○2年生の頃⑦
11人メンバーがいれば、軋轢も起こる。いや、今までぎくしゃくした人間関係が表に現れないよう、皆がうまく気を使って11人としてのまとまりを作ってきたのかも知れない。
しかし、私はその11人が仲良しグループで和気藹々やっているのはどうもしっくりこなくて、高校時代さながらに、他のコースの男子連中といつも一緒に過ごしていた。そんな態度が、メンバーには快く移らなかったのかも知れない。グループの女の子から、そんな態度を注意するような言葉を掛けられた。私は自分の内心をちゃんと見抜かれていたようで、ちょっと怖くもなった。
そんな関係が、この時の展覧会で明確なヒビとなって現れたのだった。そのきっかけは、同級生の一人の女の子の突然の結婚だった。もちろんその子がある先輩と付き合っているのは知っていたが、まさか結婚するとは思いもしなかった。まして、付き合ってからまだ数ヶ月しか経っていない。結婚を機に東京で生活するようになったその子が、何かにつけて理由を付けて展覧会に関する仕事を抜けるようになって、グループ内でその子に対する不満がくすぶるようになっていったのだった。
その時もその子は夫である先輩が待っているからと、帰ろうとしていた。しかし、これまでの勝手な行動に業を煮やしていた私を含めた3人の男子は、その子を引き留め、その態度を注意した。その子は黙ってうつむいてしまった。私が最後に言った一言「結婚して名字が変わっても、書コースにおける○さんという存在には変わりがないんだよ。」で、その子は泣いてしまったが、仕方がない。
結局そのことがあって、その子は展覧会の終わりまで責任を果たしてくれた。でも、その後卒業するまで、グループにおけるその子の存在は微妙なものになってしまった。私達には、その子が結婚を理由にしてすべてを簡単に済ませているという印象がぬぐえなかった。酒でも入れば、卒業論文だって全部夫である先輩が書いているんだろうと噂したりもした。時には度が過ぎて、しらふの時にも声高に陰口をたたくこともあったから、そんな行動を別の先輩達からとがめられたことすらあった。でも、そんなことをしてしまいたくなるのは私達の本当の気持ちだった。
今思えば、その子の学生生活は生涯の伴侶を得たという点では大切なものであったろうが、学生生活としては思い出深いものではなかったろう。大学に来ても、皆から腫れ物に触るように扱われていれば、あまり良い気持ちはしなかっただろう。その子は、授業も3年の時からは私達とはあえて違う授業を取るようにしていた。私も含めたグループの面々も、たまに再会する今でも、その子についてはあえて触れないようにしているほどである。
話がそれたが、メンバー全体で準備に取りかかり、ポスターもデザインコースの友人にお願いして、何とか開催にこぎ着けた。6日間の展覧会は先生方や先輩後輩方が一通り見に来てくれ、他のコースの友人達も見に来てくれ、彼らの知らない書の世界を目にしてもらえたのはよかったと思う。会場はぱっとしない場所であったが、展覧会をやってよかったと思った。
私自身としては、漢字仮名交じりの書を発表できたことと、張瑞図の書という新たな出会いがあり、表現の幅を広げることができた点で、大きな収穫があったと思う。