桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

登山の記32・2回目のトムラウシ⑦

2006-04-29 22:41:31 | 旅行記

小屋に戻ると、水守さん達も夕食の準備で賑やかにしていた。彼らは明日の朝は暗いうちに出発して、山頂でご来光を見るそうなので、ここでお別れの挨拶をする。それにしても、人の縁とは不思議なものだ。

私も小屋の中で夕食にする。コンロでお湯を沸かし、カップラーメンを作り、インスタントコーヒーを作り、パンをぱくついた。真夏とは言え高山にある小屋、気温は大分下がってきている。温かいものは体にも心にも嬉しかった。

今回はシートのスペースが広いので、シュラフを開いて掛け布団のようにし、ゆっくりと横になった。今回は小屋は割とゆっくりしている。去年のような大きなグループもおらず、少人数のグループや単独行の人ばかりなので、とても静かである。明るいうちは読書などをし、本が読めなくなる頃に目を閉じた。

翌朝は4時頃に周囲の人の物音に目が覚めた。お湯を沸かし、コーヒーを作り、パンを食べて荷物を片付け、出発した。天気を気にしながら表に出ると、雲一つ無い素晴らしい天気である。昨日の昼間と違い、ヘリコプターの音も聞こえない。自治医大のグループのテントはひっそり静まりかえっている。きっと今頃は山頂にいるのだろうと思われた。

沼のほとりを歩いていき、雪渓の登りに取りかかる。昨年は曇り空の下、足下の踏み跡を丁寧にたどって登っていったが、歩きにくかった。今年は昨年と違って周囲も明るいので、雪渓を避け、設計に沿って岩場を歩いた。雪渓歩きよりもずっと歩きやすいように思えた。

ヒサゴ沼分岐に昨年同様荷物(シュラフとシート)をデポし、山頂への登りにかかった。ひとしきり登って雲一つ無い空を見上げ、そして後ろを振り返ると、表大雪の山々の眺めが素晴らしい。トムラウシの山頂からの山々の眺めが大いに期待された。さらに登っていくと、目の前にトムラウシの山頂が見えた。昨年は雲の中で見えなかったけれど、今年はまさに山頂を目指しながら登るのである。しかも、この辺りから日本庭園と呼ばれる岩と沼、植物が織りなす美しい光景が繰り広げられる。左手には、今朝出てきたヒサゴ沼の全景を見下ろすことができた。その場所から見ると、沼の形はまさにひょうたん型である。昨年と異なり、これから雲が湧いてくる気配すらない。私はすっかり嬉しくなってしまい、意気揚々と足を進めた。

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登山の記31・2回目のトムラウシ⑥

2006-04-27 21:56:35 | 旅行記

ヒサゴ沼に着いて驚いた。テン場の脇にスーパーハウスが二つ置いてあり、作業員が休んでいる。そう、あの木道の工事に携わっている人達だ。きっとこの人達は毎日ヘリコプターで麓から運んでもらい、工事をし、食事を運んでもらい(実際翌日の下山の時、それとおぼしきものをヘリコプターが運んでいるのを見た。)、仕事が終わるとヘリコプターで麓に下ろしてもらうのだろう。沼にスーパーハウスは目障りだが、これも以前書いたように仕方のないことだ。

小屋はまだがらがらだった。昨年とは反対に左の一番奥にスペースを取った。シートも前回の倍の大きさなので、ゆったりと場所取りができる。そして、ここで新兵器を使用した。昨年、遅くやって来た人がリゾットの美味しそうなにおいと湯気を立てていたのが羨ましかった。私も温かいものが食べたいと思い、今回はバーナーとクッカーを購入してきたのだ。夕食にはラーメンを食べようと考えているので、ここではまずお湯を沸かしてコーヒーを作ってみた。これがインスタントにもかかわらず何とも美味しいのである。去年は冷たい水を飲みながらぼそぼそ食べたパンが、まるで別物のように美味しく感じられる。やはり温かいものの力は大きい。

お昼を済ませて小屋の外に出てみると、自治医大の水守&中原君達が来ていて、テントを張っていた。人数が大きいので大きなテントだ。そしてとても賑やかで楽しそうである。挨拶を交わして私は雪渓に水を汲みに行った。夕食のラーメンとコーヒー用である。

午後は腹ごなしに沼の周辺を歩いてみた。浅瀬の部分はやはり向こう岸まで続いていて、渡ることができる。実際に渡ってもみた。でもそこはナキウサギの住む岩場で、私が近寄っていく時にはしきりに鳴き声が聞こえたし、姿も見えたような気がした。

浅瀬には沼の水が流れているように見えた。そこで今度は水の流れていく先を見に行こうと思った。沼のほとりには大小の石が点在し、ちょっとした自然の池泉庭園の趣である。また、エゾカンゾウやヨツバシオガマの花がいくつも咲いており、その風景にまさに花を添えている。

さらにその遙か向こうには、昨日登頂したニペソツ山が鋭く聳えている。何と見事な光景だろう。沼の左右の稜線が集まる先、そして沼の水の流れていく先のまさにその場所にニペソツが聳え、しかもその山に前日登頂しているとは、感慨も一入である。

沼の水は沢となって流れ落ちている。どうやら小さな滝か渓流になっているとおぼしき音も聞こえる。しかし、そこに行こうにも道がないので、行くのは断念した。普段の私なら道を外れてもそれを見に行くところだろうが、何しろそれを躊躇させるほどに美しい景色だったのだ。まぁ、草丈が大きく足下が見えないのも理由だったのだが。

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登山の記30・2回目のトムラウシ⑤

2006-04-25 20:57:29 | 旅行記

沼ノ原あたりから気になっていたヘリコプターの音。五色岳あたりまで来るとイヤに耳に付くようになった。そして、ようやくその飛んでいる理由がわかった。何と、登山道用の木道を運んでいたのである。麓で組み立てた木道を山の上まで運び、しかるべき場所に待機している作業員が地上に降ろし、組み立てて木道をこしらえていくのである。去年なかった五色ヶ原の木道も、この夏にこうして組み立てられた模様である。そう言われれば、新品だったように思えた。

しかし、人気の少ない山にこのヘリコプターの音が聞こえ続けるのはいささか耳障りで、興をそがれる。まずい時に登ってしまった、と後悔もしたが、あちらはあちらの都合もある。我々が好天に恵まれて喜んでいる時、あちらも好天に恵まれて作業がはかどるのは幸いなことなのである。さらに言えば、木道ができれば景観は壊されるが、登山客がぬかるみをよけて登山道から外れることもなくなるのだから、これはこれで仕方がない。それに、木道が設置される前の登山道を歩ける最後の登山客になるかも知れない、と思い直すことに決めた。

昨年エゾカンゾウの群落が美しかった化雲平は、今年は高山植物がまだ沢山咲いていた。エゾカンゾウに加え、この時期には本来ならもう見られないはずのエゾノハクサンイチゲや、驚いたことにホソバウルップソウまで残っていた。おそらくはこうした花が咲いているところは遅くまで雪が残っていたのだろう。深田久弥はこの化雲平を「あたり一面、白、赤、黄、紫の高山植物の褥であった。」と表現していることから、高山植物の一番美しい時期に訪れたものと思われる。私はそれは叶わなかったけれど、同じく深田久弥が述べたところの「この雄大、この開豁、こんな大らかな風景」は充分に堪能できたから、まあ良しとしよう、と思った。

化雲岳は帰りに寄ることにして、私はそのままヒサゴ沼への道を下った。化雲平が花の盛りを過ぎていたぶん、ここの道の下の雪田跡のお花畑が素晴らしかった。登山道からやや遠くて、写真に収められなかったのが残念だが、深田久弥が見たのと同じような一面のお花畑であった。ここは昨年はまだ雪に覆われていて何も見えなかったところである。ヒサゴ沼も、今年はその真っ青な姿を眺めながら下っていった。沼の真ん中に岩が並んで浅瀬になっているところがあり、そこがちょうどひょうたんのくびれている様のようであるので、ヒサゴ沼と名付けられたのであろう。しかもその浅瀬の部分を通って向こう岸へ渡れそうだ。キャンプ場には自治医大のメンバーも泊まることになっている。この時間であれば小屋のスペースも充分に空いているだろう。でも、早く場所を確保したい。私は自然と足を速めていた。

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登山の記29・2回目のトムラウシ④

2006-04-23 20:47:30 | 旅行記

あれはトムラウシに登る4,5日前のことであった。ゆわんと村に珍しく飛び込みの客があった。夕食を済ませた頃電話が入り、男性二名が泊まりたいとのことだった。幸い空いていたので、夕食は出せないことを了解してもらって泊まることになった。

やって来たのは2人の学生だった。この二人は、自治医大で医学を学ぶ学生で、大学のワンゲルが旭岳から白雲岳を経由してトムラウシに登り、天人峡に抜ける山行を計画しており、その前準備として先行して渡道して来たのだった。

二人は大学や山行のいろいろなエピソードを話してくれ、たちまち座の中心になってしまった。中でも年長の水守さんという人は、アメリカに行ってジャグリングのレッスンを受けてきたとのことで、車にもその道具を積み込んできていて、やって見せてくれた。特にバルーンアートは、最初に風船だけを示して見せ、人力で膨らますように言い、誰もそれができず、私だけが顔を真っ赤にして何とか膨らませたところに、空気入れでいとも簡単に膨らませてみせるという、私からすれば腹の立つことをしてくれたのだが、しかし、そんな風には少しも思わないくらい、いかにも関西人らしい軽妙な語り口で場を和ませることのできる人だった。

その晩は結局遅くまで、その2人を中心にして賑やかで楽しい語らいが続いた。翌朝は皆早い朝食を済ませて出かけていくことになっており、二人だけは遅い朝食をとることにしていたので、就寝の時は皆名残惜しい気持ちで二人に別れを告げたのだった。

五色岳の山頂で、私は何とその二人とばったり再会したのだった。随分賑やかな声が聞こえるな、と思って山頂に近づいていったのだが、実はひょっとすると自治医大ご一行様ではないかと内心期待もしていたのであった。それが現実のものとなったので、本当にびっくりしてしまった。

二人は兼ねて耳にしていたとおり、ワンゲルの部員6,7人と一緒だった。テント泊をするので、皆大きな荷物を背負っている。ちょうどお昼を済ませたところのようだった。私と水守・中原の両君とは意外なところでの再会を喜び、一緒に写真に収まった。私もワンゲルの人達のために何度もシャッターを切った。

彼らも今夜の泊まりはヒサゴ沼だった。ヒサゴ沼での再会を約束し、まず私が先に出発した。それにしても、ヘリコプターの音が気になった。

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登山の記28・2回目のトムラウシ③

2006-04-21 21:14:13 | 旅行記

五色の水場まで一端下り、五色ヶ原の台地への登りにかかる。水場付近のぬかるみも、今回はしっかりスパッツを付けてきたので大丈夫だ。

急な斜面を斜めに登り切り、笹原をしばらく行くと、小さな沢沿いの明るい道に出る。初めて来た時は、まだこの辺りにもたくさんのチングルマやエゾノツガザクラなどが咲いていたが、今回はもうそれらは散ってしまったようだった。

道が沢を離れると、五色ヶ原の道が始まるのだが、私は沼ノ原の時同様、歓声を上げた。五色ヶ原の草原の向こうに、これから登ろうとしているトムラウシがどっしりとその山容を横たえている。後ろを振り返ると、大沼と沼ノ原台地の向こうに、昨日登頂したニペソツ山が鋭く聳えている。

五色ヶ原は乾燥化やササの進入が進み、かつてのような一面のお花畑は見られなくなったようだ。しかし、あちこちに黄色いチシマキンバイが咲いているところや、ワタスゲが咲いているところを目にすることができる。雪田ではまだこれから花が咲きそうなところがあるようだ。

しかし、それにしてもトムラウシの眺めが素晴らしい。初めて来た時はすっかり霞んで、ほんのわずかに見えただけだったし、昨年は雲の中だったので、3度目にしてようやく念願の光景を目にすることができたので、感動もひとしおだった。

五色ヶ原はすっかり木道が整備され、歩きやすかった。昨年はぬかるみとの戦いだったのが嘘のようだ。そんなわけで気持ちよく歩いていくと、いつの間にか五色岳の山頂に着いていた。ここで更に楽しい出来事が待ちかまえていた。

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登山の記27・2回目のトムラウシ②

2006-04-19 21:33:00 | 旅行記

当日は素晴らしい天気だった。ゆわんと村で早い朝食を済ませ出発した。沼ノ原登山口の駐車場に着くと、停まっている車は一台しかなかった。

登り始めると、話に聞いた沢に到着した。昨年渡った丸木橋がない。目の前には増水した沢が勢いよく流れている。しかし、水が濁っていないところを見ると、これでも水は少なくなっているようだ。

さすがにこの先の長い道のりのことを考えると、靴のまま渡ることはできない。水深の浅い、容易に渡れそうな所を探し、少し薮こぎをしたが見つからない。仕方がないので、意を決して靴と靴下を脱ぎ、ズボンを膝上までめいっぱいめくり上げて渡った。水深はさほどでなく、膝くらいだったが、水勢が強く、めくり上げたズボンも少し濡れてしまった。

この渡渉でかなり時間をロスしてしまったので、そこから先は足を速めて登っていった。とにかく天気の良いうちに五色ヶ原に行きたかった。そして、なるべく早い時間にヒサゴ沼の小屋に入りたかったのである。

天気はよいが気温も高く、風もない。一番の急な登りの所では、汗が玉のように噴き出した。台地の上に登り、湿地帯に入ったあたりでようやく一息つけた。途中で中年の夫婦を追い抜いたが、私が出発した時間を聞いてびっくりしていた。そこまで私の倍の時間がかかっていたようだ。

沼ノ原に着くと、トムラウシを眺めることができた。思わず歓声を上げてしまった。大沼までやって来ると、昨年同様湖岸まで増水している。昨年は山も見えず、ちょっと不気味な雰囲気だったが、今年は違う。沼の向こうには雄大なトムラウシが聳え、水面には、ちょっとさざ波は立っているものの、トムラウシの姿が映っている。この景色を見ることができて、今回の登山の目的の3分の1は達成できたようなものだ。沼ノ原の木道からは、ずっとトムラウシを眺めることができた。ここから先も大いに期待された。

しかし、それにしてもヘリコプターの音が気になる。遭難騒ぎの話も聞いていないが・・・

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登山の記26・2回目のトムラウシ①

2006-04-17 20:31:03 | 旅行記

そういうわけで、翌年私は再びトムラウシに登ることにした。いわゆる”リベンジ”というやつである。

始めてトムラウシに登った時、トムラウシから下山したすぐ翌日にニペソツ山に登るという暴挙に出たのだが、トムラウシの時同様天候に恵まれなかったので、この時はまずニペソツ山に登ったのだった。空に雲が多く浮かんでいたものの、山頂からの展望を楽しむことはできた。中でもそこから眺めるトムラウシの姿は初めてだったし、山頂直下ではチシマキンバイなどの高山植物が見頃で、ひょっとすると高山植物の開花時期の遅い五色ヶ原ではお花畑を見ることができるのではないかと思われた。そんなことを考えていたら、登山意欲が急にわき上がってきてしまったのだった。

前回がトムラウシの翌日にニペソツだったのとは逆に、今回はニペソツの翌日にトムラウシと相成った。これはひとえに天気予報のためである。予報では、この好天の後しばらく天気が悪いということだったので、これを逃したらマズイと思い、登ることを決意したのだった。

しかし、懸念材料が一つあった。実はこの年の渡道前に、道央地方は集中豪雨に見舞われ、あちこちの林道が土砂崩れになったり、通行止めになったりしていたのであった。沼ノ原への林道は幸い災害からは免れたが、登山道の途中の沢にかかる丸木橋が流され、増水した沢を渡渉しなければならないとのことだったのである。これにはちょっと困ってしまった。しかし、その時以降まともに雨は降っていないので、私が登る時には沢の水も多少少なくなって、何とか渡渉できるだろうと、例によって楽観的な考えで登山を決行することにしたのであった。

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登山の記25・トムラウシ⑥

2006-04-15 22:00:08 | 旅行記

ロックガーデンを過ぎ、きつい斜面を登り切ると、そこには素晴らしい光景が広がっていた。そう、雲海の上に出たのである。

空は高曇りであったが、朝の光が雲と、そして雲の上に頭を覗かせた山々を照らしていた。そして目の前には、なだらかな稜線があり、その上にごつごつした岩山が頭を覗かせている。どうやらこの岩山がトムラウシの山頂であると思われた。目の前に続く登山道が、その岩山めがけてまっすぐ付いていることからしても、それは間違いないようだ。

念願の山頂を目の前にして、足は自然と速まった。登山道の傾斜も緩やかになり、歩く速さが速まるにつれ、トムラウシの山頂がどんどん近づいてくるのが嬉しかった。

山頂の直下には北沼という沼があり、トムラウシの山頂の岩山をその水面に映している。そこからが最後の急な登りである。先ほど通ってきたロックガーデンをそのまま傾斜を急にしたようなところで、とても歩きにくい。歩きにくいためか、登山道があちこちに付いており、道を見極めにくいのも困ったことだ。

登山道を行ったり来たりし、大きな岩を乗り越え乗り越えして、私は遂に念願のトムラウシの山頂に立った。雲海の上の、念願の山の山頂に立った喜びはこの上なかった。南西には十勝連峰、南には遠く日高連峰、北には表大雪連峰が見えている。ちょうど標高2,000メートルくらいのところから上が雲海の上に出ているものと思われた。その証拠に、南東には標高2,012メートルのニペソツ山の頭の部分がちょこんと頭を覗かせている。

雲は次第に上がってきているようで、ニペソツ山の山頂はじきに見えなくなってしまった。ひょっとすると下山の時は雨に降られるかも知れないと思われた。山頂には何人かの人がいたので、そのうち1人の人(この人には何と翌日ニペソツ山の山頂で再会した)に写真を写してもらい、30分ほど過ごして下山した。雲はどんどん上がってきて、表大雪も少しずつ見えなくなり始めていた。北沼まで下って振り返ると、トムラウシの山頂にもガスがかかり始めていた。その時振り返ったトムラウシが、この時の山行で最後に見たトムラウシの姿であった。

雨に降られたくないという一心で、あとはひたすら下山を続けた。途中で小雨にも見舞われた。沼ノ原の登山口まで6時間半かかったのだが、なぜか登りよりも時間がかかった。途中で水がなくなり、層雲峡の温泉までが辛かった。層雲峡で急いで買ったポカリスウェットの美味しさは今でも忘れない。朝陽亭の展望風呂が気持ちよかった。

繰り返すが、念願の山の山頂に立てた喜びはこの上なかった。深田久弥が登頂した時はガスの中だったそうだが、雲海の上だったとは言え、北海道最奥部の雲一つない展望を得られなかったのはちょっと心残りだった。五色ヶ原からのトムラウシを見られなかったのも。下山しながら、機会があればぜひとも再び登ろうと考えていた。

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登山の記24・トムラウシ⑤

2006-04-11 20:53:35 | 旅行記

翌朝はやはり、上の階のご一行のガサゴソ音で目が覚めた。耳栓をしていたのに目が覚めてしまうなんて相当なものだ。ああいう方々はほとんど一様にどうしてそういうことに配慮できないのか、いつも不思議に思う。

簡単な朝食を済ませ出発した。辺りは一面のガスであるが、見通しは何とか利く。ヒサゴ沼のほとりを足下に気を付けながら進み、ヒサゴ沼に注ぐ水の源である大雪渓に取り付く。踏み跡ははっきりしており、そこを登っていけばよいのだが、やはり雪渓ということもあってかなり登りづらい。幸い後ろはガスで見えないが、晴れていれば後ろには滑落したらかなり怖い急斜面が広がっているものと思われた。

雪渓を通過して少し進むとヒサゴの分岐に出た。右に進むと化雲岳、左に進むとトムラウシである。ここで荷物を置き、カメラと水、少しの食料だけを持ってトムラウシの山頂に向かうことにした。やや急な斜面を登り切ると、このルートでも最も美しいと言われる、天沼を中心とする日本庭園にさしかかる。しかしこの日は、空は曇り、薄暗くもあったので、景色はよく覚えていない。しかし天沼のほとりを埋め尽くすイワイチョウは美しかった。

天沼を過ぎるとロックガーデンに出る。どうしてこのような光景が形作られたのかが不思議なほど、同じような大きさの岩がごろごろと転がっている。登山道はその隙間を縫うように付けられていて、ペンキの目印があちこちに付けられているので、迷うことなく進んで行けた。しかし、それにしても岩の登ったり下りたりが延々と続くので、かなり体力を消耗した。ナキウサギの声が頻繁に聞こえ、姿もあちこちで見られた。

ロックガーデンを過ぎ、やや急な斜面を登り始めた頃、空が明るくなり始めた。夜が明けただけでなく、どうやら雲海の上に間もなく出るようである。そうなると、トムラウシの山頂も雲海の上であるようだ。辺りの景色を一望することは難しいようだが、雲海の上の山頂に立つという、それはそれで得難い体験ができそうで、胸が高鳴った。

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登山の記23・トムラウシ④

2006-04-09 22:27:37 | 旅行記

沼ノ原の湿原を一旦下ると、木道が終わり、ぬかるみや水たまりの連続になる。少し下ると五色の水場がある。ここからの登りが一番ひどく、くるぶしのあたりまで埋まった。(実はこの時はスパッツなしで登ったのであるが、我ながら無謀な行為であったと思う。しかし、翌日の写真を見ると、ジーンズの裾はほとんど汚れていない。どうやって歩いたのか、我ながら不思議である。)

そこから先は五色ヶ原へのやや急な登りが続く。笹原を過ぎ、小さな沢沿いに登っていくと、五色ヶ原にさしかかった。前回の時は、霞んではいたがトムラウシも見え、チングルマやミヤマキンバイなどの高山植物も見られた。足下も乾燥して、難なく歩けた。しかし、今回は曇り空の下、トムラウシも見えず、ひたすらぬかるみと格闘しながら登っていった。高山植物も、わずかには見られるが、前回のような多くの花々を見ることはできない。こんなはずではなかったと、天候の予測を誤ったことを後悔することしきりであった。

五色岳山頂で少し休み、ハイマツをかき分けながら進み、化雲平へさしかかった時、ガスの中に一面のオレンジ色が見えてきた。エゾカンゾウの群落である。化雲平は一面のお花畑と聞いていたが、この時期でもエゾカンゾウがこれだけ残っていたのには驚いた(そう言えば、利尻山に8月頭に登った時もエゾカンゾウの群落を見た)。しかし、それ以外にはエゾツガザクラやアオノツガザクラなどがちらほら咲いているだけで、大したことはなかった。もう、花の時期は終わりなのだろう。

ヒサゴ沼への分岐を左に下った。(そのルートは、残雪が豊富にあったか、高山植物が一面に咲いていたかのどちらかだったのだが、この時のことか、翌年のことか、記憶が定かでない。)ヒサゴ沼の避難小屋に入った。幸い時間が早かったためにスペースは空いており、一番奥の隅に荷物を置き、シュラフを広げた。

この時のヒサゴ沼の様子はあまりよく覚えていないが、沼の近辺をあちこち歩いたような気がする。曇っていたので暗くなるのも早く、早めに小屋に戻り、パンなどの食料をぱくつき、読書をして時間をつぶした。他の人は皆コンロを持ってきて、温かい食事をしている。次に来る時は絶対に私もあのように温かいものを食べよう、と決意した。

夕方になるに連れ、小屋には次々に人がやってきた。一番奥にいる私はあまり気にならなかった。しかし、二階に陣取っている中高年のグループは、遅くまでぺちゃくちゃガサゴソやっていて、迷惑この上なかった。こうしたグループは、どこの山小屋でも問題になっている。後に登った幌尻岳の幌尻山荘でも同じ経験をした。本当に困ったものである。

暗くなった頃、ヘッドライトを付けた人がやってきた。聞けば、二子池を朝4時に出て、ここまでやって来たのだそうだ。途中誰にも会わなかったそうだ。後で地図を見たらすごい距離だった。本当はテントを張ろうと思ったが、その力もなく小屋に泊まることにした、と言っていたのも無理はないな、と後で思った。その人の作るリゾットの美味しそうなにおいが小屋に充満した。私はいつしか眠り込んでいた。

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