桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

登山の記8・トムラウシ、十勝岳、大雪山、羅臼岳、斜里岳

2006-02-27 22:34:40 | 旅行記

この時は、約3週間にわたって、大雪山、知床、礼文、ニセコ方面をまわる旅だった。その旅の途中、いくつもの山々の姿を眺める機会があった。

十勝岳と羅臼岳は初めての北海道旅行の時にその姿を眺め感動したのを覚えている。しかしその時は雪に覆われ、人を寄せ付けない山に見えた。今回の旅では、白雲岳の山頂からトムラウシ、十勝岳へと続く山並みを眺め、このまま南下すれば(どれくらいかかるかわからないが)やがては十勝岳に至るのだと思った。あの時と同じく知床峠から眺める羅臼岳は緑濃く、雪をかぶった時以上の容量で私の眼前に迫ってきた。

トムラウシと斜里岳を見たのは初めてだった。斜里岳は初めての北海道旅行の時に見ていたのだろうが、記憶がなかった。斜里岳はその長い裾野と、その中にきりっとそびえ立つ険峻な山並みの姿が印象的だった。トムラウシは、白雲岳の山頂から、遙か遙か遠くに、三つのピークを並べている姿が眺められた。高山植物が美しい、なかなか登れない山であると聞いていたので、実際に眺めてみて、いつの日かあの山に登ってみたい、と思うようになった。

その翌年から、そうした山々を一つずつ登頂するようになるのである。いずれも、まず山の姿を眺めて感動し、その感動が登頂につながっている、というのは、我ながらなかなか興味深いことである。

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登山の記7・二度目の大雪山①

2006-02-26 21:27:56 | 旅行記

その翌年、再び大雪山に登る機会がやってきた。学生生活最後の一年ということで、その年は3回、日数にして約1ヶ月北海道に滞在した。中でも9~10月の旅は、星観荘48時間コースへの参加の他に、大雪山の紅葉を見たい、という目的があった。

その年の6月に、星観荘で24時間コースを歩いた時、スニーカーで歩いたため、その後約1ヶ月、くるぶしの腫れに悩まされたので、今回は安物のトレッキングシューズを購入して臨んだ。宿は星観荘で知り合った友人に教えてもらったゆわんと村だった。

到着してすぐ翌日、高原温泉沼巡りをしたが、雨で断念。そしてその翌日は、赤岳-白雲岳-黒岳と縦走することになった。この日は素晴らしい天気で、まさに雲一つ無い天気、風もない。銀泉台の紅葉はやや早かったが、林道から見上げる紅葉はとてもきれいだった。展望台から見た紅葉は、空の青さとのコントラストが美しかった。遠くには阿寒や知床の山々も見えた。

しかもその年は冷夏だったので雪解けが遅れ、高山植物がたくさん咲いていた。ところによっては、雪渓とお花畑と紅葉を一度に見ることができる場所もあって、感動を新たにした。

白雲岳からは旭岳方面の残雪のストライプが眺められた。これも夏の間しか見られないのだが、雪解けが遅れたため、9月でも見られたのだった。しかも、雪渓は紅葉で縁取られており、夏と秋の景色を一度に眺めることができたわけである。

そこから黒岳までの道のりは長かった。でも、紅葉の山の光景は歩くほどに姿を変え、私は飽きることなくそれを眺めていた。北海沢周辺ではこれまた雪渓跡にたくさんの高山植物が咲いていた。メンバーにはI上さんという女性がおり、ひたすらいろいろと面白い話をしてくれたので、疲れを感じることもなかった。

黒岳に登る手前の岩場でカメラを構えている人がいる。聞けば、ナキウサギが出てくるとのこと。私も静かにして近くで見ていると、出てきた。テレビで見て知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。

黒岳山頂に登ると、層雲峡側の斜面に、黒岳の山体の影が大きく映っている。影富士ならぬ、”影黒”である。私はその後何度も黒岳に登ったが、その光景はその時一度しか見ていない。

この時の縦走は、前回と異なり天気にも恵まれ、素晴らしい眺めと紅葉を堪能できた。大雪山の新たな魅力を知った山行だった。泊まったゆわんと村も素晴らしい宿だった。

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登山の記6・初めての大雪山②

2006-02-24 21:55:14 | 旅行記

姿見の池から裾合平までは1時間ほどかかる。けっこうぬかるんでいるところもあった。裾合平への分岐まで来ると、前方の山々には雲がかかっていたが、右手にある旭岳は、山頂部分に雲がかかっているだけである。

裾合平はチングルマが満開であった。曇っていたせいか、閉じている花が多いように思えたが、それにしても見事である。まさに一面に、という感じである。ぬかるみはやはりすごい。スパッツを付けてきちんと装備して歩いているおばさん達が、ジーンズ姿の私をいぶかしげな表情で眺めながら、挨拶をしてすれ違っていく。まぁ、登山らしからぬ格好なのだから、無理もない。

ふと旭岳の方を見ると、山腹で何か動いている。ヒグマか、と思ったがそうではない。雪渓に曲線が何本も引かれている。そう、スキーヤーが雪渓で滑っているのである。こんなところまでやって来て滑るとは、と思った。しかし、その後その雪渓で滑っているのを見たことはない。禁止されたのか、温暖化で雪渓がなくなったのか、あるいは滑る人がいなくなったのか。

しばらく登っていくと、ガイドにも書かれていた中岳温泉があった。さすがに服を脱いで入浴している人はなかったが、足だけ浸かっている人が何人もいたので、私も真似をしてみた。ここでも私はいぶかしげな目を向けられてしまった。温泉は結構気持ちよかった。ところが、この時の露天風呂は、その後大水で流されてしまい、現在ではその後再び整備されたものになっているそうだ。

中岳温泉からしばらく登ると、お鉢の肩に出る。ここからは風との戦いであった。しかも、ついに雲の中に入ってしまい、髪が湿気で濡れ始めた。傘はとても役立たないので、300円カッパを出して着た。登山道はお鉢の縁に付いているのだが、お鉢の中までガスが立ち込めていて何も見えない。しかも高山植物などなく、ひたすら砂礫の道が続く。この辺りでは、こんな所まで来たことをちょっと後悔していた。

北海岳を過ぎた辺りから急に高山植物が増え始めた。チングルマ、エゾノツガザクラに加え、エゾツツジやウサギギク、エゾコザクラなども咲いている。知らない花も多い。相変わらずガスは立ち込めているが、黒岳に向けての下りにかかると、ガスもだんだん晴れてきた。大きな雪渓の横を通り過ぎたり、大きな沢を渉ったりするうちに、黒岳石室に着いた。時間はまだ3時頃だったが、私は今日はここで泊まることにした。シュラフを借り、荷物を置いた。まさに石室である。既におばさん達が寝床を整えていて、にぎやかにしていた。裾合平の話をしてあげると、おばさん達は明日行くとのことで楽しみにしていた。それにしても夜まで時間があるので、すぐ横にある桂月岳に登った。15分ほどですぐに登れてしまった。初めての大雪山なのに、何ともしぶい山に登ったものである。戻ってきて、パンとクラッカー、缶ジュースだけの質素な夕食を済ませ、早々に寝た。

翌朝は5時過ぎに石室を出、黒岳を下った。リスやキツネが出てきたのも北海道らしかった。夕べの食べ残しのクラッカーをリスにあげた。下りながら、以前黒岳を層雲峡側から雨の中、今回同様カッパを着て登ったのを思い出していた。

リフトとロープウェーを乗り継いで層雲峡に下りた。バスで旭川に出、電車を乗り継いで小樽まで戻った。初めての大雪山は、天気にあまり恵まれなかったが、北海道の山の雄大さと、お花畑のスケールの大きさを知ることができたと思う。

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登山の記5・初めての大雪山①

2006-02-22 21:27:19 | 旅行記

大学院1年の夏、まとまった収入のあてができたので、それを元手に、長期の北海道旅行を企画した。その頃はまだ北海道ワイド周遊券があったので、その有効期限一杯一杯を使って出かけようと思った。

その時の一番の目的は、礼文島で8時間コースを歩くこと、星観荘に泊まること、大雪山のお花畑を見ることであった。礼文のことは既に何度も書いているので、ここでは書かないとして、大雪山については、各種の写真集やガイドブックで紹介された、大雪山の広大なお花畑に魅せられたことにある。しかも日本アルプスと異なり、比較的容易にそのお花畑にたどり着けるという。中でも裾合平や五色ヶ原のお花畑がすごいという。さらに裾合平は、ロープウェーを降りて1時間ほどで着けるのだという。北海道の山の本を入手して見てみると、旭岳温泉から裾合平を周り、中岳温泉を通り、お鉢平をまわると、黒岳に至り、黒岳を下るとロープウェーで層雲峡に下りられる、黒岳には石室があり、泊まることができる、とある。その時は小樽の小さな旅の博物館を起点にして道内をまわっていたので、小樽をどんなに早く出ても、登り始めるのはお昼前になりそうだ。そうなると、層雲峡に下りる頃には夕方になってしまうことが考えられる。そこで、黒岳石室に泊まることにした。

小さな旅の博物館を、朝食もそこそこに出発した。荷物は別室に置かせてもらった。電車を乗り継いで旭川に着き、バスで旭岳温泉に向かった。バスはほぼ満員。皆登山の格好をしている。私はジーンズに半袖シャツ。食料はパンとチョコレートと、缶ジュースを3本ほど。雨は300円カッパと傘で防ごうと考えていた、今思うととんでもない軽装だった(実は今もあまり変わりないかも知れない・・・)。

旭岳温泉のロープウェー乗り場に到着すると、空は曇っている。もちろん山は見えない。ロープウェーに乗って姿見に下りると、ガスこそかかっていないものの、山はすっかり雲に覆われている(私の山行歴の中でも珍しい曇天である)。でも、雨は降っていないので、そのまま出発した。既に目の前に、エゾノツガザクラがたくさん咲いており、この先が期待された。

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登山の記4・山登りを始めるようになるまで

2006-02-20 21:17:00 | 旅行記

その後に登った山の名前を列挙しよう。  

赤城山地蔵岳:子供会の夏の林間学校で3回ほど登った。1時間ほどなので特に苦痛には思わなかった。なぜかその時既に3回とも晴れだった。

赤城山荒山・地蔵岳:高2の遠足で登った。この時はかなりハードだった。何しろ運動部連中(全員男)がいっぱいいて、そいつらと一緒に登らなくてはいけなかったから。この時も晴れ。

平標山:高3の遠足で登った。この時もすごくハードだったが、アップダウンがほどよくあり、高山植物(イワカガミとシラネアオイが咲いていた)がきれいだったので、まずまず楽しく登れたが、下りが下りても下りてもなかなか着かず、しかも好天だったのでひどくへばったのを覚えている。

富士山:大学3年の時、ふと思い立って友人と登りに行った。8合目で泊まり、ご来光を見てから登頂し、火口を一周した。8合目で泊まった関係で、山頂は空いていてよかった。この時も快晴で、山では晴れる、という法則が確立されつつあった。

尾瀬:大学4年の夏、これまたふと思い立って友人と行った。ポロシャツにジーンズという格好で、泊まった山小屋で「どこの町で遊んできたの?」と言われた。尾瀬ヶ原だけのつもりが、飛び込みで小屋にも泊まり、尾瀬沼、三条の滝、尾瀬ヶ原と、主だったところをみな歩いてまわった。この時は曇りと晴れが半々くらいだった。

そして、その翌年に、本格的な山登りの最初とも言える、大雪山の姿見から層雲峡への縦走になるわけだが、そのきっかけは、大学2,3年の北海道旅行で、駒ヶ岳、羊蹄山、十勝岳、旭岳、羅臼岳、斜里岳、利尻山などを眺める機会があったことである(その時はいずれも好天で、山々の美しい姿を眺めることができた)。そして、それらの山々に登頂したいという思いに駆られたのであった。また、礼文島で8時間コースやハイジの谷を歩いたりして、”山登り”ではなく”山歩き”の楽しさを知ったこともそれに影響したと言えよう。

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登山の記3・初めての登山③

2006-02-18 22:31:42 | 旅行記

思った通り、常念岳への登りで、私は泣きが入ってしまった。泣き虫だった私は、どうしてこんなに辛い思いをしなくちゃいけないのか、という思いと、なにしろ苦しくて苦しくてどうしようもなかったのである。その様子を見た叔父は私の荷物を背負ってくれたが、それでも苦しさは変わらなかった。こんなに苦しいのなら、山になんか来るんじゃなかった。お花畑なんて遠くに眺めるばかりで、ちっとも楽しくないじゃないか!

そんな思いを抱き続け登っていくうちに、ひょっこり頂上に着いた。その頃には泣きやんで、もうこれで登らなくていい、という思いでいっぱいだった。その様子を見て、叔父は私がこれ以上登山を続けるのは無理と判断したようだ。そして、ここまで登ってきた道を引き返し、その夜は常念小屋で泊まることになったのである。

常念小屋は、前の晩の燕山荘と異なり、こぎれいな所だった。小屋に入る時叔父が「ここは普通は通過する小屋であまり泊まる人はいないんだ。」と言った。できればここには泊まりたくなかったようである。そんな言葉にも、ここから引き返すことをちょっと残念に思っている叔父の気持ちが伝わってきたが、私は下山できるのが嬉しかった。小屋の食堂からは、槍ヶ岳方面の素晴らしい光景を眺めることができたが、私はとにかく体がだるく、食事もほとんどのどを通らず、早々に部屋に引き返し寝てしまった。

翌朝早く、目が覚めると叔父はいない。少しすると戻ってきて「槍ヶ岳の眺めがすごいよ。」と言ってきた。食堂から眺めると、朝日に輝く槍ヶ岳の穂が、朝焼けの空にすっと聳えている。叔父は早起きしてその光景を写真に収めてきたのだそうだ。その写真を後でパネルにしたものをもらったが、朝焼けで赤く染まった槍ヶ岳の姿は実に美しかった。

朝食後いよいよ下山である。一ノ沢をひたすら下った。途中にはお花畑などもあり、目を楽しませてくれた。電車を乗り継いで家に帰った。駅に着いて家に電話すると、「帰るのは明日じゃなかったの?」と母に言われた。叔父が事情を説明したが、途中撤退したことは恥ずかしくはなかった。夏休みが終わった後、山好きな担任の先生と、高山植物の話をしたのも覚えている。

私の登山歴はここから始まる。山に登る喜びを知るまでには、しばらくの時間を要した。その一方でこの登山で大切なものを得た。それは、時刻表である。叔父が私の家に置いていった時刻表を見ることで、時刻表を見る楽しさ、ひいては旅の楽しみを知ることができたのである。そういう意味でも、この初めての登山は、私のこれまでの生涯において大きな意味を持つものであったのである。

時は流れ、私もあの時の叔父の年齢をいくつか過ぎてしまった。いつかもう一度、叔父と山に登ってみたい。今度は泣きは入らない。

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登山の記2・初めての登山②

2006-02-17 21:21:13 | 旅行記

結局ガスの取れぬまま、燕山荘に到着した。燕岳は花崗岩質の山で、地面の砂は小学校の校庭に敷いてあるのと同じだった。小屋の前には雷鳥が何羽かうろうろしており、人が近寄っても逃げないのが面白かった。

小屋は一杯だった。夕食に何を食べたのかよく覚えていないが、食後はすぐに就寝したのを覚えている。確か、二畳に三人くらいが寝るので、窮屈この上ない。しかも、見ず知らずの人と一緒である。とまどっていると、山小屋ではこんなことは当たり前と叔父に言われ、また、疲れ切ってもいたので、そのまま寝てしまった。

翌朝早く出発したが、やはりガスの中である。しかも、今日はどこまで行くのか知らされていない。どうやら私の歩き具合によって常念岳まででやめるか、蝶ヶ岳まで行くかを判断するつもりだったらしい。

ガスの中を大天井岳まで尾根を進んでいった。大天井小屋ではガスも晴れ始め、空が明るくなってきた。常念岳の向かって進んでいくとガスもすっかり晴れ、雄大な光景が広がってきた。見回すとあちこちにお花畑が見えるのだが、登山道から外れてはいけないと叔父に言われているので、そこへ行くわけにもいかない。足下に咲いている花々を眺めて我慢する。

常念岳が見えてくると、ひたすら下りとなった。下りきると常念小屋のある常念乗越に着いた。ここでお昼にした。出発するとき、なぜかラーメンを持たされた。鍋もガスコンロもないのにどうやって食べるのだろう、と思っていた。そして、青くて丸い缶のような物も持たされた。降るとカシャカシャ音がし、水が入っているようだが、開け口も何もない。何に使うのだろうかと思っていた。

すると叔父はその缶のような物に器用に穴を開け、見たこともない器具をそれに取り付け、小さな鍋を載せ、ポリタンクから水を入れ、火を付けた。その火でタバコにも火を付けて吸い始めた。一服するうちにお湯が沸き、ラーメンを割り入れ、スープを入れて出来上がり。叔父は美味しそうに食べるが、私は大好きなラーメンのはずなのに、なぜかあまり美味しくない。

食後、いよいよ常念岳への登りにかかることになった。叔父は私の様子を見て、このまま常念岳を越え、蝶ヶ岳まで行けると踏んだらしい。しかし、私は常念乗越まで延々下ってきた分をまた登らなければならないかと思うとかなり憂鬱だった。しかも目の前には小屋がある、朝も薄暗いうちから動き始めている。どうしてここで今日はやめにしないのか、と思っていたのである。

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登山の記1・初めての登山①

2006-02-16 22:40:17 | 旅行記

叔父に誘われて登ることになったのは、いわゆる”表銀座”である。私が聞いたことのない名前の山ばかりだったので、ちょっと不満だった。

夜中に母の車に乗せられ駅に向かった。私の家は9時には電灯が消えるので、早寝の私には初体験の時間だった。だから、眠くて仕方がない。

夜行列車は初めての経験だった。急行能登号だったが、山に登る人で一杯で、車内のあちこちに多くのリュックが置かれ、床には新聞が敷かれて、山男達が横になっていた。初めて見る光景で、いささかびっくりした。

糸魚川で急行を降り、大糸線で南下した。この列車も、山男でいっぱいである。信濃大町で乗り換え、有明という駅で下車した。他にも何人もの山男達が下車した。ここから中房温泉までタクシーで行くのだが、何と土砂崩れの復旧工事中で行けないのだという。

かなり長時間駅で待つうちにようやく工事が終わり、タクシーに乗り合わせて中房温泉に向かった。途中、大勢の人がブルドーザーなどを使って土砂を除去している現場も通過した。

中房温泉からいよいよ登り始めた。私の背負っているザックは叔父のお古である。靴は母のお古である。帽子は新調したが、小学生らしくない妙なものである。そして、服装は普通にその辺で遊んでいるのと同じ格好である。

私は実は運動があまり好きではなく、不得意である。誘われればケードロや缶蹴り、フットベース、ドッジボールなどにも加わったが、フットベースはピッチャーか外野、ドッジボールは逃げる専門だった。そんな私だから、この登山においても、母や叔父には私の脚力や根気もある程度想像できたようだ。だから、子供でも登れる登山の入門編としてこの表銀座を選んだもののようだ。

登り初めは意気揚々として、ずんずん登っていった。しかし、燕岳の山頂まではほとんど樹林帯なので、眺めもきかず、お花畑もない。でも、この先にはきっとあの山々の光景や、一面のお花畑が広がっているに違いないと期待しながら、ひたすら登っていった。途中、合戦小屋というところでサイダーを飲んだのを今でも覚えている。

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登山の記0

2006-02-15 20:57:19 | 日記・エッセイ・コラム

私の叔父は山好きで、仕事が休みの時は、ちょくちょく山に登っていた。叔父の家に行くと、美しい日本アルプスの山々の写真を収めた本があり、私はそれを眺めては楽しんでいた。叔父も、新しい本を入手するとそれを見せてくれたりした。同時に高山植物にも興味を持つようになり、学校で図鑑を借りてきて眺めたりしていた。

そんな私の様子を見て、母が叔父に私を山に連れて行ってくれるよう頼んだらしく(実際、叔父とは血縁関係にない、父方の親戚を山に連れて行ったこともあった)、叔父が私を登山に連れて行ってやると言ってきた。私は本で眺める山のイメージしかなかったが、あの景色や高山植物のお花畑を直に眺めることができるという期待から、よく考えもせずにOKしてしまった。それが小6の時である。この時の登山が、私の山旅のスタートであった。

次回以降、私の山旅(と言っても日帰りがほとんどだが)について書いてみようと思う。

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