桑の海 光る雲

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書道について75

2013-04-03 22:00:14 | 日記・エッセイ・コラム

大学を終えるにあたり、今後のことを考えた。さすがに書道をやめようという決断はできなかった。私にとって大切な自己表現の手段だったからだ。高校時代から、地元の展覧会の時にお世話になっている先生に教わることも考えたが、就職すれば金銭的にも余裕ができるわけだから、中央の展覧会にも出品したい。そうなると、やはり中央で活躍している先生に師事したい。さらに、師事するからには、様々な書体をよくし、しかもその人が書く書を私が好きでなければ、師事しても意味はない。

そこで思い浮かんだのが今井凌雪先生であった。以前にも書いたが、私が本格的に書の道に進むきっかけを作ってくださったのが今井先生であった。先生は私が入学する前に筑波大学で教鞭を執っており、大学6年間お世話になった中村伸夫先生は、今井先生の愛弟子であった。

一方、大学2年の時、同級生が今井先生に師事した話を聞き、たまらなくうらやましくなり、私も先生に師事しようと画策したものの、その時はいろいろな人から話を聞いた結果、その話は沙汰やみになった。そして大学3年生の秋、学外演習で関西に出かけ、先生のご自宅を訪れ、先生の所蔵される名品を鑑賞する機会に恵まれた。テレビでしかお会いしたことのない先生に直にお目にかかれて、感激もひとしおだった。MC1年生の時は、先生が主宰する雪心会という書道会の展覧会についての座談会が催され、会員でない学生の意見を聞きたいという先生からの提案で、私が学生代表ということで、1人の先輩と共に呼ばれ、座談会に参加し、その場で先生と初めて親しくお話しする機会を得た。実際に先生に接する機会を持ったことで、師事するなら先生しかいないと思うに至ったのである。

そして中村伸夫先生にその旨を話し、晴れて1994年4月から、今井先生のご指導を受けるようになり、先生の主宰される雪心会にも入会したのである。私が書の道に進む原点となった今井先生に直接指導を受けることになるとは、もう運命の不思議さと言うほかはなかった。

先生の最初のお稽古との時のことは、今でも鮮明に覚えている。後輩と一緒に筑波から上京し、田町の駅から坂を登ってお稽古場の東急三田アパートへ向かう。お稽古場の部屋は弟子達で溢れ、玄関は靴の置き場がないほどである。室内には香が焚かれ、奥の窓辺の座り机に正座して、先生が筆を執って弟子に指導しておられた。

後輩から紹介され、雪心会入会を願い出、お許しが出た後、修了制作で書いた包山楚簡を半紙に臨書したものをお目にかけた。先生は筆を執り、コピーした原本を目を細めて見ながら臨書手本を書いてくださった。私は、あこがれの先生が机の向かいに座って、実際に筆を執って、お得意の楚の書風の文字を臨書しておられるのを、感動しながら眺めていた。臨書手本を書かれた後、先生からは厳しい指摘を頂いた。さらに、初めてということもあって、先生のお話を切り上げるタイミングを逸し、40分もの時間を使ってしまい、後続の弟子達に大変な迷惑をかけてしまった。楚簡を臨書したのはその時だけだったが、その次からは、私が書いてみたいと思っていた、銀雀山竹簡を臨書して持参し、半紙でなく折帖に続けて臨書していただき、保存できるようにした。

コメント
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