桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

書道について43

2008-01-26 23:43:56 | 日記・エッセイ・コラム

○3年生の頃④

3年生の時、理論の授業は書学方法論と日本書法史の二つがあった。

書学方法論は毎年伊藤伸先生が担当されていたが、前年の秋に急に亡くなられ、後任として来られた角井博先生が担当されるものと思って楽しみにしていた。ところが先生は担当されず、2年次の書鑑賞論と同じく、中村伸夫先生が担当されることとなった。授業も書鑑賞論と似たような感じで、ひたすら中国の書論を講読していくだけのツマラナイ授業だった。レポートも試験もなく、やりがいも感じられなかった。

日本書法史は村上翠亭先生が担当された。これは面白かった。実習の授業でも先生は作品の解説をされる時、学者としてでなく、制作者の視点から解説されるので、本などの解説とは全く違って、大変興味深かったのだが、日本書法史の講義も同じであった。

授業は講義をベースに、時にスライドを用い、それに先生がコメントを付けることで授業を進めて行かれたが、時には作品に関する思い出などが差し挟まれ、また、関西のご出身ということもあって、軽妙な冗談なども入って、講義はいつも実に和やかであった。

しかし、その分テストは厳しかった。先輩から過去問などを入手して研究したが、毎回必ず裏をかかれた。厳しかった分、先生に失礼があってはならないと、皆必死に勉強した。現在師事している今井凌雪先生は別にして、先生に対してそのような思いを抱いたのは、村上先生が最後だったかも知れない。

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書道について42

2008-01-14 21:29:19 | 日記・エッセイ・コラム

○3年生の頃③

恩師・村上翠亭先生はこの年限りで定年退官される。私は先生から少しでも多くのものを学びたいと考えていた。そのためには、まず自分から積極的に学ぶ姿勢を示さなくてはいけないと考えた。

先生は師の桑田笹舟先生の指導を受け、仮名の料紙を自ら作られる。学生達にも料紙加工の指導をされ、料紙加工のための部屋も設け、道具類も充実していた。先輩方の中には、積極的に料紙加工に取り組まれる人も多かった。そして、自分で加工した料紙に臨書した作品は、出来合いの料紙に臨書した作品よりも高く評価されるとまことしやかに噂されていた。というか、実際そうだったらしい。

私も2年生の時に簡単な料紙加工を教わっていたが、古筆の臨書に使えるようなものではなかった。私も古筆の臨書に使えるような料紙を加工したいと考えていたところ、1学期の課題であった関戸本古今集の臨書課題が出て、その料紙の加工を、先輩のKさんが、同級生のMさんと一緒に作るという話を耳にしたので、私もまぜてもらうことになった。

Kさんはこれまでにもいろいろな料紙加工に取り組んでいたので、関戸本古今集の料紙加工くらいは簡単なものであると言っていた。ただ、関戸本古今集の場合は、紙の両面に文字を書く必要があるので、その点が少し難しいとも言っていた。

加工用の紙は先輩が厚手の雁皮紙を購入してこられ、それを適当な大きさに切ってパネルに張り、絵の具を溶いて膠液を混ぜ、まず面面、乾いたら裏面に塗り、乾燥させた後に薄くどうさを塗って出来上がり。出来上がりと言っても、絵の具やどうさが乾くのには1日かかるため、3,4日連続で作業を続けた。これをパネルから切り取り、料紙の大きさに切って出来上がり。これに関戸本古今集の指示された部分を両面書写して提出した。料紙加工を自分で行ったので、いつにない達成感があった。

2学期は秋萩帖、3学期は本阿弥切古今集を臨書したが、いずれも料紙加工は自分で行った。秋萩帖は色を塗ってどうさを塗るだけなので簡単だったが、いかんせん色が濃すぎたのがまずかった。本阿弥切は、加工用の紙の選択から自分で行ったところ、文字を書くためのものでなく、包装用の楮紙を買ってきてしまったのと、呉粉や具引きに使う雲母の溶き方を勝手に適当に行ったため、見た感じはそれらしいものができたものの、書き味は最悪の料紙になってしまった。しかも、ローラーがけして表面を平滑にすることを忘れたため、書いているうちに呉粉や雲母がぱらぱら落ちてきてしまい、机の上が白くなってしまうという有様。全くの失敗作であった。作品を評価するために、研究室のデスクで私の作品を巻舒した先生の苦笑する顔が浮かぶようであった。

でも、料紙加工することの面白さを実感したのは収穫であった。私はこの後高野切古今集の料紙を作ったり、はがきの加工をいろいろ凝ってやってみたことはあったが、私以降、料紙を自分で加工して臨書し提出するような学生がいなくなってしまったと聞いているのは残念なことである。

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書道について41

2008-01-07 21:25:30 | 日記・エッセイ・コラム

○3年生の頃②

3年生になって、授業が自分の専門中心となり、1,2年生の頃と違って、他のコースの連中と親しく行き来することが少なくなり、同じ書コースの面々と一緒に過ごすことが多くなった。

授業は2コマ連続の実技が3つ、理論が2つと、この年から始まった週休二日の、週25コマの時間割のうちの3分の1を専門の授業が占めるに至ったのである。

でも、これでも私は少ないと思った。少なくとも3,4年生では週の授業の半分以上は専門が占めるべきだと思っていた。特に他の大学の授業のことを本で見たりすると、筑波はいかにも授業時間が少ないように思えた。例えば篆刻や漢字仮名交じり書、作品制作や批評の方法論を学ぶ講義も受けたかった。現代の書についても理解を深めたかった。でも、これらは授業で全く取り上げられず、今思うと、ひたすらオーソドックスな講義と実習に終始していたと思う。書の根底にはこうしたオーソドックスな作業が必要で、学生の内はその根本を確かなものにする、という指導方針の下に授業が行われていたのだろう。でも、私にとっては今ひとつ煮えきらないものがあった。

3年生では、4年生で行う教育実習に向け、書道科教育法という講義を受けた。ところが、担当の岡本先生は病気がちで、授業は年間半分は休講になった。しかも、概論や方法論もほとんど知らないうちに、いきなり授業をしろと言われ、分担が決められた。仕方なしに先輩からもらった資料などを使って、何とか指導案なるものをこしらえて授業に臨んではみたものの、その指導案の形式そのものが、その当時既に前時代的なものとなっており、実際の教育実習の現場で全く役立たなかった。もちろん、書道科教育法で学んだことも、である。高い本を何冊も購入させられたが、授業では全く使用せず、本当にあの1年間の授業は何だったのかと今でも疑問に思っている。

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書道について40

2008-01-05 21:23:01 | 日記・エッセイ・コラム

○3年生の頃①

3年生になって、書コース内で新しい企画が持ち上がった。それは、学生が作品を発表する機会を増やすために、6月に大学内のギャラリーでグループ展を開こうというのである。

話はあれよあれよという間に広がり、十数人のメンバーが集まって、展覧会を開くことになった。展覧会の名称は、大学周辺の麦畑が色づく頃だということで、「麦秋展」ということになった。

展覧会の企画運営は学園祭の書展で慣れているので、それに従って準備を進めた。作品制作に当たっては、事前に批評会を行ったのが新しいことであった。これがために、参加者は皆結構真剣に作品制作に打ち込んだ。コンセプトとしては、なるべく普段書いたことがないような書風に取り組むということであった。

私はこの頃関心を抱いていた北魏時代の「石門銘」の書風による楷書作品と、鷄毛筆を用いた漢字仮名交じり書を発表することにした。前者は特有のアンバランスな、それでいて雄大でおおらかな文字の結体を表現するのが難しかった。後者は高校時代に使い慣れた鷄毛筆と宿墨を使って、これまたとっておきの題材・南こうせつが歌った「夢一夜」の歌詞を書いた。鷄毛筆特有の線と、宿墨特有の墨色を生かしつつ、歌詞の内容(男の私には正直言ってわかりもしない内容ではあったが)を表現することに苦心した。

実はこの時の記憶というのがほとんど無い。批評会の時、ある1年生が同じ詩文をいくつもの書風で書き分けてきて、さも自分は豊かな才能を持っていると言わんばかりに講釈を垂れて皆の顰蹙を買ったことを覚えているが、それ以外の批評会の様子は全く覚えていない。また、他のメンバーがどんな作品を書いたのか、2,3人の学生のものしか記憶がない。展覧会の様子がどんなであったかも全くと言っていいほど記憶がない。ただ覚えているのは自分のことばかりで、「夢一夜」を違うコースの女性の先輩がとても褒めてくれたことと、この展覧会の作品に使うために友人のために刻した印を、当時技官だった小西斗虹先生(篆刻を専門にやっておられた)が大変評価してくれたことである。

この麦秋展は、これ以降書コースの年中行事となった。私が大学院1,2年の時は、私が中心になって企画・運営をした。批評会は第1回の時しか行われなかったけれど、麦秋展は現在も開催されているのは嬉しいことである。

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