桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

’05・8月の北海道・その5

2005-08-31 21:32:15 | 旅行記
8/17

今日は天気も良さそうなので、念願の音更山から石狩岳へ続く尾根を歩くことにした。朝食前に準備を済ませ、朝食後すぐに出発した。

ゆわんと村近辺では曇っていたのだが、層雲峡にさしかかると空が晴れはじめ、大雪湖辺りではきれいに晴れ渡った。

ユニ石狩岳への登山口となる林道を進む。駐車場には3台の車があり、入山届けを見ると、皆6~7時にスタートしている。私は8時スタートである。(以下、ゆわんと村HPの歳時記に掲載した文章を引用する。)          

以前音更山と石狩岳には別々に登ったことがある。石狩岳に登った時はガスの中だったのだが、音更山に登った時は快晴で、石狩岳に続く尾根をそのままたどっていきたい衝動に駆られた。けれどもその時はあまりの暑さにへばってしまっていたので、そのまま下山してしまった。
今回は初めから石狩岳まで足を伸ばすつもりでいたので、音更山までのきつい登りも切り抜けることができた。8時から登り始めたのだが、音更山の山頂に近いところで、6時から登り始めた人たちに追いついてしまった。表大雪は少し雲がかかっていたが、それ以外は雲海の上で、鋭くそそり立つニペソツ山、トムラウシと、そこから続く十勝岳連峰が一望できた。
音更山から眺める石狩岳の山容は実に雄大であった。「日本百名山」で深田久弥が浅間山を「膨大な容積」と評していたのを思い出したが、石狩岳の山容もその言葉がぴったりのように感じられた。それでいて山頂はあんなに狭く、また大きく張り出す東側斜面に対し、西側斜面は大きく窪んでいるのだから面白い。
比較的歩きやすいと思われた尾根は実際はそうではなかった。かなりのアップダウンがあり、ごろごろした岩場や、ざらざらとした砂礫地、ハイマツ帯が続き、歩きにくかった。それをやり過ごした後の石狩岳山頂直下の登りは実にきつかった。
午後になると雲が上がってきて、午前中のような素晴らしい眺めはもう見られなくなってしまったので、早々に下山した。6時から登り始めた人たちは、音更山往復であったが、鳴兎園で再び追いついてしまった。鳴兎園周辺は、昨年の台風の倒木がひどく、コースが一部変更になっていた。
結局、9時間以上かかるコースを7時間ほどで歩いたのだが、ニペソツ山並みのアップダウンで、かなりへばってしまった。なお、音更山-ブヨ沼間で、クマらしき動物を見かけた。このコースでは鈴が必需品である。

下山したのは3時過ぎであった。一緒に下山した人より早くスタートし、車がほこりまみれになるのを防いだ。

層雲峡に到着し、例によって黒岳の湯に浸かった。ゆわんと村には4時半頃に着いた。今日はGW以来の宿泊者一人である。初めての時はかなりドキドキしたが、2回目なので、今回は大丈夫である。山で撮した写真をUPしたりして過ごした。コーヒー勝負は昨日も今日もkojiさんとサシでの勝負だったが、昨日は勝ち、今日は負けた。どうも今年は負け癖がついてしまっている。

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’05・8月の北海道・その4

2005-08-30 22:55:35 | 旅行記
8/16

今日はゆわんと村へ向かう。時間にゆとりがあるので、9時過ぎまでYHでだらだらする。避暑に来ているK村さんともいろいろ話す。

例によってスタッフの皆さんが見送ってくれる。かつては小さかった白樺もすっかり大きくなり、YHの建物から斜里岳は見えなくなってしまった。見送ってくれるところに植えてある白樺も同様に大きく育ち、YHの建物の高さをはるかに越えている。

一昨日通った道をそのまま引き返す。池田からは一面の畑の中の道を、なるべく通ったことのない道を選んで通ってみる。
更別から国道に入り、今日の目的地、中札内美術村に到着する。

中札内美術村はいくつかの美術館が集まっているのだが、私は坂本直行記念館しか見ないので、他の美術館のことは知らない。ここでは柏林の中に建物が点在している。柏は葉が大きく、それだけでも他の木とは異なった趣があるのに、林が柏の木ばかりだと、何か一種不思議な雰囲気を醸し出しているように思われる。宮澤賢治が「かしはばやしの夜」という童話を書いたのも、何となくわかるような気がした。

坂本直行記念館に入る。今年は墨だけで描かれた花の絵、毎年お馴染みの、六花亭の包装紙に使われた花々の絵(腐生植物のギンリョウソウを描いたのが一番良かった)、そして、水の景色を伴う山の油絵が展示されていた。特に墨で描かれた花の絵は初めて見るもので、絵の具を使ったものとは異なる良さがあった。また、油絵もいずれも初めて見るもので、水面と山肌の描かれ方の対比が印象的だった。

残念だったのは、今年はスペースの半分が別の画家の展示になっていたことである。それは見ず、坂本直行の絵を見直して記念館を出た。

お昼は隣にあるレストランポロシリで食べた。毎年のことながら美味しい。昼時を過ぎていたので、窓際の席でのんびりと味わった。

その後は、帯広の六花亭でゆわんと村のためのお土産を買い、ひたすら北上した。

ゆわんと村に到着すると、F見さんご一家がいた。その後、S間さんとぐっちが来た。S間さんは約10年ぶりの再会である。ぐっちは仕事の休みに合わせて山に登るとのことだった。夕食後、ライダーの人が2人泊まりに来た。何でも、某大学のアイスホッケー部のOBで、釧路で行われている合宿の陣中見舞いがてら、ツーリングをしているのだそうだ。彼らも加え、見知った面々と、にぎやかに楽しく過ごした。

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’05・8月の北海道・その3

2005-08-29 21:09:01 | 旅行記
8/15

7時過ぎに、大雨の中、YHを出る。北見駅には9時前に着く。駐車場がなかなか見つからず、少し離れたところに止める。安全を考えて、有料駐車場にした。

8月中限定販売のフリー切符を買い、快速「銀河」に乗り込む。帯広でお昼にしたいし、六花亭にも行きたいので、一番便の良い「銀河」往復にした。マニアなら各駅停車で往復すべきなのだろうが、これでは出発が早くなり過ぎ、帰りが遅くなり過ぎてしまう。私はただ乗り通せればいいので、往復快速にした。

車内は結構たくさんの人が乗っている。鉄ちゃん系の人はあまり多くなく、お盆休みのためか、旅行風の人達が多い(実際多くの人が帯広まで乗り通した)。

雨がぱらつく中、出発した。車窓の風景は例によって見慣れたものである。停車する各駅では、どこでも何人もの人が乗り降りした。地元民はあまり多くないようだ。やはり鉄ちゃんのようである。停車駅ではカメラを向けている人が結構いる。

停車駅の多くはきれいに改築されていて、廃止後はどう利用されるのかと思った。置戸を過ぎると山に入る。北見と足寄の分水嶺を越えるのである。人家一つ無い森を通り過ぎると、民宿夢舎のある小利別に着く。車窓から見える家々は廃墟ばかりのようだ。

小利別の次は、「秘境駅」HPで紹介されている秘境駅・川上である。森の中の道路脇に、古びた駅舎がぽつんとあり、他には何もない。

陸別は日本で一番寒い町として知られている。沿線では足寄、本別に次いで大きい町のように思えた。陸別の次が、昨年車で訪れた薫別である。ここも「秘境駅」HPで紹介されている。牧草地の中にぽつんとある駅である。

この先は牧草地の小さな駅が続き、大きな町に入ると足寄である。あの鈴木宗男氏の出身地である。そのせいか、駅は沿線で一番立派である。そう言えば、宗男氏の生家に行くための道が通る”ムネオ”踏切なるものもあるそうだ。この駅も、廃止後はどうなるのかと思った。

池田に到着した。池田ではJRの列車に連結される。JRの方が空いていると思われたので、そちらに移動する。のんびりと席に座り、帯広に向かう。窓を開けると、昨日と同じ生ぬるい風が吹いて来る。十勝地方は晴れて暑い。

帯広に着いた。六花亭で菓子を買い、駅の豚丼店でお持ち帰り用の豚丼を買い、帰りの列車の中で食べる。帰りの列車はとても混んでいて、ほとんど満員である。私も北見に向かう高校生に囲まれてしまった。池田で進行方向が変わることを忘れていて、池田からは来る時と同じ車窓風景になる。本別で席が空いたので、反対方向に座る。後は、車窓風景を眺めながらのんびり汽車旅を続ける。

小利別の分水嶺を過ぎると、置戸は雨だった。北見では上がっていたが、空は曇っていた。

夕食は北見のなか卯で簡単に済ませた。YHに戻る前に緑清荘によって風呂に入った。玄関でK村さんによく似た人を見かけたが、あの人は冬しか来られない人なので、見間違いだろうと思った。

YHに戻ると、やはり見かけたのはK村さんだった。今年から夏に休むことができ、旅得北海道のプランでやって来ているそうであった。再会を喜び、いろいろ話した。


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’05・8月の北海道・その2

2005-08-28 21:54:06 | 旅行記
8/14(日)

小樽について快晴だったら、そのまま北上して暑寒別岳に登ろうと、いつも考えているのだが、なぜか小樽ではいつも曇りである。今年も実はひそかにそう考えていたのだが、やはり曇りだった。よって、予定通り東へ向かう。今日は、シゲチャンランドによってイーハトーヴYHに向かうことにした。その前に、毎年のごとく、港のすぐ近くのなか卯で冷たいうどんを食べる。

まだ車の数も少ない札幌の町を通り抜けると、道は一面の牧草地に入る。牧草地が終わると夕張の山に入る。ここから十勝清水まではずっと山道である。この道はここ数年間毎年通っているが、今年は帰省ラッシュと重なり、かなり道が混んでいる。でも、おかげでスピードの出し過ぎにならず助かる。

十勝清水に下りた後、今年は通ったことのない上士幌方面の道を通ることにする。窓を開けるが、暑い。生ぬるい風、しかも湿気がある。いつもの北海道ではない。おかしい。

ひたすら東へ向かい、釧北峠を北に向かう。ここからシゲチャンランドまではすぐだ。しかし、昼時で、腹ごしらえをしたいので、相生の道の駅のそば店に行くことにする。ここは昨年満員で断念したところで、あとからとても美味しいと評判を聞いた店である。そば店はとても混んでいて、かろうじて相席で座ることができた。そばはやはり噂に聞いていたとおり大変美味しかった。天ぷらもしっかり作ってあって、大いに満足した。

その後シゲチャンランドに向かった。お客さんは誰もいなかった。門を入るとすぐにシゲチャンが気付いて近づいてきた。嬉しいことである。私も自然と笑顔になる。

チケットを買い、まず駐車場にあるシゲドンと不思議なモニュメントの2作品を、シゲチャンと一緒に見る。思うままに作っているように見えて、実は細かなところに計算がされていて、それを自分なりに考えながら見い出すのだが、今回はシゲチャンが制作意図などを解説してくれるので、また違った視点で見られるのが嬉しい。

今回の新作は、ノーズハウスのスモモの種を同心円状に並べた作品と、ヘッドハウスのトッタン(トタンを切り抜いて作った作品群)、レモン君(レモン模様の布の、レモン一つ一つに目鼻を描き加えた)、布地に小さな作品を貼り付けた小額であった。特にスモモの種は、昨年訪れた時干しているのを見たので、ああ、あれがこの作品になったのか、と思うと楽しかった。他の作品のいずれも面白くて、にやりと笑いながら作品を作っているシゲチャンの表情が想像できて面白かった。布地の小額は、向田邦子の言葉を借りれば、「盗んで帰りたい」ほどの傑作揃いだった。

売店で奥さんのココさんに会った。びっくりされてしまった。まず、今年は腕時計をなくしていないことを告げて安心してもらった。さすがに3年続けて購入するのはアホである。ここで、トッタンが売られているのに気付いた。特に、板に打ち付けられて、小額にされているのがイイ!でも、一番のお気に入りのは大きすぎて部屋に飾れない。よって2番目に好きな小さいものを購入した。

イアーハウスに行こうとしたら、古びた電話ボックスが置かれている。去年はここには何もなかったのに。ははぁ、来年はこれを作品にするつもりだな、と思った。後でシゲチャンに聞いてみようと思った。

一通り見終わって、例によって豊かでほんわかした気分になって、ワークショップ・シゲチャンクラブに行った。シゲチャンがのんびりとタバコを吸っていた。例年の通り、30分ほど、本やアートの話、今年の新作の話、来年の計画等々、いろいろな話を聞いた。電話ボックスの入手に関する話も面白かった。

私も昨年同様作品を作ってみた。今年は白い豆を使い、豆を二つ向き合わせ、目と口を描き、横顔が向かい合ってキスしているような(向かい合った顔がキスをしている有名な彫刻作品もイメージしていた)、あるいは二つの豆を合わせて一つの顔に見えるような、そんな形に作って、ペットボトルのふたに針金で固定した。シゲチャンは、ちゃんと制作意図を見抜いてくれた。途中で、シゲチャンが冷たいコーヒーを持ってきてくれたのも嬉しかった。

2時間以上滞在して、後ろ髪引かれつつランドを後にした。後はひたすら清里まで向かった。

イーハトーヴYHは満館だった。満館といっても、一人旅で満員、というのではなく、家族でベッド部屋まで個室利用していたのだった。そして、今まで以上の客層の変化にびっくりし、とまどった。そんなわけで私は別室に一人で寝ることになった。でも、他の人を気にせず、ゆっくり寝られたのは言うまでもない。

夕食は太田で食べた。この時期の名物・インゲンの天ぷらはうまかった。



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「東野邊薫の文学」展を見て

2005-08-28 20:00:03 | 日記・エッセイ・コラム
今日は郡山まで足をのばし、こおりやま文学の森で開催されている「東野邊薫の文学展」を見てきた。本来は大船で開かれている、先輩のグループ展を見に行くつもりだったのだが、この展覧会は見逃すと二度と見られないように思えたので、こちらを優先した。

東野邊薫は昭和18年下半期の芥川賞を「和紙」によって受けた作家であるが、中央ではほとんど活動しなかったため、現在では、地元福島を除いては、知る人ぞ知る作家である。

私は以前から芥川賞の歴史に興味を持ち、芥川賞全集を、北海道旅行中に北見のブックオフで見つけて衝動買いしてしまい、その読破に向けてあと2冊のところまできている。

それ以前に、芥川賞の歴史についてまとめた至文堂の「芥川賞事典」を入手し、かなり細かく読んでおいてあったのだが、その中で、その中で扱っている、昭和51年以前の作品の中で唯一、銓衡委員全員の一致で授賞が決まったのが「和紙」であることを知った。

実際に読んだのはしばらく後であった。もちろん戦時中の世相を反映しているので、幾分戦時体制に合わせたところはあるが、様々な困難な状況下で、手を取り合って温かく生きる人々の姿、そして一組の男女の秘めた恋と別れが、淡々とした筆致の中にも印象深く、みずみずしく描かれていた。(読んだ後、三浦哲郎の受賞作「忍ぶ川」を思い出した。)

その後、ネットで筆者や作品についていろいろ調べたのだが、今ひとつぴんと来なかった。それが、今回この展覧会の開催を知って、出かけてみることにしたわけである。

こおりやま文学の森はこじんまりとしたところで、展示スペースもあまり広くなかった。展示品も多くなく、期待していた「和紙」の原稿もなかった。芥川賞の賞品も、別の展示館に展示されているとのことだった。しかし、やはり本物の力は大きい。当時の文藝春秋や各種新聞・雑誌、「和紙」の初出の雑誌である「東北文学」、「和紙」の初版本等々。狭いスペースであったが、30分近く滞在して、じっくり見学した。そして、学生時代は演劇に熱中し、戯曲作品をいくつか残していること、「和紙」は地元を取材し、半年以上かけて執筆したこと、教師と作家の二足のわらじを履き、福島という土地に根ざして活動を続けていたこと、退職後は思うままに執筆活動をしたいという希望を持っていたのに、その直前に急逝したこと、等を知った。

この展示館は、200円の入場料に、何と図録を付けてくれるのである。これは実に嬉しい配慮であった。図録には展示品の写真がすべてカラーで掲載されており、実に有り難いものであった。

時間的に早かったし、地図で調べると郡山から近く、便も良いので、二本松にある安達ヶ原ふるさと村先人館にも行くことにした。

そこでは、芥川賞の賞品(戦時中で正賞の時計が入手できず、代わりに河井寛次郎の陶器が贈られ、戦後に時計が贈られたのであった。これは初めて知った。)2点、愛用の着物や筆記用具、自筆原稿などを見ることができた。やはりここでも本物の力に圧倒された。(同じ展示館には高村智恵子の紙絵が展示されていたが、こちらは複製品でガッカリした。)

結果的には、一番見たいと思っていた「和紙」の自筆原稿は見られなかったのであるが、芥川賞の賞品をはじめ、やはり本物の力は大きい、ということを実感した。

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’05・8月の北海道・その1

2005-08-27 22:12:59 | 旅行記
今日からこの夏2回目の北海道行きのことを書く。今回は日記形式で。

8/13(土)

5時に家を出る。大雨と帰省ラッシュで関越高速はかなり混んでいる。特にSA・PAはどこも満杯。これが動き出したら、ひょっとするとフェリーに間に合わない恐れもあったのでヒヤヒヤする。高速道路への去年の地震の影響は大きく、かなり路面がでこぼこしている。中央分離帯や側壁なども傾いているところがある。

フェリーの駐車場もほとんど一杯である。これが全部乗り込むのかと思うと・・・受付も長い行列ができている。きっと満員だろう。混んでいるせいか、乗船が予定より早まる。乗り込むとやはり満員。二等寝台はなぜか今回も上段。上段は暑いのである。

フェリーの中では旅程を考える。今回はおおよその目安はあったのだが、細かくは全く考えていない。決まっているのはちほく高原鉄道に乗ることくらいである。ひょっとすると今まで泊まったことのないところに泊まるかも知れない。よって今回は時刻表やとほも持ってきた。

考えた結果、2日目:シゲチャンランド・イーハトーヴYH泊、3日目:ちほく高原鉄道・イーハトーヴYH泊、4日目:中札内美術村・ゆわんと村泊、5日目:どこかの山登り・ゆわんと村泊、6日目:モエレ沼公園・いちえ泊、7日目:離道と決めた。

あとの時間はひたすら寝ていた。食事は例によってレストランで摂ったが、夕食で食べたスープカレーがなかなかだった。

夜は、例によって暑い上に、通路を挟んだはす向かいに寝ている巨漢の男性のイビキがものすごくうるさく、耳栓をしてもまともに眠れなかった。


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’05夏の礼文・その10

2005-08-26 21:24:45 | 旅行記
8/4
いよいよ島抜けである。Hさん、M好夫妻、韓国から来たKさんと一緒である。例の4人組は最終便なので、レンタカーを使って島をまわるらしい。最後の挨拶でも、4人組は”異彩”を放っていた。

フェリーはこれまでと異なり、空いていた。去年まではいつも通路に横になっていたので、船室に座れたのは信じがたいことだった。しかも、観光シーズン真っ盛りなのに。離島ブームは早くも去りつつあるのだろうか(そう言えば、M岩荘の見送りの人も、見送られる人も、例年より少ない気がした)。ともかく、皆で船室に座り、いろいろな話をした。

Hさんの面白い話を聞きながらだったので、フェリーはあっという間に稚内に着いた。下船すると、昨日島抜けしていたKさんが出迎えに来ていた。皆で青い鳥にラーメンを食べに行った。例によってさっぱりしてとても美味しかった。私はかつてこの店があるテレビ番組で紹介されていた時、志村けんが食べていたカレー風味ラーメンを食べた。

青い鳥を出て、M好夫妻は出発した。残る3人はお天気屋でコーヒーを飲んだ。そして、1時間以上いろいろな話をして盛り上がった。Hさんはいろいろな面白い写真をケータイで見せてくれた。

飛行機の時間が近づいたので、K井さんに空港まで送ってもらった。今まで星観荘で知り合った人を送ってあげたことはあったが、送ってもらうのは初めてだった。南へ下るK井さんを見送り、チェックインをした。飛行機はかなり空いていた。

羽田に着くと、ものすごい暑さだった。でも、三日後からは涼しい志賀高原行きである。

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’05夏の礼文・その9

2005-08-25 21:25:29 | 旅行記
8/3
今日は天気も悪く、何もしないことにした。

見送りに行った。今日はK井さんやY田さん、O本さんなど、いろいろなところでご一緒した人達がほとんど出てしまうので、かなり寂しい。残るのは、N島さん、しもんさん、M好夫妻、Hさんだけである。

若い女の子4人がフェリーから降りて星観荘の旗のところへやって来た。一見して、これはちょっと違うな、という感じだった。

彼女達としもんさん、私の6人で星観荘に戻った。私は昼前までのんびり読書した。昼近くになり、双葉食堂へ行こうとバスに乗った。船泊本町でバスを降り、双葉食堂に着くと、見覚えのあるバイクが止まっている。そう、Hさんのバイクである。中に入ると、Hさんがラーメンと親子丼を、汗をかきかき頬張っていた。私も味噌ラーメンとチャーハンを頼んだ。

味噌ラーメンは例によって美味しかった。チャーハンを食べるのは12年ぶりだが、あの時と違ってあまり美味しくなかった。Hさんも、親子丼は半分残していた。やはり味噌&塩ラーメンにつきるだろう。

食後は腹ごなしに星観荘まで歩いた。ちょうど1時間半。着いてから夕方まで昼寝した。夕食時、新しいメンバーが大半を占める食堂は、女性が多くなったためか、妙ににぎやかだった。にぎやかな中、ちょっとしんみりしながらご飯を食べた。ダブルミニウニ丼はくどかった。今度からは絶対シングルにしよう。

夕食後のミーティングでも、例の4人の女の子達は独特の雰囲気を醸し出していた。Hさんと顔を見合わせてしまった。それ以外の新しい人達も、とてもにぎやかな人ばかりであった。六花亭フリークの女性の大演説が面白かった。私はHさんやM好夫妻と話していた。

にぎやかな中にもしんみりとした中で夜は更けていった。



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’05夏の礼文・その8

2005-08-24 20:45:11 | 旅行記
8/2
今日は天気も今ひとつということで、K井さん、K田さん、O本さんの4人で、利尻温泉に行くことにした。利尻温泉がオープンして以降、礼文から一日がかりで出かける人が出てきた。かつて大勢で24時間コースを歩いた翌日に、何人かが出かけてきたのに接したことがあったが、自分で行くのは初めてだった。利尻に渡ったのも10年ぶりだった。

1便を見送った。島抜けをする某区議のT中さんは、挨拶も握手もまさに専門家のそれだった(帰って調べてみると、20代の頃から区議として活躍してきたそうだ)。

見送り後もしばらくターミナルで待つ。すると2便が到着し、それが折り返し利尻経由稚内行きとなる。経由便なので礼文から乗る人は少ない。空いた船内でのんびり過ごした。

利尻で降りた人も少なかった。雨が降ってきたのでタクシーで利尻温泉に向かう。オープン前だったので、庭に引かれている甘露泉水を飲んだりして時間をつぶした。

利尻温泉はさほど規模は大きくない。私たちは外湯のぬるい湯に浸かって、いろいろな話をした。ぬるかったが、かなりの時間浸かっていたので、体の芯まで暖まり、上がった後は汗が噴き出た。

お昼はありがちなものしかない付属の食堂で食べた。他の3人はビールがどんどん進んだ。私は1杯だけ。飲んだ後はさっぱりとした昆布入り付け麺を食べた。

バスの時間までしばらくあるので、昼寝をしてからもう一度風呂に入るつもりが、あまりの気持ちよさに、目が覚めた時はもうバスの時間の少し前だった。他の3人はもう一風呂浴びたようだ。

バスが出発すると同時に雨が激しくなった。10年前に泊まったグリーンヒルYHや利尻空港、海沿いの集落を通って、バスは沓形の港に着いた。雨は降り続けていたが、バスは玄関に横付けしてくれたので、濡れずに済んだ。

ターミナルに入ると、しもんさん、ワルノリさん、ペーター妻&ひなちゃんがいた。聞けば、4人で沓形にある温泉に行って来たそうだ。しかし、温泉からターミナルまでの間でずぶぬれになってしまったそうだ。

沓形からフェリーに乗り、約40分で香深に着いた。フェリーが往復で1,400円、温泉が700円、バスが730円、昼食が約1,000円。ちょっとお金のかかる温泉行きだったが、ぬるめの露天風呂にゆっくり浸かったのはとても気持ちよかった。

夜になった。夕食とミーティングが済み、HさんやK井さん達は明日島抜けということで、退観届を書いている。どうやら島抜けした後稚内で合流するらしい。でも、Hさんが会計をしている気配がない。変だなぁ・・・


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’05夏の礼文・その7

2005-08-22 21:47:25 | 旅行記
8/1
M森さんの尽力により、今年2度目のトド島ツアーが出ることになった。メンバーは、リーダーのM森さん、N島さん、T中さん、O本さん、K島さん、H瀬さん、K井さん、S木さん、その日に島抜けしてしまった女性とカブで来ていた男性の11人である。

久しぶりの、通算6回目のトド島であったが、島は結構様子が変わっていた。まずは、今にも朽ち果てそうだった桟橋がきれいに造り替えられていた。また、かつては島の一部に限定されていたカモメなどの繁殖地が、島全体に広がっていた。以前と異なり、渡る人が少なくなったためであろう。そして何と言っても違ったのは、アザラシが沢山やってきていることである。以前は、6月頃でないとアザラシは見られず(それもなかなか見られなかったそうだ。ちなみにかつてはトド島の北にある種島を船がまわってくれたこともあり、そこではアザラシを見ることができたそうだ。)、実は私はトド島では一度もアザラシを見たことがなかったのである。

ここ3回は、トド島に行くと必ず西海岸に下り、海生生物の生態観察をしていたのであるが、今回は時間も短い上、準備もしてきていないので、それはやめ、東海岸でのんびりすることにした。彦さんから食料として持たされた蟹を皆で分け、むしゃぶりついた。無人島の砂浜に、10人もの大の大人が熱心に、そして無言で蟹を食べている様子は、沖にぷかぷか顔を出しているアザラシには、さぞかし滑稽に見えたことだろう。

蟹を食べた後は、私は読書、T中さんは昼寝(起きた後は大声で歌を歌い出した)、K島さんやカブ君はスケッチ、N島さん達は島内の探検と、思い思いに過ごした。カブ君のスケッチの仕方は面白く、見たものをそのまま描くのでなく、自分の気に入ったものの気に入った部分を抽出して描いていた。きっと、写し取ることよりも、気に入った造形を自分の表現の材料として取り入れる作業をしているのだろうと思われた。

読書の後、燈台の方へ行ってみた。草を分けて進んでいくのだが、それにしても暑い!燈台の裏から、お馴染みの西海岸を見下ろした。かつて皆で焚き火を囲んだ浜が水没している。潮の具合なのか、地球温暖化の影響なのか、ともかくしばらく来ない間に、海岸線まで変わってしまったのかと思った。

その後私は再び東海岸に下りたのだが、それに代わって何人かの人達は燈台の所へ集まり、燈台に登ったりして楽しんだようだ。

船の時間が近付き、桟橋に戻った。カブ君は相変わらずスケッチを続けている。迎えの船に乗り込み、港に戻った。港に戻ると、カブ君が出発するというので、皆で見送った。

星観荘に戻り、お昼にした。しもんさんが待っていて、N島さんに「燈台で何をやっていたの?」と聞く。聞けば、ブラックホールに置いてある望遠鏡で、島の方を覗いていたのだそうだ。燈台に登ったこともちゃんと見えていたそうだ。

お昼の後、皆でレンタカーを借り、私が運転手となり、桃知コースに行く人達を送り、香深港でS巻さんとカブ君を見送り(カブ君は荒俣宏の本を読んでいた。やはり、ただ者ではない。)、帰りに久種湖でもっちゃんを拾い、星観荘に戻って、今度はセイコーマートに行く人を香深まで乗せた(西上泊にも間違いなく行ったのだが、どの時点で行ったのか全く思い出せない。)。

途中、眠くて眠くてO本さんに運転を代わってもらった。星観荘への帰り道、「いやあ、島にはねずみ取りもないからガンガン飛ばせますよね。シートベルトしなくても全然大丈夫だし。」などと話して皆で笑ったが、O本さんはあまり楽しそうではなかった。無理もない。後でわかったのだが、O本さんは白バイに乗る警官だったのである。今でも思い出すと恥ずかしさがこみ上げてくる。

帰りに皆で中島商店でソフトクリームを食べた。毎回のことながら美味しいと思う。ここでM森さんを拾って、星観荘に戻った。帰ると、Hさんというワルノリさんの知人の方が来ていた。これが、昨日書いたHさんである。

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