桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

両神山

2013-09-06 21:33:34 | 旅行記
夏休み最後の休みは8/25,26です。
以前はここで剱岳に行ったものですが、今年は甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳にでも行こうかと思っていました。
でも、25の天気がいまいち。
また、仙丈ヶ岳は高山植物の時期に行ってみたいので、今年は見送り。
近場にある未踏の百名山を差がしてみたところ、武尊山と巻機山と両神山がありました。
武尊山と巻機山は紅葉の時期に登りたいので、残った両神山に登ることにしました。

8/26(月)

忘れ物があって自宅を出たのは5時45分でした。 高速に乗って花園で降り、秩父方面に向かい、両神神社里宮のある日向大谷に着いたのが7時。無料駐車場に車を駐め、両神山荘の横を通り抜けて7時10分に登り始めました。

最初は杉林の中の平坦に近い登山道。ここをしばらく歩くと会所というところに30分ほどで着きました。ここで少しだけ休みすぐに出発しました。

ここからしばらくは沢沿いの道が続きます。沢を渡ることも数回ありました。登山道が沢を離れるにつれて斜度がきつくなりました。我慢して登ったところに、ひょっこりと清滝小屋が姿を現しました。会所からここまで約1時間でした。標高があまり高くないのでかなりの暑さです。
ここで大休止としました。

ここから先は斜面をジグザグに登るルートとなります。いい加減うんざりしたところで稜線に出ると、両神神社の鳥居が見えてきました。この辺りからかつて白井差というところに下る登山道がありましたが、私有地を通っており、今では廃道になっています。最近はこの日向大谷からのルートと、両神山の北西にある八丁峠からのルートと2つのルートが利用されています。稜線からは鎖場があったり、稜線の平坦なルートがあったりと、変化に富んだルートでした。最後に岩場を越えると視界が開け、目の前に現れた大きな岩場が山頂でした。清滝小屋から山頂まで80分ほどでした。登山口からは3時間弱といったところでした。

山頂からは遠く富士山が見えました。奥秩父の山々も見えましたが、どの山がどの山かはよくわかりません。方位盤もありましたが、やや正確さに欠けます。雲取山、金峰山あたりは何とかわかりました。遠くの八ヶ岳と御座山、浅間山も見えました。雲取山以外は既に登った山です。雲取山もこうして見てしまった以上、いずれ登らなくてはなりません。

山頂には既に1人の男性がおり、清滝小屋から私の後に登り始めた3人組の男性も間もなく登頂しました。3人組は前日八丁峠から大雨の中登頂し、やむなく清滝小屋に泊まったのだそうです。さらに清滝小屋で追い抜いた1人の男性と、八丁峠方面から2人の男性も登ってきました。さすがに平日ということで人も少なめですが、休日だと、この狭い山頂はたちまちいっぱいになってしまうことだろうと思われました。

山頂で昼食を済ませ、のんびりと1時間ほど過ごして、11時10分に下山を始めました。ひたすら下るだけだったので清滝小屋までは55分でした。清滝小屋では小休止にとどめ、会所までひたすら下って55分でした。会所から登山口まではわずか30分。下山は2時間20分でした。話に聞いていたよりは山も険しくなく、暑かったことを除けばまずまずお手軽登山でした。

帰りに道の駅の温泉で汗を流してから帰宅しました。一つ心残りは、この山を見通せるところが登山道や途中の道路からはなく、また、午後は山に雲がかかってしまって、両神山の写真を写せなかったことです。
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木曽駒ヶ岳

2013-09-02 00:04:20 | 旅行記

昨年のお盆過ぎに南アルプスの白峰三山を縦走した際、北岳山荘から夕日の沈む中央アルプス連山を見ました。中央アルプスはシルエットだけを目にしたわけですが、前に八ヶ岳から見た時よりも間近に見ることができて、あの山にもいずれ登らなくてはいけないなと思いました。

今年のお盆は天気予報も良く、しかし8/11の真夜中に旅行から帰宅した関係で、8/12,13は完全な休養日に充てることにし、14,15にどこかの山に登ろうと決めた時、ふと思い浮かんできたのが中央アルプスでした。中央アルプスの木曽駒ヶ岳と空木岳は、百名山にも数えられています。同じ登るなら一度に登ってしまいたかったし、木曽駒ヶ岳には標高2,600mまでロープウェーが通っています。旅行の疲れがまだ取り切れていないこともあり、少しでも楽ができ、一度に2つの山に登れるということで、今年のお盆の登山は木曽駒ヶ岳と空木岳に登ることに決めました。

途中の泊まりは空木岳直下のK荘に決めましたが、ネットで調べると評判がよろしくない。しかも予約は必須とのこと。予約しないで小屋に着くと露骨に嫌な顔をされるとのこと。
水場は歩いて9分で、小屋では水はもらえないとのこと。しかも時期はお盆、かなりの混雑が予想され、混雑すると2階の寝室はかなり暑くなるとのこと。でも、お盆の山は実は、ツアーは来ず、一般の人もお盆で山には来ないので空いているということを経験としてわかっている私は、思い切ってK荘に予約の電話を入れました。電話の応対も、私が当日ロープウェーで山に入ってK荘へ行くと伝えると「必ず始発のバスとロープウェーに乗って下さい。」と少し強い口調で言われ、噂は本当らしいと思われました。

8/14

前の晩10時半に床に入り、うつらうつらして1時に起き、1時半に出発しました。頑張って運転したのですが、眠気が限界に達し、姨捨SAで30分だけ仮眠を取りました。駒ヶ根インターで降りて、有名な「女体入口」というバス停を過ぎると間もなく、菅の台駐車場に着きました。ここからロープウェーの始発駅のしらび平まではバスかタクシーでないと行けないのです。駐車場は既に8割方埋まっており、バス停には200人以上が並んでいます。聞きしにまさる混雑に辟易しましたが、彼らの大半は千畳敷を周遊しただけで帰る客だそう。5時過ぎからバスの運行が始まりましたが、大量の客をさばくために、バスが後から後からやって来て、どんどん客を乗せていきます。15分ほど待って私もバスに乗れましたが、私の後ろには私の前にいたのと同じくらいの人が並んでおり、駐車場も満車寸前でした。

30分ほどバスに揺られてしらび平に着きました。ロープウェーも大量の客をさばくために連続運転を行っていたので、やはり10分ほど待つだけで乗ることができました。千畳敷には6:40に到着。目の前には木曽駒ヶ岳の宝剣岳が鋭く聳え、その手前には千畳敷カールが広がります。振り返ると眼下には伊那谷が広がりますが、伊那谷を挟んで聳える南アルプスの連山はすでにもやがかかって見えません。右方向を見上げると、木曽駒ヶ岳方面へ向かって登山道を歩くたくさんの登山客が見えました。千畳敷を周遊する人も数多く見えます。健脚の人は、木曽駒ヶ岳や宝剣岳まで足を伸ばす人もいるそうです。私も準備をして、6:45に出発しました。

歩き始めは千畳敷を横切る平坦な道です。高山植物の時期は終わりかけていましたが、まだコバイケイソウ(今年は当たり年とか)は咲き残っており、一部にはシナノキンバイの小群落もあって、見頃に来るとさぞかしきれいだろうと思われました。千畳敷カールの縁を越える登山道はかなり急でしたが、距離はさほどでもなく、容易に登り終えました。すると目の前に中岳が聳えているのが目に入るのですが、ここは木曽駒ヶ岳の山頂ではありません。宝剣小屋の裏にザックを置いて、空身で木曽駒ヶ岳の山頂を目指しました。まずは中岳を登ります。中岳山頂からは、目指す木曽駒ヶ岳の山頂が見えました。中岳を下り、木曽駒ヶ岳への山頂へと向かいます。登山道は歩きやすく、空身ということもあって楽に歩くことができました。

ロープウェー乗り場から1時間で山頂に着きました。山頂では既にガスが上がり始めており、北の方角は何も見えません。北西の方角には御嶽山が見えます。ガスが晴れるのを待ちましたが、いっこうにその気配はありません。肌寒くなってきたので、写真を写して戻ろうと思ったところで、ガスの合間に遠く穂高連峰と槍ヶ岳の鋭い山頂が見えました。(帰宅後に山行記録など見ると、お盆周辺の1週間は、北アルプス方面はずっと天気が良く、中央アルプス、南アルプスと下るにつれて雲が多かった模様です)

山頂を後にして宝剣山荘に戻り、ザックを背負っていよいよ今日の目的地であるK荘へ向かって、中央アルプス縦走の始まりです。その前に、目の前に聳える宝剣岳の山頂にも登ってみることにしました。岩を乗り越え、山頂のすぐ下にいる人にカメラを渡し、山頂に上がりました。宝剣岳の山頂はその名のごとく鋭く尖っており、人一人なら立つこともできます。しかし、私はその高度感にすっかり足がすくんでしまい、立ち上がることができませんでした。

宝剣岳の山頂を後にし、軽装のトレイルランとおぼしき2人の人の後につく感じで歩き始めましたが、彼らはさすがに速いこと速いこと。あっという間に置いてきぼりにされたのですが、途中で追い抜いた人から「さすがに足の筋肉の付き方が違うねぇ。」と言われ、「へ?」と思ったら、トレイルランの2人と同様、私もハーフパンツで歩いていて、貧弱なふくらはぎをさらしていたのを、トレイルランの人と間違われていたのでした。ちなみに、その夜にK荘で一緒になった人によれば、ハーフパンツの2人組と空木岳ですれ違ったそうで、どうやら彼らはそのまま軽快に走り続け、その日のうちに空木岳を登頂、さらには池山尾根を通って下山した模様です。

この後はひたすら登りと下りの繰り返しでした。途中の平地には、駒ヶ岳特産のコマウスユキソウがたくさん咲いていました。また、既に咲き終わっていましたが、チョウノスケソウもたくさんありました。あと10日ほど早かったら、コマウスユキソウとチョウノスケソウと、一面に地面を覆う白い砂とで、地面は真っ白になっていたはずです。

檜尾岳という山の登りにかかるところで、子供達の声が聞こえ、こんなところまでやって来ている子供がいるのかと感心しているところへ、一人のお祖父さんが座って休んでいたので、小休止して話もしました。聞けば76才の方で、2人のお孫さんと登りに来ているのだそう。お孫さんはもうずっと先に行っていて、自分が来るのを待っていて、自分が到着するやいなやまた先に行ってしまうので、自分が休んでいる時間はあまりないと言っていました。

登り始めにお祖父さんから「K荘には予約を入れてあるけれど、この調子だとかなり遅くなり、そうなると子供達を先に行かせますからと、先に着いたらその旨伝えてくれませんか?」と伝言を依頼されました。それを聞いてから檜尾岳を登り始め、山頂に着いたのは11:15。途中宝剣岳に登ったり、写真を写したりして結構時間がかかったけれど、コースタイムよりは早く着きました。

ここまで小休止は取ってきましたが、昼前でもあったので大休止にします。重い思いをして持ってきた昼飯を食べ始めると、南の方から大きなザックを背負った金髪の男性が一人でやって来ました。聞けば南駒ヶ岳の近くの摺鉢窪避難小屋から、空木岳を登頂してここまで来たといいます。普段から人がたくさん歩いている時間帯に動くのは嫌なので、いつも暗いうちに歩き始め、明るいうちに宿泊地に着いて、あとはのんびり過ごすというのです。この日も歩くのはここまでで、あとはすぐ東に見える檜尾避難小屋に泊まるというのです。こうして山で会った人といろんな話をするのは楽しくていいと言います。私に向かってそう言ってくれるのは嬉しいことだし、私も全くその通りだと思います。この日は、宝剣岳で写真を撮ってくれた人、私をトレイルランナーと勘違いした人、そしてこの人と、会話をした人が皆好印象の人ばかりで、K荘でもいい出会いがあるのではないかと期待されるほどでした。

話しているうちに若いカップルが上がってきて、さらに先ほどの老人の2人の孫も上がってきて、孫を中心に賑やかな会話が始まりました。男の子はどうやら同じ年のいとこ同士のようです。男の子の1人は、テレビ朝日に勤めている、ヒマラヤのダウラギリにも登ったことがあるというお父さんに連れられて、冬の槍ヶ岳や北岳にも登ったことがあるというすごい子だったのです。男の子達を中心に話が盛り上がり、時計を見るとあっという間に1時間が経っていました。カップルも、男の子達も、この日の目的地は同じK荘なので、ますます小屋で過ごすひとときへの期待が高まります。カップルはまだ山頂に残り、金髪の男性は昼寝を決め込み、男の子達は老人の到着を待つということで、私がまずK荘へ向けて出発しました。

檜尾岳ではまだ雲がかかりがちだった空木岳ですが、近づくにつれて次第に雲がとれてきます。檜尾岳を出発して1時間ほど経つと、空木岳が目の前に鋭く聳え立ちました。しかし、空木岳への距離はなかなか縮まりません。目の前に次々に小ピークが現れ、アップダウンを繰り返します。帰宅後に地図で確認すると、大滝山、熊沢岳といった小ピークが連続しています。K荘へ下る最後の斜面に続くピークが東川岳でした。うんざりする頃にようやく東川岳に着いたのですが、ここを歩きながら、この感じはかつて歩いた五龍岳からキレット小屋までの縦走とよく似ているなと思いました。しかし、はしごや鎖が連続した五龍岳~キレット小屋の縦走に比べると易しい道だと思ったし、また北アルプスと異なり、中央アルプスは訪れる人も少ないためか、登山道の整備がしっかりしていないなとも思いました。東川岳からざらざらした斜面をしばらく下り切ったところに、この日泊まるK荘がありました。左手には空木岳、正面には南駒ヶ岳が聳えています。檜尾岳からK荘まで、コースタイムで3時間20分のところ、2時間半でした。この日だけで休憩時間込みで8時間歩いたことになります。稜線歩き中心で風は心地よかったものの、さすがに日差しはきつく、汗も多くかいたので、かなりへばりました。

K荘に着くと、宿主が出てきて受付をしました。この方が、ネット上での評判があまりよろしくない宿主か、と思いつつ宿帳に必要事項を記入しました。
宿主「始発のバスとロープウェーに乗れましたか?」
私「いえ、菅の台に着いた時にはもう250人も並んでいて、始発には間に合わなかったんですが、バスもロープウェーもどんどん増発していたので、バスは15分、ロープウェーも10分待ちくらいで乗れました。」
宿主「そうですか。」
私「ところで、今夜ここに予約を入れている、おじいちゃんとお孫さんの3人連れは、お爺ちゃんがへばってしまって、場合によってはお孫さんを先に行かせるので、その旨伝えて欲しいとの伝言を、檜尾岳の登りにかかるところで聞きました。」
宿主「そうですか。そうなると夕食には間に合わないな。」
そんなやり取りをして、宿泊について事務的な話もありましたが、確かに今まで泊まった山小屋ではあまり接したことがないような、事務的な対応だなと思いました。宿主と夫人の格好も、あまりそれらしくないものでした。

この小屋は大変珍しいことに、宿泊者が自由に飲める(あるいは金を払って飲むことができる)水場がないのです。トイレの手洗い用の水はありますが、天水を利用していて飲めません。小屋から登山道を歩いて9分のところにある、「木曾義仲の力水」と呼ばれる水場まで行かなくてはいけません。ちなみにこの「K荘」の名前にある「木曽殿」とはこの木曾義仲のことで、かつて木曾義仲が、小屋の前にある切戸を越えて伊那谷側へ下ったという言い伝えがあることから、この名を付けたのだそうです。空のペットボトルと手ぬぐい、替えの下着を持って水場へ向かいました。少しだけアップダウンのある登山道を西へ向かったところに沢があり、斜面をわずかな水が流れ落ちています。斜面にパイプが差し込んであり、そこからけっこうな水量の水が流れ出ています。水をくみ、水を飲んだ後、手ぬぐいを濡らし、この後人がやってくる気配もなかったので、全身をくまなく拭きました。ついでに着替えも済ませました。頭も洗って汗を流そうとも思いましたが、水が手を長い間浸していられないほど冷たい上に、頭を拭くためのタオルを持ってきていなかったのでやめました(この後私に「頭が洗えるくらい水が出ていますよ。」と教えられた同宿の髪の薄い男性は、実際に頭を洗ったそうです。後で調べると、5年ほど前の渇水の年には、この水場さえも水が涸れてしまったそうです。) 顔や手だけでなく、全身を拭けてさっぱりできました。汗ふきシートで拭くのとは、やはり爽快感が違いました。剱岳に登った時に泊まった剱山荘でシャワーを浴びられた時のことを思い出しました。

小屋に戻って、寝室である2階に上がってゴロゴロしているうちにいつの間にか寝てしまいました。私はこうしたところでは寝付きが悪いので、できるだけ眠らないように我慢していたのですが、気がつくと1時間以上うたた寝をしてしまっていました。K荘はプレハブ作りで、気温の高い日には2階の寝室は熱気がこもって夜でもかなり暑いと聞いていましたが、この日はそんなこともなく、また夕食までに到着していたのは14,5人ほどで、やはりお盆の平日に泊まって正解でした。

5時から夕食となりました。お祖父さんと子供達はまだ到着しません。14人の人が2つのテーブルに分かれましたが、この小屋ではテーブルごとに席につく人の名前と、どこから来たかを席札に書いてくれます。私の席は、高崎から来た年配の3人組と、町田から来た若いカップルでした。高崎から来た人の一人が、この日空木岳を登頂したことで、日本百名山完登を達成して、記念のTシャツを宿主からプレゼントされたことから、私のいるテーブルは話に花が咲きました(もう一つのテーブルは静かに夕食を食べていました)。

この宿の夕食はおでんと決まっています。メニューはおでん、酢の物、ハム2枚、山菜おこわでしたが、全部業務用(レトルト)でした。汁物も永谷園松茸お吸い物でした。水に不自由している、宿主夫婦だけで切り盛りしている小屋なのでやむを得ないと割り切って食べましたが、今まで泊まった山小屋では一番”残念な”夕食でした。だから写真は写しませんでした。夕飯前にも飛び込みの客が2組あり、宿主がいささか冷たい応対をしていました。ああ、これが噂の宿主の冷たい対応か、と思いながら見ていました。夕飯を断られた彼らは、外のテーブルでコンロで湯を沸かしたりして夕食を食べていました。うち1組は、檜尾岳で一緒だった若いカップルで、彼らを窓の外に見ながら夕食を食べるのは、ちょっと寂しかったです。夕食の間に宿主は2階へ行って布団を敷いていました。この宿は面白いシステムで、夕食後に客が2階へ上がり、誰がどこに寝るのかを直に宿主が割り振っていくのです。私は高崎から来た3人組の左隣になりましたが、残念なことに私の右隣には、いかにもいびきをかきそうな男性が割り振られました(実際にこの男性のいびきで、耳栓はしたもののやはりなかなか寝付けませんでした。)

夕食後に私はコーヒーを注文してすすっていましたが、そこへ子供達が入ってきました。聞けば、檜尾岳以降は、ピークごとにお祖父さんの到着を待ち、お祖父さんが到着すると先に出発する、というのを繰り返して到着したのだそう。お祖父さんは男性2人連れと一緒にやって来るそうで、2人連れの1人が相当へたばっているので、まだまだ到着には時間がかかるけれど、お祖父さんはヘッドランプを持っているから大丈夫だと話していました。そう言えば、檜尾岳を出発して間もなく、年配の男性2人組を追い抜いたのを思い出しました。1人は花の名前も詳しく、山に登り慣れている様子でしたが、もう1人はあえぎあえぎ登っているのがありありと見て取れ、これはかなり大変だろう、K荘に来るのだろうがそうとう遅く着くことになるだろうと思いながら追い抜いたのです。

私は2人に明るいうちに水場に行って、水を汲んだり顔を洗ったりしてくるよう伝えました。2人は早速出て行き、少しして一人は袖口を濡らして戻ってきました。2人はその後夕飯を食べ始めましたが、子供ながらにやはりかなりくたびれていたようで、食はあまり進まない様子でした。2人はそうちゃんとたけちゃんと呼び合っていたので、そう呼ぶことにしますが、そうちゃんはサッカー部、たけちゃんは剣道部に入っている中学1年生とのこと。そうちゃんは駒ヶ岳のふもとの駒ヶ根で合宿をやったばかりで、合宿が終わったのにまたすぐに駒ヶ岳に来るのがちょっと不満そうです。他にもそうちゃんは学校の不満をいろいろ話してきます。たけちゃんはにこにこしながらそれを聞いているだけ。他の客はその様子を眺めているだけですが、私は普段接している子供達に比べればずっと年下だけど、やはり商売柄ついついその話に加わってしまいました。この小屋は食後に天気予報を見がてらテレビも見られるので、テレビを話題に、居合わせた人達といろいろ話をしました。

そうこうしているうちに外からヘッドランプが見えたという声が聞こえ、2人は外へ出て行きました。私も外へ出ましたが、すっかり日は暮れ、西の空が少し明るいだけです。1人の人が2人分のザックを背負い、お祖父さんがヘッドランプを付け、3人一緒に最後の急坂を下ってきます。ようやくお祖父さんと2人組が到着しました。2人組の1人はへたばり果てていて、C.C.レモン2本を一気に飲み干して、ようやく人心地が付いた感じでした。お祖父さんが到着して、2人の孫も一安心という感じでした。3人が夕食を食べている間も、私は2人と一緒にテレビを見ながらいろいろ話をしました。

この小屋の消灯はわりと遅く8時です。8時前にテレビが消えて2階へ上がり、布団に入りましたが、隣の男性は既にいびきをかいています。耳栓をしましたが、やはり寝入るまでに30分ほどかかりました。

8/15

翌朝、早出する人は3時頃からごそごそし始めました、私は4時くらいに目が覚めましたが、電灯がつくまで布団に入っていました。電灯が付くと、既に1/3くらいの人は出発したようです。 昨日最後に着いた人達は、子供達も含めてまだ熟睡しています。私は顔を洗いに水場へ行こうかとも思いましたが、往復20分近く朝から歩くのは面倒くさいのでやめました。

外へ出るとちょうど日の出でした。南駒ヶ岳と空木岳には薄いガスがかかっており、木曽駒ヶ岳方面にも薄くガスがかかりはじめています。この時間からガスがかかるということは、この日は前日以上に気温が高くなりそうです。

朝食は5時からでした。夕食と異なり、ご飯は朝炊いたもの、味噌汁も朝煮たものでした。おかずは業務用の煮物を皿に出しただけのものでしたが、温かいご飯と味噌汁を食べられただけで充分満足でした。朝食後にまたコーヒーを注文してすすったのですが、粉末コーヒーをお湯に溶かしただけのものではない上に、一口チョコレートが付いていて、しかもちゃんとお盆に乗せられて出してくれるのが嬉しい配慮でした。

食後に皆が次々に出発していきます。宿主は事務的に送り出しています。特に飛び込みの客にはちょっと冷たい感じ。そこまでしなくても、と思いますが、きっとそれがポリシーなのでしょう。私はこの日は下山するだけで、時間にゆとりもあったので、ゆっくりと出発することに決めていました。木曽駒ヶ岳方面へ行く人は朝食を摂らずに早出し、最後に到着した年配の男性2人組は西の須原方面へ出発し、大半の人は空木岳へ登頂して池山登山口に下山することになっています。私は子供達と写真を写してから出発しようと思い、彼らが準備ができるまで待っていました。小屋の看板の前で写真を写し、5時55分にK荘を出発しました。

ここから空木岳まで一気の登りです。まずはひたすら高度を稼ぎます。立ち止まるたびに下を見下ろすと、お祖父さんと2人の孫が登ってくるのが見えます。3人とも順調に登っているようです。第1ピーク手前で岩場となり、岩登りが始まります。第1ピークを過ぎ、岩を乗り越えたりすることを繰り返すうちに斜度も緩やかになり、花崗岩の岩と砂が広がる山頂に到着しました。コースタイムでは90分でしたが、それほどとばしたわけでもないのに50分で到着しました。

山頂には小屋で一緒だった人が勢揃いしていて、登頂の喜びを分かち合いました。北には木曽駒ヶ岳と宝剣岳、南には南駒ヶ岳が見えます。北西には御嶽山が見えます。伊那谷を挟んで東に連なるはずの南アルプスはもやの中で見ることはできません。

山頂でタクシーの予約電話を入れました。しばらく皆と話したり、写真を写したりして過ごし、7:20に山頂を出発しました。まずは目印でもある駒石という巨石まで下ります。ここを過ぎるとハイマツ帯から低木帯となり、さらに進むと樹林帯に入ります。ここから先は池山尾根の尾根筋を、見通しの利かない中ひたすら下っていきます。途中小地獄・大地獄という難所を通過しましたが、それほど怖さは感じませんでした。下る途中でもけっこうな人数の人とすれ違います。空木岳は池山尾根のルートを使えば健脚の人は日帰りも可能だそうです。しかし、このひたすら下っていくルートを、反対にひたすら登っていくのは願い下げだなと思いました。

下って行くにつれて気温が上がっていくのがわかります。谷底から吹き上げてくる風に熱気を感じるようになった頃、登山道が尾根筋を離れると間もなく、池山小屋の手前にある水場に到着しました。9:55到着ということは、約2時間半かかったということで、コースタイムより30分ほど早かったことになります。下りの苦手な私としては上出来でしょう。池山の水場で、前夜小屋で一緒になった単独行の男性2人と一緒になり、池山登山口からタクシーで一緒に下ることになりました。10:15に水場を出発し、タカウチバというところでタクシー会社に電話するよう、K荘で言われたとおりにし、さらにだんだん高くなってくる気温を肌で感じながら下り続け、11:05に池山登山口に到着しました。暑いこと暑いこと。池山登山口でも標高は1,000m以上あるはずですが、気温は30度近くあるのではないかと思われました。

15分ほど待ってやって来たタクシーに乗り、駐車場で2人と別れました。2人は「こまくさの湯」に入っていくとのことでしたが、混雑が予想されたので、私は「露天こぶしの湯」に入って帰途に就きました。

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