平凡社から出版された「中国書道全集」に、耶律楚材の書作品が掲載されている。解説によれば、自らが詠んだ漢詩を書いた横巻で、現在はアメリカの博物館に所蔵されているとのことである。
文字は明らかに唐の顔眞卿に倣ったもので、更に痛快さと迫力をプラスした、実に豪快な書であった。「ウルツサハリ」(美しい髭を生やした人)、「美髯宏声」(美しい髭を生やした、遠くまでよくとおる声の持ち主)と呼ばれ、チンギス=ハンが「この人は天が我が家に賜ったものである」とまで評した耶律楚材が、かくも迫力溢れる文字を書くとは意外であった。しかし、この作品はアメリカ所蔵とのことで、きっと絶対に目にすることはできないだろう、と思っていた。
時は流れて、三年前のことである。私が所属している書道の団体が、アメリカに所蔵されている中国書跡を展示する展覧会を開催した。それ以外にも、他の美術館や、個人が所蔵している名跡を展示するとのことで、私は知人の結婚式にかこつけて、大阪まではるばる見に出かけたのである。
例によっていささか食傷気味になってしまうほどたくさんの名品を見た、その出口に近いところに、その横巻は広げられていた。そう、耶律楚材の自書詩巻である。それは全く思いがけない形で私の目の前に現れたのであった。
「中国書道全集」では、モノクロ印刷のため、文字は真っ黒に映っていた。あの迫力からすると、きっと濃墨で書かれた墨痕淋漓な文字が並んでいるに違いないと想像していたのである。
ところが、実物は全く異なっていた。墨が淡墨だったのである。そして、その淡墨は、青みを帯び、何とも言えない美しさである。そう、あの豪快な文字は、こんなにも美しい、淡い墨で書かれていたのである。その墨と書風の対比が、また何とも印象的であった。
書風は確かに顔眞卿がベースになっているが、北宋の黄庭堅、南宋の張即之の影響も強いようである。
巻末には耶律楚材が彼の雅号「玉泉」を記しているが、「玉」の点のところには、墨の飛沫が見える。書かれた詩は、清廉な若い官僚を詠じたものであるが、そこには若き日の耶律楚材自身が反映されていたのかも知れない。そんな思いが、自分の署名におけるこうした表現にもつながっているのではないかと思った。
そして何より感激したのは、耶律楚材が実際に書いた文字が私の目の前にある、ということである。私はしばらくの間、その作品の前で立ちつくしていたのであった。