はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国番外曹源寺

2015-11-27 11:21:02 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-28(金)
歩行時間:6時間25分   休憩時間:2時間20分   延時間:8時間45分
出発時刻:9時10分     到着時刻:17時55分
歩  数: 40、334歩(推定距離30.2km)    GPS距離29.0km
行程表
 内海駅 0:45> 48番 0:25> 49番 0:15> 56番 0:05> 52番 0:05> 53番 0:05> 51番 0:05> 50番 0:20>
  55番 0:30> 57番 1:35>  番外 0:05 58番 0:05> 59番 0:20> 60番 0:30> 61番 0:15> 62番 0:25>
  63番 0:10> 65番 0:10> 64番 0:15> 常滑駅

                               番外曹源寺(大河ドラマ)
 
              海苔の支柱とセントレア                      緑地の先にセントレアへの橋

 57番報恩寺から番外曹源寺(そうげんじ)への距離は今日一番長い約7kmもある。
道は国道を歩けば分かりやすいが、それは極力避け途中からは海岸の防潮堤横の道を歩いた。
飛行機の爆音が小さく聞こえてきて海を見ると、中部国際空港セントレアが見えていた。手前には海苔の養殖に使う杭が乱立
している。この杭は南知多町の札所で海苔の栽培用と聞いたが、この杭をどのように利用するのか調べてみると。
 海苔の栽培には2種類の方法があり、このように杭を使うのは 「支柱式栽培法」 といい、海苔の胞子の付着した長さ20m程の
種網を支柱の括り付けて育苗します。時期は初秋の頃で収穫は冬ですので、今の杭には何も付いていないようです。

        
                    味噌蔵                                葡萄蔵

 案内板によるとこの蔵は 「170年前の味噌仕込み蔵を利用して、盛田KKが自然、健康、本物をテーマに350年の清酒、
みそ、たまり醤油の伝統を生かし発信しています」
とある。現在は醸造所の展示館と利用しているようだ。

 次の葡萄蔵の案内板には
  「ワイン醸造のため、明治10年代に当地に建立されました。今では甲州の地で “シャンモリワイン”を醸造しています。」
しかし清酒の “盛田” もワインの “シャンモリワイン” も聞いた事は無い。多分地酒の一つだらうと思っていたら
清酒は 「ねのひ」 の醸造元だった。“ねのひ” なら飲んだ事は無いが名前を聞いた事はある酒だった。

 
                   曹源寺入口                               本 堂

 民家が密集してきた場所に曹源寺はあった。寺の周りを黒塀で囲んだ、如何にも街中の寺の風情がしている。
先程の報恩寺までは美浜町だったが、この曹源寺から常滑市に入り、遍路もいよいよ終盤に入る事になる。
曹源寺に入り何となく淋しく感じるのは、美浜町の札所では幟が林立していたが、ここでは僅か4本しか立っていないからか。
美浜町では霊場の幟の他にも派手な武者の絵の入った幟も立っていた。その幟には 「源義家公 大河ドラマで活躍」 とあった。
大河ドラマは見ていないので何時放送されたか知らないが、再来年の放送予定は知っている。
それは遠州井の国(浜松市引佐町)の女城主 「井伊直虎」 だ。
井伊直虎と聞いても殆どの人は知らないだろうが、幕末桜田門で暗殺された彦根藩主井伊直弼の先祖で、彦根藩の初代城主を
守り育てた女性です。一部では 「戦国女大名」 と言う向きもあるが、頼朝の妻・北条政子のように謀略ばかり謀ったり、ましてや
木曽の巴御前のように戦場で戦ったわけでもない。ただただ片田舎の井の国にヒッソリ過ごしていた女性だ。

 大河ドラマがどのような筋なるかは知らないが、本では梓沢要の 「女(おなご)にこそあれ次郎法師」 がある。
女性なのに 「次郎法師井伊直虎・裕圓尼」 を名乗った直虎は、井伊家の長女と産まれが許嫁の従兄と結婚できず、その子を
今川から匿いながら育て彦根藩主までにした話です。

 静岡県で大河ドラマの主人公になりそうな人を考えると、先ず北条政子、次に徳川家康の正室築山御前、今川義元の母・
寿桂尼、最後に井伊直虎かと思っていた。それが4番手が最初に来るなんて私の想像も当てにならにものだ。
私の押したいのは2番手の築山御前で、彼女なら家康と出会った瀬名姫の時代。岡崎に来てからの姑・於大の方との確執、
息子信康の切腹、最後には家康の命により斬殺と見所満載のドラマになりそうです。いつかはドラマ化して欲しいと思う。
そうそう築山御前の母親は井伊家の出なので、今回のドラマには直虎と築山御前の絡み合いもあるかもしれないな。
再来年の大河ドラマは必ず見てみよう。(忘れなければだが)

 
               入口に立っていた石碑                          躄(いざり)車

 曹源寺の入口の石碑に 「躄車 奉納霊場」 とある。躄とは足の悪い人の事で、その人の乗る車とは今の車椅子の事だろう。
寺の中には木製の如何にも重そうな車が展示してあり
 「大正12年、足腰を患った26歳の男性が、車を犬にひかせて知多四国を巡礼されていました。
前夜、男性の夢枕に御大師様が立たれ、番外の御坊に参拝せよとお告げになりました。
翌朝、寺に着きお詣りをすると、自らの力で立ち上がり歩くことが出来ました。」


 以前会社で 「昭和のいざり」 なる言葉がはやった時がある。意味は車の免許証を持っていない人のことを指した。
さすが本人の前では言わなかったが、余りいい言葉ではなかったな。
しかし今では車も自動運転が可能な時代も近く、運転免許証もいらなくなるだろうか。

 知多四国を歩いている時、電動車椅子の横を歩いて、その速さに驚いた事がある。
その事が新聞が取り上げていて、静かで早い車椅子と衝突する事故が増えているとあり、そのため現在最高速度時速の
6kを4k程度に抑えたいとか書いてあった。

 ここに展示してある重くて遅い車椅子が、今やスピード抑制が必要な車椅子になったとは。

 
                   庚申堂                              青面金剛像

 庚申堂には役行者・青面金剛・天神(菅原道真公)が祀られていた。
知多半島には道祖神や庚申塔などが非常に少なく感じるが、青面金剛像の庚申塔はここで2ヶ所目になる。
そのどちらも青面金剛像が刻まれていたが文字の石塔は見てなかったと思う。
尾張地方は庚申信仰は薄かったのだろうか。

                               57番報恩寺から番外曹源寺への道

最新の画像もっと見る

コメントを投稿