桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

荒船山

2012-04-30 00:49:27 | 旅行記

子供の頃、母や祖父母から、遠くに見える山の名前を教わったのを覚えています。 その中に荒船山がありました。 長々とまっすぐな稜線が延び、それがすとんと切れ落ちている、不思議な山容で、一度見たら忘れないものでした。
高校1年の遠足で登るはずだったのが、当日が雨でキャンセルになってしまい、近くにある神津牧場と、帰途にある群馬の森に寄って帰ってきました。
近くの山ということで特に登りたいということもなく今日まできたのですが、今日、今シーズンの登山のトレーニングのために登ってみることに決めました。
高速に乗って、登山口の内山峠へ。内山峠は駐車場もいっぱいで、少し先に路駐しました。
登り始めから気持ちよい林の中の道を、軽くアップダウンを繰り返して次第に高度を上げていきます。 登山道はよく整備され歩きやすいです。途中木々の間からは、蓼科山や八ヶ岳連峰が望まれました。 蓼科山は山頂部分だけが岩がごろごろ転がる平地となっているため、その部分だけまだ雪で真っ白に見えます。八ヶ岳連峰も上の方はまだ真っ白です。 蓼科山と八ヶ岳の赤岳には山頂に足跡を記したことがあると思うと、感慨深いものがありました。
荒船山の独特の山容を形作っているのは艫岩(ともいわ)で、ここへの登りが一番きつかったです。 艫岩からは、正面に残雪が残る浅間山が望まれました。艫岩は話に聞いていたとおり、すっぱりと切れ落ちており、まさに断崖絶壁。 一部見えた絶壁も迫力があって、すっかり足がすくんでしまいました。
艫岩に上がってしまうと後は山容通りの平坦な登山道でした。一面の笹原に灌木が生え、気持ちよい尾根歩き、といった感じでした。 山頂の経塚山に登りましたが眺望は良くありません。 簡単な昼飯を食べて早々に下山しました。
結局一日半袖で過ごせてしまうほど、今日は暑かったです。 日焼け止めを念入りに塗ってきて良かったです。
帰りには神津牧場に27年ぶりに寄って買い物をし、これまた27年ぶりにソフトクリームを買って食べました。 家族連れでにぎわう中、男一人ソフトクリームを手に車に戻るのはかなり恥ずかしかったです。荒船の湯で汗を流した後、帰途に就きました。

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書道について73

2012-04-14 22:29:14 | 日記・エッセイ・コラム

○修論と修了制作

大学院2年となり、将来のことを考え始めたのだが、教育実習で、高校生を教えることの楽しさを知ってしまった私は、高校教師になろうと決め、就職活動をしてこなかった。

群馬県では高校の書道の教師の採用は長らく行われていないと聞いていた。教員採用試験の願書を取り寄せてみると、やはり書道の採用はなかった。やむなく第2志望の国語教師になることに決め、出願をした。3月から受験勉強を始め、春休みから新学期にかけて、私自身としては大学入試の時以上にかなり真剣に勉強した。6月に礼文島に高山植物を見に行ったのだが、その行き帰りの列車の中や、泊まった宿で時間のある時にも時間を見つけて勉強していたほどだった。

幸い試験をパスして、晴れて4月から高校の国語教師になることが決まったわけだが、一方で修論のことも並行して準備を始めていた。卒論で陳鴻壽を取り上げ、その交友関係を調べていく中で、陳鴻壽もその一人に数えられている西泠八家の印人の書に心惹かれ、また彼らの書に類似性を見いだしたこと、印の側款にも関心を持ったこともあり、西泠八家の書についてまとめる(「研究する」「論じる」ではない)ことに決めた。タイトルは「西泠八家及び周辺印人の書」とし、西泠八家に加えて屠倬と胡震の書についても合わせてまとめることにした。

卒論と同じく彼らの書作品の図版をできる限り多く集め、その中の典型的な書風やそれらの関連を整理した。また、側款の書についてもその書風と変遷を整理した。卒論の時に助手の先生から「陳鴻壽展覧会図録にならないように」と指摘されたが、そんなことはすっかり消し飛んでいて、とにかく資料を整理してまとめることに終始した。

修了制作は、その頃資料を入手して関心を持っていた包山楚簡の臨書と、前年から取り組み始めていた高野切第一種・巻1と、高野切第三種・巻18の復元臨書は決まっていた。もう一点をどうするか。これは創作になるわけであるが、大学6年間の集大成として私は、漢字仮名交じり書の大作に取り組むことに決めた。大きさは3尺×9尺の横物。紙は大学の先生にいただいた高級な画仙紙を接いで使用した。題材はとっておきの言葉「忘れないで」。

前年に訪れた礼文島で私は忘れられない出会いをした。星観荘という宿である。そこに泊まることで礼文島の素晴らしさを知り、たくさんの旅人との素晴らしい出会いがあった。その年にも6月、7月、9月と3度も訪れ、さらに多くの旅人と出会い、素晴らしい体験をすることができた。この感動を何とかして書作品として表現したかった。題材としては、島を去る旅人達のために、皆で歌った、礼文島で昔から歌われてきた「忘れないで」の歌詞を取り上げることにした。歌詞は一番よりも二番の方が、大学生活を終える私の心境にもふさわしいと思えたので、それを書くことにした。

忘れないで 忘れないで この島のことを / 旅立つ船が見えなくなるまで ちぎれるほど手を振ろう / さいはての海の色より 澄んだものがある / それは船のデッキの上で 手を振る君の涙 / 忘れないで 忘れないで 忘れないでおくれ

表具に失敗して書き直すというアクシデントもあり、不十分なまま制作を終えたが、この歌詞を書いたことにこそ意義があったので、それこそ「忘れられない」作品となった。学生時代に書いた作品の多くは既に処分してしまったが、この作品はパネルから剥がして丸め、今も押し入れの奥に眠っている。

コメント (6)
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