gooblogサービス終了に伴い、これまでの記事とともにアメブロ「桑の海光る雲」に引っ越しました。こちらでの記事のUPはこれで終了します。
またまた良い出物があったので飛びついてしまいました。
坂本直行の描いたエゾノツガザクラの水彩画です。
やや褪色があるものの、エゾノツガザクラの尖った葉と丸い花の特徴を見事にとらえています。
エゾノツガザクラも久しく見ていません。今夏あたり見に行くことはできるでしょうか?
坂本直行の作品も、北海道の山や山に咲く花を描いた作品で、私の手に届くものがあれば手に入れたいですね。
エゾノツガザクラも久しく見ていません。今夏あたり見に行くことはできるでしょうか?
坂本直行の作品も、北海道の山や山に咲く花を描いた作品で、私の手に届くものがあれば手に入れたいですね。

8/23
前夜いろいろ話し込んだ若いライダーさんを見送ったあと、宿でのんびりしてから出発。この日はまず斜里の北のアルプ美術館へ。ここは串田孫一が刊行していた雑誌「アルプ」関連の展示物を展示した個人美術館で、私の好きな坂本直行の絵画も数点展示しています。なんと入場無料でのんびりと過ごすことができるので大好きな美術館です。ここで小1時間ほど過ごし、麦茶までごちそうして頂きました。
昼はここと決めていた、これも何度も訪れているウトロ漁協婦人部食堂へ。人手不足なのか、提供できるメニューが限られており、やむなくホッケ定食を頂きました。でも大きなホッケでとても美味しくお腹いっぱいになりました。
この後はひたすら車を飛ばして霧多布岬へ。ここ数年霧多布岬にラッコが来ているという話を聞いていたからです。霧多布岬は風が強く波も荒かったのですが、風の当たらない波の穏やかなところに3頭浮かんでいるのが見えました。残念ながら双眼鏡を持ってきていなかったのでよく見えなかったのですが、それでも満足できました。
後はこれまたひたすら車を飛ばして宿に戻りました。この日も太田で夕食。海鮮のヅケどんぶりが美味しかった。温泉に入って宿に戻り、この日はジムのトレーナーの人と宿のスタッフと話が盛り上がり、トレーナーの人から「健康のためにまず毎日20分歩いてください。」と言われたのが印象に残り、秋になったら実践することに決めました(この日記を書いている時点で毎日継続しています)。
8/24
いよいよ道内最終日です。宿のスタッフの人に見送ってもらい、弟子屈から阿寒湖を経由して、釧路の手前から高速に乗って一路帯広へ。さらに高速を降りて広尾へと向かいます。
広尾にある海洋博物館には坂本直行の絵画の一大コレクションがあると聞き、また、ここは土日しか開館しないとのことなので、それに合わせてやって来たわけです。広尾は坂本直行が最初に入植して農場経営をした縁の深い場所ということで、数多くの坂本直行の絵画を所蔵しているのです。実は私も7月の終わりに坂本直行が描いたエゾノリュウキンカの水彩画を入手したのですが、なんとそれは広尾に住んでいたご夫婦がかつて結婚祝いとして広尾町から贈呈されたもので、そんなことに使われるほど広尾と坂本直行の縁は深かったのだということを知り、ぜひとも訪れてみたかったのです。

博物館はまず広尾出身の横綱の北勝海の展示があり、その奥に坂本直行の絵画の展示室がありました。展示室はやや薄暗く、絵画の保存状態もあまり良くありませんでしたが、ガラスケースの中でなく直に展示されていたので、じっくりと鑑賞することができました。特に油彩の作品に名品が多く、どれも初めて目にするものばかりで、恐らくこうした絵が広尾のあちこちに所蔵されていて、それらが収集されてここに展示されているのだろうと思われました。特に、十勝平野から見える日高山脈の山々の写真と、同じ山々を坂本直行が描いた日高山脈の絵画3点を、写真と同じ順に並べて展示しているのが興味深かったです。
充実したひとときを過ごした後は、中札内美術村にあるレストラン・ポロシリでランチにしました。ここは道内にあるレストランの中で最も好きなところです。今回も十勝産の素材を生かした料理に舌鼓を打ちました。特に写真左中央のキャベツのメンチは絶品でした。

ポロシリでお腹いっぱいになった後は、すぐ近くにある六花の森へ。ここでは坂本直行の作品を数多く展示しており、ここ数年はほぼ毎年のように訪れています。

実は7月にも訪れていたのですが、あれから1ヶ月しかたっていなくても訪れたくなるくらい大好きな場所なのです。目的はもちろん坂本直行の絵画。7月にも見ましたが、ここ数年に六花の森に寄贈された個人コレクションは、今まで見たことがないものばかりで印象深かったとともに、昨年秋で閉館した日野春アルプ美術館に所蔵されていた数十点の坂本直行コレクションのうち最大の作品である十勝連峰を描いた大作が展示されていたのも感慨深かったです。
六花の森で少々早いおやつタイムにして甘いものに舌鼓を打ちました。
その後はひたすら高速を飛ばして苫小牧東港へ。本当はもう一日くらい滞在して札幌に宿泊し、札幌在住の旅友達の皆さんと再会したかったのですが、お盆の多客期を過ぎてしまい、日曜日のフェリーは運航されないため、やむなく土曜日のフェリーで帰ることになりました。途中コンビニで翌日の朝食を購入するのを忘れるというアクシデントはありましたが、5年前の時のように出港20分前にギリギリ乗り込むというようなことはなく済みました。
あとはひたすらフェリーに揺られてのんびりとしたひとときを過ごし、翌日の15時に新潟に到着。北海道の気温になれた体には辛い暑さと、途中のひどい雷雨に悩まされつつ帰宅しました。
行き当たりばったりの北海道行きでしたが、それなりに楽しむことが出来、それぞれの宿泊先でも良い出会いがあって、20代の頃の長期の北海道旅行のことを思い出させる印象深い旅でした。
ああ、年が変わる前に書き終えることができた!
8/22
塩狩ヒュッテを出発して一路永山駅へ。ここには有名なホワイトボード職人の駅員さんがお勤めです。噂に聞いていた見事なホワイトボードを見ていたところ、職員さんご本人とおぼしき駅員さんもお見かけしました。

次に訪れたのは美馬牛の拓真館。オープン前に着いたので庭を散策しました。植林された白樺の並木道が素敵でした。拓真館オリジナルの来年のカレンダーを購入しました。

続いてカンパーナ六花亭へ。ちょうど昼前で、ジンギスカン白樺のオープン前だったので、ここで昼食にしました。ラムとマトンとタマネギのみのシンプルなジンギスカンで、肉の旨さを味わえました。

食後は隣接するカンパーナ六花亭へ。前回訪れた時は日曜日で激混みでしたが、お盆後の平日なので空いていました。3種類のスイーツを購入し、十勝岳連峰を眺めながら頂きました。


この後はひたすらドライブを続け、この日の宿である清里イーハトーヴYHに到着しました。自分の車で来たのは令和元年のGWの10連休以来です。写真はありませんが、太田で美味しい夕食を頂き、緑清荘で温泉に浸かり、YHに戻ってなじみのスタッフといろいろな話に花を咲かせました。YHも昔とは客層が変わりました。時代の流れとは言え、20~30代の若者で賑わっていた頃と異なり、宿泊者はシニア世代が大半。それでも道東の人気エリアに位置しているので、知床やツーリングで訪れる若者もけっこう宿泊しています。この日も隣のベッドの若者と旅の話に花が咲きました。かつて毎夏に訪れていた頃は毎晩そんな感じでしたから、その頃のことが思い出されてとても懐かしかったです。
うみねこゲストハウスに戻ってからも、早めに寝ることにしました。翌日も好天の予報であるため、同宿の皆さんやスタッフの皆さんも利尻山に登ることにしたそうです。
翌朝は5時前に起床し、簡単に洗顔して車を飛ばして島の南へ向かいました。前日は波立って見られなかった、水鏡に映る利尻山を見るためです。朝日が当たる利尻山の姿は、走って行くにつれて姿を変えていきます。
まずオタトマリ沼へ。予想通り水面には波がなく、朝日の当たる利尻山がきれいに映っています。しかしオタトマリ沼の南の岸には草が生えており、山の姿がよく見えません。そこで沼に沿って付けられた遊歩道を東に回って歩いていくと、ちょうど良く岸に岩が積み重なり、遊歩道からも簡単に降りられる場所がありました。ここから見ると、水面に利尻山全体の姿がきれいに映っています。オタトマリ沼は水の色が黒いため、一層きれいに映って見えます。
オタトマリ沼を後にして、今度は南浜湿原へ向かいます。ここも予想通り、水面に利尻山の姿がきれいに映っていました。南浜湿原の沼の水も黒いため、利尻山の姿がくっきりと映っています。
宿に戻りながらあちこちで車を駐め、朝日の当たる利尻山の姿をカメラに収めました。改めて、架蔵の坂本直行の描いた利尻山の絵は、鬼脇から少し北に行ったあたりから見た利尻山の姿を描いたものだろうと考えました。利尻山が水面に映る姫沼にも行こうと思ったのですが、オタトマリ沼と南浜湿原ですっかり満足したので、姫沼に寄らずに宿に戻りました。
宿に戻って一休みしていると、前日利尻山に一緒に登ったライダーのIさんが利尻島一周をして戻ってきたところでした。他の宿泊客が全員利尻山に行ってしまい、ひとりぼっちで朝食を済ませた後、Iさんを見送り、私も荷造りをして、宿の方に見送られながら出発して港に向かいました。うみねこゲストハウスは良い宿でした。
フェリーでは珍しく、かなり長い時間をデッキで利尻山を眺めて過ごしました。デッキで過ごしていても涼しさも感じないのはやはり異常なことなのでしょう。
稚内に着いてIさんと別れ、再開して間もないプチガラクに向かいました。ここのスープカレーは絶品です。列に並んで開店を待ち、店に入ると間もなく満席となり、人気の高さがうかがえました。かみふらのポークの豚しゃぶと7種きのこの森と、キウイのラッシーを頂きました。ついで稚内で一番のパティスリーであるヒルンドルスティカに向かいました。お目当てのパフェはソフトクリームができるのに時間がかかるとのことで、マンゴーのデザートにしました。カレーもラッシーもデザートも美味しかったです。
この後向かったのは廃止が取り沙汰されている抜海駅。1日数本しか列車がやって来ない駅ですが、廃止が取り沙汰されているためか、一層うら寂しい雰囲気が漂っていました。いたずら防止のためでしょうか、警備の人とおぼしき人が乗った車が止まっていました。もう二度と来ることはないだろうと思いつつ、駅を後にしました。
その後は士別市で会う方がいるため、時間に間に合わせるべく車を走らせました。 その方と会った後、この日の宿である塩狩ヒュッテに向かいました。本来だと富良野や東川の宿に泊まりたかったのですが、いずれも満室。旭川のホテルも調べたところはいずれも高い部屋しか残っておらず、当初の予定より大分北寄りの塩狩ヒュッテがかろうじて1室空いていたため予約を入れました。
塩狩ヒュッテは昔の塩狩温泉ユースホステルとは異なり、新たに塩狩駅前にオープンした新しいユースホステルです。オーナー自らが建てた新しい建物で、小さくても快適な宿でした。この日は個室対応で、食事も美味しく、また泊まり合わせた埼玉の医師の方、宮城の”のる”さん、京都から来た外国人留学生の方と楽しく話ができました。
翌朝はのるさんと2人で医師の方を塩狩駅で見送りました。ちょうど列車の交換があり、久しぶりに”鉄分”の多いひとときを過ごしました。










四阿山はかつて嬬恋側からゴンドラを使って登ったことがありますが、尾根筋は眺望に恵まれず、また山頂はガスの中で何も見えなかったので、いつかもう一度登りたいと思っていました。この3連休はいずれも好天の予報なので、14日(月)に登ることに決めました。
菅平は昔仕事で数回来たことがあります。その時には「こんな良い天気の日は仕事なんかしないで四阿山に登れたら良いのに。」と思うことがたびたびありました。それをようやく今回実行できました。
菅平牧場の入り口で入場料300円を支払い、駐車場で準備をして登り始めます。体力のあるうちに根子岳から四阿山への登り返しを登ってしまいたいと思ったので、時計回りで登ることにしました。
青空の下で登りながら後ろを振り返ると、背後には遠く北から妙高山から高妻山の山並、その南に北アルプスの山々がずらりと勢揃いしています。東屋に到着して山々を眺めました。その多くの山に登頂しているのは、毎度のことながら感慨深いです。
東屋からは白樺やダケカンバの林の中を徐々に登っていきます。樹林帯を過ぎるとあたりは笹原となり、遠くに山頂が見えてきます。南には先週登った八ヶ岳の山々が聳え、蓼科山の左には遠く北岳も見えます。その東側には雲の上に浅間山が頭を覗かせています。その右には中央アルプス(宝剣岳がはっきりとわかりました)、御嶽山、乗鞍岳も見えます。
間もなく根子岳の山頂に着きました。南には四阿山が聳えています。いったん鞍部に下り、四阿山に登り返さなければならないのですが、かなりの下りと登りがあるようで、この先がちょっと不安になります。
周囲の山々を眺めながらしばらく休憩し、まずは鞍部への下りにかかります。大きな岩をよけるように付けられた道を下りながら、時に岩の上に登って眺望を楽しみました。そこを過ぎると登山道は一面の笹原の中を通っていきます。
そこを過ぎると鞍部に到着し、そこからいよいよ四阿山への登りにかかります。樹林帯の中に笹が生い茂り、木の根に足を取られそうになりながら登っていきます。ここの登りは距離は短かったものの斜度はかなりきつく、やはり時計回りにして正解だと思いました。
登り切ると目の前に分岐のある広場が広がりました。ここで菅平牧場から登ってくるルートと合流します。ここから東の方を見上げると、木の階段が続いているのが見えます。これを登り切ると山頂のようです。登りにくい階段を登りきり、さらに進むと人の声が聞こえ、山頂に到着しました。
最高点の横にある山頂標の前で記念撮影をします。前回と異なり青空の下です。祠の裏側の石垣の上に登って、背後に連なる山々を眺めます。これまでも繰り返し眺めてきた、妙高山~高妻山の山並と白馬三山~穂高岳の山並が一望できます。四阿山の山頂からはこんなにも素晴らしい眺望を得られるのかと驚かされました。浅間山方面は雲海となっており、雲の上に浅間山の頭がちょっとだけ見え、時折雲の切れ間から嬬恋村のキャベツ畑が見下ろせるだけでした。
山頂は狭いので、30メートルほど西にある別の祠の前で昼食にしました。八ヶ岳での反省を生かし、今日は朝食もしっかり食べ、水分も十分に取ります。昼食も普段より少し多めに食べました。おかげで今回は最初から最後までずっと同じくらいの足取りで歩くことができました。
昼食後は下山するばかりです。正面遥か遠くに穂高連峰を眺めながら、一歩一歩下っていくのは何とも気持ちが良いものでした。中四阿山、小四阿山の小ピークには登ることはできませんでした。徐々に下っていき、最後は牧場の縁を回るようにして歩いていくとアスファルトの道に出て、駐車場に到着しました。
牧場とくればソフトクリームでしょう。甘党の私には牧場で食べるソフトクリームは最高でした。ここのところ甘いものを控えめにしているので、なおさら美味しく感じました。
3週続けて百名山に登りました(平ヶ岳・八ヶ岳・四阿山)。今年は10月28日が天気が良ければ近場の山に行こうかと思っていますが、私の今シーズンの山は恐らくこれで最後になるのではないかと思います。
菅平は昔仕事で数回来たことがあります。その時には「こんな良い天気の日は仕事なんかしないで四阿山に登れたら良いのに。」と思うことがたびたびありました。それをようやく今回実行できました。
菅平牧場の入り口で入場料300円を支払い、駐車場で準備をして登り始めます。体力のあるうちに根子岳から四阿山への登り返しを登ってしまいたいと思ったので、時計回りで登ることにしました。
青空の下で登りながら後ろを振り返ると、背後には遠く北から妙高山から高妻山の山並、その南に北アルプスの山々がずらりと勢揃いしています。東屋に到着して山々を眺めました。その多くの山に登頂しているのは、毎度のことながら感慨深いです。
東屋からは白樺やダケカンバの林の中を徐々に登っていきます。樹林帯を過ぎるとあたりは笹原となり、遠くに山頂が見えてきます。南には先週登った八ヶ岳の山々が聳え、蓼科山の左には遠く北岳も見えます。その東側には雲の上に浅間山が頭を覗かせています。その右には中央アルプス(宝剣岳がはっきりとわかりました)、御嶽山、乗鞍岳も見えます。
間もなく根子岳の山頂に着きました。南には四阿山が聳えています。いったん鞍部に下り、四阿山に登り返さなければならないのですが、かなりの下りと登りがあるようで、この先がちょっと不安になります。
周囲の山々を眺めながらしばらく休憩し、まずは鞍部への下りにかかります。大きな岩をよけるように付けられた道を下りながら、時に岩の上に登って眺望を楽しみました。そこを過ぎると登山道は一面の笹原の中を通っていきます。
そこを過ぎると鞍部に到着し、そこからいよいよ四阿山への登りにかかります。樹林帯の中に笹が生い茂り、木の根に足を取られそうになりながら登っていきます。ここの登りは距離は短かったものの斜度はかなりきつく、やはり時計回りにして正解だと思いました。
登り切ると目の前に分岐のある広場が広がりました。ここで菅平牧場から登ってくるルートと合流します。ここから東の方を見上げると、木の階段が続いているのが見えます。これを登り切ると山頂のようです。登りにくい階段を登りきり、さらに進むと人の声が聞こえ、山頂に到着しました。
最高点の横にある山頂標の前で記念撮影をします。前回と異なり青空の下です。祠の裏側の石垣の上に登って、背後に連なる山々を眺めます。これまでも繰り返し眺めてきた、妙高山~高妻山の山並と白馬三山~穂高岳の山並が一望できます。四阿山の山頂からはこんなにも素晴らしい眺望を得られるのかと驚かされました。浅間山方面は雲海となっており、雲の上に浅間山の頭がちょっとだけ見え、時折雲の切れ間から嬬恋村のキャベツ畑が見下ろせるだけでした。
山頂は狭いので、30メートルほど西にある別の祠の前で昼食にしました。八ヶ岳での反省を生かし、今日は朝食もしっかり食べ、水分も十分に取ります。昼食も普段より少し多めに食べました。おかげで今回は最初から最後までずっと同じくらいの足取りで歩くことができました。
昼食後は下山するばかりです。正面遥か遠くに穂高連峰を眺めながら、一歩一歩下っていくのは何とも気持ちが良いものでした。中四阿山、小四阿山の小ピークには登ることはできませんでした。徐々に下っていき、最後は牧場の縁を回るようにして歩いていくとアスファルトの道に出て、駐車場に到着しました。
牧場とくればソフトクリームでしょう。甘党の私には牧場で食べるソフトクリームは最高でした。ここのところ甘いものを控えめにしているので、なおさら美味しく感じました。
3週続けて百名山に登りました(平ヶ岳・八ヶ岳・四阿山)。今年は10月28日が天気が良ければ近場の山に行こうかと思っていますが、私の今シーズンの山は恐らくこれで最後になるのではないかと思います。
















先週の日曜日に平ヶ岳に登ってきて、また今週の日曜日も登山となりました。若い友人と八ヶ岳に登ってきました。この友人との登山は2回目。八ヶ岳はもう5回目で、これまでの4回はいずれも少しずつ違うルートを登ってきたので、今回も検討した結果、まだ登ったことがない阿弥陀岳に登ることに決め、美濃戸口から入り、行者小屋~阿弥陀岳~中岳~赤岳~文三郎尾根~行者小屋と回って美濃戸口に戻ることにしました。下山後も長時間のドライブが控えているので、一番短いルートを選択した次第。
10日ほど前から4種類ほどの山の予報とにらめっこしましたが、めまぐるしく変わるのには正直言って困りました。結果、てんきとくらすの予報が一番正確でした。
登り初めは曇り空。それが次第に雲が切れ始め、青空が広がり、日が差し始めました。行者小屋までは苔が美しい沢沿いの道が続きます。登山道が河原のようのところを通るようになると、ナナカマドの紅葉越しに目の前に横岳の絶壁が立ちはだかるのが見え、間もなく行者小屋に着きます。
行者小屋でも紅葉越しに赤岳の絶壁を見上げることができました。小屋の前のベンチではたくさんの人が休んでおり、テントも並んでいます。予報がいまいちだったせいか、以前10月頭に登った時よりも人が少ない気がします。
小屋からは初めてのルートを通って阿弥陀岳に向かいます。赤岳に直登する文三郎尾根のルートより斜度は緩やかですが、距離は長いです。途中、紅葉の向こうにかつて登った硫黄岳が見えました。
次第にガスがかかり始め、阿弥陀岳と中岳の分岐に着きましたが、本来なら南に立ち並んでいる富士山や南アルプスの山々は雲に覆われて見えません。しかし、遠くには雲海が広がり、手前には南八ヶ岳の山々が立ち並んでいました。尾根の北側もガスに覆われ、さっきまで遠くに見えた硫黄岳や、下に見えるはずの行者小屋も見えなくなってしまいました。
荷物をデポし、阿弥陀岳への登りにかかります。とても急で、手で岩をつかんで登るところが半分以上だったでしょうか?でも30分もしない間に登頂できました。山頂から正面に眺める赤岳の姿は荒々しく目前に迫ってきましたが、実は今回初めて、赤岳と阿弥陀岳の間に中岳という別の山が聳えていることを知りました。
分岐までも急な崖のような登山道ををヒヤヒヤしながら下りました。分岐まで戻ってふと顔を上げると、何と富士山が雲海の上に顔を覗かせているではありませんか!すぐさまカメラのシャッターボタンを押しましたが、間もなくまた雲に隠れてしまいました。
実は阿弥陀岳の登りあたりからシャリバテ気味で、分岐でパンを頬張ってから中岳の上り下り、赤岳への登りにかかったのですが、これがきつかった!少しふらつくこともあり、シャリバテの怖さを実感しました。若い友人は体力もあるので先に行ってもらい、申し訳ないことに長時間待たせてしまいました。それでもなんとか赤岳山頂直下の岩場を登り切って、予定通り昼前には登頂できました。
4年ぶりの山頂は残念ながら雲の中。やはり予報のせいか人は少なめです。たまに雲の切れ間から青空や太陽が顔を覗かせます。風は少し吹いていますが寒くはなく、風をよけて昼飯にしました。
天気が回復する様子もないので、昼飯後はすぐ下山することにしました。山頂でエネルギー補給をしたためでしょう、行きには山頂まで30分以上かかった文三郎尾根分岐まで、下りは15分もかかりませんでした。
文三郎尾根には通称“マムート階段”というのがある他、急な尾根にたくさんの階段が付けられており、登る時はとても苦労します。ここを今回初めて下りに使いました。辛い登りとは反対に、下りはスタスタ下っているうちに降りきってしまいました。
行者小屋では、行きに確認しておいた、水場の水に浸かっていたCCレモンを大枚はたいて購入し、2/3くらいを一気に飲み干しました。酒飲みならビールと行きたいところですが、私も若い友人も下戸です。このCCレモンを飲みたくて足早にマムート階段を降りてきたと言っても良いでしょう。
行者小屋からは今朝通ってきた道をそのまま下りました。それほど疲れは感じていませんでしたが、意外と時間はかかりました。帰りには、ちょっと遠回りにはなりましたが、八ヶ岳登山時には毎度おなじみの縄文の湯に入って汗を流して帰途に就きました。
10日ほど前から4種類ほどの山の予報とにらめっこしましたが、めまぐるしく変わるのには正直言って困りました。結果、てんきとくらすの予報が一番正確でした。
登り初めは曇り空。それが次第に雲が切れ始め、青空が広がり、日が差し始めました。行者小屋までは苔が美しい沢沿いの道が続きます。登山道が河原のようのところを通るようになると、ナナカマドの紅葉越しに目の前に横岳の絶壁が立ちはだかるのが見え、間もなく行者小屋に着きます。
行者小屋でも紅葉越しに赤岳の絶壁を見上げることができました。小屋の前のベンチではたくさんの人が休んでおり、テントも並んでいます。予報がいまいちだったせいか、以前10月頭に登った時よりも人が少ない気がします。
小屋からは初めてのルートを通って阿弥陀岳に向かいます。赤岳に直登する文三郎尾根のルートより斜度は緩やかですが、距離は長いです。途中、紅葉の向こうにかつて登った硫黄岳が見えました。
次第にガスがかかり始め、阿弥陀岳と中岳の分岐に着きましたが、本来なら南に立ち並んでいる富士山や南アルプスの山々は雲に覆われて見えません。しかし、遠くには雲海が広がり、手前には南八ヶ岳の山々が立ち並んでいました。尾根の北側もガスに覆われ、さっきまで遠くに見えた硫黄岳や、下に見えるはずの行者小屋も見えなくなってしまいました。
荷物をデポし、阿弥陀岳への登りにかかります。とても急で、手で岩をつかんで登るところが半分以上だったでしょうか?でも30分もしない間に登頂できました。山頂から正面に眺める赤岳の姿は荒々しく目前に迫ってきましたが、実は今回初めて、赤岳と阿弥陀岳の間に中岳という別の山が聳えていることを知りました。
分岐までも急な崖のような登山道ををヒヤヒヤしながら下りました。分岐まで戻ってふと顔を上げると、何と富士山が雲海の上に顔を覗かせているではありませんか!すぐさまカメラのシャッターボタンを押しましたが、間もなくまた雲に隠れてしまいました。
実は阿弥陀岳の登りあたりからシャリバテ気味で、分岐でパンを頬張ってから中岳の上り下り、赤岳への登りにかかったのですが、これがきつかった!少しふらつくこともあり、シャリバテの怖さを実感しました。若い友人は体力もあるので先に行ってもらい、申し訳ないことに長時間待たせてしまいました。それでもなんとか赤岳山頂直下の岩場を登り切って、予定通り昼前には登頂できました。
4年ぶりの山頂は残念ながら雲の中。やはり予報のせいか人は少なめです。たまに雲の切れ間から青空や太陽が顔を覗かせます。風は少し吹いていますが寒くはなく、風をよけて昼飯にしました。
天気が回復する様子もないので、昼飯後はすぐ下山することにしました。山頂でエネルギー補給をしたためでしょう、行きには山頂まで30分以上かかった文三郎尾根分岐まで、下りは15分もかかりませんでした。
文三郎尾根には通称“マムート階段”というのがある他、急な尾根にたくさんの階段が付けられており、登る時はとても苦労します。ここを今回初めて下りに使いました。辛い登りとは反対に、下りはスタスタ下っているうちに降りきってしまいました。
行者小屋では、行きに確認しておいた、水場の水に浸かっていたCCレモンを大枚はたいて購入し、2/3くらいを一気に飲み干しました。酒飲みならビールと行きたいところですが、私も若い友人も下戸です。このCCレモンを飲みたくて足早にマムート階段を降りてきたと言っても良いでしょう。
行者小屋からは今朝通ってきた道をそのまま下りました。それほど疲れは感じていませんでしたが、意外と時間はかかりました。帰りには、ちょっと遠回りにはなりましたが、八ヶ岳登山時には毎度おなじみの縄文の湯に入って汗を流して帰途に就きました。







9月29日(日)に念願の平ヶ岳にようやく登ることができました。本当なら鷹ノ巣から登るべきでしょうが、年齢的・時間的・体力的な面を考慮してプリンスルートを選択しました。
普段は単独行ですが、登山口まで送迎してくれる銀山平の宿は、週末はどこも1人での宿泊ができないようで、思案の結果学生時代の友人達を誘うことにしました。幸い快諾してくれ、予約した4月末時点で1軒だけまだ空室のあった民宿Kにお世話になりました。宿では町が観光振興のために建てたというログハウスに宿泊し、風呂は白銀温泉を利用しましたが、どちらも大変快適で、また宿の食事も美味しく、宿主ご夫妻の対応も大変よく本当に良い宿に泊まれたなと思いました。
3時に起きて準備し、4時に宿を出て約1時間半で登山口へ。登山でこれほど長くシャトルバスや送迎車に乗ったのは初めてです。辺りは一面ガスの中。予報では雨も降るとのことで気勢も上がりません。バスを降りた近くのベンチで朝食のおにぎりを胃袋に詰め込んでから出発しました。
のっけから急登が続き、樹林帯の中で風も吹かず、汗が噴き出て息も上がります。これほどの急登が続く山はこれまであまり経験したことがないように思います。たまたま同宿の人達が我々の他6人登っていましたが、皆さん我々とさほど変わらないスピードで登っていたのは頼もしい限りでした。
1時間40分ほど過ぎると空が開け始め、雲の切れ間に青空も見え始めました。そして本当に突然湿原の端に出ました。このあたり苗場山と同じです。湿原の草紅葉が見頃で、雲の切れ間から差す日差しが草紅葉を照らし、美しさが引き立ちます。
我々は玉子石は帰りに寄ることとして、宿から指示されたとおり、姫ノ池は後回しにして先に水場を通り、山頂を目指します。湿原に出ると後はずっと木道で、これまでの急登とは比較にならない快適な木道歩きが続きます。途中鷹ノ巣から登ってきたトレランの方に道を譲る際に「プリンスルートとはうらやましいですねぇ。」と言われました。恐らく朝4時頃出発してきてのでしょうか。すごい健脚だなと思いました。
山頂直下では青空も見え、日も差してきました。急登の時の蒸し暑さもなく、快適に歩けます。天気予報が良い方に外れ、同行の友人だけでなく、同宿の人たちとも喜び合いました。
山頂標は話に聞いていたとおり三角点のところに立てられていました。最高点まで足を伸ばし、写真を写して再び山頂標のところへ戻り、ここでも写真を写してから大休止にしました。朝食に付いてきたゆで卵と魚肉ソーセージを食べましたが、どちらも普段食べ慣れないものなので新鮮な美味しさがありました。
山頂標前では30分ほど滞在し、遠くに団体さんが見えてきたので下山することにしました。宿から指示されたとおり姫ノ池に向かいます。どこの湿原も草紅葉が見頃です。青空の下だったらどんなにかきれいだろうにと思いましたが、こればかりは仕方がありません。姫ノ池では別の宿のバスで来たご一行様が集団で休憩していたので、湿原の向こうに山頂を眺めた後その場を後にしました。
ここから最後の目的地である玉子石へ向かいました。玉子石分岐からは5分ほど。到着してみると意外に大きいことにびっくりしました。遠くには草紅葉の広がる中に池塘も眺められました。先程まで見えていた青空はすっかり見えなくなりました。雨に降られる中あの急登を下るのはいやなので、早々に下山し始めました。
辛い急登を今度は下るのですが、登りの時と同じくらい困難を極めました。本当に最後の最後まで息の抜けない下りでした。途中雲の切れ間から越後駒ヶ岳と中ノ岳がわずかに眺められました。沢の音が大きくなると遠くに駐車場のバスが見えました。川を渡る手前にあるヒカリゴケを見てから橋を渡ると間もなく駐車場に着きました。我々の宿の車が一番先に全員集合して出発することができました。
宿に戻ってから再び白銀温泉につかり、帰途に就きました。登頂が難しい念願の山の山頂に立つことができ、今年もなんとか未踏の100名山に一つ登ることができました。残るは6座です(飯豊山・赤石岳・悪沢岳・聖岳・光岳・宮之浦岳)。
普段は単独行ですが、登山口まで送迎してくれる銀山平の宿は、週末はどこも1人での宿泊ができないようで、思案の結果学生時代の友人達を誘うことにしました。幸い快諾してくれ、予約した4月末時点で1軒だけまだ空室のあった民宿Kにお世話になりました。宿では町が観光振興のために建てたというログハウスに宿泊し、風呂は白銀温泉を利用しましたが、どちらも大変快適で、また宿の食事も美味しく、宿主ご夫妻の対応も大変よく本当に良い宿に泊まれたなと思いました。
3時に起きて準備し、4時に宿を出て約1時間半で登山口へ。登山でこれほど長くシャトルバスや送迎車に乗ったのは初めてです。辺りは一面ガスの中。予報では雨も降るとのことで気勢も上がりません。バスを降りた近くのベンチで朝食のおにぎりを胃袋に詰め込んでから出発しました。
のっけから急登が続き、樹林帯の中で風も吹かず、汗が噴き出て息も上がります。これほどの急登が続く山はこれまであまり経験したことがないように思います。たまたま同宿の人達が我々の他6人登っていましたが、皆さん我々とさほど変わらないスピードで登っていたのは頼もしい限りでした。
1時間40分ほど過ぎると空が開け始め、雲の切れ間に青空も見え始めました。そして本当に突然湿原の端に出ました。このあたり苗場山と同じです。湿原の草紅葉が見頃で、雲の切れ間から差す日差しが草紅葉を照らし、美しさが引き立ちます。
我々は玉子石は帰りに寄ることとして、宿から指示されたとおり、姫ノ池は後回しにして先に水場を通り、山頂を目指します。湿原に出ると後はずっと木道で、これまでの急登とは比較にならない快適な木道歩きが続きます。途中鷹ノ巣から登ってきたトレランの方に道を譲る際に「プリンスルートとはうらやましいですねぇ。」と言われました。恐らく朝4時頃出発してきてのでしょうか。すごい健脚だなと思いました。
山頂直下では青空も見え、日も差してきました。急登の時の蒸し暑さもなく、快適に歩けます。天気予報が良い方に外れ、同行の友人だけでなく、同宿の人たちとも喜び合いました。
山頂標は話に聞いていたとおり三角点のところに立てられていました。最高点まで足を伸ばし、写真を写して再び山頂標のところへ戻り、ここでも写真を写してから大休止にしました。朝食に付いてきたゆで卵と魚肉ソーセージを食べましたが、どちらも普段食べ慣れないものなので新鮮な美味しさがありました。
山頂標前では30分ほど滞在し、遠くに団体さんが見えてきたので下山することにしました。宿から指示されたとおり姫ノ池に向かいます。どこの湿原も草紅葉が見頃です。青空の下だったらどんなにかきれいだろうにと思いましたが、こればかりは仕方がありません。姫ノ池では別の宿のバスで来たご一行様が集団で休憩していたので、湿原の向こうに山頂を眺めた後その場を後にしました。
ここから最後の目的地である玉子石へ向かいました。玉子石分岐からは5分ほど。到着してみると意外に大きいことにびっくりしました。遠くには草紅葉の広がる中に池塘も眺められました。先程まで見えていた青空はすっかり見えなくなりました。雨に降られる中あの急登を下るのはいやなので、早々に下山し始めました。
辛い急登を今度は下るのですが、登りの時と同じくらい困難を極めました。本当に最後の最後まで息の抜けない下りでした。途中雲の切れ間から越後駒ヶ岳と中ノ岳がわずかに眺められました。沢の音が大きくなると遠くに駐車場のバスが見えました。川を渡る手前にあるヒカリゴケを見てから橋を渡ると間もなく駐車場に着きました。我々の宿の車が一番先に全員集合して出発することができました。
宿に戻ってから再び白銀温泉につかり、帰途に就きました。登頂が難しい念願の山の山頂に立つことができ、今年もなんとか未踏の100名山に一つ登ることができました。残るは6座です(飯豊山・赤石岳・悪沢岳・聖岳・光岳・宮之浦岳)。










利尻山に登ったのは29年前。それ以降も毎年のように訪れた礼文島から利尻山を眺めてきましたが、利尻山に登ることそのものからはずっと遠ざかってきました。あれから登山道が崩壊して付け替えられたり、携帯トイレの持参が必須となったりしたと聞きます。どんなふうに違ったのか興味もありました。
20日は朝から快晴。宿の窓からは港の向こうに利尻の姿が眺められました。日の出を前に山頂が徐々に日に照らされていく様子を眺めながら準備をしました。食堂に行こうと玄関を通りかかると、ウェルカムボードに宿のスタッフから激励の言葉があり、ちょっと嬉しくなりました。食堂でIさんと一緒に食事をしながら、雲一つない空の元登ることができることへの期待に胸を膨らませました。
4:45に宿を出て車を走らせ、3合目の登山口に5時前に到着。5時から登り始める人が多いと見えて、宿の送迎の車が次々とやってきます。Iさんもバイクでやってきました。トイレを済ませ、5時少し過ぎにIさんと一緒に登り始めました。甘露泉泉まではツアー客が入るため、登山道も整備されています。甘露泉水で冷たい水を一口飲み、ここでIさんと分かれて別々に登っていくことにしました。
最初は樹林帯の中を5合目までだらだらと登っていきます。5合目から7合目は背の低い灌木帯の斜度のきつい尾根筋をほぼ直登します(ここが一番きつかったたように思います)。次第にハイマツが混じり始めると7合目を過ぎ、第二見晴台に出ると目の前に利尻山(実際には長官山)、後ろには海が広がり、遠くに毎年訪れている礼文島が見下ろせます。
第二見晴台からはハイマツと低い灌木の間を縫うように登っていき、やがて長官山に出ます。目の前に利尻山がバーンと聳え、思わず歓声が上がります。29年前は目の前には広大なお花畑が広がっており、そのときは一面にエゾカンゾウが咲いていたのですが、現在ではお花畑は完全に笹原になっていました。
長官山からはいよいよ火山特有のザレた斜面を登っていくのですが、29年前とは雰囲気が全く違っています。谷間のようになったところを3歩進んで2歩下がるような感じで苦労しながら歩みを進めた記憶があるのですが、そんな箇所は全くありません。また、登山道の右側が崩落地となっており、どうやら昔の登山道があったあたりは斜面ごと崩れてしまったようです(そう言えば、礼文島から見た利尻山に見える赤い崩落地は、昔と比べるとずいぶん面積や形が変わっているように思います)。
整備された登山道を一歩一歩登っていくと、やがて山頂に到着しました。快晴の空の下、素晴らしい眺めです。29年前は南半分が雲海の上だったので、360度全部を見渡せるのは初めてです。山頂もこんなに狭かったかな、という感じです。昇ってくる日とみんなが口々に歓声を上げ、中には百名山完登を喜ぶ人もいました。
山頂では1時間ほど過ごしました。山頂から四方を眺め下ろし、いつものように名残を惜しみながら下山しました。下りはひたすら下るだけで(特に6合目から甘露泉水までのだらだら下りが辛かったです)、しかもかなりの暑さだったのでかなり消耗しました。甘露泉水の美味しかったこと!
時計を見るとまだ13時半過ぎで、今から車を飛ばせば、沓形にある利尻らーめん味楽の閉店時間に間に合います。急いで車に戻り、味楽へ急ぎました。幸い閉店時間にギリギリ間に合い、夏だけの特別メニューである利尻昆布冷製鶏塩らーめんを食べることが出来ました。
第二見晴台からはハイマツと低い灌木の間を縫うように登っていき、やがて長官山に出ます。目の前に利尻山がバーンと聳え、思わず歓声が上がります。29年前は目の前には広大なお花畑が広がっており、そのときは一面にエゾカンゾウが咲いていたのですが、現在ではお花畑は完全に笹原になっていました。
長官山からはいよいよ火山特有のザレた斜面を登っていくのですが、29年前とは雰囲気が全く違っています。谷間のようになったところを3歩進んで2歩下がるような感じで苦労しながら歩みを進めた記憶があるのですが、そんな箇所は全くありません。また、登山道の右側が崩落地となっており、どうやら昔の登山道があったあたりは斜面ごと崩れてしまったようです(そう言えば、礼文島から見た利尻山に見える赤い崩落地は、昔と比べるとずいぶん面積や形が変わっているように思います)。
整備された登山道を一歩一歩登っていくと、やがて山頂に到着しました。快晴の空の下、素晴らしい眺めです。29年前は南半分が雲海の上だったので、360度全部を見渡せるのは初めてです。山頂もこんなに狭かったかな、という感じです。昇ってくる日とみんなが口々に歓声を上げ、中には百名山完登を喜ぶ人もいました。
山頂では1時間ほど過ごしました。山頂から四方を眺め下ろし、いつものように名残を惜しみながら下山しました。下りはひたすら下るだけで(特に6合目から甘露泉水までのだらだら下りが辛かったです)、しかもかなりの暑さだったのでかなり消耗しました。甘露泉水の美味しかったこと!
時計を見るとまだ13時半過ぎで、今から車を飛ばせば、沓形にある利尻らーめん味楽の閉店時間に間に合います。急いで車に戻り、味楽へ急ぎました。幸い閉店時間にギリギリ間に合い、夏だけの特別メニューである利尻昆布冷製鶏塩らーめんを食べることが出来ました。
ラーメンを食べた後はさすがに疲れたので宿に戻りました。しかし、温泉に入るには時間が早すぎます。宿で一休みし、16時頃に利尻富士温泉に向かいました。宿の部屋に干したものの生乾きの洗濯物をコインランドリーの乾燥機に投入して風呂に向かい、汗を流しました。登山の後の温泉は、毎度のことながら気持ちが良い!乾燥機の時間を見ながら1時間ほど滞在して宿に戻りました。
夕飯は、当初の予定では旅友達がよく出かけている中華料理店に行こうと思ったのですが、なんと休業。やむなくホタテカレーの有名な店に行きました。ホタテカレーは熱々のホタテフライが載り、ルーにもホタテの貝柱が入っておりとても美味しかったのですが、喫煙店だったのがちょっぴり残念。
夕食後は痛む足を引きずって夕陽の丘に登り、礼文島に沈む夕陽を眺めました。29年前と同様に素晴らしい夕陽でした。確か34年前に利尻島に泊まった時も素晴らしい夕陽を眺められたのを覚えています。
登山もラーメンもカレーも夕陽もと、お腹いっぱいの一日が終わりました。







予想通り下船できたのは5時前だった。朝食を購入する時間も、給油する時間ももったいなく、すぐに高速に乗る。銭函あたりまで来て海の方を眺めると、海沿いのホテルのビルが見えてくる。あの手前には、かつて何度も泊まった”ちい旅”がある。もう25年も泊まっていない。
下船前にトイレにも行っておいたので、PAにも寄らずひたすら高速を飛ばす。ガソリンの残りを気にしながら留萌で高速を降りる。そのまま海沿いを北上する。羽幌でようやくセブンイレブンを見つけ、朝食と明日の食料などを買い込み、運転しながら頬張る。
空は曇り、途中からは雨も降ってきて、天塩近辺では本降りとなった。本来なら海の向こうに見えてくるはずの利尻山も見えない。ガソリンのメーターを気にしつつ内陸に入り、高規格道を通って豊富へ。雨の中をスピードも気にしつつ走り、毎度の通り「ルージュの伝言」を聞きながら無事に稚内の町に入った。
結局小樽から給油をせずに稚内に到着してしまった。モダ石油で満タンにしてフェリーターミナルに向かう。昼飯にはセイコーマートのホットシェフのカツ丼を食べようと決めていた。2,3カ所の店を見て回ってなんとか購入し、フェリーターミナルに向かう。そんなに飛ばしたつもりはなかったが、休憩時間を除くとちょうど5時間でフェリーターミナルに着いた。札幌から稚内までは夜中だと大体5時間で着くと聞いていたが、本当であった。
稚内から利尻島に渡るのは実に29年ぶり。そう、前回利尻山に登って以来である。いつもは礼文島に渡り、しかも旅客の乗船口から乗るので、なんだか変な感じである。それにしても肌寒い。気温は18度で、内地の最高気温の半分である。
航送の車を駐める駐車場に車を駐めて乗船を待っているところへ、ちょうど礼文島からの1便が到着した。もしかすると知人が乗っているかも知れないと思い外に出てみると、見覚えのあるキャンピングカーが降りてきた。何と校長だった!慌てて道路まで走って車に手を振ると、気づいた校長がびっくりして車を駐めて車から降りてきた。昨年のGW以来の再会だったが、私がフェリーターミナルに来ていたことにびっくりしていた。乗船時間も迫っていたので慌ただしく言葉を交わし、写真を撮って別れた。他にも知人がフェリーに乗っているようだったが、乗船が始まってしまったので、ターミナルに戻ることはできなかった。
2便ということで船内は空いている。前方の人がほとんどいない2等船室に陣取る。船室のテレビで高校野球の観戦をしている人がおり、音声が気になるが少し横になる。沖に出ると結構な揺れである。利礼航路でのフェリーの揺れには慣れているから、気にせず起き上がってカツ丼を頬張る。予想通りとても美味かった。
食べ終わってまた横になり、うとうとしているうちに船内放送が入る。車に移動して着岸を待つ。下船してまず向かったのは、沓形にあるらーめん味楽へ。十数年前に礼文から日帰り利尻ツアーに来た時に行って以来である。鴛泊に着いたのが13時過ぎで、味楽の営業時間は14時までであるが、もし誰も並んでいなかったら、腹は空いていないが麺だけでも食べてこようと思い車を走らせた。
味楽に着いてみると駐車場は満車。記帳を見ると5組程度の待ちだったのですぐに記帳し、駐車場の空くのを待っていると、間もなく駐車場が空いて車を駐められた。ラーメン店だけあって客の入れ替わりが早く、間もなく店内に案内される。特別メニューの利尻昆布冷製鶏塩らーめんに心引かれたが、ここは定番の焼き醤油ラーメンにする。カツ丼がまだこなれておらずお腹いっぱいだったので麺だけすすり、スープも一口すするだけにした。やっぱり美味しかった。
味楽から引き返してうみねこゲストハウスに向かう。途中で34年前に泊まったHという宿の前を通りかかったが、新しく建て直されて立派な建物になっていたものの、どうやら営業していない模様。そこから港に下るとうみねこゲストハウスに到着。前日電話で案内されていたとおりに鍵を受け取って部屋へ。目の前に港があり、その向こうに利尻山がどーんと聳えている素晴らしい眺めの部屋。こんな部屋に2泊もできるなんて何という贅沢だろう。しかも個室だし。
部屋に荷物を運び、少し休んでから利尻富士温泉に入りに行く。ここも十数年ぶり。前回はフェリーの時間が迫っていたのでゆっくり入ることができなかったが、今回はのんびりと入ることができた。あまり天気の良くない中で登山をしてきた人たちがたくさん入りに来ていた。
宿に戻って受付をし、洗濯を済ませた後、同宿の人たちとパズルをしたり、一緒に島に入ったライダーの人と話したり、セイコマで買ってきた夕飯を食べたりしながら、宿のスタッフや同宿の人たちといろいろ話をした。宿泊者の数を絞っていることもあってか、こじんまりした感じでのんびりすることができた。特に同じフェリーで島にやってきた栃木のライダーのIさんは、皆さんの話を聞いているうちに、急遽翌日利尻山に登ることになってしまった。私が車に乗せてセイコマに食料を買いに行った。ご本人はバイクで島一周をするつもりが、突然登山をすることになって困惑している様子だったが、いろいろ準備をしているうちにその気になってきたらしい。
宿に戻ってシャワーを浴び、翌日の好天を祈りながら就寝。