰が姿を現し始めました。ガスの間に夕方の光を浴びて本峰は輝いています。

こちらも新築したばかりの劔沢小屋に着くと、目の前に劔岳が鋭く聳えています。劔岳のこの姿を見たかったのです!夕方の光に照らし出され、薄いガスのベールをかぶった鋭く天を衝く劔岳。深田久弥「日本百名山」の「一つの先端を頂点として胸の透くようなスッキリした金字塔を作っている」という一文がまさにぴったりのその印象的な姿でした。明日の朝にはあの山頂に立っているのかと思うと、心躍らずにはおれませんでした。

小屋に戻って靴置き場にある靴を数えると80足ほどあります。ここの定員は160名とのことで、今夜は定員の半分程度の入りだということがわかります。

部屋に戻って本を読んでいるうちに夕食の時間になりました。山小屋の夕食ですから多くは求めませんが、一昨年泊まったキレット小屋並みの、山小屋の夕食としてはレベルの高いもので、充分満足しました。同じテーブルに座った一人の学生風の若者が気が利いており、テーブルの人達のご飯や味噌汁を全部よそってくれたのはありがたかったです。

夕食後も料理が配膳されたテーブルがあります。私が食堂でテレビを見ていると、スタッフが動き始めました。そう、この料理を口にする人達がやって来たのです。

入ってきてびっくりしました。何と9人のグループのうち2人は目の不自由な(おそらく全く目が見えない)人だったのです!彼らが食卓を囲みながらしている話を聞くと、どうやらこの2人の目の不自由な人達をサポートして、この一行は劔岳に登頂してきたというのです!目の見えない人があのカニのタテバイやヨコバイを登ったり降りたりしたというのが全く信じられませんが、しかし、彼らはこの2人のために朝早くから夕方までかかって、小屋と山頂を往復してきたのは間違いないようです。

この2人が劔岳登頂に傾けた情熱はどんなものだったのでしょう。さすがに私は彼らに話しかけることはできませんでしたが、しかし、彼らが私よりも先に劔岳に登ってきたということは、私に強い衝撃を与えるとともに、大きな勇気をも与えてくれたように思いました。

翌日は4時半起床、5時出発と決めました。ヘッドライトを持っている人はもっと早く出かける人もいるようでした。私は持っていないので、日の出を待って出かけることにしたのです。荷造りをしてトイレに行き(何と山小屋のトイレにして便座が温かかったのです!)7時頃に床につきましたが、眠れるはずはありません。寝酒を飲もうかとも思いましたが、標高が高いのでアルコールの回りが早く、頭痛に悩まされることも考えられたのでやめました。念のため1錠だけ持ってきたサプリ(普段眠れない時飲んでいる)を飲み、耳栓をして目を閉じました。でも、結局1,2時間おきに目を覚ましてしまい、熟睡できたとは言えませんでした。

同じ部屋の人達が起き出す音が聞こえたので時計を見ると4時半を過ぎていました。私が寝ていたすぐ横に窓があり、結露していたので手で拭いてみると、やはり外は曇りです。夕べは星も出ていたのですが、今日はやはりガスの中の登山となるのかとがっかりしてよく見てみると、なんと二重窓でした。外側のガラスも結露していたのです。

それを拭くのももどかしく、窓を開けてみると、なんと雲ひとつない快晴!しかも間もなく日の出と見えて、東の空が明らんでいます。洗面と荷造り、着替えを済ませて外へ出ると、目の前にすばらしい光景が広がっていました。

何と、一昨年登った五竜岳と鹿島槍ヶ岳が並んでいるのが見えたのです。そしてその向こうは一面の雲海で、その二つの山のちょうど中間の彼方から今にも太陽が昇ろうとしていたのです!

一昨年私は、鹿島槍ヶ岳の北側のキレット小屋から、劔岳方面に沈む夕日を見て感激した、その反対に今回は、鹿島槍ヶ岳から登る朝日を見ることになったのです。その取り合わせの妙には、感激せずにはおれませんでした。

しかし、ずっとそんな感慨に浸っている暇はありません。5時には出発したいので、パンを慌ててほおばってお茶で流し込み、洗面を済ませて再度外に出ました。

すでに何人かの人はヘッドライトをつけて出発したようですが、私は持っていないので、まだ薄暗い中を、東の空のわずかな明るさを頼りに登っていくことになるわけです。

劔山荘のすぐ裏に、一服劔という小さな山があります。出発して10分ほどしてそこまで登って来た時、ちょうど日の出の時間でした。俺は思わず足を止め、太陽が次第に登っていくさまを眺めていました。ほかの登山者も皆足を止め、そのすばらしい光景に見入っていました。今思うと、その様子も動画に残せばよかったと後悔しています。(ひょっとしたら山頂でご来光を見ている人もいるのかな、とその時は思いましたが、途中で誰とも下山者とすれ違わなかったので、さすがにそんなすごい人はいなかったようです。)

一服劔を登りきり、少し下ると、第一の難所である前劔の登りにかかります。ここですでにいくつかの鎖場があります。鎖場は山頂を往復するまでに13ヶ所あるのですが、この前劔の鎖場からして、すでにかなり危険なところばかりでした。

鎖場などでは三点支持ということが大原則だと、ガイドブック等でも書かれています。これは、両手両足の4点のうち、3点は必ず地面についている状態を常に維持しておく、ということです。2点以上地面から離れてしまうと、バランスを失って危険な状態に陥ることがあるというのです。

実際劔岳では、私が登った最もポピュラーなコースでも毎年怪我人が出ていると聞きます。楽しい思いをしに来ているのに怪我をするのは最低なので(その上単独行だし)、その原則を守ってとにかく慎重に登っていきました。

幸いだったのは、私のすぐ前に歩いていた3人組は、山小屋でアルバイトをしている人達で、劔岳にはもう何度も登り、この日はエキスパートコースである山頂から東のルートを取るとのことで、ヘルメットも着用しているような人達でした。彼らの歩くルートに従って歩いたので、迷うこともなく進んでいけました。

出発時間が早かったためか、登っている人は少ないです。ツアーと思しき人も見られません。ルートは3人組に従いつつ、自分のペースで登っていけるのはありがたかったです。また、狭く険しいばかりと思っていた登山道も、さすがに日本百名山だけあって、ルートも整備され、後から来る人を追い越させてやれるようなところも結構あり、スムーズに歩くことができました。

前劔も、登る前に眺めた時はかなり急に見えたのですが、鎖場を夢中で登っているうちにあっという間に通り過ぎてしまいました。

実はこう見えて私は高所恐怖症です。今回の劔岳登山では、とにかく自分の前や上を見るようにし、後や下は見ないように心がけました。見れば怖くなって足がすくんでしまうのは自分でもよくわかっていましたから。

前劔の下りからがいよいよ劔岳のクライマックスです。鎖を伝って降りたところは本来クレバスになっているところなのですが、後から石を積んで埋めてあります。その上にはしごが渡してあり、その上を渡らなくてはなりません。そのはしごは金網状のもので、足下は丸見え、石は積み上げてはあるものの、左右はすっぱりと切れ落ちており、バランスを崩せば間違いなく崖下に滑落してしまうとても怖い場所です。高所恐怖症の私は、まずここでその洗礼を受けました。

両手を左右に広げてバランスを取りながら足早にはしごを渡り、今回最も緊張した鎖場にとりつきます。ここは斜度が70度くらいある斜面にほぼ水平についている岩の割れ目に足場をとりながら、鎖につかまって移動していくのです。もちろん足を踏み外せば崖下に真っ逆さま。下や後ろは振り返らないようにして、慎重に進んでいきます。この時も、私の前を行く山のエキスパート3人組の足取りが大いに参考になりました。今回の山行では実は一番怖かったのがここでした。

そこを過ぎると平蔵のコルというところに着きます。ここは比較的平坦なところです。ここからが最大の難所である”カニのタテバイ”という登りになります。ここは縦方向に走る70~80度くらいの斜度のあるクレバスを、岩の小さな出っ張りや岩に打たれた杭を手がかり足がかりにし、鎖の力を借りて登っていくところです。

ここは混雑時には登り始めるのに30分くらい待つことも当たり前の場所である上、難所ということもあって毎年滑落してけがをする人が多いと聞いています。私には、こんな大変なところを登れるのか、かなり不安だったのですが、そこで思い出したのは、前日小屋で会った目の不自由な人達のこと。彼らもサポートされてここを登り切ったのです。それを考えれば、私のような人間でも登れないはずはありません。気力を奮い立たせて登り始めました。幸い私の前には例の3人組がすいすい登っていきます。その様子を見てから最初の足場に足をかけ、鎖につかまって崖に取り付きました。後は前述の通り、後ろと下は見ず、前と上だけを見て、常に三点支持を心がけ、一足一足足場を確かめつつ登っていきました。

でも、実は結構あっけなく登り切ってしまいました。時間にして10分程度だったと思います。遠くから眺め、下から見上げた時はもっと時間がかかるかと思っていたのですが、実は距離的には大したことはないようです。でも、登り終わって崖下をのぞき込むと、とんでもないところを登ったんだなと思いました。ちなみにこのカニのタテバイは登り専用で、下りでは通りません。でもそれ以上に、そこからも見えた、さっき通過してきた、平蔵のコルの手前の崖を横切るところの方がずっと怖く思えました。

カニのタテバイを過ぎると、後は岩がごろごろ積み重なる斜面に付けられた登山道をひたすら登るだけです。難所らしい難所もなく、淡々と登っていきます。私の後からやって来た、前夜小屋で一緒になった単独行の人と言葉も交わせるほどの余裕もありました。

登山道の斜度が緩くなると、山頂のほこらが見えてきました。いよいよ山頂です。到着して思わず、「あー、着いた着いた!」と声を上げてしまいました。小屋から山頂まで、ちょうど2時間でした。写真をたくさん写したので、実際はもっと短い時間で登れたかも知れません。

山頂にはすでに10人ほどの人が到着しています。中に、ここが日本百名山の100番目という人がいて、皆に祝福されるとともに、写真や動画に収まっていました。

岩がごろごろした山頂は意外に広く、その真ん中に最高点、やや西側にほこら、東側に三角点(明治時代には四等三角点しか置けず、正式に三等三角点が置かれたのは何と約100年後の平成16年でした。)が置かれていました。その向こうには、映画「劔岳・点の記」でも取り上げられた、明治40年に柴崎氏一行が宇治長次郎の案内で登頂した際のルートとなった長次郎谷が見えます。

それにしても素晴らしい光景です!360度すべてが見渡せます。東側にある後立山連峰の向こうは一面の雲海。一昨年登った五龍岳と鹿島槍ヶ岳が真正面に聳えます。その北には白馬三山。北側には毛無三山がちょこんと並んで聳えています。西側には富山平野と富山湾が広がります。

そして南側。まさに圧巻の光景です。アルプスの山々が勢揃いしています。手前から立山、薬師岳。立山の向こうには槍ヶ岳と遠く穂高連峰。薬師岳の左手には黒部五郎岳。そのすべてが私の未踏峰だと思うと、これらの山々の山頂に足跡を印せるのはいつのことになるのか、まだまだ宿題は多いな、という思いを新たにしました。 

山頂では30分ほど過ごしました。本当はもっと長くいたかったのですが、この後グループが登ってくることがわかっており、騒々しい山頂は嫌だった(この時も山頂には15人ほどの人がいましたが、ほとんどが単独行あるいは2人組だったので、わりと静かだったのです)のと、室堂の最終バスに遅れる(つまり、この日のうちに家に帰れないということ)ようなことがあってはシャレにもならないので、先を急ぐことにしました。

先を急ぐ理由はもう一つあります。それは、南に聳える立山にも登頂したくなってしまったからです。こんな近くまで来て、しかもちょっと遠回りすれば山頂に立ててしまう立山に登らないでおくのはもったいない。しかも改めて室堂から立山に登るのも面倒くさく思われます。さらに、立山に登らずに下山する場合、地獄谷からみくりヶ池への最後の登りが実にきついことは、来る時に見て知っているので、それを登るのはたまったものではありません。また、ここから立山に登頂して室堂に戻るまで、どのくらいの時間がかかるのか、山小屋で確認してくるのを忘れたので、そのあたりも気になります。

というわけで、本当に後ろ髪引かれる思いで下山することにしました。かつてトムラウシに2度目に登頂した時もこうした思いにとらわれましたが、今回はその時以上のものがあります。最後に1枚、南に続くアルプスの山々をバックに写真を写してもらい、さらに東に聳える鹿島槍ヶ岳をカメラに収めて下山を始めました。

下山路の最大の難所であるカニのヨコバイまでは、登山路と同じ道を通りますが、登ってくる人はあまりいません。降りてくる人も私の後にはしばらくおらず、カニのヨコバイは一人で降りることになりそうです。

カニのヨコバイは平蔵のコルの手前の崖の平行移動と同じように、鎖につかまりながら、ほぼ垂直に近い崖の割れ目(靴の半分くらいがかろうじて入るくらい)に足を乗せながら横に移動していくのです。 

まず一歩目が怖い!鎖につかまり、下を見て一歩目の足を置くべきところを確認し、右足を下り始めの岩場に踏ん張り、左足を慎重に下ろしていきます。その時、左足を置く場所は見えません。いや、見る気になれば見られるのでしょうが、高所恐怖症の私には難しい。例によって前と上を見ながらそろそろと横へ移動していきます。足場はしっかりしており、足を慎重に運び、鎖を慎重に持ち替えて移動すれば問題はありません。怖くないと言ったら嘘になりますが、その時やはり思い浮かべたのは、前夜に会った目の不自由な人達のこと。彼らのことを考えれば、怖いなどと言っていられません。

そんなことを考えているうちに、何とカニのヨコバイは終わってしまいました。もっと長く続くと思っていたのですが、これまたカニのタテバイ同様に結構あっけなかったです。でも、ガスがかかったり、雨が降っていたりしたら、岩はとても滑りやすいはずで、やはり難所には違いないな、と思いました。その後長いはしごを下って、下山路の難所は終わりました。

この後は前劔まで登山路と下山路が別になっています。下山路は登山路に比べて歩きやすいルートとなっています。下山路は前劔の山頂は通らず、山頂を回り込んだところで振り返ると、劔岳の本峰が高く聳えていました。さらに下ると、劔岳本峰の姿は前劔に隠れて見えなくなってしまいます。次に見られるのは別山乗越へ登るところからになります。前劔からの劔岳の姿を目に焼き付け、後はひたすら下っていきました。

このあたりから、結構すれ違う人が増えてきましたが、不思議なことにツアーとおぼしき人はおらず、大半は単独行の男性か中高年の2,3人連ればかり。やはり劔岳は登るのが難しい山として、そう容易く人を寄せ付けないようです。

一服劔で休憩を取り、劔山荘まで一気に下りました。山頂で一緒になった静岡の人はそのまま小屋に寄らず劔御前の方へ登っていきました。同じく山頂で一緒になった、前夜ご飯をよそってくれた人は、私と同じく荷物を小屋に預けてあったので、小屋で一緒になりました。「お疲れ様でした。」と声を掛け合って、お互いに苦労をねぎらいました。下山は1時間45分ほどでした。けっこうあっけなかったです。

小屋で地図を確認したところ、立山を回って室堂に下りても5時間ほどしかかからないことがわかりました。これは登らないわけにはいきません。荷物をまとめ、今朝の朝食代わりの弁当を食べ、ひとまず別山乗越に向けて出発しました。

劔岳に登った後なので、登りはかなりきつかったのですが、立ち止まって休んだ時に振り返ると、そこには劔岳の見事な姿がありました。前日の午後はガスで見えなかった劔岳が、青空を突くように鋭く聳えています。あの山に登頂し、ついさっきまで山頂に滞在していたのだと思うと、実に感慨深いものがありました。その後も私は何度も何度も振り返って劔岳を眺めました。

別山乗越で、静岡の人に思いがけなく再会し、労をねぎらいました。ここからの劔岳も素晴らしかった!静岡の人はここで大休止し、その後は内蔵助小屋(そこから2時間ほど)に移動するだけとのこと、私は室堂まで移動する旨を告げて別れました。

私にとって劔岳は、憧れを持って眺める遙かなる山でなく、山頂に足跡を残した思い出深い山になりました。

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蔵王山

2009-08-17 23:06:32 | 旅行記

蔵王は冬のスキーと樹氷で有名です。俺も学生時代に3回スキーで出かけました。4年とMC2年の卒業旅行はいずれも友人達や同じ専攻の後輩達との蔵王へのスキーツアーでした。3度しか来ていませんが、いずれも2泊、3泊と泊まり、しかも朝から夕方まで滑りまくっていた(俺は下手だったけれど下手は下手なりに)ので、どこにどのゲレンデがあるか、どうやればどのゲレンデに行けるか、今でもだいたい思い出せるくらいです。

就職して3年目の夏に東北に旅行した時、仙台から山寺、茂吉記念館をまわって仙台に帰る時、刈田岳にあるお釜を見に行きました。今回の蔵王行きはその時以来です。

そういうわけで今日は、蔵王山の最高峰・熊野岳に登り、そのまま南下して磐梯山にも登ろうと考えていました。

ところが目が覚めると空は昨日までと打って変わって一面の曇り。予報は晴れ時々曇りということで、これは山頂は雲の中だろうと考え、登山は蔵王山のみにすることにしました。

上山から蔵王山系に入っていきます。カーブをいくつも曲がりながら登っていくと次第に空が明るくなり、道路の斜度が緩やかになったところで、突然青空が現れました。そう、雲海の上に出たのです。ちょうど雲が標高1,700Mくらいのところに浮かんでおり、それより高い山々は、みんな雲海の上に頭を出していたのでした。

リフトに乗って刈田岳の火口であるお釜を見に行きました。前回はガスの中で、湖水もはっきりしない色でしたが、今日は青空の下、湖水は鮮やかな緑色をしていました。同じ火口湖でも、草津白根山の湯釜の白水色の湖水とは大違いです。不思議なものです。

その後熊野岳に登頂しましたが、昨日同様ツアー客はまったくおらず、家族連れもまばらで、お釜周辺は普通のツアー客がたくさんいたのに、山頂付近はとても静かでした。遠くには飯豊連峰と吾妻連峰と思われる山々が、雲海の上に頭をのぞかせています。前日登った朝日連峰は雲の中で見えませんでした。

昨日と同様の青空の下、心地よい風が吹き抜けていきます。かつてスキーの時にロープウェーで登った地蔵岳はあのあたりかな、などと思いながら周囲を見下ろし、山頂でのんびりして下山しました。

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朝日岳(大朝日岳)

2009-08-17 23:02:14 | 旅行記

ネットで朝日岳(大朝日岳)に日帰りで往復できるかどうか調べてみたところ、どっやら健脚であれば8~9時間で可能であるとわかったので、出かけることに決めました。

朝6時に目覚めてみるといい天気!早々に準備と朝食を済ませ、7時過ぎに出発しました。 登山口の古寺鉱泉までの道は長く狭く大変でした。駐車場もほぼいっぱいでしたが、かろうじて1台停められたので、すぐに準備をして早々に出発しました。車の横には水場があります。

最初は尾根筋に取り付くまでのきつい登りです。しかも今日は朝から気温が高い!汗を防止するために頭に巻いている手ぬぐいがぬれていくのがわかります。 尾根筋に出ると、後はアップダウンを繰り返しながら高度をかせいでいきます。尾根筋なので、時折木々の間から風が吹いてくるのが心地いい!

歩きながら気づいたのですが、このあたりは大豪雪地帯で、山々には雪崩の跡が生々しく残っています。そのため植林が行えず、山々は自然のままに木々が立ち並んでいるのです。このような経験は北海道でしか経験していなかったので、本州の山では新鮮でした。

また、この山は火山でないために水が豊富で、ちょうどよい頃合いのところに水場があるのです。アルプスの山や火山の山では水の心配をしなくてはいけないのですが、この山は事前にそのことを調べてあったので、心配せず登れました。

2時間ほどきつい登りを我慢しつつ登ります。そして古寺山の山頂に到着しました。目の前にこれから登る大朝日岳が聳えています。少し雲は出始めましたが、問題はありません。

小朝日岳は登頂せず、エスケープルートをとりました。ここもきつく、途中こらえきれずにリュックからクッキーを一枚取り出し食べました。このクッキーは夕べホテルの近くのコンビニでなんとなく買っておいたものですが(普段は甘すぎるので買わない)、これがまさかこんな形で役立つとは思いもかけませんでした。これを食べなかったら、登頂できなかったかもしれません。

これを過ぎると登山道は大朝日岳への尾根筋に出ます。ここから山頂までの道がすばらしかった!目の前に大朝日岳が聳え、それを眺めながら少しずつ山頂に近づいていくのです。尾根筋ですから風も心地よく吹き過ぎていきます。

豪雪地帯らしく雪渓も残っており、その跡の雪田にはまだチングルマなどの高山植物も咲いています。これらを見ながら登り、山頂直下の避難小屋に到着しました。

ここからが最後の登りですが、最後のひと踏ん張りということで力を振り絞って登っていき、何とか到着しました。山頂には無数のトンボが乱舞しており、ちょっと不思議な光景でした。

それにしても周囲は山ばかり。人工物は遠くに道路とひとつの建物が小さく見えるだけです。大朝日岳がいかに山深いところにあるかが実感できます。また、四方の山々に登山道が続いており、縦走する人もあると思われました。

昼食と写真撮影を済ませ、20分ほど滞在してすぐ下山しました。雷の予報が出ていたからです。

ここから不思議な感覚を味わいました。俺は実は登りよりも下りが苦手なのです。鹿島槍に登った時は、最後の下りでコースタイムオーバーという失態を演じてしまったくらいです。今日の下りも、途中にかなりのアップダウンがあり、これはひょっとするとかなりバテて足にも疲れや痛みがくるんじゃないかと危惧されたのです。

ところが、それが今日はほとんど感じられなかったのです。もちろん水場がいくつもあって、その都度休んで水分を補給したこともあると思うのですが、途中一番登りが続くところで、何と登りの時と同じくらいのペースで、しかもほとんど休まずに登りきれたのです!これはほとんど脅威でした。かつて知人に勧められ、試しに今日登る前に飲んでおいたバームの力がまさにここで発揮されたものと見えます。

あとは来た道をひたすら戻るばかりでしたが、登山口に戻ってからも、いつも感じる足の裏、ひざ、足の付け根の軽い痛み、全身のバテバテ感をほとんど感じませんでした。 まったく不思議です。

そうしたことは別にして、朝日岳登山そのものは、天気も眺めもよくいい登山だったと思います。そして何より、登山ツアーの人達がまったくいなかった(お盆でチケット等が高いためでしょう)ことが、その良さをより強調してくれたように思います。そう言えば、鹿島槍もそうだったように思います。

8:28登山開始
11:58山頂到着(登り3時間半・コースタイムは5時間)
12:18山頂出発
15:23登山口到着(下り3時間ちょっと〈ただし途中稜線で携帯で10分ほど話した時間を含む〉・コースタイムは4時間半。)
本来のコースタイムは9時間半なのですが、俺は昼食と電話の時間を別にすると、6時間半で往復してきたわけです。そんなに急いだつもりはないのですがね。。。

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月山

2009-08-17 22:58:47 | 旅行記
雲の峰いくつ崩れて月の山(松尾芭蕉「おくの細道」より)

この句は実際に月山を眺めた(訪れた)芭蕉が詠んだ句です。

今日は山形は月山に登りに来ました。今朝7時前に家を出、大渋滞の上り線を横目に、下り線をすいすい飛ばしたものの、月山の登山口に着いたのは12時過ぎ。やはり山形は遠かった!しかし、天気はすばらしく良く、山は夏特有の薄いもやはかかっているものの、空は高曇りで、登山口では心地よい風が吹き、ピーカンに比べればずっと登りやすそうです。

月山は豪雪地帯にある関係で、夏でも雪が多く残っています。遠くからでも雪が点々と残っているのが眺められたほどでした。かつては夏スキーのメッカとして知られましたが、今はどうなんでしょうか?それでも長く雪が残っていたと見えて、雪があった辺りでは、チングルマやニッコウキスゲなどがまだ咲き残っていました。月山は南側にスキー場があって、かなり上の方までリフトが付いており、夏でも営業しているので便利です。今回はこのようにスタートが遅かったので、最短ルートを取った次第。本来は北にある羽黒山から入り、月山に登り、湯殿山から下るのが正式な出羽三山の登り方だそうです。

正式といえば、俺は今までの登山で、これほど信仰のために上る人達に会ったのは初めてでした。富士山でも白装束の人はわずかながらいましたが、月山では多分20人くらいは会いました。そして、うち5人くらいは完全な修験者スタイルで、腰にはほら貝(!)まで付けており、しかも実際に吹き鳴らしていました。実際に吹いているのを見聞きしたのは初めてでびっくりしました。しかも、5人のうち1人は若い女性で、なおびっくりしました。

俺が登った東北地方の山は、確か八甲田山以外は全部、山頂に神社や祠が祭られていたと記憶します。中でも出羽三山は現在でも最も篤く信仰されている山であることを実感しました。なぜなら、山頂(月山神社が祀られている)に到達するのにはお祓いを受けなくてはいけないのです。しかもお祓い料を払わなくてはいけません。しかもお祓いも、一人一人にちゃんと行い、その後紙製の人形(ひとがた)に息を吹きかけ、それに厄を移して水の入った器に投げ入れて厄を落とすという念の入れよう。でも、下山の時に、何だか晴れやかな気分になったのは気のせいでしょうか?登っている途中、南に遠く朝日岳連峰が望めました。猛烈に登りたくなってしまいました。
登山は結局、登り1時間ちょっと、下り1時間と短いものでした。下山したら3時半でした。帰りにちょっと足を伸ばして羽黒山五重塔を見に行きましたが、途中正面はるか遠くに聳えていたのは鳥海山でした。これまた猛烈に登りたくなってしまいましたが、秋田はあまりに遠い! 実際に登れるのはいつのことになるでしょうか?
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